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[第24話]

<第24話>

 ジュゥゴセー紀・中山と呼ばれたリウクー王国。

 宮古島の英雄 仲宗根豊見親を中心に、

 歴史と幻想が交錯するシリアス琉球史ファンタジー・最新第24話。

 二人の男の物語の終わりと、新たな始まり。  


 *** *** (ストーリー) *** ***

 遥かな大海に抱かれし動乱の島・ミャーク。

 永劫の青波が寄せ引く汀に、宿命の英雄が生まれ落ちる。


 仲宗根豊見親なかそねとぅゆみゃ 玄雅げんが──

 稀代の英傑か、それとも……。


 傷持つ心に刃を纏い、人ならぬものと睦む孤高の魂の代償は。

 愛憎と血潮に彩られし大海の王の物語、遥かな海の底より蘇る。


 あくまでパラレルなミャークの英雄物語として楽しんで頂けましたら幸いです。

 古琉球史・古先島史への入り口としても。 

 不定期更新・気長にお付き合い頂けましたら幸いです。


 現在のところ、

 第一部(第1-10話):ミャーク編

 第二部(第11話以降):王都シュリ編

 となっております。


※※※R-15※※※

※無断転載を禁じます※

※「pixiv」様にも重複投稿しています※

※扉絵は [嵐山晶 様] に描いて頂き、ご本人の許可を得て掲載・使用しております※


「できっこないさ。隻脚の白い牛だもの。自分で自分の半身を、もう片脚を斬り落とすなんて、できるはずがないさ」

 哀訴と嘲笑が混じり合った声は、目の前の男を空しくすり抜けていった。いや、全ての声も叫びも、ずっと昔に届かなくなっていたのかもしれなかった。

「御主、耳を傾けてはなりません。これは毒蛇の囁き。あなたを再び絡め取り、呑み込まんとする異形の讒言。あなたの創る新たな世に、このような異物は不要──」

 いつしか二人の物語に割り込み、幅を利かせるようになった黒い蜘蛛が、白い牛に突き立てた毒牙から堕落と不信を流し込んでいた。

 金丸の目を楽しませてきた黒曜石の瞳が、焦点を失ったように一瞬だけぼやけた。だが、そのあわいに入り込む余地もまた、ずっと昔に失われていたのかもしれない。

 はたして、死者のように白い指は、吸い寄せられるように刀の柄に絡んだ。

「ニウ。金丸の言うことを……本当に、聞かないんだな」

 絞り出した声は、怒りと惨めさに滲んでいた。この恩知らず、嘘を反芻し続けるこの男──。そんな相手にここまで感情を預けてしまったと認めるのは、この上もない屈辱だった。

 押し寄せた恨みが、嫉妬が、そして憎悪が、堰き止められていた言葉を押し流し、止めどない濁流に変えた。

「……あの金福のことだって、誰が殺してやったと思ってる!

 志魯と布里もそうだ。金丸がいなければ、何にもできない、いや、何にもしない腰抜けニウ。

 何と言っても、尻ぬぐいは全部金丸任せだ。そうやって、城が燃えようがなんだろうが、いつだって、畳の上にぺたんと座り込んでいたんだ。

 その救いようのなさは知っていたさ。知っていたから、いつだって金丸は、」

 いつか二人で眺めた月と、交わした杯と。

 熱いものが喉を塞ぎ、最後の理性の掛金はどこかへ空しく刎ね飛んでいった。

「『正妻の王子たちは王にはなれぬ運命だった』? そこの黒鴉に腰砕けにされたついでに、まともな頭まで落っことしてきたのか?」

 気づけば、まるで他人のそれのような下卑た嗤いが零れ落ち、殴られたように引き攣るニウの瞳が、加速してゆく事態の醜悪さを物語っていた。

「あのきっつい奥方とこさえた王子たちをあんな目に合わせておいて、一体どういう神経で、その得体の知れない『八幡の王子様』を溺愛していられるんだ?」

 ニウには、どこぞから盗んできた八幡の王子などではなく、世子に当たる息子ももちろんいた。ニウと、あの護佐丸の娘の間に産まれた息子たち。百十の姫の兄弟、正当な王と正妻の巣で育った王子たち──本来ならこの「王のお披露目」で輝かしい栄光を共に享受していたはずの王子たちだった。

 彼らは、とっくの昔に表舞台から消されていた。

 彼らを待ち受けていた運命は、残酷だった。

「もちろんニウは、ぺたんと座り込んでいたんだろう? あの可哀想な王子たちの運命が、そこのボーサンに荒らされるのをぼんやり見ていたんだ。いや、そもそもろくに見もしなかったんだろう? 

 ヤマトの毒蜘蛛もひどいことをするよ、あんなことになるなんて、気の毒だったね。

 ああ、でも願ったり叶ったりだ──あの王子たちは、ニウが大嫌いな舅じじいの、護佐丸の血も引いているんだから。 

 跡継ぎに据えるなら、そこの手あかのついていない王子サマ、ヤマト掛かりの『八幡の君』とやらをボーズと二人、仲良く育てる方がいいだろうさ!」

 手ひどい侮辱の奔流に、ニウは茫然と立ちすくんでいた。やがて、我に返ったように目を瞬かせると、血の気の引いた唇をかすかに震わせてぎこちなく芥隠を振り返る。

 重ねる中傷の糸口を探していた金丸はしかし、その様子を安い芝居だと嗤うことはできなかった。その動揺が嘘ではないと分からぬほど、二人の仲は浅くはなかった。

 まさか、本当に気づいていなかったとでも言うのだろうか? 

 いつしか暗黙の了解になった互いの欺瞞の中で、何が本当で、何が虚構なのかすら曖昧になっていた。

 確かなのは、と金丸の思考は止まる。

 目をやれば、いつの間にやら抜き払われたあの刃が、ニウの手の中で歯を剥き出して、嫌なにやにや笑いを浮かべてこちらを見つめていた。

「あれは──事故だった……と」

「は……。正妻の王子だけが、そう都合よく消えるもんか。

 出家? 仏? 国までかけてほしいままにされるには、随分安い報酬じゃないか」

 どこかで、不快な笑い声が響いていた。

「お前は──なぜ黙っていた?」

「今さら何を。大体、金丸の言うことなんかはなから信じやしなかったんだろう?」


 ──なあなあ、そこは正直にならなくちゃなあ。


「それに、言ったからって、どうなったっていうんだ。もし……」 


 ──なあなあ、そうさ。そんなことを伝えれば、こいつを正気に引っ掛けていた釣り針が、ぽーんと弾けて飛んで行っちまうもんなあ。


 そう──黒衣の僧が数珠の球で作り上げた、忌々しい幻想。その儚い夢こそが、ニウを現世に、金丸の傍らに繋ぎとめていたと分かっていても──何としてでも代償を払わせてやりたかった。ニウが金丸に残した爪痕の痛みを、同じだけ味わわせてやりたかった。

「分かってるさ。ニウは、心の底ではいつだって金丸を馬鹿にしてるんだ。恩知らずで、嘘つきで……金丸が見つけてやらなきゃ、今だにあの悪漢どもに転がされていたんじゃないか!」 

 辛辣さの破片が空しく飛び散る中でこちらを見た瞳には、怒りと、困惑と、そして何がしかの感情がないまぜになっていた。

 何かを言わなくてはならなかった。だが、言うべき言葉は形を結ばず、裏腹な虚栄と嘘だけが零れ落ちていった。

「『──こうして、王をたぶらかし苦しめた金丸、

    異形の化物は、天の刃に成敗されたのでした。

    そして、御仏の光に照らされて

    善王・尚泰久の輝かしい治世が始まったのです──』

 ああそうだ。そこのボーズの言うがまま、陳腐でちんけな作り話にかこつけて、金丸を消してしまえばいいさ!」

 叫びが残響に変わってもなお、ニウは干からびた魚のような眼をして立ちつくしていた。

「……芥陰──」

 嘘だと言ってほしい。その願いを、硬質な声が裏切っていた。聞き慣れた声のようであってそうではない、知らない響きの声だった。

「……御主、それこそ陳腐な作り話です。その化物の言うことを信じるのですか? 仏の道にある私が、よもやそのような」

 言葉を発するほどに、芥隠お得意の済ましたもっともらしさが剥がれ落ちてゆく。

 黒衣から覗く足が後じさり、あの少年が顔を引き攣らせながらも健気に寄り添おうとしていた。

 少し前であれば、ざまを見ろ、と溜飲を下げていただろうに──今や全ては、高みから見下ろす絵すごろくのマスの光景のように遠かった。

 刹那、血飛沫が散った。

 短い叫びと共に王子を突き飛ばした芥陰、刃をまともに受けた黒衣の美僧が、鮮血を散らしながら緩慢に倒れ込んでゆく。

「和尚様!」

 簒奪者と攫われた子供の間にも、それなりの情があるのだろうか。

 王子の悲壮な叫びに、どす黒く淀んだ芥陰の怨嗟の声が被さっていた。

「御主、あなたという方は──!」

「お前も……」

 その声に、いやな臭気が絡み付いていた。ざらりとした赤錆と、こびりついて黒ずんだ血のにおい。そして、あのにやにや笑いの臭いだった。

「うんざりだ……。ヤマト、ミン、リウクー……。金丸……芥隠!」

 再び唸る凶刃はすんでのところで獲物を逃し、勢い余って引き裂かれた畳から、陽の名残を帯びた乾草の香りが場違いに立ち上った。

「父上……どうか!」

 むしゃぶりつく王子の体が振り払われて、人形のように床に叩きつけられる。だが、その光景も金丸の脳裏に浮かぶ絵すごろくの一マスに凝っていった。

 視線を移せば、床にこぼれたままの籾、金丸が降らせた天の恵みは今や血飛沫に染まり、醜悪な紅玉と化して空虚な光を放っていた。

「私は、犠牲になり続ける牛などではない。いや、そんなものであったことなど、一度もなかった。全ては、私の意思だ……! 金丸、」

 溢れる怨憎に肩が上下し、落ちくぼんだ瞳が金丸のそれと交差する。

「私は、おまえが疎ましかった。おまえがいなければ、王の夢など、復讐の夢など、見なかった。おまえが私の側にいなければ、こんなことには」

 忌むべき記憶の絵巻を紐解くことすら一人では出来なかったくせに、この期に及んで恨み言を口にする。

 雷鳴と稲穂、稲と雷──。千年の昔からの約束を反故にするような、愚かでかなしい白い牛。

 言葉を結ばぬ恨み言を払うように、刃が上がる。

 その無関心な光の向こうで、漆黒の瞳が煌めいていた。その双眸がやがてお約束のように滲むことも、金丸は知っていた。知り尽くしていたから、今の今まで二人は互いの縒り糸に絡まり合い、今の今まで一緒だった。そして、その糸は今や火を噴き燃え落ちて、硝煙が躰を喰い破り始めていた。

 あのにやにや笑いが、今や二人をあざ笑う声に化して鐘の音のように響き続けていた。


 ──なあなあ金丸。

   白い牛の苦しみと、弱さで己の空虚を満たしていたのは

   いつだって、おまえ自身だったじゃないか──。


「……私に、おまえを斬らせるな……!」

 答える言葉を、金丸は持たなかった。

 長い物語が、終わろうとしていた。 

「父上、もう充分です! 私がおります。この八幡が、お側におります!」

 沈黙を破ったのはあの少年、必死にニウにしがみつく八幡の王子だった。

 実の息子の捨て身の嘆願を見下ろす父親の目に、光がじんわりと戻ってゆく。その光景、血を分けた親と子が結ぶという無条件の糸の存在が──どうしようもなく寂しかった。

「金丸どの……」

 王子の澄んだ瞳が、金丸のそれを捕らえる。

「どうか父上を、解放してください」

 それが、文字通り手放せということだったのか、それともヒトが「許し」と呼ぶ不可解な証を与えろということだったのか──それすら、もはや大した問題ではなかった。

 視線を泳がせれば、畳の上にくずおれたままの芥陰が、自らの血で作った血だまりの中で荒い息を吐いていた。額から胴にかけて斬りつけられ、苦悶に歪んだ顔には澄ました顔の面影はなく、深くえぐれた顔の傷は何年経っても消えることはないに違いなかった。

 そしてニウは、刃をだらりと持ったまま、もう片方の手で顔を覆い、肩を震わせていた。

 ──この期に及んで、まだ泣くのか。

 金丸は小さく笑った。

 ──この場でまともなのは、この『八幡の君』だけだ。

 年若い王子を見つめれば見つめるほどに、金丸の笑い声は大きくなっていった。乾き切った笑いは次から次へと溢れ出て、止めることができなかった。

 この虚無を、この澄んだ目をした王子が知るのはずっと後のことだろう。いや、この透明すぎる少年、生まれながらにもつれた運命の糸に絡めとられた王子は、同じ虚しさなど知ることもなく、光に溶けて消えてしまうのかもしれない。

 笑いながら泣きながら、金丸は小さな庵に背を向けた。鮮血が散った障子にも、斬られた僧にも、若い白鳥にも、神世の残光に喰われた黒い牛にも。

 自らが遠ざかるとともに、畳の上に飛び散ったままの天の籾が腐り崩れてゆくことも分かっていた。それでも、金丸は振り返らなかった。

 それが、二人の物語の終わりだった。





 金丸は、イゼナ島には帰らなかった。

 代わりに、シュリの都から遠く離れた北東の地で、奇妙な歌が響くようになった。


「はい、ではみんなで歌いましょう!

 ──王・尚泰久と黄金の童子・金丸 

 その愛と憎しみの物語 最終節──


『振られた 

 別れた 

 振られたよ 

 金丸ちゃんは 

 振られたよ』

 

 はい、皆さんどうぞ!」

赤犬子(あかいんこ)くんの歌はァ、いつも率直だよねえ。だがァ、それがいい!」

 酔いどれ男たちの締まりのない歓声が上がり、温まった空気が揺れに揺れる。酒に染まった手で背を強く叩かれ、情けない声を上げる青年が酔客の輪の中に押し出された。

「ほらグラー、サンシンは赤犬子君に任せてお前も歌いなさい! 恥ずかしがっていたら、ウチマの皆さんから笑われるぞォ!」

「金丸さま、オイは歌はそんな、得意じゃないですや……」

 飲めや歌えやの囃し声が灯りの灯る田舎屋敷を揺らし、金丸の朗らかな笑い声が混じる。月は高く昇り、揺れる無数の草の音に土の匂いの虫の歌が加わる。そんな晩であった。

 あれから、数年が経っていた。

 燃え落ちたシュリの城はようやく再建され、新王・尚泰久、そして王に連なる一族たち──陽の当たる舞台に引き出された人々は新しい城とその城下に居を移していた。

 そして一方、日陰に追いやられた者たち、すなわち尚金福、尚布里をはじめとする表舞台からの退出者に連なる者たちは、各地に散っていった者もあれば、ひっそりと新王の庇護下に入った者もあった。

 手ひどく燃えた城の再建に当たっては各地の按司たちがこぞって金を出し、権力と言う名の見返りが贈られるのを今か今かと横目で伺っているということだった。意外と言えば意外だが、ミンやヤマトを始めとする外つ国からも、援助の申し出があったらしかった。

 だが、全ては遠い世界の物語だった。

 ニウと……いや、尚泰久王と決別してから、金丸は全ての役職を退くことを宣言して引きこもっていた。親もなければ子もない。頼るべき親族もいない。かといって、あれだけのことをして出てきたイゼナ島に戻れるはずもなかった。

 自暴自棄になりかけていた金丸の元に舞い込んだのは、王府からの書簡だった。

 これまでの功績に免じて、シュリの北東・ウチマの地に屋敷を与える──。通達の署名は王・尚泰久が直々に行ったことになっていたが、きっとあの王子が上手く手配してくれたのだろう、と金丸は考えていた。

 渡りに船、と言えばそれまでだったが、あれこれ考えるのすら面倒で、僅かな荷物とごく少数の召使を連れてウチマの屋敷に移った。  

 決して華美ではないが、小ぎれいに整えられた気持ちの良い屋敷だった。屋敷に着くと自ら荷を解き、中身を一つ一つ見分し、新しい住まいを隅から隅まで検め……そして金丸は、すぐに飽きた。かつて暮らしたゴエクの城では娯楽に事欠くことはなかったが、今は他愛ない世間話だの、すごろくだのを一緒にする相手もいない。時折小高い丘から海を眺め、行き交う船を数え、日は暮れ、日は昇り……ただ、飽きた。

 やがて屋敷を離れて地元の民の居住区をぶらつくようになった金丸は、あちこちで水田を目にすることになる。何の偶然か、いや、それすらあの王子の気づかいの一部だったのか、ウチマの一帯では米作りが盛んだった。

 稲穂の揺れる光景には良い思い出もなかったが、眺めていると不思議に心が落ち着いたし、なにより何も考えなくて済んだ。

 やがて日が暮れると農村には不釣り合いな上等の着物をなびかせ、ひょいひょいと飛ぶように跳ねて、屋敷から村人たちの田を覗きに行くようになるまで大した時間はかからなかった。

 そこで、面白い男に会った。

「こンら、オイの田んぼでなにしよるかー!」

 耳の中までびりびり揺らす大声に、金丸は飛蝗のように跳び上がる。

 この地に移ってきたばかりの金丸である。しかも日暮れにじっと田の脇にしゃがみ込み、揺れる稲を見つめているのであるから不信に思われるのも無理はなかった。

「わあ、やめろ、やめろ!」

 五郎(グラー)──本当は真五郎と言ったが、面倒なので後にグラーとかグラとか、グゥとか呼ぶようになるこの青年、大地に張り付いて生きて来た農民らしく、短くがっしりした手足に大木のような胴をした若者は、とんでもない怪力の持ち主だった。

 不審者を掴み上げ、ぼちゃん、と田の用水路に放り込んだ青年は、むんずと首根っこをつかまえて持ち上げる。そして、そのまましげしげと眺めやり……その顔から血の気が引いていった。

「あんた……王府の、金丸さま?」

 弾かれるようにして地面にひれ伏した青年の様子に、金丸はにやり、と笑う。丁度、土地のことが分かる下男が欲しかったのだ。

 知れば知るほど、グラーは面白い男だった。

 怪物真五郎(マグラー)と呼ばれているらしいこの青年は、その人並み外れた馬鹿力があだとなり、立て付けの悪い扉を揺すってみれば粉々に砕いてしまう。悪さをするいたずら坊主の腕を掴めば、勢い余って骨まで折ってしまう。そんな調子であったから、今一つ村になじめず田畑に黙々と励んでいるのだという。

 何となく、親近感を感じる男であった。

 こうして金丸の下男として雇われることになったグラーは、最初は王府の人間を前に緊張して言葉遣いも動作もぎこちなかったが、やがて金丸の人となりに馴染むにつれ、堅苦しさの代わりに裏表のない朴訥さが勝るようになった。

 そんなことがあってから、更にしばらくのこと。

 ある夕暮れ、今度は村外れに行き倒れ寸前の男が現れた。

「うう……オイラ、腹が減って死にそうだよ……」

 わんわん、わんわん、の声に駆けつけてみれば、赤い犬が、大木に寄りかかって呻く若い男の傍らで吠えていた。

 暖色の毛を震わせる犬は、四肢を大地に踏ん張って必死に吼え立てる。

『このままでは死んでしまいますよう! わんわん!』

 金丸は、薄闇の中で訴える犬をとっくりと眺めやる。

『お願いです、助けてあげてください! わんわん!』

 幸い、周りには誰もいない。金丸は小さく手首を回して握り飯を出してやると、男に渡してやった。

 その様子を薄目をこじ開けて見ていた行き倒れは、手の中の握り飯をじっと見つめ、やがて勢いよくかぶりついた。

 ──犬みたいな食い方だなァ。

 などと思っている間に握り飯を平らげた男は、ぱっ、と顔を輝かせて

「もっと食わせてくれませんか、旦那!」

 と、言った。

 それが旅の遊芸人、犬連れ青年の赤犬子との出会いである。

 こうして、ウチマの屋敷の暮らしにグラーと赤犬子と犬が加わることになった。

 屋敷の米櫃を空にした赤犬子は、元気を取り戻してみればなかなかに水気のある男であった。しかも、当たり外れの多い遊芸人としては破格の歌の恩寵に恵まれていた。

 グラーが持ち前の怪力を活かして、ひょい、ひょい、と石を拾い上げては小さな畑やら石垣やらを整えて働き続ける横で、赤犬子は珍妙な楽器を取り出して、汗水たらす怪力男のやる気をそぐような呑気な歌を歌い続けた。

「これはオイラが作った、サンシンっていう楽器です。いい音でしょう?」

 明るい色の花がへばりついた石垣に寄りかかり、音色をつま弾く赤犬子は得意げに言う。

 何でも、ある雨の日、雨水の仙女の託宣に従って作ってみればこの楽器ができたのだ、という。

 どこから来たのかも、どこへ行くのかも明かさないこの若者は万事大いにほら(、、)を吹いたから、真相は怪しいものだったが、兎にも角にもよくできた楽器だった。丸い胴から伸びる棹に貼られた三本の弦は、赤犬子という名手の手にかかると魔法のような音色を紡ぎだし、豊かな歌い手の声と相まって、聴くものを極上の酩酊に誘うのだった。

 最初は「気が散って仕方ないですや」とぶつぶつ文句を言っていたグラーも、しばらくすると気持ちよく歌い続ける赤犬子の方をチラチラと伺うようになり、やがてサンシンをもう一棹作ってもらって手習いを始めた。太い指を動かしてたどたどしく弦をはじく様子を金丸は笑ったが、グラーは見る間に上達し、いつしか赤犬子との合奏が暮らしに彩を添えるようになった。

「金丸さまは、サンシン一つ弾けないですや」

 意趣返しにチクリとやられた金丸は、幾何か焦った。

 なるほど、いつかは貿易に精を出し、誰かのためにせっせと働いた金丸ではあったが、今や屋敷で握り飯を頬張ったり犬と遊んだりするだけの暮らしである。気性も随分丸くなったが、腹も出て丸くなった。

「……やい、金丸だって、得意なことくらいある!」

 そこからの金丸の行動は早かった。

 腕まくりをし裾をからげた金丸は、赤犬子とグラーが目を丸くする前で、農具片手に屋敷の周りを掘り始めた。屋敷を取り囲むように田をこしらえ始めたのである。

「金丸さまあ、無理しない方がいいですやあ」

「そうですよ旦那、腰を痛めちまいますよお」

 呼びかける二人の青年の心配など露知らず、数日の内には田に水が満ち、その中で身を屈める金丸の姿が見られるようになった。

 金丸は未だに王府の人間と見なされていたから、苗を一本一本水田に植えつける金丸の様子を覗き見た村人たちは『都人のごっこ遊びだ』と揶揄したが、やがて田にふさふさと稲が茂り、年に二度、必ず満杯の収穫があること知って目を見張った。

 黄金色に輝く水田から取れた米は驚くほどに甘く、信じられないほど重かったので、村人たちは「金丸さまのお米は特別だ」と掌を返したように称賛の声をあげた。

 虚空から米など出せば何が起こるか金丸も嫌と言うほど学んでいたので、代わりに金丸は稲がどんな世話を好むのかを村人たちに教え、自らの田で取れた米で作った酒を振る舞うことも惜しまなかった。

 警戒心の強い農村の常、しかもこの年まで妻も子もない独り身ということへの偏見もあって、村人たちから距離を置かれていた金丸であったが、この世のものとも思えぬ甘い香りの酒が高い壁を取り払い、いつしかウチマの屋敷には村の男たちが出入りしては、夜毎サンシンの音色の中で歓声を響かせるようになっていた。

 今宵もそんな一夜である。酔いの回り切った男たちは手を叩き、際限なく振る舞われる酒と握り飯を楽しみながら、日々の憂さを吹き飛ばすように陽気な笑い声を弾けさせていた。

「はい、では次の歌を歌いましょう!

 ──護佐丸・阿麻和利 大喧嘩 

   いかにして二人の将は血を流し、死んでいったか──

 お聞きください!」

 のどかなサンシンの音色には不釣り合いな血なまぐさい歌詞が、物語の情景を広げながら酒香にのって流れてゆく。

 もちろん、歌詞など誰も聞いてはいないのだ。今や過去に葬り去られた男たちの物語、金丸が王の元を離れてからも続いた、殺し殺されの権力闘争の中で、真っ赤な汁椀に沈んでいった具材たち、酒の肴の材料のことまで気にしている酔客がどれだけいるというのか。

 奇妙なもので、一度都を離れてしまえば、かつてはその身を浸した王族たちの世界など、土間の台所でくゆる煙の一筋のように思えた。

 あの後──新王・尚泰久は、随分変わったのだという。

 中城の護佐丸──尚巴志とその孫・尚志魯を崇め奉っていた老武将は、死んだ。あの阿麻和利──王女・百十踏揚を娶った海賊按司に殺されたのだ。

 シュリ城と共に焼け死んだ尚志魯の仇討ちでもしようと思っていたものか。膨大な兵力を蓄え、王府に対する反逆を企んだとして──少なくとも、王府はその証拠を掴んだと言ったそうだ──築城王護佐丸の偏愛の結晶、要塞・中城は攻め込まれた。

 攻め入ったのは、王の娘婿たるカツレンの貿易王・阿麻和利。かつて現王・尚泰久に反旗を翻し、王位を争った男であった。

 数年のうちに、権力の絵地図は大きく塗り替わっていた。

 八幡の王子を側近として政を推し進める尚泰久王は、ミンに矢継ぎ早に使者を派遣してリウクーの存在感をいや増すだけではなく、制圧されたアマミの島々を足掛かりにヤマトのブケとも積極的に通じ、新たな交易の版図を広げていた。聞けば、ヤマトとのつながりを活かしてキウシーと結び、海に突き出た半島の国の勢力とも親交を深めているらしい。

 急進的な新王の政策に、当初はリウクーの権力者たちから不満の声が噴出したという。そんな不満分子を、王は容赦しなかった。

 あの刃を常に側に置くようになった王は、時に自ら刃を抜き放ち、少しでも不穏な動きを見せたものには粛清に継ぐ粛清が行われたそうだ。唸る凶刃は刃に触れたものだけでなく、遠巻きに怯え、背を向けて逃げる者たちをも切り裂き、時にはいくつもの首が同時に落ちたという。

 そんな問答無用の流血の嵐の中で、阿麻和利は自らの忠誠の証を立てざるを得なくなった。

 そして、中城に派兵された阿麻和利の軍と、迎え撃つ護佐丸の軍が互いの兵力を振り絞って激戦を繰り広げ、双方が消耗しきった末に中城が落ちた頃──金丸の元にふらりと現れた者があった。あのゴエクの賢雄であった。

『この国は、もうお終いです。尚泰久王は、変わってしまわれた』

 かつては一介の従者だった青年もいくらか出世したのだろうか、装いなどは立派なものだったが、俯く顔はやつれて陰鬱な影が濃く落ち、瞳だけが奇妙な光に燃えていた。

『次に消されるのは、阿麻和利でしょう。あの男は目立ちすぎた。これまでも、幾人がこのようにして消されて行ったことか。

 今の王は、一度でも背いた者を決してお許しになることはありません。たとえそれが、血の繋がった親子であったとしても』

 広い肩を震わせる大男の脳裏に浮かぶのは、思いを懸けるたった一人の面影であるに違いなかった。

『私には耐えられない。あのお方が……阿麻和利と共に炎の中に消えるなど……!』

 震えるその唇には、今日は紅は引かれていなかった。

『ねえ賢雄』

 別に、唆すつもりはなかった。だが、わざわざ来たということは、背中を押して欲しいということではないか? 何かに心を奪われた者特有の懸命な滑稽さ、愚かなまっすぐさが厭わしくて……羨ましかった。

 ならば、同じ責め苦を潜り抜けた者として、学んだ真理を教えてやるのがせめてもの親切と思っただけだ。

『幸福の小鳥は待っているだけじゃ、胸には飛び込んでこないものだよ。小鳥の檻をこじ開けて、懐に入れて盗んでこなくちゃ──。

 ああそうだ。あの刃なら、鋼の檻も斬れるかもしれないね』

 そう、唆したつもりはなかった。その後ほどなく、賢雄の予言通りに今度は阿麻和利が王府への反逆の罪を着せられ、その討伐にこの悩める青年が志願するなど、王・尚泰久があの刃を王の裁きの象徴として一介の元従者に預けるなど──そして、賢雄があの刃を使いこなせるなど。全く、思いもよらなかった。

 そして、阿麻和利は斬られて死んだ。

 賢雄が願った褒美は、たった一つ。あの百十踏揚──戦の終わりに至るまで先陣を切って王府軍と戦い続け、最後には瀕死の重傷を負ったカツレンの軍神の助命だったという。

 赤犬子が歌う物語の中で、全ては奇妙な単純さと無関心さで語られては流れて行った。 

 だが、全てはやはり遠い光景だった。赤犬子とグラーのサンシンの音色がゆったりと流れ、傍らでは犬がうとうとしている。今宵の酒も美味く、村人たちは楽しそうに騒いでいる。それが、今の金丸が生きる世界だった。

 そう、最初から、これでよかったのだ。素朴な宴と無邪気な酔い。

 あの時、出会わなければ良かったなど……。

 途端に舌の上の酒が嫌な味に変わり、金丸は不快な感情ごと杯を肩越しに投げ捨てる。

 だが、勢いをつけて投げた土杯は、乾いた音を立てて砕ける代わりに「痛いっ」という情けない声を運んできた。

 振り返れば、金丸が投げた杯が当たったのだろう、酔客の集う広間の入り口に顔をくしゃくしゃに歪めた男が立っていた。

「あ―、安里(あさと)ォ……。来てたのォ?」

 金丸の声に、歓声が上がった。

「安里の旦那! 今日は婿さんは来ないんですや?」

 グラーもサンシンの手を止めて立ち上がる。

 安里──安里大親(うふや)。薄闇に立ちつくすのは、金丸が遥か昔に背を向けた世界の住人、つまりは王府に仕える役人の一人だった。

「あ、いや、今日は私一人……というかその、」

 相変わらず、素面の時はもごもごと喋る男だった。そして、片手に蔓で編んだかごを下げたまま、何やら居心地が悪そうにもぞもぞしている。

「さあ、今日の肴を披露してくださいや」

 安里大親は、このウチマの屋敷で最も歓迎される客人の一人だった。この男、都から遥かに離れたウチマの地ですら噂されるほどの遊び人で、無類の酒好きなのである。

 元は南の地の生まれで、今はあちこちの別宅に寄りつつ王府に出入りする小役人のこの男、どこぞの村では良い酒を造っている、どこぞの城の倉に良い酒が隠してある──そんな話を聞きつけると、馬に乗っていそいそと出かけて行くのである。もちろん、手ぶらではない。相応の金子、そして、その酒に合うであろう肴を手土産に持って現れる。

 肴は舶来の珍味のこともあったし、そこらでとれる雑魚を手ずから調理したものや、山狩りの獣のこともあったが、どういう味覚、嗅覚の持ち主であるものか、この男が選んだ肴と地酒を合わせて呑むと、全く違う酒なのか、という程の美味に変わるのである。

 そんなわけで、酒を嗜むものにとってはこの安里ののんべ(、、、)、いや、安里の大親は一種の稀人として歓迎されるようになり、この男が金丸の造る酒に惹かれてウチマ屋敷に出入りするようになって久しかった。

 土産への期待を隠せないグラーの後ろから、喜色満面の赤犬子も顔を覗かせて、安里の手にした籠の覆いに手を伸ばす。

「オイラ、このあいだの貝を甘辛く煮たやつと、タマゴの浸けたやつが好きだったんすよ。今日のつまみは牛、豚、それとも猪かな?」

「いやその、今日は肴は……ない」

「ない? ないってそんな……! 手ぶらの安里の旦那なんて、ただの酒癖の悪い女たらしじゃないすか!」

「のんでるからって言いすぎですや」

「なんだ、本当のことじゃないか。なあ?」

「わんわん!」

 男たちの騒ぎはしかし、しゃらしゃら弾ける笑い声にさらわれて行った。

「ほ、ほ、ほ……。おさかな( 、、、、)の心配で右往左往。男さんは気楽なことですこと。あんなものは、日がな腰をかがめて煮炊きする女たちにくれてやりましたのよ」

 流れ星のような声に思わず目をやれば、安里の影の薄闇から酔客の集う広間に向かって、ぱっ、と七色の色彩が飛び立っていた。飛翔のついでに安里の手にした籠を覆う手巾を奪い取れば、空っぽの口を見せた蔓籠がころり、と床に転がった。

 足環をつけた素足がしゃらりと鳴り、舞い降りた蝶の姿に男たちの感嘆の声が上がる。

「──『西の東の おどり備えた

   まほうじかけの 舞う蝶々』──」

 幼さの残る唇が、よく通る高い声で歌の絨毯を広げていた。

「さあ、音楽も、手拍子もつけてくださいな。

 ──『南みやこの 満ちるおたから

   捧げ持ちくる 舞う蝶々』──」

 もちろん、蝶ではない。それは七色の裳をなびかせて踊る、若い娘だった。

 金丸が目を奪われている間にも、なめらかな腕で宙をかき、奪い取った手巾を小道具に舞い踊る少女に合わせて、赤犬子とグラーが熱に浮かされたように即興のサンシンの音色を添わせてゆく。

 娘が歌いながら踊りながら体を反らせれば、裳裾から覗くくるぶし(、、、、)が鮮やかに目に飛び込んできた。

「おい、いい加減にしないか! おまえ……!」

 真っ青になった安里が、歓声を上げる酔客たちに割り込もうとしては、押し返されるのも見えていた。 

 娘はくるりと回り、時に跳ね飛び、そうかと思えば床に足をつけたまま、ゆらゆらと舞い踊る。

 どういう踊りの技なのか、くっきりした目だけを金丸に止めたまま、娘は舞い、歌い、やがて独楽のように回りながら立ちつくす金丸に挑みかかり──どしん、と突き出た腹にぶつかって止まった。

「金丸さま!」

「旦那!」

 反動で後ろに跳ね飛ばされた金丸は、強かに尻もちをつく。

 騒ぎ立てる安里の声が聞こえてきていたが、目の前に一杯に広がる娘の顔が、湿った瞳が、金丸から言葉を奪っていた。

「……おまえは、誰……ェ?」

 流れ星の笑い声が、再び娘の唇から零れる。

「おさかなのお詫びの、おどりはお気に召しまして?」

 酔客をかき分けて、安里が今度こそ娘の肩を掴んだ。

「何と無礼なことをする! それに、何かあったらどうするつもりだ、おまえの、そ、その……!」

 ほ、ほ、ほ、と特徴的な笑い声が弾けた。

「そうでしたわね──。

 金丸さま、無礼はお許しくださいませね。

 私、あなた様の(モーモー)から預かりもの( 、、、、、)を届けにきましたの」



 <第二十五話に続く>

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