64. 道化と獣の狂騒曲2
「あれだけ派手にやったのに、人ひとり来ないね。結界でも張られてたのかな」
「……魔術ってのは、本当に便利なもんだな」
使い方次第で、どこまでも厄介になってくれる――。
思えば、あの薄膜のような空気の変化は、その結界とやらの気配だったのかもしれない。違和感を覚えたのは、こちらに何かしら影響を及ぼすからか。
リィンと二人、裏路地を駆ける。向かうは蝙蝠共の飛び去った方角――セレの知覚は、はっきりとその軌跡を捉えていた。
話し合う間もなく追跡することになったが、選択肢はそれしかなかったと言っていい。というより、そういう“意図”なのだろう。
――“報せを送る暇さえ与えない、小土人の命を秤にかけて”。
小土人は同じ鉱石から生まれたもの同士、一蓮托生なのだという。文字通り、離れてしまえばやがて命も共に落としてしまうほどに。
リィンにしがみついたままの四人の小土人達は、まるで本当に石人形になってしまったかのように動かない。生きているとわかるのは、その体から不安定な魔力が漏れ出ているからだ。
普段は鬱陶しがっているエナも、その様子を見てちらちらと話しかけているが、小土人達からの反応はない。
「あんな大量の使い魔を操るなんて、何者なんだろうね」
「何者かは知らんが、どこにいるかは知ってる」
「え、そうなの? セレ、どこかわかるの?」
「ああ――ちょうど、観に行ったばかりなんだ」
『ん? ……観に?』
不安を紛らわすように喋るリィンに相槌を打ちつつ、周りから数段飛び出た屋根へ跳んだ。
曇天の夜、街々の灯は星空の写しのように輝いている。賑わう歓楽街とは対象的な、灯も疎らな繁華街のさらに先――。
『な、なあ、もしかして……』
(ああ、残念ながら――あの蝙蝠には覚えがある)
――ぽかりと空いた広場は闇に溶け込んでいる。数日前の煌びやかな姿とは打って変わって、そこには夢も熱もありはしない。
“レゴリック曲芸団”――蝙蝠を象った看板を遠望で認めると、セレは音もなく屋根を蹴った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――……ミニュール」
「……ニャ。これは、いわゆる“巨狼の尾を踏む”ってやつなのニャ」
レゴリックに投げ付けられた小土人を手に、アルバとミニュールは薄暗いテントの通路を急ぐ。
意気揚々と解き放った使い魔達を一瞬で削殺されたレゴリックは、半狂乱で迎撃準備を整えている――“眼”を潰される直前まであれを間近に視ていたアルバには、その行動はどこまでも悪手に見えた。
「あれは私の“眼”に気付いたうえ、闇の中、使い魔の群れを縫ってピンポイントに破壊してきた。見た目通りじゃない、相当な手練れよ」
「ウム、横から覗いただけの吾輩の毛並みがバサバサニャ。命あっての物種、引き際はきちんと見極めないとニャ」
ミニュールの言葉に、アルバは冷汗がぶり返すのを感じた。
そう、引き際は大事だ。それを正しく見極めてきたからこそ、自分は今も生きている。アルバにはその自負があった――その経験則が、“早く逃げろ”とアルバに訴えてくるのだ。
“魔力がほぼない故に精霊の主人にされた、狩猟者になったばかりの少女”。
この町に来てひと月程度、鉄等級の狩猟者だという情報と、所感を併せて出した結論だった。
それならば仕事は簡単だ。足がつかないよう気を付けるべきは魔鉱人の女の方で、撤収直前、間を置かずに二件続けて“仕事”をすればいい――魔鉱人の女の方が首尾よくいったので、油断した。
(あれは魔力ではない。あの金色のエネルギー……鏡面魔術? どこぞの教会の秘術? ――いや、今は脱出を最優先に考えなければ)
――町を覆う結界は基本的な対物魔結界ともう一つ、転移魔術に対する追跡結界が施されている。
転移魔術はその有用性に伴う危険性から、城壁越えの使用が制限されている。使用できるのは運送ギルドなど許可されたものに限られ、併せて内容の報告なども義務付けられている。
万が一届出なしで使用した場合、内容によっては即労役場送り――犯罪奴隷だ。
(城壁の追跡結界は違法転移を感知すると対転移結界に切り替わる。転移魔術が使えなくなる――つまり、一回目なら許される)
どんな“網”にも抜け穴は存在するものだ。そして、幸いにもアルバはそれらを知悉している。
「レゴリックには悪いけど、回収できるものだけ回収して、さっさと離脱させてもらいましょう」
「所詮は上に子守りを任されてただけなのニャ。あんな三流、時間稼ぎに使えればいい方なのニャ」
「厳しいこと――――っ!」
――――広場に張った結界が、破壊された。
肌が粟立つ。急がなければ――。
アルバは己の経験則を信用している。そして、それが間違っていなかったとわかるのは、太陽すら見えない未明のことであった。




