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七黒星の巨獣狩り  作者: 若狭義
駆け出し狩猟者
24/80

23. “根啜蟲の女王”の調査5

 ――“独り”は恐ろしい。


 誰も頼れない。誰も助けてくれない。誰も気付いてくれない――命が尽きる、その瞬間さえ。

 無意識に腰に差した剣の柄頭を撫でる。最近では少しは様になってきたかと思ったそれも、今はとても自分の愛剣(あいぼう)だとは思えなかった――兄の腰に在った頃のように、近くにあるのに、とても遠い。



 年の離れた兄は強い人だった。頼りがいのある仲間達と共に狩猟者(ハンター)になった兄は順調に等級を上げていった。数年以内には金等級にさえ手が届くやもと期待されていた。

 憧れだった。“いつか俺だって”と、お古の剣を振って、誕生日に貰った魔物図鑑を読み耽った。英雄物語を抱いて寝て、“俺もこんな風に”と夢想した。


 兄は金等級にはなれなかった。

 死んでしまった。魔物の大群に襲われて。

 独りで、死んでしまった。


 亡くなる少し前、兄はパーティーから抜けた。

 理由は教えてもらえなかった。ただ、とても悲しそうな、悔しそうな顔をして“俺の言葉はあいつらに届かなかった”と言っていた――その横顔を、今でもよく覚えている。

 兄は一人で依頼を受けるようになった。ソロ、もしくは短期雇用板で一時的に他のパーティーに加わって仕事をするようになった。パーティーを抜ける前と変わらぬ調子なので、家族でほっと一安心したものだ。


 ただの簡単な“雑事依頼”だった。デアナから少し西に行った町への荷物運搬手伝い。一週間もすれば帰ってくるはずだったのに。

 

 十日後、家に帰ってきたのは兄の剣とぼろぼろになった狩猟者(ハンター)証章(バッジ)だけだった。

 届けてくれたのは依頼主の夫婦とその娘。彼らも決して少なくはない怪我をしていたのに、どうしてもと家を訪ねてくれたらしい。兄は彼らを守り抜いた――自らを囮にして。


 デアナへの帰り道。魔物なんて滅多に出ない街道をとても穏やかに進む最中(さなか)だった。ボレイアス大森林の方角から、大型の魔物に追い立てられたと思われる魔物の群れが、凄まじい勢いで荷馬車の上を飛び越えようとしたという。

 それに荷馬車を引いていた従魔がひどく反応してしまった――混乱し、気が立っていた跳牙貂(ハド・ローア)の群れの注意を引いてしまったのだ。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「――レク、アレク!」

「……っああ、どうしたフィーナ」

「どうしたじゃないわ。次に行くわよ」


 いけない。こんな状況で集中力が途切れるなんて――しっかりしなければ。俺は独りじゃない、仲間がいるのだ。

 深呼吸する。剣のグリップを強く握りしめた。チャリ、と手首の二つの証章(バッジ)が擦れる。ぼろぼろになった扉を潜り、先を行く()()を追いかける。


「本当、余計な心配だったのかもしれないわね」

「……そう、だな。でも、それでも俺は、自分の行動は間違ってなかったと思ってる。……どんなことも“独り”より仲間と挑んだ方がいいに決まってるんだ」

「……アレク……」

「今俺達にできることは“横穴を掘ってないか”の確認だけど、それも大事な仕事じゃないか。セレは前に進むだけでいいんだから」


 付いてきた俺達にセレは「なんだ、来たのか。なら後を追って壁を掘ってないか、確認していってくれ。蟲は私が狩る」と言ってさっさと行ってしまった。予備庫は長くて広い通路に扉がたくさんあり、それを確認までしつつ進むのは確かに大変そうだった。


 杖の先に光を灯したフィーナが室内を照らす。

 根啜蟲(イビル・イータ)にめちゃくちゃにされた道具に壁、床、天井――そして、重なり合った死骸の山。


「……セレは剣士なのに、こんな群れを相手にしても強いんだな」

「ええ……魔術士泣かせね。魔剣士ってわけじゃなさそうだし、純粋な剣士のはずなのに」


 一対一の戦闘は剣士――前衛、一対複数は魔術士――後衛が攻撃の要となる、というのが普通の認識だ。

 対複数の場合、剣士に必要とされるのは敵の猛攻に耐えうる体力に防御力、そして、先頭に立って敵を引きつけるうえでの立ち回り。魔物は魔力の高い者を優先する傾向が強いので、魔術士が集中攻撃されないよう、なるべく敵の標的を分散させるように動く。


 魔術士の役割は後方での戦況把握、そして一撃の威力と攻撃範囲。中途半端な攻撃ではかえって魔物を注意を引くだけになってしまう。確実に致命傷以上に、そして、なるべく広範囲への対処が求められる。それが基本だと教えられた。そして、対複数の戦闘はたとえ魔物であろうと非常に危険度が高いので、相応の人数と準備をもって挑むべきだと。


 等級が上になってくるとその前提も違ってくるようだが、どうやらセレもそれに当てはまるらしい――兄は魔剣士だった。だから群れを相手に長く持ちこたえられた。最期は肉片の一つも残らなかったけれど。



「――ああ、ここまで確認し終わったのか」


 セレが変わらぬ調子で引き返してきた。あまりにも淡々としているから、緊張しているこちらがおかしいように思えてきて、だいぶ平常心に戻ってきたような気がする。


 ギルドで噂になっていた“セレ”は、実際に話してみると、とても堂々とした実直な女性だった――遠目から見た可愛い小動物みたいな女の子だという印象は一瞬で消し飛んだ。可愛いのは外見と連れている従魔だけだった。

 いくら優秀だと噂の彼女とはいえ、大型の魔物が関わる依頼は一人では危険だと思った。兄のようになってしまうかもしれないと――それも杞憂だったけれど。


「ここから先の小部屋は根啜蟲(イビル・イータ)がいない。穴の確認だけしといてくれ」

「……いないのか?」

「奥から出口へ順に移動して()()を喰ったんだろ。奥の部屋以外はもう空だ」

「奥にいるのは、やっぱり――」

「女王だな。かなーり立派そうだ――残りの兵隊(オス)を固めて待ち構えてるらしい。伏兵戦法が効かなくて腹を括ったか」

「に、逃げようとか思わないのかしら。セレが強いってわかってるのに」

「よっぽど下水処理施設(ここ)に味を占めたんだろ。内部に進出するのを邪魔したからキレてるのかもな」


 恐ろしいことをまるで世間話のように話す。気配に敏感らしい彼女は、女王を確認したというのにこの様子である――緊張感が弛緩する。ああ、頼もしすぎてだめになりそうだ。


「俺も行く。邪魔はしないように後ろにいるから」

「ア、アレク?」

「もしセレが危なかったら一撃を防ぐくらいはできるはずだ――俺だって魔剣士なんだ」


 まだ兄には遠く及ばないけれど。先輩達のようにはいかないけれど。

 知らないところで“仲間”が死ぬなんてことだけは絶対に、嫌だ。


「……そうね。私だって、狩猟者(ハンター)の端くれなんだから。横入りしてきたのを魔術で攻撃するくらいの補助はできるわ」

「んー……、じゃあ、後ろから出ないように。それならいい」




「ぴゅい! ぴゅい!」

「ああ、そうだな――これは私の領分だ」


 ――俺は狩猟者(ハンター)失格なのかもしれない。


 小さな背中の向こうには、急襲するも初撃で薙ぎ払われた死骸の山。

 残骸の上、壁、瓦礫の陰、死骸の後方――威嚇するように歯をガチガチと鳴らす、1メットはあろうかという根啜蟲(オス)達に囲まれて。

 そのさらに奥――こちらを俯瞰するように鎌首をもたげる、大部屋の一角を埋め尽くす()()


「――ギュギイィィィィァァアァァァァァッ!!」


 ああ、こんなにも恐ろしい蟲の女王が目の前にいるというのに――剣を払って()()払いする彼女の纏う殺気(くうき)が一段重くなったのを感じて、俺はすでに“女王の死”を確信し、安堵しているのだ。


 一歩、剣を右腕に下げた彼女が前に踏み出す。一歩、一歩と進むたびに、蟲達はじりじりと後退していく。それも虚しく、作業じみた速さで削られていくけれど。


 鈍く輝く重剣が空を斬るたび、女王の鎧達が剝がされていく。

 おそらく俺と同じ確信を得ただろう女王が、最後の抵抗とばかりに溶解液を吐き出した――それを風のように躱して、影が女王に肉薄する。

 小さい、でもなぜか大きく感じる後姿が、地を蹴って大きく跳んだのが見える――鋼色の牙を振り抜く姿勢で。


 ああ、カーク達は今何をしてるだろう。彼らもこっちに来ていれば、この気持ちを共有できたのに――重い肉塊と体液の飛び散る音を拾いながら、俺はそんなことを考えていた。



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