49. 朝鳥亭にて更ける夜
「じゃあ、えーと――なんかお疲れ? みたいな? とにかくカンパァーイッ!」
「もう……適当すぎますよ、ハリナさん」
「アッハッハッ!」
「だからなんでもうデキあがってんだ……」
「そりゃお前、仕事が終わりゃあ飲むだろうよ」
「違いない」
「いえーい、セレ、お疲れ〜」
しばらくぶりの朝鳥亭の食堂。すでに日はとっぷりと暮れ、ろくでもない大人共が騒ぎだす時間である。
奥にある長テーブルにはリィンと小土人達、ハリナにアメリア、ゲオルグにロジと滞在客達が揃っていた。小土人達はすでに魔石を貰って大人しく食事を始めている――夜は酒場になる食堂はとても賑やかで、セレは改めて人心地を付いた。
今日はちゃんと服は着ているものの、すでに顔を赤らめているハリナがドボドボと酒を注いでくる。透明な赤い液体――葡萄酒にしては赤すぎる気がするが。ゲオルグとロジが「ゲェッ」と声を上げたのが引っ掛かる。
「んっふふふ~。ねえねえ、これ飲んでみてよ」
「ハリナ、おまっ……」
「おいおいおい、なんてモンを……」
「なんだよその反応……」
「いいからいいからぁ! あ、でもちょっとずつ飲んでね!」
含むものがある態度に眉を寄せつつ、グラスに口を付ける――果実酒、ではなく蒸留酒のようだが、なかなかに酒精が強い。いや、酒精以外にも何か含むものを感じるのは気のせいだろうか。
甘くないのはいいのだが、それ以外に何か――雑味ではないのだが、不思議な奥行きのようなものを感じる。
「……不味くはない、けど……なんだ、なんか混ざったような……?」
「お、おいセレ、お前大丈夫か?」
「ああ……なんだ、この酒何か入ってるのか?」
「うっそだろ……“耽溺の赤”を飲んでケロッとしてやがる……」
「あ、これがそうなんだ? 私初めて見たや」
「ハリナさんっ、なんてものを持ち込んでるんですかっ!?」
「いや~、知り合いがサニアの実をそのまんま食べるって言ったらさ? 店長がくれたんだよねぇ。前に飲んだらぶっ倒れたからってさぁ」
けらけら笑うハリナの持つボトルは何とも凝った意匠をしていた。見るからに値が張りそうだが、ハリナの言い分を聞くに、その店長は気前がいいというよりはただ厄介払いしただけだろう。
不味くはない、むしろ美味しい。意外にも強すぎないサニアの風味に、まろなかな口触り。さっぱりした後味に、表現し難い不思議な奥行き――五感の一つを集中させていたのに釣られたか、ふとセレの知覚が別の何かを拾った。
「――魔力?」
「どうしました? セレさん」
「いや、この酒から……魔力? を感じて」
「え? …………私、全然わかんないや。結構敏感な方なはずなんだけどな」
「そりゃあ“耽溺の赤”っつったら魔素熟成だからな。魔力に似たもんを感じても驚かねえよ」
「しかも何年も掛けて熟成させてるんだろ? にしても、そんな魔力を感じるほどにやばいもんだとはな、初めて知ったぜ。怪魔の肉みたいだな」
「たぶんセレが敏感すぎるだけだと思うよ? 素材ならともかく、ただの飲み物なんて普通わかんないし――そうだ、セレが採集してきた素材! いろいろ見つけてきたって聞いたよ? やっぱり魔力感知がすごいからだよね。ねえ、霧の森ってどんな感じなの? 魔力感知が全然利かないって聞くけど」
酔いが回り始めているのか、頬を赤らめたリィンが身を乗り出してくる。やはり採集専門の狩猟者だけあって関心があるようだ。いつもの彼女よりだいぶ早口である。
リィンは浅部から中部にかけて活動しているらしい。隠形と俊足、魔力感知の精度の高さを売りにしており、素早く安定した仕事ぶりが評価されていると。戦闘は苦手なので、深部にはあまり近付かないそうだ。
「深部と比べたら明らかに精度は落ちたな。なんというか、薄い目隠しをされてるみたいな感じだ」
「やっぱりそうなんだ……セレでそれなんだから、よっぽど酷いんだねぇ。深部でもなかなか素材の魔力は感知しづらいのに」
「あっ、そういえばあの噂になってるやつ、セレがやったってホント? 買い物してた時に聞いたんだけど!」
女将の娘、ニコルが追加の料理を運んできた。今日の夕飯はチーズ唐揚げと挽肉オムレツ、クルトンと生ハムがトッピングされたサラダに、野菜の溶けだしたコンソメスープらしい。
エナに声を掛けると、フードからのそのそ出てきて、取り分けてやったオムレツを突き始めた。脇にドレッシングと粉チーズが付いたクルトンと生ハムも少し添える――目が二割開きである。これは風呂までに寝落ちしてしまいそうだ。
「おっ、ニコルも聞いたか。あれだろ、大倉庫の裏からバカでかい怪魔が出てきたってやつ!」
「それそれ! リィンの言ってた話も聞いたよ、すっごい量の怪魔と採集素材を持ち込んだ狩猟者が帰ってきたって。しかもソロで新人で従魔連れででかい剣を背負った小柄な央人族の女! それうちの客じゃん! って言いかけたよね」
「ケホッ――いや、具体的すぎるだろ、その噂」
少し噎せたではないか。グラスを一気に呷り喉を潤した。「アハ、いい飲みっぷりィ!」とボトルをこちらに向けるハリナにグラスを差し出しつつ、口元を拭う。
「で、どうなの? セレで合ってるの?」
「いや、合ってるけど……なんでそんなに噂になるんだ。あの巨亀はともかく、普通の怪魔なんて他の狩猟者も複数持ち込むことだってあるだろ。大倉庫の中にも結構解体待ちのが並んでたぞ」
「量のせいだと思うよ? そもそも、ソロで大量に怪魔を持ち込む人なんていないからね? 目立つよね、しかも新人だし」
「リィンの言う通りだわな。うちも狩猟者相手に商売してて噂は耳に入る方だが、んな話聞いたことねえよ」
「ハハッ、セレお前、財布は大丈夫か? そんなに持ち込んだなら、金が入り切るか心配しとかないとな!」
「……確かに」
冗談になっていないかもしれない。こちらで適当に購入した財布は極めて普通の物だ。溢れた分を袋に入れて、同じく適当に購入したバッグの中に入れている。
どれだけ金が入ってくるかはわからないが、少し考えた方がいいかもしれない――そういえば、魔導具について【鉄壁】の面々に尋ねるのを忘れていた。
「……なあゲオルグ、ロジ。お前ら魔導具について詳しいよな」
「ん? ああ、ある程度なら知っとるぞ。俺は小物専門だがな」
「商人だからな。扱ってる物のことなら頭に入れてるぞ」
ちょうど目の前にいる魔導具関係業者達にボトルを傾ける。ニコルに追加の酒を頼みつつ、セレは空の皿で寝こけていたエナを回収した。




