57. 探索者
「ん~……っ」
両肩の違和感。伸びをすると、じわじわと痺れにも似た感覚が体を伝う。
談話室のソファーで贅沢に一人、遠慮なく足を伸ばす。柔らかなクッションの位置を修正し、背もたれにちょうどいいように――足元のクッションでひっくり返っている精霊を起こさないよう、そろそろと体勢を変える。
買い物をし、娯楽を楽しんだ日より二日。宿に引きこもり、ひたすら【精霊伝奇物語】を読み進めているが、さすがに少し疲れてきた。
読書は嫌いではない。学がないので小難しいものは読まないが、短編集や雑学本など、当たり障りのないものは気まぐれに買うことがある――故に、現在読み進めている腕ほどの厚みがある大冊は読んだことがない。しかし、今セレにできる一番現実的なことなので、避けて通ることはできないのだ。
この町に来た第一の理由、この世界を知ること。
この世界に落とされてからひと月以上が過ぎていた。まだまだ理解が及ばないことは多々あるが、常識以前の問題である道徳、倫理についてはさほど変わらないということは肌感覚で理解した。仮にあまりにも違っていたとしたら、普通に生活をするにも途方もない気苦労を覚えていたことだろう。
常識については、種族・人種などが細かく分かれていること、魔術という技術が深く根付いていること、巨獣狩りに似た狩猟者という職業があるので、生活は問題なさそうなこと――最低限、なんとかなりそうな気がしなくもない。
言語については不足分を勉強するとして、あとはこの町を出てからも折々覚えていけばいいだろう。全てを覚えられるとも思わないので、潔く諦めたとも言う。
それにしても――セレはふう、と息を吐いた。
目下の目的である各地の精霊巡り――当然といえば当然だが、“言うは易く行うは難し”である。本に載っているだけでも相当な数の精霊がいるのだと予想ができ、なにより行動範囲は最低でも大陸一つ。デアナに近い場所から白地図に書き込んでいるが、移動には慣れているとはいえ骨が折れそうだ。
「――あら。セレさん、今日は談話室なんですね」
「ん……? 早い帰りだな、アメリア」
「ええ、昨日は休日出勤だったので……」
談話室に入ってきたのは、学園の初等部で教師をしているアメリアだった。女将に渡されただろう菓子盛りをテーブルに置くと、「セレさんもどうぞ」と言って緩く微笑んだ。
昨日は夕飯にも間に合わないほど忙しかったらしく、些か疲れ気味なようだ。備え付けのピッチャーから水を注ぐと、一人掛けのソファーに深く腰を下ろす。コップの半分ほどを一気に飲み干すと、ようやく肩の力が抜けたようだった。
「セレさんはここ数日、ゆったり過ごしてますね。あれだけ連続で働いていたら当然でしょうけど……というより、夜も帰ってこない日の方が多かったですよね」
「依頼で森に入ってたからな。言われてみれば、せっかく長期契約したのにほとんど森の中か」
「私が口を出せることじゃないですけど、体調には気を付けてくださいね? ……ふふっ、エナちゃんはすっかり夢の中ですね」
「鳥のくせに腹を出して寝るんだよな、こいつ」
「ふふふ、お腹にくっついてるのはおもちゃのバッジですか? 可愛い――……あれ? 今朝は“昨日から読書と言葉の勉強だ”って言ってましたけど……それ、地図ですか?」
不思議そうなアメリアの視線の先には、所々に書き込みが散らばる白地図本。
昨日一日で読書ならなんとかなる程度には文法を理解できたので、今朝からは辞書と白地図本を傍らにひたすら本を読み進めていた――確かに、読書と言葉の勉強に白地図はそぐわないだろう。
「宿の契約が切れたら、旅に出ようと思ってな」
「えっ、そうなんですか? ……ってことは、セレさんは探索者になるんです?」
「えっ……いや、別に探索者になるつもりは……この本に載ってる場所を辿ろうかと思って」
「【精霊伝奇物語】……? 精霊に興味があるなら、余計に探索者になった方がいいんじゃないです?」
「……そうなのか?」
「ええ。存在不明に関しては、狩猟者よりも探索者の方が詳しいと思います」
曰く、探索者は“未知の探求”を理念の一つとしている故に、そういった現実的ではないもの――精霊などといった幻の存在、不確かなものに関する情報を多く持っているらしい。そして、探索者ギルドにはそういった情報を共有・交換・売買する仕組みが存在するのだという。
探索者ギルドは情報の精査、事実確認も担っており、存在不明に関する信憑性の高い情報を得るなら探索者ギルドを通すのが一番いいと――教師をしているからなのか、アメリアは解説がとても上手い。そして面倒見がいい。
「なるほどなぁ……その、探索者は狩猟者と兼業できるのか?」
「多い、というか、ほとんどの探索者は兼業してると思いますよ? 探索者は旅をしている方が多いですが、旅費を稼ぐために狩猟者ギルドで依頼を受けたり素材を売ったりするらしいです。あと、狩猟者ギルドの証章は身分証にもなりますから」
「ああ、主要七ギルドじゃないからか」
「はい。でも、最終的には狩猟者一本に絞る方が多いと聞きます。気に入った町ができたとか、家族ができたとかで、狩猟者として一か所に腰を落ち着けると――」
「――あ、“魔宮”のある町だったら話は変わるらしいですけど」
「ダンジョン……?」
「……あれ? 聞いたことないですか? 子供に人気のお話にもあるんですけど」
素直に首を横に振ると、アメリアは「セレさんの故郷ではあまり人気がないんですかね?」と言いながら新たな菓子の包装を解いた。




