58. 魔宮と妖精
“魔宮”――それは、鏡面世界に住まう妖精達が物質界に生み出した創造物。
鏡面世界とは、人々が生きる物質界と向かい合って存在する世界のことを指し、精神界とも言う。鏡面世界では精神体を持つ生物のみが生存でき、妖精はその代表的な存在であるという。
「古人が造った迷宮に対して、鏡面世界にいる妖精が途方もない時間を掛けて物質界に干渉し、魔法で創り出したのが魔宮だと言われています」
「妖精って実在したのか――うん? 確か魔法は精霊が使うって話じゃ……」
「ああ、妖精と精霊は元々同じ存在だったらしいですよ? ……まあ、伝わっている性格というか、性質は違うみたいですけど」
「……なんか不穏な言い方だな」
「妖精はですね、何と言いますか……妖精の創った魔宮の話になるんですけど」
妖精が魔法で創りし魔宮は人々を呼び寄せる。
“餌”となるのは人々の欲するモノ。希少とされる魔物、植物や鉱石などの素材、眩い金銀財宝を蓄えた宝箱――そして、最も価値があるとされているのは“魔法を宿した道具”である。
“極魔遺物”と称されるそれは、今や物質界では精霊にしか扱えない魔法が込められたモノ。気が遠くなるほど昔、精霊と共にあった時代。人々から失われた魔法は今も再現は叶わず――故に、妖精の創り出した極魔遺物は極めて貴重な品だと言えるのだ。
「その極魔遺物がですね、例えば【妖精の手帳】というものがあるんですけど」
「手帳……?」
「手のひらより少し大きい軽装本だとか。持ち主以外は読むことができないらしいんですけど、読むと恐ろしいほど魔術の威力が上がるそうで……最初に手に入れた方は鑑定にも出さずに使い続けたと言われています」
「……それって、リスクとかなかったのか?」
「お察しの通りですねぇ……」
その探索者は次第に手帳から手を離さなくなったという。それどころか、視線も延々と手帳に囚われたまま――傍からはただの白紙の手帳にしか見えないそれを、食事も睡眠も取らずに、ただひたすら。
「餌を用意して、人々を魔宮におびき寄せて……物質体を持たない妖精が物質界に渡るために、魔宮で得た人々の感情や魂を利用しているのだと言われています。鏡面世界は退屈なので、物質界で遊んでるんだとか……極魔遺物で狂った人を見て嗤ってるとも聞きますね」
「魔宮、焼き払った方がいいんじゃないか。なんだその害悪生物は」
「“妖精はいたずら好き”だそうで……それで人が命を落としても、いたずらだから悪意はない、らしいですよ?」
「そうか……?」
極魔遺物の鑑定法は確立されており、きちんと鑑定士に依頼すれば、害ある物かどうかはすぐに判明するそうだ。しかし、魔宮に潜む危険は悪意だけではない。魔宮そのものが挑戦者を喰らわんとする罠なのだ。
一刻も早く滅ぼした方がいい存在としか思えないが――精霊を知っている分、妖精に対して余計にそう思ってしまうのかもしれない。わざわざ目に見える罠に飛び込む、というのもセレには理解しがたいことである。
妖精の領域、人知の及ばぬ場所――それでも人々は魔宮に挑むことを諦めない。
リスクがあるのは百も承知。それを踏まえてもなお魅力に満ちた宝物庫であることは言うに及ばず。地上では手に入らない魔物や素材、金銀財宝の詰まった宝箱。そして何より、奇跡を秘した魔法の道具――一獲千金の夢というものは、時代を問わず常に人々を魅了するのだ。
「挑む探索者や獲得物目当ての人々が集まるので、魔宮のある町は栄えるんです――で、話は戻るんですが、そこに定住を決めた探索者は狩猟者にはならず、探索者のまま魔宮で生計を立てるとか」
「ふぅん……そういえばさっき子供に人気の話だとか言ってたけど、【精霊伝奇物語】には全く出てこないな。そんな有名な話なら一回くらいは出てきそうなもんだが」
「ああ……確か、妖精は精霊のことを嫌っているらしいので、精霊の住まう場所には近寄らない、と読んだことがあります。だから魔宮が出来るのは精霊が寄り付かない場所が多いとか」
包装紙を破き、柔い団子のような菓子を口に放り込む。甘すぎず、いい塩梅だ。
妖精という生物は随分と俗物であるらしい。精霊達には感じなかった邪気を感じさせる存在――伝聞でしかないとはいえ、セレはあまり近付きたいとは思えなかった。
「つまるところ、魔宮はともかく、旅をするなら探索者になるのが有効というのは間違いないです」
「ああ、ありがとう。参考になったよ」
「いえいえ」
探索者のことは頭の隅に留めておくとして、とりあえず教授のことを妖精と思うのはやめよう――害悪生物と同じ扱いはさすがに気が引ける。セレは心の中でひっそりと誓った。
「――あっ、そういえば……今デアナの子供達の間では、将来の夢で狩猟者が大人気なんですよ! セレさんの影響で」
「は?」
「デアナ、というよりこの国はボレイアス大森林が近いので、元々狩猟者派が優勢だったんですよ。でも、この前セレさんが狩ったっていう巨大な怪魔の解体を見に行った子が多くて、探索者派だった子達が“地味だけど狩猟者もいいかな〜”なんて乗り換えをですね」
「地味……」
仕事に派手も地味もあるのか――華やかさ、という意味だろうか。それならわからなくもないが。
探索者はそれこそ冒険譚のように、財宝を発見して、栄誉を手に入れて、一夜にして人生が劇的に変化して……――なんてこともきっと夢ではないのだろう。人々の生活を守るためとはいえ、果ての見えない僻地にただひたすら挑むというのは確かに地味と言えなくもない。
「狩猟者は基本的に拠点から動きませんし、探索者みたいなロマン的な仕事ではないですから……大人になれば堅実さの魅力というのもわかってくるんですが、子供なので」
「ああ……うん……」
「元から狩猟者を目指してた子達は“大物を狩っても威張らないで町を守るのかっこいい!”って言ってました。狩猟者派は“働く大人かっこいい”って感じですよね、職人を見る目というか、なんというか」
「威張るも何も、それが仕事だしな」
「そういう真っ直ぐ淡々と仕事をこなすところもかっこいいんですよ、きっと」
ふふ、と笑うアメリアの視線から逃れるように、柔い団子を口に放り込む――気のせいか、先ほどよりも少し甘みが増したような気がした。




