63. 道化と獣の狂騒曲1
「にしても、セレはすごいねぇ。聞いたことないもん、二等級昇級なんて……ふふっ、お酒もおつまみもいっぱい買ったし、今日は飲み明かそうね? お祝いだよお祝い」
「前例はあるらしいぞ――今日はもう無理だろ、平日だし、飲み始めるには遅いし」
「えぇ〜、少なくともハリナは飲んでるし、ゲオルグさんとロジさんもどうせ飲んでるよ? アメリアもなんだかんだで参加するよ?」
「…………目に浮かぶのがもう……」
「ふふっ、私はセレとサシでもいいよ?」
「ヌッ」「ヌフ」「ヌ?」「ヌヌ」「ヌン」
チェルシーと報酬の受け渡し日を取り決め、別れた後。
採集依頼で三日ぶりにデアナに帰ってきたリィンとギルド内で遭遇し、共に宿への帰路へと着いた――はずだったが、早々に脱線した。リィンが狩猟者らしい観察眼をもって、セレの手首の証章の変化に気付いてしまったのである。
リィンは酒に関する店にとても詳しい。本人の趣味なのもあるが、そういった嗅覚にも優れているのだろう。都市と言っても過言ではないデアナの裏路地をすいすい進み、唐突にかくんと進路を曲げて、普通は気付かないような小さな店に吸い込まれていくのだ。
なんだかんだでセレも付き合ってしまい、梯子すること数軒。狩猟者ギルドを出た時点でオレンジ混じりだった空は、すっかり藍墨色に変わっていた。
『俺はさっき買ったやつ飲みてえな、夜だけど全然眠くねえし!』
(ずっと寝てたもんな、お前)
偶然発見し購入した“耽溺の赤”に胸毛を膨らませるエナに苦笑し、セレはふと空を見上げた。
建物の隙間から見える夜空は雲に隠れ、星一つ見えない。昏い裏路地を照らすのは頼りない街灯のみ。春の盛り、未だ冷気を孕んだ風が、細い音を立てて頬を撫でていく――。
「――――…………?」
――空、群れ。こちらの方角に飛んでくる。
鳥のようだが、違う。鳥類の活動時間外というのもあるが、それにしても音がなく、生物の気配が薄い。
こちらの方角――否、目標はここだ。
少しずつ範囲を狭めながら、この場所を中心に旋回している。どこか気配に覚えがある気がするが、思い出せそうにない。セレは両腰のホルダーからナイフを抜いた。
「セレ、どうしたの?」
「リィン、何か来る」
『なんだ、どうした?』
「エナ、絶対に落ちるな。しがみ付け」
エナをフードに押し込んだ。『な、なんだ⁉』と言いつつもおとなしく収まったのは慣れなのか。
困惑しつつも、リィンは目を閉じた。長耳人は亜人族の中でも耳がよく、風音を読み矢の軌道を操るらしい――数瞬、彼女の耳も“それ”を拾ったようだ。顔色が変わる。
「魔物……? 魔力を感じない――囲まれてる?」
「リィン、わかるか?」
「少なくとも、この辺りで見る魔物じゃなさそう。みんな、離れないで――――ッ!」
黒い竜巻が天を覆っている――否、見下ろされている。
季節にそぐわない、木枯らしのような微音の束。曇天を背に、竜巻は細く長く天へと伸びる。
空気が変わった。霧の森で感じたような薄膜――それを待っていたかのように、竜巻が一際ぐるん、と渦巻いた。
ザザァッ――――!
波涛の如き轟音。
墜ちた。一直線に――“セレ”を目掛けて。
狙いはこっち――否、精霊!
理解すると同時に一足飛にリィンと距離をとる。数十メートル開いた距離を、竜巻はくん、と曲がって追いかける。
敵意はない。生物らしさもない。精密に統率された動き、やはり普通ではない。リィンの喚声も遠く、セレは冷めた頭で対のナイフをゆらりと下げる――刹那、<業>を一気に研ぎ上げた。
《――アヴァリス流闘術――<転鱗>》
それは、一陣の“嵐”の如く。
正面から突っ込んだ黄金の嵐は、その“刃鱗”をもって黒渦を削り、引き千切る。
回転。回転。回転――そして廻転。地を蹴り、空を蹴り、黒渦を吞み込みながら空へと昇る。
ガガガガガッ! おおよそ生物が出すべきではない音を連れながら、二層の刃鱗はその進撃は止めない。<業>の刃で、全身で、削りきる。
ガガガガッ――ザンッ!
黒を食い尽くしたのち、セレは上空から状況を睥睨し、知覚と視覚を照合する。
推定、敵。ほぼ壊滅。周囲に散っていたいくらかが生存――リィンの援護射撃で僅かに減少。ついでに目に付いた“それ”を一体、投げナイフで撃ち抜いた。
“それ”は、小型、黒い生物。しかし、生物らしい意思も気配も希薄な――。
(――――蝙蝠?)
記憶の端、じわりと蘇る何か――しかし、その正体が顕になる寸前、視界に捉えたものに意識を奪われた。
「リィンッ!」
「――――ッ! <風纏鎧>ッ!」
自然落下では間に合わない――!
空を駆ける。生き残りの第二陣がリィンの元に到達する前に削り墜とす。
突如、標的を変えた第一陣。それを風の鎧で防ぎ切ったリィンは、壁を背に弓を構え――ありえない軌道で曲がる風の矢を散発し、散り散りになった残りを撃ち落としていく。
「リィン、無事か!」
「ったぁ……うん、何とかね。セレは大丈夫?」
「ああ」
『ゆ、揺れたぜぇ……終わったのか……?』
(――……一応は、な)
周囲に気配はない。リィンを襲った群れの一部は逃げおおせたようだが――その気配を追いつつ、周囲に落ちている残骸を確認する。
「……普通の蝙蝠に見えるな、大きめの」
「うん、そうだね……これ、“使い魔”なのかも」
「使い魔?」
「うん。従魔はパートナーの魔物だけど、使い魔は魔術で使役された知能の低い生物――生きてる人形みたいなものだよ」
リィンの撃ち落とした比較的奇麗な状態の蝙蝠を見やる。繰り手の存在する使い魔だとしたら、あの統率のとれた精密な動きも頷ける。
標的は精霊だろう。セレが狙われるとしたら今日済んだばかりの依頼関連だが、取引も済んだ今襲撃するのは道理に合わない――面倒だが、こういう手合いは叩けるうちに叩かなければ。幸い、この蝙蝠達のことは記憶に残っていた。
「私はあれを追いかける。狙われてるのは私とエナだから、リィンは先に――」
「え、だめだよセレ。確かにセレは凄かった……うん、凄かったけど、一人は危ないよ。ねえ、みんな――――あれ?」
「……? どうした?」
『……足りなくねぇ?』
1、2、3、4――足りない。一人足りない。いつもリィンにしがみついている小土人達は五人組。
「や、やだっ、どこ、どこ行ったの⁉」
「……吹き飛ばされたわけじゃなさそうだな。ってことは――」
『あ、あの蝙蝠共に連れてかれたのか!?』
舌を打つ。リィンに標的を移した理由が小土人だとしたら、襲撃者は相当にたちが悪い。
確か、小土人は――。
「ど、どうしよう、早く探さないと――みんなが死んじゃう……!」




