9. 狩猟者
「へえ、セレちゃんは今日から狩猟者なのかい?」
「今日からというか、今からかな」
「そうかいそうかい! それじゃあちょっとしたお祝いに、風呂屋の無料券あげちゃおうかね」
「いいのか? ありがとうお姉さん」
「やだもう口が上手いんだから! 三か月も契約してくれたんだから、こんなの大したことないよ! ふふっ、セレちゃん可愛いからもう一枚サービスしちゃおっかなっ」
「は、はは……ありがたく頂くよ」
自分の外見が他人からどう見られるかは自覚している。不本意ながら。
良く言えば若く、悪く言えば幼く見えることで、今のように得をすることもよくある。しかし、外見で舐められることや面倒事に巻き込まれることの方が残念ながら圧倒的に多い。もう慣れすぎて、年相応の外見や貫禄を羨むことはなくなったけれど。
北門通りと西門通りを繋ぐ北西通り、呼び込みにホイホイと釣られて立ち寄った民宿。
一泊二食付きで通常5000カロンだが、一週間連泊で4500カロン、一か月で4000カロン、三か月で3000カロンと、長期滞在するほどお得になる。一食500カロンで計算するならかなりの好条件だ。
部屋はセミダブルベッドと小さな机に椅子、収納棚にハンガーラックと最低限の作りだが、寝て起きるだけなら十分の個室。
浴室などは男女別ではあるものの共同なうえ少々狭く、保養目的の旅宿には少々質素、複数人で行動することの多い狩猟者には広さが不十分。客層は行商人、寝床にこだわりのない旅人や単身赴任者、小型から中型の従魔を連れたソロの狩猟者のパターンが多く、長期契約する客が大半のようだ。
なお、従魔の宿泊費は無料、食事は必要なら追加料金を払えば用意される。宿代は部屋代+食事代の内訳らしい。
「それじゃあ頑張って! 大丈夫よ、職員さん達が教えてくれるから」
「ああ、ありがとう。エナ、行くぞ――何してんだお前」
「ぴゅ、ぴゅいぃぃぃぃ!」
――客、なのだろうか。輪になって踊る石ころ人形達の中心で、縮こまって叫ぶエナがいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『酷い目にあったぜ……』
(……お疲れ)
石ころ人形達からエナを救出し、本来の目的であった狩猟者ギルドに向かう。
北門通りからこの北西通りは狩猟者向けの店が多いらしい。どこもかしこも武器や杖を携えた人だらけだ――杖は魔術で使うのだろうか。セレは遠い昔に絵本で見たような“魔法使い”を想像した。
それにしても――。
『ん? どうした?』
(……いや、なんでもない)
町に入った時からちらほらと、こちらを探るような目を向けてくる者がいる。皆一様にじっとセレを見て、エナに対象を移し、不思議そうな顔をして視線を外す。
エナが“精霊”だからだろうか。この町に入ってから改めて確認できたが、ボレイアス大森林の中だけではなく、セレが今感知できる範囲内でエナ以上の魔力を持つ者はいない――ある程度実力があれば、精霊の持つ際立って高い魔力を感知できるということか。
同行者がいる安心感か、初めての町に対する高揚感からか、本精霊は全く気付いた様子がない。呑気なものだと苦笑しつつ、足早に往来をすり抜けた。
(あれは従魔か? へぇ……複数連れとかもあるんだな)
『確か野猟犬って魔物だな。草っ原でちっさい魔物を追っかけてるのをたまに見るぜ』
(お前みたいな?)
『そうそう、ちょうど俺みたいな――って不吉なこと言わすな!』
採集した植物を納品している主人の後ろに行儀よく並ぶ大型犬。普通の犬より賢そうに見えるのは魔物だからなのだろうか。
デアナはボレイアス大森林に近く、狩猟者達が大勢集まるからだろう。狩猟者ギルドは外観・内観共に立派なものだった。
入ってすぐに目に飛び込んでくる大きなカウンターには受付嬢がずらりと並び、絶えることなく訪れる狩猟者達の対応を滞りなくこなしている。
カウンター前の左右に広く取られた待合スペースでは、狩猟者達が思い思いに談笑して賑々しい――やはりそのうちの幾人かはこちらを見て不思議そうな顔をしている。ひと段落ついたらエナと対策を話し合わなければならないだろう。
「あ、そちらの方! 狩猟者ギルドは初めてご利用ですか? ご依頼でしたら、こちらで伺いますよ」
「いや、依頼じゃなくて狩猟者になりたいんだ。どうやったらなれるか教えてほし――」
「狩猟者登録ですか? それでしたら、応接室にご案内しますのでそちらでお待ちください」
なんともあっさりとした対応である。試験などは必要ないのだろうか。
仕事のできる受付嬢に案内されるままに待っていると、入室の声ののち、一人の女性が応接室に入ってきた。
――思わず目を奪われる。
まるで“動く彫像”のような女性だった。滑らかな石のベールのような髪に、白磁というには少々青白い肌。同じく石の彫刻のようなまつ毛から覗くのは貴石の如き双眸。
女性は丁寧な所作で礼をすると、「準備をいたしますので、お待ちくださいね」と言ってテーブルに身を寄せる――おもむろにエナの方をちらりと見、一瞬目を見開いた。新人狩猟者に従魔がいるとは思っていなかったのかもしれない。
作り物めいた容貌が人のように動いているのが不思議だった。不躾に眺めていると、テーブルに道具箱を置いた女性と目が合った。
女性はセレの目を見て瞬くと、その神筆で引かれたような唇を綻ばせ、完璧な笑顔を見せた。
「魔鉱人を見たのは初めてですか? 珍しい人種ですから、あなたのような反応をする方はよくいらっしゃるんですよ」
「……不愉快にさせたならすまない。田舎から出てきたばかりで、知らないものだらけなんだ」
「あら、そうなんですね。お気になさらないでください、慣れていますので」
本当に気にしていないようで、淀みない動作で道具箱の中身を広げていく。よくわからない道具や書類が並べられるのをしげしげと眺めていると、女性は書類を手に取ってこちらに差し出した。
「まず、こちらが登録規約同意書と狩猟者登録用紙です。登録用紙は、わからない項目、書きたくない項目は記入しなくて大丈夫ですよ。種族や人種などデリケートな内容もありますからね」
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【登録規約同意書】
■以下の規約は原則として、該当の狩猟者ギルドの所属する自治体の法律に準拠する。
■狩猟者の等級は以下に定められる。
鉄等級<銅等級<銀等級<金等級<白金等級<黒等級
然るべき功績が認められた場合、昇級が認められる。
■狩猟者証章は公的な身分証として機能する。
また、等級毎に定められた一定期間、依頼を一つも完遂できなかった場合、それは失効するものとする。
■受注可能な依頼は原則として狩猟者の等級と同じ等級以下のものとする。
例外として、依頼者から魔力値などの指定がある場合はそれに準拠する。
■通常依頼において、依頼を完遂できなかった場合、違約金が発生する。
また、場合によっては降級処分となる。
■違法行為、犯罪行為などが確認された場合、厳正な処分を行う。
場合によっては狩猟者証章の永久剥奪処分とする。
■複数人で依頼を完遂した場合、トラブルを避けるために、原則として報酬金は参加人数で均等に分配するものとする。
■怪我、または何らかの原因で行動不能な狩猟者を発見した場合、ギルドにおける相互扶助の理念に基づき、救助を行うこと。
■狩猟者の怪我・死亡、またはトラブルが発生した場合においても、ギルドは一切の責任を負担しない。
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「ご存知かとは思いますが、狩猟者の仕事は主に“狩猟”によって成り立っています。場合によっては命懸けになることもありますから、そのことをよくよく検討したうえで、規約同意書にサインくださいね」
規約にざっと目を通す。狩猟者はいわゆる個人事業主であるらしい。ギルドの仲介で仕事を受け、その成果で報酬と評価を得る。対して、巨獣狩り組合はいわゆる国際組織というもので、巨獣狩りはそこに属する構成員という扱いだ。
狩猟者はなかなか大変そうだな、というのが第一印象である。
巨獣狩りは堕欲者の職業の中でも殉職率が群を抜いて高いが、その分、給与や待遇が保証されている。“責務”の重さに対して、ランクに問わず十分以上の対価が支払われるのだ。
狩猟者の場合、その対価に相当するのが証章ということなのだろう。セレのような飛び入りでも簡単になれる職業――底辺を掬い上げる役割を果たしているということだ。公的に通じる身分を得られるというのは確かに重要である。
「この“魔力値などの指定がある場合”の“魔力値”っていうのは?」
「個人の魔力を数値化したものです。例えば、特殊な植物などは採取の際に一定以上の魔力が必要になることもありますからね。確実に依頼を完遂できる狩猟者を絞り込むために、依頼者が魔力値をあらかじめ指定することがあるんですよ」
「なるほど……」
「規約同意書にサインしていただいたら、登録料として1000カロン頂きます。次に登録用紙を記入していただいた後、魔力値測定を行います。その際、証章に魔力登録をして、狩猟者登録は完了となります」
規約同意書にサインをし、登録料を支払うと、渡された用紙の項目を埋めていく。といっても名前、性別程度しか書けることがない。
種族とは何だ。人種とは――“人間”はこの世界で何というのだろうか。
「それではこちらに手を置いてください」
差し出されたのは薄い板のような道具だった。上部には目盛りのようなものが付いており、側部には細長い鉄板のようなものが差し込まれている。
観察をしていたら「これが証章になるんですよ」と教えてくれた。気配りのできる職員である。言われるままに、セレは板状の測定器に手を乗せた。
――――。
――――……。
――――…………。
――――………………。
「…………あら?」
『…………なあなあ、それ壊れてんのか?』
(わからん……でも何の反応もないな……)
「あら? あら……? えっと、少々お待ちくださいね」
セレの隣、邪魔にならないよう黙っていたエナとひっそり念話で話す。職員の女性は測定器に手を置いたり、ひっくり返したり、手を翳したりして何かを確認しているようだ。
「おかしいですね、正常に動いていますが……もう一度手を置いていただいてもいいですか?」
「わかった」
「…………動きませんね」
『やっぱ壊れてんじゃねえの?』
目盛りはピクリとも動かない。女性が手を置いた時は光っていたので、道具が壊れたというわけでもなさそうだ。
この場合登録はどうなるのだろうか――そう思っていると、僅かに困惑に揺れる美しい双眸がこちらを向いた。
「ええと、私も初めてのケースなので、はっきりとは言えないのですが」
あなたの魔力は“0”のようです――。
貴石の瞳が、真っ直ぐにセレを捉えていた。




