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[第23話] 

<第23話>


 宮古島の英雄 仲宗根豊見親を中心に、

 歴史と幻想が交錯するシリアス琉球史ファンタジー最新話。

 

 ジュゥゴセー紀・中山と呼ばれたリウクー王国。

 シュリの城は炎に包まれ、異形の童子・金丸の過去は加速する。

 新たな王は降臨し、繚乱の毒花が咲き誇る。

 八幡の旗翻る、第二十三話。



  *** *** (ストーリー) *** ***


 遥かな大海に抱かれし動乱の島・ミャーク。

 永劫の青波が寄せ引く汀に、宿命の英雄が生まれ落ちる。


 仲宗根豊見親なかそねとぅゆみゃ 玄雅げんが──

 稀代の英傑か、それとも……。


 傷持つ心に刃を纏い、人ならぬものと睦む孤高の魂の代償は。

 愛憎と血潮に彩られし大海の王の物語、遥かな海の底より蘇る。



 あくまでパラレルなミャークの英雄物語として楽しんで頂けましたら幸いです。

 古琉球史・古先島史への入り口としても。 

 不定期更新・気長にお付き合い頂けましたら幸いです。

  

 現在のところ、

 第一部(第1-10話):ミャーク編

 第二部(第11話以降):王都シュリ編

 となっております。


※※※R-15※※※

※無断転載を禁じます※

※「pixiv」様にも重複投稿しています※

※扉絵は [嵐山晶 様] に描いて頂き、ご本人の許可を得て掲載・使用しております※


「来たのか、化物……」

 夜の湿気を焼き尽くす、炎のにおいがしていた。

「化物――ォ?」

 天から堕ちた炎が城を炙り、長きにわたって王たちを擁してきたシュリの要塞が生きながらに木肌を焼かれ、内側から弾けゆく断末魔の苦悶に身をよじっていた。

「金丸は──ァ、その呼び方が、一番……嫌いだよ──ォ」

 小指の先ほどの魚油の灯りが闇に躍り、志魯が息を飲む音、それに小さな姿が立ち上がる衣擦れの音がした。全ての動きは鈍重で、ひとつのものだけが鮮烈な光を放っていた。

 三組の瞳を一身に集めた輝き──。

 それは、小さな炎の首を刎ねた刃の閃光だった。

「貴様が、なぜそれを持っているのじゃ? 貴様は、それを使えぬはずじゃ」

 震える語尾に混じる動揺など知らぬ風に、化物が体を揺らしながら定まらない視線を泳がせ続ける。

「知っているはず。変化と遷移はこの世界の法則。金丸とニウは、もう不可分だものーォ」

それ(、、)から手を放せ! 私たちは、お前など、それ(、、)など……、もはや必要としていない!」

「今更、何を都合の良いことを」

 閃く刃の光と共に血が頬を伝い落ち、武人としていつしか抑圧することを覚えた恐怖の感情が、鎌首をもたげ始めていた。

「布里ィはこれを使って何をしてきた? 全て、浅はかなおまえが望んだ通りになったじゃないか。用が済んだからサヨウナラなんて、そんなうまい話があるもんか。神世の力を利用した代金は、払ってもらうよ」

 天井から燃え盛る火球がいくつも落ちて、這いずる蛇のような白い煙の残滓を残していった。城が、炎に呑まれ始めていた。

 望んだとおり──そう、刃の火に炙られて狂気の虫に喰われた兄の尚忠、虚栄の泥酔に焼け死んだおいの尚思達……。

 彼らは王に相応しくない俗物で、血縁で縛された煩わしい障害物で……。


 ──なあなあ布里よ。そこは正直にならなくちゃなあ。

 

 毎夜眠りに落ちる前、彼らの最期の姿が瞼の裏によぎっては消えた。呻き、顔を歪めて身をよじり、最期のその瞬間まで生に向けて手を伸ばし──本当は自分と大して変わらない、ありきたりで平凡な、血を分けた男たち。

 ──そう思わなくては、耐えられなかった。

「布里とニウはァ、そっくりだよ。

 安易に大きな力に手を出して、結果に慄き捨てようとする。最初から捨て方なんて知らないくせにね。いよいよ困った挙句に、そこのちっこいの(、、、、、)だの、宗教だのにすがろうとするんだ」

「何と謗られても構わん! 人は過ちを繰り返して進む、そうでなければ、先は目指せん!」

「その過程で使い倒されて捨てられる側のこと、一度でも考えたこと、あるのか!」

 金丸の目から涙が落ち、熱に触れて消えていった。

「金丸は化物じゃない、もう人世の一部だ!」

 傍らで短い声が上がった。

 志魯は、何が起きたかすら分かっていなかっただろう。

 ほんの少し前に酒を煽った白い首が再びのけ反り、高く噴き出る紅い奔流が、天から降るはなむけの花弁のように衣を染めていった。

「あっけないよね。ヒトの軽さ、軽薄さ。その儚い熱に惹かれたこともあったっけ……」

 空虚な瞳の化物が、刃の血糊を払っていた。

 その体にだらしなく引っ掛けた着物も、ほつれた結い髪も──全ては出来の悪い作りもの、禍々しい嘘だった。


  ──なあなあ布里よ。

  おまえが選ばなかったものを、こいつは選んだ。

  つまりは、逸脱というやつさ。


「これ以上、人の世を乱すでない! 太古の神の孤独を満たす傀儡になってはならぬ。そなたは異物、消えるのじゃ!」

 小さな姿が衣を振りかぶり、燃え盛る炎に負けじと、掌から紅色の炎を放っていた。空中で炎が凝り、赤い翼を広げてゆく。布里が長い時をかけて求め続けた神世の奇跡、黄金の凶刃に立ち向かう紅蓮の光が顕現を始めていた。

 結局のところ、人知を超えたものを目にした時、人は思い思いに名を選び、呼ぶのだろう。

 神、神獣、聖獣──今目にしているものを鳳凰と呼ぶように。

  

   ──なあなあ、布里よ。そしてこいつは、選ばれた。

   爛れた人世の絵すごろくは 

   異形の血を筆に含ませて描いた風景の中を、進んで行くのさ。


「おまえこそ、神世の記憶の切れ端で世を乱す半端者じゃないか。

 どうして、天降の眷属ごときが金丸を刀ごと溶かせると思ったのかなァ。形も保てないほどだから、認知が混濁してたのかな?」

 全身を無数の燃え盛る鳥にたかられてもなお、平板な化物の声が響き続けていた。

「クメの神人を従えて、神世の力を制する偉大な王──? おまえのせいで、布里も安っぽい夢を見ちゃったね。おまえさえいなければ、ただのつまんない凡人で終われたかもしれないのに。

 そ・う。太古の炎の残りもの。溶け冷え、死んだ岩となれ!」

 群がる炎鳥たちが斬られて吹き飛び、壁に、天井に炎の切れ端が飛び散った。

 

   ──なあなあ、布里よ。

   つまりは、手に負えなかったのさ。

 

 頭の中で響くなじみの声が、不意な轟音にかき消された。特大の稲妻が、僅かに残っていた城の屋根を噴き飛ばしたらしかった。

 城の残骸が雨のように降り注ぎ、燃え盛る火球が額を打った。だが、やけに遠くに感じる痛みすら、もはや浮遊してゆく意識をつなぎとめるはかない生の残滓でしかなかった。

 頭の中で記憶の巻物がするするとほどけていった。たわんだ絵巻の最初のほうで、潤んだ瞳の少年がこちらを見つめていた。小さな目をこする拳は、いつだってマメだらけだった。

 霞む視界の向こうでは金丸が小さな姿に切りかかり、着物の中から黒い濁流が飛び散るのが見えた。

 飛沫の一粒が頬に跳ね、頭の奥を熱さが貫く。

 ──ああそうだ、大地の底から天へ噴き出る灼熱のうねり、かつてクメの島を形作ったという炎の潮を、溶岩と呼ぶのではなかったか──。

 だが、思考は空しくこぼれて行った。

 よろめく自らのつま先が何かを蹴った。夢と現の狭間で緩慢に見下ろせば、宴の名残の杯が、人形の首のようにころり、と転がっていた。

 ──志魯はどうしただろう。律儀に酒を注いでくれた生真面目なおいっ子は。

 うち捨てられた巻物の中で、幼い志魯が笑っていた。ずっと昔、戯れに作ってやった素朴な玩具に目を丸くして、はにかみながら礼を言った小さなおいっこ。

 ──ああ、そうだ。城も、記憶も──生き残れなかったものは、全て消えてしまうのだ。

 燃え盛る太い梁が緩慢に倒れ込み、布里を息が詰まるほどに抱きしめた。

 喉を焼かれてしまったのだと気づいた時には、意識は空しく途切れていた。





「──は・ァ――はははははは! 

 こうして燃えてしまったのさ! 朱き城、清き城、天人定めしシュリの城!

 ミンの王印も、正当な血筋の証拠も、記憶も記録も、全てがすべて、燃えに燃えて溶けて消えてしまったのさァ!」

 玄雅は歯噛みをする。

 全ては遠くから眺めるだけの幻影、金丸が作りだした虚像のはずだった。だが今、玄雅と金丸を取り囲む世界から吹き出し荒れ狂うのは、確かに本物の炎だった。

 口と鼻を内側から炙り、目に抜けてゆく耐えがたい熱が、じわじわと正気を奪ってゆく。

「もちろん本当のことなんか言えないさ、愛するニウに不利になってしまうもの! だから、志魯と布里のせいにするふりをしたのさ金丸は! 忌々しい鳳凰を縊り殺した城跡で、振り出しに戻った焼き畑でもう一度種を播けばいいと思った! そうだろう? 分かるかね! 分かってくれるかね玄雅君!」

 みげるのものだった着物から煙が幾筋も上がり始め、喉から出かかる叫びを御すことすらできなくなりそうだった。苦し紛れに身をよじれば、汗に湿った自らの指先が懐の中のヨナ小に触れた。

「ヨナ小……!」

 その質感は、かさかさの干魚そのものになっていた。

 ──本当に、ここで死ぬ。

 骨張った体が「嫌だ」と震えた気がした。

「貴様の言うことなど、分かるものか!」

「──お・やァ?」

 金丸の見開いた目が、ほんの少し前にあのふざけたすごろく盤を、そして今、宙を斬った刃を見つめている。

 その視線を追った玄雅は、小さく息を飲んだ。

 自らの握る刀の腹から切っ先を伝って、どろりとしたものが滴り落ちていた。その赤黒い液体は床の上で細い川から赤い大河へと変わりゆき、玄雅とヨナ小、そして金丸を取り囲む炎の壁から天井へと這い上り、赤い炎を呑み込んでゆく。

「過去から……いや、先取りか? 竜宮め、味な真似を……」

 目を細めて不条理な光景を見つめる金丸の顔はしかし、子供のように輝いていた。玄雅のことなど忘れたように、手を振り回して小躍りしている。

 液体に圧されて、炎の勢いが確かに弱まっていた。退路を求めて視線をせわしなく巡らせれば、刃に裂かれた炎の壁の向こうに漆黒の空間が覗いていた。

 夜空なのか、暗い海なのか。

 ──何でも、いい。

 今やこの身は、干上がってゆく浅瀬の魚と同じなのだ。その身を投じる先が荒海だろうが濁流だろうが、選ぶ余地など最早ない。

「はァーーはははははははははァ、玄雅くゥん!」

 希望を打ち砕くような禍々しい叫びと共に体をのけ反らせた金丸が、がばり、と玄雅の視線を捕らえて止まった。

「とても面白い! 受けて立つよ、金丸は!」

 金丸の手首が回り、虚空から凶光が生じるのを玄雅は見た。

 ──北山王の、呪い刀。

 立ち現れた凶刃と対するように、玄雅もまた自らの刃の柄を握り直していた。

 だが──深い傷を受けて血を失った時のように頭の中が霞み、急激に四肢から力が抜け始めていた。

 遠くなる意識の中で、踏みしめる床の感触に必死にしがみつく。

 ──ヨナ小。ミャーク。

 世界が旋回し始めていた。ここで倒れるわけにはいかなかった。

 ──宇津免嘉と川満が待っている。それに、産まれたばかりの小さな──……、

「金……盛……!」

「そこまで!」

 炎の轟音をかき消す鮮烈な声を、輪郭を失いつつある意識の向こうで玄雅は確かに聞いた。

 引き寄せられるように目を上げれば、熱風に煽られる鮮やかな裳裾の色彩が目に焼き付いた。

「ごめんなさい。もっと早く来たかったのに、ここまで炎が強くなっていると思わなかった。あなたが道を開いてくれてよかったわ」

 忘れようにも忘れられない、その高く細い声。

「おまえは……」

 折れそうな鎖骨と細い腰。露わなへそ。まるで、その周囲で燃え盛る一面の炎すら、優美な立舞を引き立てる後幕だと言わんばかりの──あのおぼろ月の夜に出会った、死者たちの女王。

「……私は、今は酔っていないぞ」

 蕩かすような顔の上で、唇が微笑にほどける。

「そうよ、わたしはここにいる。あなたが無事でよかった」

「なぜ来た、金丸すごろくに一番いらない駒。金丸の恥ィ、罪ィ、汚点……」

 炎の中で立ちつくす少女の顔には、何の変化も無いように見えた。だが、優美な孤を描く唇の両端で、何かが鋭く引き攣れていた。

「恥、罪、汚点──。わたしがあなたに対して思っていることと全く同じようですね、忌まわしいあなた」

 さらり、と黒髪で孤を描きながら金丸と向かい合う少女の肌の香りが、玄雅の鼻を場違いにくすぐる。

「おまえのそォいうところがァ、私は嫌いだよ。そォいぅ、小生意気で小賢しいおまえが!」

 刃が炎の壁を薙ぎ払い、無数の燃える切れ端が玄雅と少女に降りかかる。

「人形を燃やしてしまう愚か者より、何倍かましでしょう!」

 少女の手が流れるように動き、裳の腰からあの薄布(べーる)を踊らせた。広がる七色の色彩が真紅の業火を包み込み、床に落ちるときには、炎は無数の後世花の花枝に変わっていた。

「なるほど、いつまでも子供ではないということかァー……はははははァ!」

 タガが外れたような笑い声を無視して、少女の白い指が床から一輪の後世花を拾い上げる。

「しっかりして! 次が、来る!」

「はァーーははははははその通り! 私の雷鳴、私の情熱! 愛する供物を失ってから、こんなに楽しいのははじめてだ!」

 刃が再び宙を薙ぎ、後生花の一輪を構えた少女が、果敢に迎え撃とうとしていた。

 だが、体中の水分が抜けきってしまったように玄雅の思考は動かず、四肢が動きを止めてしまっていた。

 ──熱い。

 みげるが首にかけた十字の飾りにそうしたように、無意識に懐をまさぐれば、かさかさに萎んだ毬魚の体がそこにあった。

 ──ああ、干からびた、ちいさなもの──……。

 不意に、一滴の理解が意識の底に落ちた。

 ──これは、私だ。

「空広、ぼさっとするな!」

 遠くなってゆく意識を引き戻したのは、生と死の狭間で引き合うとき、幾度も空広を引き戻してきた男の声だった。

「死ぬ気なら、ここで干からびろ! おまえのミャークの未来と一緒にな!」

 不意に鮮明になった視界の向こうで、眉間の真ん中に釵を打ち込まれた金丸が、悲鳴を上げながら、前へ、後ろへと哀れな苦悶の舞いを舞っている。

「みイイイげええええるうううう! 裏切っ……うらぎったなあ!」

「あなたがおれの主君だったことは、一度もない」

 金丸の絶叫が響き続ける中、炎が勢いを取り戻そうとしていた。

「今のうちに逃げるのよ。みげる、空広をお願い」

 簡潔な指示に、みげるが短く答えていた。だが、世界は再び霞み始め、乾き切った瞼を開閉させることすら、もはやできなかった。

「痛いィ……」

 金丸が眉間に打ち込まれた釵をぐ、と掴み、そのまま力任せに引き抜けば、太い血の奔流が吹き出して炎を蒸気に変えた。

「許さないィ……」

 みげるの腕が乱暴に胴を捕まえた。抗う間もなく雑に担ぎ上げられようとした時、それはかさ、と懐から落ちた。

 からからに乾いて茶色い実のようになったヨナ小が、床を転がっていった。絶え間なく落ちかかる火の粉が乾いた鱗に、ひれに落ちていた。

「ヨナ……小……!」

「空広、よせ! 馬鹿な真似をするな!」

 みげるの腕をがむしゃらに振り切ると、前につんのめりながら転がる体を必死に追いかける。

 無数の火の粉が伸ばした手の甲を肌を炙り、みげるが、そして少女が叫ぶのが聞こえていた。

 もう少しで、手が届いた。淡い安堵はしかし、行く手に落ちた影に飲み込まれた。

「あーーァ。食材が、自分からまな板に載ったァ……」

 感情の籠らない平板な瞳が見下ろしていた。その手の中の刃が、ゆっくりと振り下ろされてゆく。

「空広! ……玄雅!」

 ──あの娘が叫んでいる。ああ、そうだ。宇津免嘉も、こんな風に自分を呼んでいた。

 見下ろす視線を遮断してひたすらに手を伸ばせば、ようやく指先にヨナ小の体が触れた。乾いた哀れな感触に、玄雅は深い息を吐く。

「ヨナ小」

 ──そうだ。この小さなものの名を、せめて自分が呼んでやらねば──。

 意識の最後の瞬間に、真っ赤な血の花が散った。




  

 ──こうして、シュリの城は燃えに燃えて、燃え尽きてしまったのでした。

 帝王・尚巴志が北の国、南の国から集めてきた巻物も、詩も、歌も、数々の宝物も──そして、ミンの国からもらった王様の印も。みんな、みいんな燃えてしまったのでした。

 志魯と布里の行方は杳として知れず、いつしか、酒場で歌われる歌の歌詞はこんな具合に変わってゆきました。


  野心溢れる 武者の布里

  世子の志魯と 揉めに揉め

  二人互いを 殺し合い 

  お城もろとも 燃え尽きた

  ああ

  何と愚かな 負け人よ ……。


 そんな歌を、旅の遊行人にお金を握らせて歌わせたのは誰だったのでしょうか。

 いえ、そんなことは、わざわざ言い立てることでもありますまい。

 そう、わざわざ愚かなことを言い立てたのは、市井の賢い民たちではありませんでした。分かり切った台詞を情感たっぷりに言い立てて愁嘆場を繰り広げるのは、いつだって舞台の中心にいるくせに自分で自分が見えていない人たちばかりなのです。



 その日の太陽はどこまでも白く、高かった。

 少し前にシュリの城が燃えてしまったことさえ、ゆらめく陽炎に浮かびあがる白昼夢のように思えた。

 有無を言わせぬ晴天から無数の花が降り注いでは、大地をまだらに染めてゆく。

 白は露持つ月桃蕾。青は夜染めの蔓花。

 紫は波に漂うサガリバナ。

 赤はもちろん、後生花──。

 きらきらした着物に身を包み、額や鼻の頭に汗を浮かせた幼い子供たちが、あどけない手を花かごに突っ込んでは七色の花弁を撒き散らしていた。

 ゴエクの城の庭の四方には国中から集められた貴人たちが列をなして座し、お愛想程度に子供たちの行列を褒めてみたり、近くに落ちた花首を拾い上げては、鼻に押し付けたり髪に当てたりの他愛ない時間つぶしに興じていた。

 庭から城の建物に続く小高い場所、天蓋の張られた扉の横に立つ金丸は、花首が沓の下で潰れてゆくのを眺めながら思う。

 ──潰れた虫みたいだ。

 ぷわあー……、と間の抜けた笛の音が響き、けたたましい銅鑼が、詰めかけた人間たちの退屈と不信の囁きをかき消さんと打ち鳴らされていた。

 波打ついくつもの顔は、踏みつぶされるために空に身を躍らせる花々によく似ていた。目にも鮮やかな衣に身を包み、精一杯に虚勢を張る人間たちは、今日の最大の出し物、飾り立てられた供物が引き立てられてくるのを待っているのだ。

 そしてその生きた花畑には、忌むべき猛草も混じっている。

 庭の遠くの小高い場所から、こちらを睥睨しているのはあの護佐丸だ。

 白き王子、掌中の傀儡を炎の中に失った老人の目には、ヤイマの島で産する大型の鷲のような、獰猛な光が宿っていた。城と共に、ついに化けの皮が燃え落ちたらしかった。

 そこから少し離れた場所に座すのは、凛々しい青年──ではない。

 結わぬ黒髪をただ流し、白いうなじと柔らかな胸を持ち、男の着物をつけた不思議ないきもの。かつて膝にのせてあやしたニウの娘姫、護佐丸の孫娘──今やどちらの岸辺によることも拒否したカツレンの戦神・百十踏揚だ。

 そして、その横にはあの小生意気な阿麻和利が錦の衣の艶姿でゆるりと座している。

 自らの思惑のために百十の姫を陥落した海賊上がりのならず者、ついこの間まで金丸たちと公然と玉座を争っていた阿麻和利は、今や臆面もなく王族の列に交じっていた。

 なりふり構わず手に入れた血の繋がりと、姫に対する王の溺愛──。強固な盾を確信し、堂々とこの場に現れた阿麻和利、そしてその守護神たる百十踏揚には、不気味な静けさとふてぶてしさがまとわりついていた。

 あの従者の賢雄、そして阿麻和利に繫がれたアマミの火傷の青年も、城のどこかで息をひそめているに違いない。

 誰が誰の味方で、敵なのか──。今日の宴の客には申し分のない、波乱含みの毒花が咲き乱れていた。

 ──それに、忌々しい外来の毒草も入り込んでいるじゃないか。

 憎悪が瞬時に沸き立ち、目の前が暗くなる。

 ──あいつを、今すぐ引っこ抜いてしまいたい。

 呪詛の視線に気づいているはずなのに、庭の対角でそっぽを向いているのは黒衣の芥隠だ。

 焼けつく日差しの中で汗ひとつ流すこともなく、その瞳はますます澄んで、夜明けの水面のような冷たい光を纏っている。 

 突き刺す悪意をいたぶるように、その視線が流れるように動いた。もちろん、金丸がその後を追うことまで計算づくのはずだ。

 不承不承に視線を追えば、芥隠の傍らから一人の少年が開けた庭へと飛び出してゆくところだった。

 見れば、掃き清められた土の上にぶちまけられた花弁の真ん中で、小さな子供が顔から地面に突っ伏している。花撒きの子供たちの一人が、ぬめる花の死骸に足を取られて転んでしまったのだろう。

 真っ赤な顔を上げてべそをかき始めた子供の腕を、少年が取って助け起こしてやっていた。年の頃はせいぜい十の半ばと言ったところか。そろそろ大人の形に髪を結う者もいる、半端な年ごろの少年だった。

 助けた子供は、母親の違う弟なのか、妹なのか、おいかめいか、それとも……。そう、隊列をなす花撒きの子供たちは、ニウが各地にばら撒いた種から芽吹いた双葉たちとその後裔なのだ。

 そして、この少年は──……、

 金丸の胸の内の憎悪が濃さを増す。

 ヤマトから来た墨染の僧が、王家の巣の一つから雛をさらっていったのだという。手ずから餌を運んで育て上げた雛鳥は、大層見事な若鳥に育ったそうだ。

 だが、大人たちの思惑から、少年はあまりに遠くにいるように思えた。目の前で困っているものを見捨てることなど考えもつかないというような、透明な──、いや、透明すぎる少年だった。 

 花かごの中身を素早くかき集めて子供に持たせ、安心させるように笑いかけてやる涼しげな目元に、若い頃のニウの面影が香っていた。 

 機敏に身をひるがえした少年が、芥隠の傍らに戻る。

 ほんの瞬きばかりの一幕であったのに、満座の人々の目が少年に釘付けになったのが分かった。

 満足そうな笑みを浮かべた芥隠が、恭しく頷きかけている。

『良いことをなさいました』

 緩慢に言葉を紡ぐ唇に、勝利の笑みが凝っていた。

『はちまんのきみ』

 老いた宿主をあっさり捨てた蜘蛛が、新たな獲物を捕らえていた。

 もうしばらく、ニウに会っていなかった。

 沢山の人が燃える城に巻き込まれて死に、すっかり心の均衡を失ったニウは、一夜の安息を求めて女たちの褥を渡り歩く悪癖を復活させているということだった。

 芥隠は、止めもしなかったのだろうか。それとも、例の言葉の罠でニウを更なる罪悪感の泥沼に突き落としたのだろうか。それすらもう、確かめる気も起きなかった。

 燃えた城、燃えた体、燃える臭い──。シュリの王城が燃え落ちたと告げた時、無言で金丸を見たニウの瞳が脳裏に焼き付いて離れなかった。

 何かをしていないとどうにかなってしまいそうで、金丸は憑かれたように新王の即位の準備を続けていた。

 寝る間を惜しんで蓄えをやりくりし、儀式を整えて、ミンの国に牽制と懇願が奇妙に入り混じった手紙を書いた。


 ……死んでしまいました。愚かな王子が殺し合って……。

 ……なくなってしまいました。王印が溶けてしまい……。

 ……つきましては、もう一つ頂けませんか。新たな王に。

 

 志魯と布里の火刑は、見せしめだった。

 一連の混乱の中で、阿麻和利と百十踏揚、それに護佐丸は動かなかった。

 折しもミンとヤマトの情勢がそれぞれに大きく乱れはじめ、奇妙な世情のうねりの中でそれ以上の血が流されることはなかった。

 芥隠と、ぷつりと消息を断ったままの懐機と──。

 これが終わりでないことも、分かっていた。

 不意に、不吉な予感を煽るように銅鑼の音が響き渡った。さざめきが止まり、陳腐な台詞がひしめく人々の目を一点に集める。

「しんおうさまの おなーりー……」

 ──ああ、いつの世も変わらない。こうやって新しい王は生まれ、晒され、膿んでゆく。

 天蓋の向こうから現れたその姿。太古から、太陽の子を称してきたリウクーの王たち。ついにその列に加わったのだ──。

 陽光を受けた姿が、鷹揚に満座の人々を見渡していた。

 金丸がその模様の一つひとつ、縫い目の一針ひとはりまで見分した絹の衣。苦しくないように、ゆるくならないようにと何度も仕立て直させた帯。幾度も配合を変えさせて、肌の上で一番芳しく香るように調合させた香のたなびき。冠は──、そう、ミンの冊封が終わるまでは正式な王ではないという忌々しい慣例のせいで、玉を散りばめた王冠は載せてはやれなかったが、変わりに仕立てた繊細な飾冠が優美な頭蓋に寄り添うように輝いて、夢のように美しかった。

 犯した過ちと枷の重さに眠ることもできず、檻の中で痩せて頬を落ちくぼませた、飾り立てられた供物。

「ニウは、綺麗だ」

 あらかじめ書きつけておいた格式ばった台詞を、新王が滔々と述べていた。

「──ここに、私は宣言する。

 リウクーだけではなく、海を介してつながる数多の国々との融和。野蛮な武力ではなく、理と知による治世によって──……」

 きっと、護佐丸をはじめとする武将たちは今、額に青筋を立てているのに違いない。自らの血を捧げて王国に尽くした過去の男たちのことなど、ニウの頭の中に巣を張る仏の顔をした蜘蛛が、絡め取って喰いつくしてしまったのだろう。

「──恒久の、泰らかなる世の実現を──!」 

 ──新たな王。

 ──平和の王。

 ──新王、(しょう)泰久(たいきゅう)──!

 歓声と共に、無数の花首が宙に舞い散った。やけに霞んだ光景の中で、その姿は、ずっと、ずっと遠くにいるように見えた。


 「お披露目」が終わった城は絶え間ないさざめきに揺れ続け、今頃、多かれ少なかれ運命の糸で引き合う者たちが、味のしない美酒の杯を無為に干しているに違いなかった。

 人間たちの発する振動を背に感じながら、金丸は城の一角へと歩みを進めていた。城の中で最も静かで、よい風が通る場所に立てられた小さな離れ──哀れな城主の最後の聖域に向かうために。

 甘い緑の香りを含んだ風が行く手に吹き抜け、かさ、と葉を落とした。その葉を、金丸は無言で踏み躙る。リウクーの産ではない、異国の木の葉のひとひらだった。

 木々をかき分けるようにして現れた小さな庵は異国の障子に覆われ、頼りない紙の壁の向こうから、密やかな声が聞こえていた。

「──これでいい。また一つ役目が終わった。あとは次の代に繋ぐだけだ……。そうすれば、私は出家できるのだろう? そうだな?」

 そのすがるような音色、意志を奪われた声の響きが、可笑しくて……かなしかった。

「その通りです。御主には、まだ現世での修業が残っています。その苦行を終えた時こそ、晴れて御仏の光が御主をお迎えするのです」

「色々なことがあった。だが、私は幸運だった。正妻の王子たちは王にはなれぬ運命であったが、この子を授かったのだから……」

 掌に固い感触が食い込み、拳を握りしめていたことに初めて気が付いた。遠い昔、追われて逃げる日々では慣れっこだった粗い指先、手入れもせずに伸びたままの爪が、今はむしろ好都合だった。

 真っ白な紙に指を当てて爪を立てれば、異国の障子紙は思ったよりも派手な音を立てて破れた。

 小鳥が不用意な人間の足音にさえずりを止めるように、ぴた、と囁きが止まる。

 引っ掛けた指ごと雑に横に払えば、白い障子紙は死体の皮膚のように裂けて、その向こうから覗く二組の瞳を露わにした。

 ぽっかり空いた瞳の持ち主は、もちろんニウと芥隠だ。

 仏典の講義だの、茶礼の伝授だのといって二人きりで閉じこもってばかりであったのに、意外なことに今日はもう一組の瞳があった。不意な気配に驚きながらも、堂々と見つめ返す瞳──先程の、あの少年だった。

「外してくれ」

 芥隠の横に座した少年が、眉一つ動かすことなく腰を浮かせる。

「オボーサンもだよ」

 抑えた、だが刺々しい声に、芥隠が端正な唇の端を僅かに上げる。意味ありげにニウ、そして少年と目線を交わすと静かに立ち上がり、その後ろに少年も続いた。

 二人を見送ってからも、金丸は長いこと無言だった。足元に広がるヤマトの畳が、壁にしつらえられたヤマトの飾り棚が口を開けて嗤っている気がした。

「あれが、噂の『八幡』の王子様だね」

 先ほど着けていた煌びやかな衣、金丸が仕立ててやったそれではなく、暗色の衣に着替えて畳の上に座すニウの顔には、一切の表情がなかった。

「浮気性の新王・尚泰久の秘蔵っ子。今度は一体どこの花に花粉を擦りつけておいたんだい? 随分綺麗な花が咲いたみたいだけど、おかしな毒虫がついているみたいだね」

「やめてくれ。私は老いた……」

 ニウは確かに老いていた。向かい合って座せば、薄くなった肩と、くたびれた肌が庵の薄陽の中で目立っていた。

 それでも、金丸にとってのニウの価値は変わらなかった。あの酩酊の雨の日に二人を結び合わせたものは、そんなものではなかった。

「八幡。よくもそんな呼び名をつけたものだね。もちろん名付けたのはあのボーサンだろう? あの男、宗教ってものをどこまで混ぜこぜにする気なんだろう。

 異国の神の名を貼りつけて、まるで異端の冠を被せて、異物はここです、と旗を立てたようなものだ」

「それは違う。私たちは源流を同じくして流れ続けた河だ。私たちは海を介して結び合い、大いなる輪の中で生きる。あの子は私たちの融和の先駆け、架け橋になるために生まれた子だ」

 黒衣の僧が植え付けていった薄っぺらな幻想に、乾いた笑いが漏れた。

 八幡。戦に明け暮れるヤマトの人間たちがこぞって崇める、大海と戯れる猛き武神──。

 血塗れのヤマトの地では人間が貴賤の別なく鬼に変じて喰らい合い、キォトーの僧たちは僧たちで、ブケとクゲの思惑が入り乱れる熾烈な権力闘争に身を置いているという。その坩堝からどんな経緯で芥隠がはじき出されたのかなど、金丸は知ろうとも思わない。

 最初から、芥隠はニウの血だけが目当てだった。

 遠い南に落ちのびた貴種の末裔を押し上げて、リウクーを手土産にヤマトに返り咲こうとでも思ったのか。結局、どこでもやっていることは大して変わらない。

「分かっているだろう? あの王子は後々大きな火種になる。この国の将来は、民族の融和には向かわない……。少なくとも、ニウが望むような形ではね。まとまり始めた自分たちの独自性を脅かす存在は、間違いなく排除する。その時苦しむのはあの王子だ」

「見てきたように言うのはやめてくれ。御仏の光の前で、全ては平等だ」

 痩せた手首の片方に、念珠の連が絡み付いていた。香木を削り出して作ったらしいそれは、持ち主の生気を吸い上げたような黒ずんだ血の色をしていた。

「本当はそんなこと、欠片も信じていないんだろう? 一人では立つことのできない金丸のニウ。

 宗教は独自の相場でヒトの命をはかるというのがお決まりだ。自分が悩んだ血の憂さを、子供で晴らそうとするのはやめるんだ」

 瞳に、僅かな光が染みてゆく。

「──でも、ニウがどうしようもなければないほど、きっと金丸と釣り合うんだ。全部ひっくるめて、二人は出会ったんだよ」

 震える瞼は、出会った日から少しも変わっていなかった。 

「こんな話、やめにしよう。今日は長年の夢がかなった日だもの。金丸もニウを──いや、『新王・尚泰久』をお祝いしたいんだ」

 眉を顰めたニウをなだめるように、金丸は目を閉じる。

「まるで、昨日のことみたいだ。米と酒の降り注いだあの日。雷鳴が二人を引き合わせた物語の始まりの日を、覚えているだろう?」

 ニウもまた、目を閉じてくれているだろうか。きっとそうしてくれているはずだと、まだ二人の間を繋ぐ糸が残っていると金丸は信じていた。

「『──昔むかし、巴に渦を描く荒波を平らかに乗り越えて、遠い北の地から流れてきた男がいました。弓矢を携え、部芸達者なその男は、遠いとおい南の大地に災厄の源たる種を播いていったのでした』……」

 果たして、潮騒の音が淡く歌い始め、瞑目した闇の中に一枚の絵すごろくが浮かびあがる。盤の上で瞳を瞬かせるのは、ニウに生き写しの人形だ。

「『あちらへこちらへと落ちた種は、順応したものもあれば、淘汰されたものもあり。最初の形質を色濃く残した美しいぬばたまの種は、南の羊歯と蘇鉄の影で、ひっそりと生き延びたのでした』……」

 盤の上の人形の空虚な瞳を、きっとニウも見つめているはずだ。

「『黒曜石の末裔はしかし、悪い大人たちにつかまってしまいました。たちの悪い王さまの好奇心。邪悪な王子たち。それに、はげ鷹の野心の犠牲となって体を食い荒らされ、その姿はやつれ死にゆく白い鳥のよう』」

 過去の苦痛、盤上で展開する嘆きの一幕ひとまくが、浮かびあがっては消えてゆく。

「『 “ああ、誰かの犠牲になってばかりのこの一生。この身に流れる呪わしい血のせいか。なんの因果でこのような”──』

 見てごらん。あれがニウだよ」

 目を閉じた闇の中で、すごろく盤が歪み始めた。人形は形を歪め、マスの中は溢れんばかりの緑に満たされてゆき──……。

「あれが……私?」

 言葉とは裏腹に、本当は確信しているはずだ。

 盤の上には、一頭の白い牛がたたずんでいた。

「『ああ、かわいそうな清き(ニウ)

 いつの世も、飢えた大地の欲望を潤すため

 雨と引き換えに捧げられ』」

 息を飲む間にも、白い牛が真っ二つに裂けて、鮮血を散らした。やがて命を失った躰から、光るものが立ち上ってゆく。

「『こうして こうして──

 地上離れゆく供物は

 こうして こうして──

 天獣の列に 加わり……

 そして天の牛は、地上のくびきを捨て去って、高いたかい空を一目散に駆けてゆくのです。

 さて──みなさんはイゼナの三角を知っていますか? 

 シュリの北の海にぽっちり浮かぶのは、豊かな水と土に恵まれて、お米を産するイゼナ島。その端っこにそびえる、三角形の素敵な目印のことですよ。

 リウクーの空を飛び回る天獣たちは、夏が近づくと、きまってこの三角を目指して空を駆けてゆくのです』」

 ニウもまた、感じているはずだ。星々を振り切って夜空を疾走する風。体にまとわりつく雨と、ぴり、ぴり、と体をあぶる眩い痺れ。高い天から見下ろせば、眼下には一面の青い田が広がっているだろう。

「『イゼナの稲は待っているのです。天を駆け抜ける稲光。雄々しい吼え声と共に降り注ぐ恵みの雨。分かたれた伴侶を探す、天の牛の呼び声を』──」

 いつの間にか、二人は水田の中で並んで天を見上げていた。

 天高くで、突き刺すような稲光が凝り、閃光の中で姿を変えてゆく。

「聞いてごらんよ。あれが隻脚の天の牛の歌だ──」

 吼え声が雷鳴に化して稲を揺らした。見る間に稲がすくすくと伸び、白い花を零れさせてゆく。

 そして、再び雷鳴が轟き──天の牛は眩い稲妻に変じて、堕ちた。

「『そうして、雨をいっぱいに含んだ天の矢は、大地のおへそ(みほそ)を目指して堕ちてゆき、稲は伴侶(つま)と廻り合うのです』──」

 やがて、萎れて落ちる花弁を押し上げてたわわな稲穂が揺れ始め、実りの黄金色が広がってゆく。

「これは何なんだ、金丸……?」

「もしもやり直せるなら、ニウは何を望む?」

「──やり直す?」

「金丸は思うんだ。ヒトを縛りつける迷いや、弱さやしがらみや……そういう不純物さえなければ──」

 跪いて足元にひしめく稲穂を撫でれば、黄金色に輝く籾はひとりでに茎から離れて、しゃらしゃらと水田に落ちていった。

「──金丸はね、ニウのためならいくらだって米でも酒でも天から降らせてあげる。そしてリウクーは永遠に栄え、民草は飢えもなく、酩酊の中で幸せにしあわせに暮らすんだ。さあ、金丸の愛しい犠牲の牛──……」

 金丸が伸ばした指先からも、黄金色に輝く無数の粒が止めどなく溢れては落ちてゆく。そしてその一粒ひとつぶは──まるでそれ自体が命を持っているかのように震え、蠢いていた。

「──か──、芥隠! 芥隠!」

 次の瞬間、全ては消えていた。 

 血相を変えたニウを、駆けつけた芥隠が支え上げてやっている。

「ああ、芥隠! 米が……金丸が、雷が……牛が、米が!」

 必死の声が喚き散らす間に、あの少年も芥隠を追って戻ってきていた。取り乱す父親の姿を目にして、困惑しているに違いなかった。

「御主、落ち着いてください。出来の悪いおとぎ話ではないのですから。天翔る天の牛?

 ああ……リウクーの国王がそんなことを言うのを聞いたら、ミンの冊封史も、ヤマトの朝廷も仰天するでしょう。ただでさえ鳥の頭をした男が、魚の尾を生やした女が闊歩する土地だと言われているのに。彼らのリウクーへの認識がまた何世代も後戻りしてしまいますよ」

 真っ青な顔をしたニウが、黒衣の袖を掴んで頷いている。

「もう、何度もお話ししましたね。狂気を、あなたの人生に介入させてはなりません」

「ニウ、そいつのいうことを聞かないでくれ。まだ続きがあるんだ!」

「御主、王子が怯えている。

 考えてもごらんなさい。私と聞いた鐘の音を、私と諳んじた経典を思い出してごらんなさい。

 その男の戯言に、一片の真実があるとでもお思いですか?」

 浅い息の音が聞こえていた。

「ああ、そうだ、そうだとも。幻覚だ。全部嘘なんだろう……?」

 無言で床に身を屈めた金丸は、震える手でそれをつかみ取る。

「これも、幻覚なのか?」

 ぱら、ぱら、と一掴みの黄金色の籾が拳から零れ落ち、畳の上にうっすらと降り積もる籾の層に消えていった。

「二人で一緒に見たじゃないか。金丸のことを信じてきたから、ニウは金丸を必要としていたんじゃないか。どうしてその男のいうことは聞いて、金丸のことは信じてくれないんだ?」

「揺らいではなりません。この男の正体は、ご自身がよくご存じのはずです」

 二人の間で視線を彷徨わせ続けるニウに、芥隠が畳みかける。

「尚泰久王。これも、いつかはやらねばならなかったこと。これの名を、あなたが告げてやらねばなりません。さすれば、忌まわしいこれも、違えた道を恥じ成仏することでしょう。さあ──」

 有無を言わせぬ手がニウの肩を押し、視線を庵の隅へと移させる。

「常ならぬものは、常ならぬものでしか斃せない。斬るのです。あなたに絡みつき、縛りつける大蛇の呪縛を」

 小刻みに震える痩せた手──かつては重ねた懐かしい手が、神世の呪縛を断ち切る刃に伸びていた。



<第二十四話へ続く>


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