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七黒星の巨獣狩り  作者: 若狭義
ぶらりデアナ歩き
57/80

56. それは月夜の舞台裏

『ふいーっ、いやあ、楽しかったぜ!』

「満足したか?」

『おうっ!』

「それはよかった。にしても、珍しいな。お前が寝落ちもせずにこんな時間まで起きてるなんて」

『昼寝……じゃなくて、夜寝したからな! 先に寝といて正解だったぜ』


 すでに深夜と言っていい時間、諸々の用事を済ませたセレはようやく人心地を付いた。今日はなかなかによく動いた――予期せぬ美女との出会い(トラブル)はあったものの、必要な品々も揃えることができ、充実した一日だったと言えるだろう。

 ベッドに腰掛けたセレの隣、エナが未だ興奮冷めやらぬといった様子で楽しげに転がった――くすりと笑う。これだけ喜ぶなら連れて行った甲斐もあったというものだ。



 湯屋に寄ってもよかったが、今夜はなんとなく宿のシャワーで済ませることにした。エナほどではないにせよもう少し享楽の余韻に浸っていたかったのかもしれない。

 この世界の曲芸はとても見応えがあった。魔物や魔獣を使った緊張感のある曲芸はもちろんのこと、なんといっても華やかで不可思議な魔術だ――セレの世界には存在しない、全てが目新しく見える技術の数々。


『あれすごかったよな! 水の中で“魚”がいっぱい動いて、影でゲキするやつ!』

「そうだな……あの小魚みたいなのに芸ができるとは思わなかった。影絵っていうんだったか」

『カゲエ? あの影のやつ、カゲエっていうのか』

「ああ。私が知ってるのとは全然違ったけどな」


 演者(キャスト)がステージに巨大な水球を創り出すと、舞台袖から運ばれてきたのは別の水球に入った小魚の群れ。二つの水球がくっついて、雄大な音楽と共に現れたのは天幕布に踊るシルエット――“魚”影絵劇だった。


 物語としてはありがちな冒険譚だったが、演者(キャスト)はなんと魚である。もしかしたら魔物だったのかもしれないが、それを踏まえてもなお際立つ意外性、そして彼らの演技には目を見張るものがあった。

 背景の細やかな移り変わり、人の指などでは表現できない躍動感、天幕布に映る影と光を受けて煌めく魚達の対比――魚群が創り出す影の世界はなんとも幻想的で美しかった。それを織り成す魚達(キャスト)の統率された動きもまた芸術的で、水球をただ眺めているだけでも迫力があった。


『ゲキって初めて見たけどよ、面白いんだな! この後どうなるんだ、みたいなのがずっと続いてさ』

「ふぅん……そういうのが好きなら本でも読んでみればいいんじゃないか? 小説とか――お前、本って読んだことあるのか?」

『“教科書”と“日記”ってやつならあるぞ。村で文字の勉強してた時に』

「……日記は読んじゃだめだろ」

『そうなのか?』


 読んだのが邪気のない精霊でよかったと言うべきか――読まれてしまったどこぞの村人は永遠に知ることもないけれど。よくわかっていない精霊に、装備を解きながら日記とはどんなものかを説く。

 いつもより少し賑やかな宿の一室――街の喧騒もまばらな夜は、歓声の残響を残したまま静かに更けていった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「ハァ……今日もよく働いたのニャ」

「ええ――あと少しでこの町での公演も終わりね」

「長かったニャ。こんな()()()町、さっさとおさらばしたいニャ」


 ――薄灯に照らされた室内。客亭というには質素なそこは、派手な色彩を持つ荷物達によって無理やりに着飾られ、些か雑然とした印象を醸している。


 部屋の中央、少々年季の入った革張りのソファーに腰掛けるのは二人。

 一人は央人族の女。艶やかな暗緑色の長髪に、知性の光を(たた)えた榛色(ヘーゼル)の瞳。衣装のインナーであるビスチェドレス姿のまま、硬いソファーに横たわり足を伸ばしている。外で見せた華やかな笑顔は鳴りを潜め、気だるげにグラスを飲み干した。

 もう一人は白い毛皮を燕尾服に包んだ大柄な猫。背もたれに腰掛け、女より小ぶりなグラスを手遊びのように回す。柔そうな肉球で器用に挟んだそれは危なげもなく、慣れた仕草で杯を傾けた。


「獣……ミニュール、あなたがそれを言うの?」

「ム……聞き捨てならないニャ。吾輩ら賢大猫(フェルプール)を品性の欠片もない獣と一緒にしないでほしいニャ。魔物なんて野蛮極まりないモノ、(もっ)ての(ほか)ニャ」

「……そう。悪かったわね」

「ニャ――アルバ。飲みすぎるとレゴリックがうるさいから、程々にするのニャ」

「そうね。自分は際限なく飲むくせに、鬱陶しい」


 央人族の女――アルバは息を吐いた。賢大猫(フェルプール)と名乗る彼らは人擬(セリアン)と呼ばれるのを嫌う。人と敵対する同族は彼らの中では“野蛮”とされ、それと同じ括りにされるのは屈辱であるらしい。同様に、知性なき獣である魔物と連ねられるのも忌避する。

 しかし、近年広まりつつある小獣人族という呼び名にもまた不満があるらしい。彼らは“人族(ひと)”と自称することはない。あくまで“賢大猫(フェルプール)”であり、人とは違う独自の文明・文化を持つ知性ある存在であるということを主張する。


 蛮族(けもの)ではない、魔物でもない。人に劣ると自覚しながらも、人と並ぶ存在なのだと叫ぶ――(アルバ)には理解し得ないコンプレックス。


(本当、面倒なものね――()()()って)



「――おい、入るぞ!」



 肩を怒らせ入室してきたのは、お呼びでない話題の人物だった。派手な衣装のまま一人用のソファーにどかりと座ると、央人族の男は開けられたボトルを一瞥し眉を顰めた。


「フン、俺がまだ働いてるってのに、いいご身分なことだ」

「それがあなたの“仕事”。私達には関係ないわ」

「――チッ、減らず口が。……まあいい。それよりお前達の“仕事”はどうなんだ」

「今日はかなりの“モノ”だったのニャ? アルバ」

「ええ――今まで私が()()中で一番の大物ね」

「ほう……先日見つけた魔鉱人(ノーム)の女よりもか」


 夜の部に来た小さな姿を思い出す。狩猟者(ハンター)らしき少女の肩に乗ったあれは――。


「――おそらく、あれは精霊よ」

「なっ……せ、精霊だと!?」

「ええ。魔鉱人(ノーム)を上回る魔力を持った魔物に見える存在なんて、精霊くらいしか心当たりがないわ」


 この世界で最も高い魔力を持つ“精霊”と呼ばれる種族――生来より“魔法”を使役し、精神体である故に永遠を生きると言われる存在。


 全ての生物に宿る魔力。それを数値化し、可視化したものが“魔力値”――その最大値は古の時代、人と共に()った精霊の魔力であるとされ、その指標は現代に至るまで用いられている。

 過去に存在したと言われる魔力なしを“0”、最大値を“100”とする。全ての生物の魔力を測る基準であり、古代から現代まで“例外”は存在しない確固たる規則(ルール)


 つまり、有史以来“100”を上回る存在は一度も現れなかったということだ。それほどまでに強大な魔力を持つのが精霊という種族――アルバの“眼”で直接視た魔力はあまりにも異質であり、驚異的であった。


「あれが精霊とは……確かなのニャ?」

「ええ。鳥に似た姿にあの魔力……意図的に隠していたようだし、私は間違いないと思う」


 様々な姿を取ると伝えられる精霊の中でも、ボレイアス大森林にいるという精霊の姿はそれなりに伝承が残っている。北で信仰されている森の神はボレイアスの精霊だと言われており、北の教会にある神像は鳥に似た姿をしているものがよく見られる。

 北に連なる国々で売られている御守りの類は鳥を模したものが多くあるし、古い御伽噺には森を彷徨(さまよ)っていた青年を助けた精霊の話も存在する。その青年が出会ったのは鳥の姿をした精霊で、後に大商人となった青年の商紋は鳥を(かたど)ったものであったという。


「魔物のふりをして従魔をしてるのか、一緒にいたのは央人族の成人したかどうかの子だった。それも魔力がほぼない――あれだけ魔力がないのは逆に珍しいわ」

「フム……魔力が低ければ魔力感知も難しいニャ。あえてそういう主人を選んだ可能性があると……」

「そういうこと。私達にとっては好都合――」



「――フッ、フフフッ、フハハハハッ!」



「“混血(ギフト)”と魔鉱人(ノーム)に加えて精霊まで……やはり俺は――最ッ高に運がいいッ!」


 男の顔に浮かぶのはどこまでも純粋な愉悦。まるで無垢な子供のように、己の万能感を信じて疑わない――狂ったように笑うレゴリックを、アルバは冷めた目で見つめた。


「おい、ちゃんと()()は付けたんだろうな?」

「問題ないニャ。主人にも精霊にも渡したニャ」

「ならいい――この町での“仕事”も大詰めだ。締めの大物二つ、()()するまで気を抜くな!」

「……了解」

「わかってるニャ」

「俺は第四獣舎の見回りに行く。お前らも準備を怠るなよ」


 肩で風を切る。冷めやらぬ熱に浮かされて、男は昏い通路に靴音を響かせる――街の喧騒も届かぬ夜は、凶兆の気を孕みながら密やかに更けていった。



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