55. ぶらりデアナ歩き~レゴリック曲芸団・後~
――天幕の中は外観よりも広く感じた。もしかしたら魔術で空間が拡張されているのかもしれない。
薄暗い内部にフードを外し、すっきりした視界でセレは辺りを見渡した。開演までそれなりに時間があるからか、先の女性と猫の言う通り最前列には少し余裕があるようだ。
(エナ。一応聞くが、どの辺りから観たい?)
『一番前!』
(だろうな…………指定席はあっちか)
色分けされた座席のうち、ステージの真正面――赤い座席のエリアへ進む。
入口で購入した指定席チケットは当然値が張ったが、せっかく運良く買えるのだからとつい選んでしまった。たまの娯楽、興行仕舞いも近いのだから今夜くらい構わないだろう。
最前列の端、空いた席に腰を下ろす。広い空間だとは思っていたが、こうしてステージ近くにいると余計に天井が遠く感じた。指定席はそれなりに空いており、程よい騒がしさが場を満たしている。
『うんうん、こういうのは森にいたんじゃ絶対味わえねえ空気だな! そわそわするって言うのか?』
(確かに、人が集まる場所特有かもな。熱気と言えばいいのか……)
『俺が行ったことがある村では、たまーに人が集まって騒いでてよ。いろんなモン食って、オドリってのしたりしてよ。あれとなんか似てるぜ』
(祭りか。ああいうのは、たまに雰囲気を楽しむくらいなら嫌いじゃないな)
人混みは正直好きではないが、あの雰囲気は嫌いではない。人々が特別活力に満ちた風景はそれを見ている側にも不思議と特別感を与えるのだ。
『マツリ? 確か……ホージョーノシュクサイって言ってたぞ』
(祝祭は祭りとほぼ同じ意味だな。豊穣の祝祭っていうのは……人は土を耕して糧になるものを育てるだろ? それをたくさん収穫できるよう祈ったり、逆にたくさん収穫できたことを祝ったりする祭りのことだ)
『ほう……確かにマツリの頃は“畑”に人が多かった気がするぜ。山みてえに獲れた草を積み上げたりしてよ』
(ある意味命より大事な作物だからな。特別な日をわざわざ用意して、歌って踊って騒いで……その日だけは羽目を外して楽しむんだよ。それが祭りだ)
『へー……マツリ、いいなぁ! 他にはどんなマツリが――セレの世界のはどんな感じなんだ?』
(んー、そうだな……豊穣以外にも、誰かの誕生日とか何かの記念日を祝ったりするんだが――)
――エナとたわいもない話をしているうちに、天幕も人の気配で溢れてきた。
開演も間近なようで、まだかまだかとざわめく声があちこちから聞こえる。期待という熱量に満ちた空間に、エナもキョロキョロと忙しない。
『もうすぐなのか! おっ、あそこに派手な格好した奴らが集まってるぞ!』
(ああ、始まるみたいだな)
舞台袖に見える人影。ステージを中心にして左右対称に、華やかな衣装に身を包んだ演者達が並んでいる。その中央を、まるでレッドカーペットを歩くように通り抜ける一つの影。
薄暗かったステージがパッと明るくなる。煌々としたスポットライトを一身に浴びるのは、舞台の中央に堂々と立つ影――格段に派手な色彩を纏う男だった。
頭には蝙蝠の飾りが付いたシルクハット。右手に携えたステッキをくるくると手遊びのように回しながら、自身もステージの中央で軽やかに一回転――赤い燕尾服風の衣装がふわりと翻り、黄金の装飾がそれを追う。
熟れた美しい回転、どの角度から見ても完璧なのだろう体勢でぴたりと止まる。芝居がかった動作で一礼をすると、両腕を大きく広げ口火を切った。
《紳士淑女の皆様。今宵の月も大変美しく――そんな素晴らしい夜にこうして皆様の前に立てること、光栄に思います。私は団長を務めております、レゴリックと申します》
天幕に朗々とした声が響く。増幅された音の波――まるで拡声器でも使っているかのようだ。これも魔術なのだろうか。
《さて、挨拶はこれくらいにして――さあさあ、今宵は無礼講! 我らの前では皆等しく観客様! 華麗な、勇敢な、劇的な演目をご覧あれ! 開演!》
――パチンッ!
レゴリックが指を一つ鳴らすと、激流のような音楽が客席を飲み込んだ。
上がる歓声に応えるように演者達がステージに躍り出る。美しい左右対称の統一された動きに彼らの練度が伺えた。その中央、未だその場に残ったままのレゴリックがステッキを天に掲げると――。
ボッ――ボボボボッ――ボウンッ!
現れたのは燈色の炎。レゴリックを中心に、そのステッキを振るう動きに合わせるように宙を舞う。
すると、その炎を囲うようにステージを舞っていた演者の数人が高く跳んだ――客席がどっと沸く。なんと演者達は宙を舞う炎の上で跳ねていたのだ。音楽に合わせてスパンコールを散りばめた衣装が翻り、炎の舞と共に光を振りまく姿はなんとも眩い華麗さだ。
中央広場ではこの縮小版というべきか、魔術で作った氷の上を魔物が跳ねていたが、迫力が比べようもない。炎は客席の真上にまで及び、その上を美しい演者達が躍るように跳ねる――音楽も終盤というところでステージの中央に炎が収束する。宙を舞う演者達がひと際高く跳んだ。
――ジャンッ! 開演を飾るに相応しい、リズミカルな曲が終わる完璧なタイミング。宙をくるくると舞い降りた演者達が軽やかに着地すると、わっと歓声と拍手が溢れた。
『――……オオ――――ッッ!! 見たかセレ、空でオドリしてたぞっ!』
(ああ、すごかったな……お、もう次が始まるぞ)
エナと共に惜しみなく拍手を送っていると、一礼の後に演者達がさっと引いていった。入れ替わるように次の演目の演者達がステージに上がる――魔物達を引き連れる女性と、その肩に乗る猫には見覚えがあった。
《さあ、次の演目は愛らしい魔物と凶暴な魔獣達の共演! ここでしか見られない奇跡の曲芸をお楽しみください!》
《こちらの小さくて可愛い魔物達は“わたうさぎ”、跳綿兎! 対する凶暴な魔獣は――“魔獣の王”、黒獅子ですニャ!》
《お客様の安全対策は万全ですのでご安心を!》
歓声に怯むこともなくステージに現れたのは、綿のようなふわふわとした毛皮に包まれた薄桃の兎の軍団。小さな体躯でぴょこぴょこと跳ねるさまは確かに愛らしく、女性達から黄色い声が上がる。
そして、その後方をのしのしと歩く黒毛の大獅子が二頭。雄々しい鬣に鈍く光る爪、鋭く縦に割れた黒い瞳孔――全長10メートル近くありそうな巨体が、人の膝下ほどの大きさしかない兎達に続いている。期待と不安、両方を含んだ喚声が溢れた。
あの獅子の獣、なかなかに鍛えられているように見える――もはや職業病というべきか、セレは少し冷めた頭で黒い獣を観察する。
筋肉質で頑強そうな四肢、鉄板も容易く貫くだろう牙。あれが客席に向いたら大惨事だが――そう思っていると、ふと感覚に引っ掛かるものがあった。天幕の上方を向くと、薄暗い中、何やら小さな影がいくつか飛んでいるのが見える。
蝙蝠のような、黒い、翼を持つ生物。客席の上方を音もなく旋回しており、下に降りてくる様子はなく、まるで警護でもしているかのような統制された動き――魔物だろうか。それにしては妙な違和感がある。
生物にしては薄すぎる、魔力にも似た朧気な気配――しかし、開演時にはなかったものだ。敵意も感じられず、おそらく曲芸団側の何らかの安全対策なのだろうと、セレはステージに視線を戻した。
《この魔物達は南はローゼス、ユピテラの森が生息地。ここトゥルサではお目に掛かれない魔物達ですニャ!》
《本来なら相容れない捕食・被食関係の魔物達! ハラハラドキドキの演目をご覧あれ――まずは自己紹介、“綿兎円陣”!》
女性の掛け声に合わせて猫が黒いステッキを振るう――次の瞬間、兎達が二列になって客席ギリギリを走り出した。
きゃあ、と女性達の声が上がり、それに応えるように兎達はぴょこんぴょこんと高く跳ぶ。なかなかサービス精神が旺盛なようだ。間近で見る“わたうさぎ”の隊列はその外見の割に力強く、美しく統率された動きは存外に迫力があった。
すると、今まで微動だにしなかった大獅子達も動きだした。ステージの外周沿いを走る兎達の中心へと進む――客席に緊張が走る。しかし兎達は動じる素振りもなく、待ってましたと言わんばかりに大獅子達へ前足を向けた。
《それではご覧ください! 可憐で勇敢な跳綿兎達による“獅子渡り”!》
尻を上げたまま伏せをした大獅子達の頭に突っ込んでいった兎達は、頭から背へと勢いよく駆けていき――大獅子の尻を台にして大きく跳んだ。
感嘆と緊張が交々の喚声が上がる。なにせあの大獅子の頭は兎を三つ積んだよりも大きいのだ。頭へ突っ込んでいってそのままペロリと喰われる姿が容易に想像できてしまう。大獅子の口元がむずりと動くたびに息の詰まる、まさに手に汗を握る演目である。
観客達の心配も何処吹く風な兎達は、美しい隊列を保ったまま次々に跳躍を決めている。面白いのがその跳び方で、頂点で決めポーズを取るものもいれば、器用にくるくると回転するもの、はたまた派手に鳴くものなどなんとも個性的だった。
最後の兎が天高く跳び上がり着地すると、綺麗に整列した兎達はその場で跳んで宙返りをした――賢く勇敢な兎達に拍手が送られる。
『あの兎共、な、なかなかやるじゃねえか……』
(器用なもんだなぁ。魔物は賢いとは思ってたが、ここまで動きが揃うとは)
『ま、まあ、俺のキュートさには劣るがな!』
(なんで張り合ってるんだお前は――うん?)
『あ? あれ、あの魔獣共何し――ヴェッ!?』
未だ拍手が降り注ぐステージの上。二頭の大獅子達がそれぞれ兎達に近付いたかと思うと、観客達の目前で――逃げる素振りも見せない兎達を、流れるようにパクリと咥えてしまった。
どよめき、悲鳴が上がる。あわや惨事かと客席が揺れ始める寸前――。
《最後は大技、大胆不敵な“獅子砲台”ですニャ!》
――ブォンッ! 音楽に乗って踊るステッキを追うように、大獅子達は勢いよく頭を振り上げた。
薄桃が空を斬る。驚く観客達をよそに、高く高く打ち上げられた兎達は先程よりも複雑なパフォーマンスを決めていく。
大獅子達はその凶牙の実力を発揮するということもなく、我が口に飛び込んでくる兎達を器用に捌き芸をこなしていく。向かい合う二頭の大獅子の動きはぴたりと一致しており、それでいてお互いの砲弾をぶつけることはない――牙に挟まれ宙のスレスレを行き交う兎達に、観客達は二重の意味で胸を高鳴らせた。
宙で交差するように打ち上げられる兎達が一巡し終えると、大獅子と兎達は揃って宙返りをした――驚嘆を超えた賞賛、歓声が沸く。
《ありがとうございました! 盛大な拍手でお見送りください!》
《引き続き、我が曲芸団のめくるめく演目をお楽しみくださいニャ!》
女性がドレスを翻し、猫と共にステージを後にする。引き連れた魔物達が舞台袖に消えるまで、拍手が止むことはなかった。
まだまだ演目は始まったばかり――新たにステージに上がった演者達を、観客達は更なる歓声で迎えるのだった。




