33. 精霊のゆりかご
『怪魔か……そういえば、カバン? みたいなのに入れて持って帰ってる奴らもいたな』
(拡張バッグってやつか……カバンに入るんだな、あのデカブツが)
『小さめのならいけるかもだが、大物だと……布にあれを詰め込むのは、さすがに俺の魔法でも無理かもしれねぇ』
(……収まったとして、ポーチに怪魔を入れるのは嫌だな)
『確かになあ』と相槌を打ちつつ、エナは胡桃のような木の実を突いた。植物鉱物はともかく、あのデカブツの死骸はなんとなく嫌だ。気持ちの問題である。
ポーチに入っていた普通の布と巾着にあれだけの素材が入ったのも大したものだと思うが、やはり本職の作ったそれ専用の魔導具というのはさらに優秀なようだ。しかし、大型の怪魔も収まるような性能のものはどれほどの価格か――まるで予想がつかない。
「あっ、じゃあ、今後ボレイアスの森に入って怪魔を狩ったら、うちに回してくれないかしら! もちろん他の素材もね!」
「うーん……採集素材はともかく、怪魔は難しいかもしれない」
「えっなんで⁉」
「小型なら従魔の魔術でいけるかもしれないが、大型はきつそうだ。なあ?」
「ぴゅい!」
「な、なるほど……確かにその従魔の魔術は見事だったけど、魔導素体でもないただの布じゃ限界があるわよね……ちなみに拡張バッグは――」
「ない。新人だからな」
「くぅう……っ」
身悶えするチェルシーには悪いが、ないものはない。
じたじたする妖精に処置無しと判じたのか、リュッグが「そういえば」、と話を繋いだ。
「セレさんはソロで活動されてるんですか?」
「そうだな。誰かと組む気も特にない」
「個人で深部を行き来できるならさもありなん、といったところか……。狩猟者は助っ人を借りられるらしいが、それはどうなんじゃ? 運搬を請け負ってくれる狩猟者も探せばいるじゃろ。そういうのを連れたら効率がいいんじゃないかの」
「――短期雇用のことか? うーん……正直、他人を連れていくこと自体あまり気は進まないな」
長くこの町に留まる気はないが、さすがに共に仕事をするともなると、いろいろと勘繰られるかもしれない――現場を知る狩猟者であれば特に。
見たことのない技に力。さすがに異界人だとは思われないだろうが、ただでさえ精霊がいるのだ。なるべく他人とは距離を置きたいところである。
「従魔は小さいから気にならないが、そもそも一人が慣れてるしな――魔核以外の素材も希少素材なのか?」
「皮や角も、魔核までとは言わんが需要は高いぞ。一番高値で売れるのは魔核じゃがの――魔核に関しては彗恵樹の実以上じゃ。なにせ、一体につき一つしか採れんのでな。競りに出れば瞬殺じゃよ」
「需要が高すぎるんですよね……狩猟者の方がいくら狩ってきても足りないです」
リュッグが息を吐く。高級な魔導具などに使われるが、とにかく数が足りないと。
曰く、今の時期――春はボレイアス大森林の“狩り時”らしい。魔素の影響か、森の外に比べて小さいものの、季節の寒暖差により魔物の行動は変化する。
秋は繁殖のため気が立っている魔物が多いので、同じく活動しやすい気候である春が一番だという。冬を越え、芽吹き始めた植物等の副産物も豊富に採集できるというのも大きな理由の一つらしい。
「デアナの腕利き達は少し前に森に入っとるからのう。ある意味、今が一番素材不足な時期ということじゃ」
「なるほどなあ……にしても、怪魔の心臓、か。魔導具の素材になるなんて、聞いた今でもやっぱり結びつかないな」
「その地では無価値な物が他所で大金に化けるなどよくある話じゃよ。ボレイアス大森林でも浅部、中部、深部の違い……その季節にしか採れんものもある。その中にはわしらも知らん素材もあるじゃろうが、そのどれもがどこかでは重宝されておるんじゃろう」
「その季節にしか採れないなんてのもあるのか……いや、そりゃあるか」
「希少な物も多いから、知らんのも無理はないの。そうじゃの……今の時期じゃと“精霊のゆりかご”なんかは素材として有名じゃな」
「――精霊の、ゆりかご?」
『ん? なんだそりゃ』
エナの知らないものらしい。ジムンナが「リュッグや、図鑑を」というと、その大きな手には小さく見える、細やかな装丁の本を本棚から取り出した。
「ええと…………これですね。これが“精霊のゆりかご”です」
「これがまた滅多に出ん素材でのう……前回採取されたのは、もう二十年近く前じゃったか。彗恵樹の実や怪魔の魔核以上に希少な、“特級”素材じゃよ」
「……変わった植物だな」
植物図鑑に載っていなければ、果たしてそれを“植物である”と認識できたか、セレは自信がない。
そういう凝った意匠のランプか何かだと言われたら、きっとそのまま受け入れてしまうだろう。絡まった蔓のような金色がかった茎に、首をもたげた先に吊るされた実、のようなもの。
実、といっても、セレの知る木の実とはまるで違う。同じく蔓でできた毬のような“かご”、その隙間を薄い曇りガラスのような膜が覆っている。そして、イラストを見る限り――実が光っていた。
「美しいじゃろう。実の中には種が入っとるんじゃがの……この膜で、種に蓄えた魔力を隠すんじゃ。だから、採集専門の狩猟者でも見つけづらいらしくての」
「深部で群生するらしいんですけど、夏に入る前に膜が弾けて、種子を風で飛ばして生息域を変えてしまうんですよ。種子を飛ばした後は枯れてしまうんです」
「なんか、動物みたいだな」
「ええ……生息域を広げつつ、大きく移動して――その幻想的な見た目と空を舞う種子の美しさ、発見自体が困難なことから“精霊のゆりかご”、と」
手練れの狩猟者はいい狩場をいくつも知っているものだが、移動されてはどうしようもない。規則性のないものなら尚更である。このような生物は他にも例があるらしく、狙って見つけることが困難なそれらの魔物や植物は当然、非常に価値が高くなる。
とはいえ、魔物であれば偶然狩れたということもそれなりにある。しかし、植物はそうはいかない。
価値の高い植物は採取の際、特殊な技術や作業工程が必要なものが多い。深部まで到達可能な採集専門の狩猟者がそもそも少なく、素材が卸されたとしても、それは知識の浅い狩猟専門の狩猟者が偶然発見し、適当に摘んできたものだったりする――劣化で済めばまだいいが、最悪ダメになってしまっているのだ。
「僕は実物を見たことがないので、一度でいいから見てみたいなぁ……と、春が来るたびにどうしても思ってしまいます」
「二十年前じゃしのう……後学のために見せてやりたいとは思えど、モノが入ってこんしの。ボレイアス大森林の“春の固有素材”の一つ、だったんじゃがのう……」
「まだ辛うじて卸されてた頃、ダメになったのばっかり大量に持ち込まれたものだから、最悪絶滅したなんて言われてるんだもの……ほんと、精霊みたいに“幻”になっちゃったわ」
ソファーですっかりだらけたチェルシーが鬱々と零す。個性的な研究者達は、深く深く、ため息をついた。




