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[第22話]

<第22話>

 護佐丸、阿麻和利、志魯と布里。

 膨張する物語が、シュリの城に帰結してゆく。


 宮古島の英雄 仲宗根豊見親を中心に、

 歴史と幻想が交錯するシリアス琉球史ファンタジー、

 雷鳴響く、二十二話。


  *** *** *** *** ***

 遥かな大海に抱かれし動乱の島・ミャーク。

 永劫の青波が寄せ引く汀に、宿命の英雄が生まれ落ちる。


 仲宗根豊見親なかそねとぅゆみゃ 玄雅げんが──

 稀代の英傑か、それとも……。


 傷持つ心に刃を纏い、人ならぬものと睦む孤高の魂の代償は。

 愛憎と血潮に彩られし大海の王の物語、遥かな海の底より蘇る。


 あくまでパラレルなミャークの英雄物語として楽しんで頂けましたら幸いです。

 古琉球史・古先島史への入り口としても。 

 不定期更新・気長にお付き合い頂けましたら幸いです。

  

 現在のところ、

 第一部(第1-10話):ミャーク編

 第二部(第11話以降):王都シュリ編

 となっております。


※※※R-15※※※

※無断転載を禁じます※

※「pixiv」様にも重複投稿しています※

※扉絵は [嵐山晶 様] に描いて頂き、ご本人の許可を得て掲載・使用しております※


 ──ここで布里のことを少しお話しておきましょう。

 皆さんは尚巴志のことをおぼえていますね。かつて、戦に分断された細長い島を統一した、英雄のことですよ。布里とニウは、この人の子供にあたります。

 さてこの尚巴志お父さんは、なかなかに見目麗しい男だったそうです。

 つるり、とした肌に、太陽のように輝くきらきらした瞳。

 その小柄なことと相まって、実際よりだいぶ若く見えましたので、「中山の天童」などという異名まで持っていました。

 まあ、その目の底にはどす黒い炎が燃えていましたし、四肢には溢れんばかりの暴力的な衝動がみなぎっていたのですけれど……それは些細なことです。何といっても、尚巴志はみんなの英雄、みんなの王様でしたから。

 さて、そんな巴志の周りには沢山の女の人たち、つまり、何人もの奥さんと愛人たちがいました。自然、子供の数も多くなります。

 王家に子供が増えるというのは、ときに厄介なことです。お金がかかりますし、播いた種の数だけ争いの芽も増えますからね。

 臣下たちが止めても、聞く耳も持ちません。このことについては、巴志にぴったりと寄り添っていた二人の近臣──大陸からやってきた知の権化、まるで脳そのものが人の形をとって歩いているような懐機、それに巴志が見出し、愚かしくも甘い治世を共に築いた武将、後に築城王として名を馳せる護佐丸──が何といおうとも、無駄なことでした。ここでも、それはそれは色んな顛末があったのですが、それはまた別のお話です。

 そうして生まれた子供たちの、はて、布里は何番目の子だったでしょうか。尚忠に、尚金福に、それから……。とにかく、王族として認知された子供たちだけで数えても、下から数えた方が早いのは確かでした。玉座から最も遠い位置にいる「下位」の王子──。それが、布里の地位でした。

 この頃は今ほど序列にうるさくはなかったとはいえ、兄王子たちが控えている中で布里が望める出世や未来は、やはりたかが知れていました。ですが──皮肉なことに布里は、群を抜いて優れた王子だったのです。

 物心ついてから勇敢で、はきはきとしていて、頭の回転も速い。一度読んだ書の内容なども忘れることはありませんでしたし、こうと決めたらまっすぐに突き進んでゆく生来の意志の強さがありました。 

 早くに始めた武術の腕もめきめきと上がってゆく一方。それもそのはず、人の見ていないところで、百回も、千回も一人で素振りをしていたりするのですからね。その上、見張りの兵士たちが夏の暑さでへばっているときなどには、黙って汲みたての湧水を持って行ってやるような、優しいところもありました。

「やあ、布里様はおやさしい!」

と兵士が感涙にむせべば、頬を赤らめて走り去ってしまうような……。布里は、そんな子供でした。

 ですが、大きくなるにつれて、布里の胸の中で膨らんでゆく重苦しいものがありました。それは極めて個人的な、小さなことだったのですが──。

 今日も城の湧水の水受けの前に立った布里少年は、水面を見やって顔をしかめます。

 水面が、太陽の光を受けてきらきら光っています。湧水が、さわやかな風をうけてゆらゆら揺れています。そこから見つめ返すのは──チョン、チョン、と小鳥が木の実を気まぐれに置いていったような、小さな目。そしてそのすぐ下にあるのは、犬の顔の先っぽについているような、ペタン、とした鼻でした。

『僕は、どこかおかしいのじゃなかろうか』

 その頃、王府には多くの大陸の人々が出入りしていましたから、彼らの伝手をたどって、宮廷には異国の産物が溢れ、折々に催される宴では、ひしめく王族たちが貴重なミンの器で酒を酌み交わし、南の王国から買い付けた香を焚き、香辛料をたっぷり使った美味しい料理を頬張りました。

 つま弾く音色、麗しい踊り、そして、そこに集う人々たちの何と美しかったこと。男たちは香油で撫でつけた髪に、ヤマトの銀で作った細工物を飾り、女たちは目移りせんばかりの多種多様な衣に身を包んで、宝玉の数々で耳や首や、ときには鼻を飾りました。

 ご馳走のにおいと、化粧と香料のかおりの中でさざめく、しゅっとした切れ長の目元の男たち、甘い唇の女たち。整った鼻筋に、長い睫毛に、なめらかな肌に……。

 王宮に出入りするのは、そもそも美しい人が多かったのです。そんな美の奔流の中で、布里少年の中には厳しすぎるほどの繊細な審美眼が育まれていたのでした。

 そして、再び水鉢に目を戻せばどうでしょう。

 見目麗しい父と、やはり美しい母を持つ布里。両親のどちらの部分を、どんな配分でもらってしまったものやら。

『僕は、お父さまにもお母さまにも、似ていない』

 布里にしてみれば、それはすなわち「美しくない」というのと同じことでした。

 いえ、本当は布里が勝手にそう思っていただけで、布里は布里なりに素敵だったのですよ。ですが、こういう問題は、周りがどういっても本人が聞き入れるものではありません。

 無論、そんなことを気にしていると周りに悟られるわけにはいきません。何といっても、表向きの自分は「勇敢で聡明な王子」なのです。自分よりはるかに王位に近いからといって、威張り散らしてばかりいる兄の尚忠や尚金福たちに負けるわけにはいきませんでした。

「布里様のような方が、王になってくだされば……」と熱っぽく囁き合い、一生懸命武術を教えてくれる兵士たち。

「布里様が長男としてお生まれになっていれば、このような……」と酔った勢いで嘆く家臣たち。

 自分は、どこをどうしたって彼らに報いてやることなど出来ない「下位」の王子だったとしても、そして実際、父の尚巴志が自分のことをちら、とも見ることがなくても……せめて気持ちだけは、負けるわけにはいかないのでした。

 ですから、水鉢に映る自分とうっかり目を合わせてしまった日などは、まるで心の闇を振り払うように素振りの回数を一段と増やし、布里の腕の力こぶはもりもりと盛り上がってゆくのでした。


 そんな調子でしたから、数年の後には、まだ若いにも関わらず長い手足に隆々とした筋肉を備え、ならず者たちを成敗した武勇伝などをいくつも作り、一族の中でも目を引く存在になっていました。

 そんな弟をやっかんでか、

「やい、猪!」

と意地悪なあだ名をつけたのは、兄の尚金福でした。その金福だって、若いのに暴飲暴食が祟って、豚のようにぶくぶくしていましたけれどね。

『元は悪くないのに、勿体ないことだ』

と布里は思ったものでした。悔しいことに、上の兄たちは美人の母親似で、もともとの顔の造作などは、きれいなものなのです。

 布里は段々無口になり、代わりに眼を光らせて周りを見渡すようになりました。

 そうしてみれば、色んなことがよく見えてくるものです。

 些細なことで喧嘩を繰り返す王族たち。いがみ合う父王・尚巴志の妻たち、愛人たち。

 ちょっと目を移せば、父親の尚巴志に、糸で縫い付けられたようにくっつく懐機と護佐丸。でも、この三人はにこやかにお酒を酌み交わしたりしていても、だれの目も笑っていないのです。

 その様子はまるで、表向きは統一されたという三山の様子そのものでした。小刀の先っぽでプツ、と糸の端を切ってやれば、くたびれた縫い目などたちまちほどけてばらばらになってしまいそうな……そんな、危うさに満ちていました。

 でも、兄たち──変わりもので、度を越して神経質な尚忠や、絶望的な陽気さで飲んで食べて、心に凝る不安を打ち消そうと必死の尚金福──は、決してそのことに気づかないふりをしました。まるでそれを見ないでさえいれば、音楽とご馳走で満たされたシュリの王宮の宴が、永遠に続くと信じているようでした。

 ──なんという欺瞞だろう。

 布里には分かっていました。お城の人たちが濁ったお酒を酌み交わし、肉をむしゃむしゃ食べているあいだも、多くの裸足の人たちは泥だらけになって畑を耕したり、荒れた海で魚を捕まえたりして毎日を過ごしているのです。

 ぐっ、と拳を握りしめてみても、布里はまた、十分すぎるほどに分かっているのです。

 下位の王子──。

 どれだけ武功をたてようとも、あらゆる書物を読みこなし、南北の賢者たちと親交を深めようとも、兵士や民に慕われようとも……。

 布里の心の奥底からせりあがる得体の知れないものは、年月を増すごとにそのどす黒さを増してゆくようでした。

 

 ですから──。その日、布里の背中を押したのは、その真っ黒に煮詰められた何かだったのでしょうか。布里は、気づけば薄暗いお城の倉庫に忍び込んでいました。何かと評判の悪い兄たちを殊更意識して、常に常識的に振る舞うことを心掛けていた布里には、全くらしからぬことでした。それでも──まるで呼ばれるように導かれるように、埃っぽい倉の中を進んでゆけば、まるでずうっと待っていたかのように、ぎらり、と光るものがありました。

 どうして、そんな場所に抜き身で放ってあったのやら。

 湿っぽくてかび臭い倉の床の上にうち捨ててあったのは、一振りの刀でした。

 布里も、もちろん聞いたことがありました。それは、本当は誰もが知っているけれども、普段は決して知らないふりをしなくてはならない歌でした。悪酔いした拍子にでもうっかり口ずさもうものなら、周りの人が「こらっ」と口を塞ぎにかかるような歌でした。


 ── 血染め死に染め 北山の 

    花首刎ねたる 尚巴志は

    刃に獲られた その正気 ──


 偉大なる父王が、かつて滅ぼした北の王国から奪い取ったという刃。広いひろいシュリの城のどこかに眠っているという、北山王の呪い刀。末期の雄叫びと血飛沫が染みついて、持つものに永遠の不幸を浴びせかけるという……。

 それは、酔っぱらいが口の端からこぼす呪物(まじむん)怪談の一つにすぎませんでした。

 その刃の光を、自らの目で見るまでは。


 ──なあなあ、布里よ。分かっているんだろう?


 布里は弾かれたように身を引きました。

 恐るおそる目をやれば、したり顔をした刃が床の上でにやにや笑っていました。

 そんなはずはない、と布里は必死に自分自身に言い聞かせます。これは、ただの「モノ」のはずです。そして何より、布里は勇敢で聡明な王子です。このようなことに動じるはずはありません。いいえ、動じて良いはずはないのです。

 それでも、刃は粘っこい薄闇を一瞬で払うような、鮮烈な光で見つめ返していました。


 ──なあなあ、布里よ。丸見えだ。お前の心の、底の底。

 

 それは、細長くて鋭い、嫌な鏡でした。

 刀に、布里の顔が映っています。ああ、その引き攣った瞳ときたら、何と小さいのでしょう。それにご覧なさい、その鼻を。

「黙れ!」

 いつしか、布里は食いしばった歯の間から、刃に向かって吼えていました。 


 ──なあなあ、布里よ。分かっているんだろう? おまえの方が、よっぽど相応しいよなあ。


 時が経つほどに享楽的になる兄たちは、父の築いた富を惜しげもなく使うようになっていました。異国のお酒、きんきらの着物、宝石のついたかんざし、周りにはべらせた美しい男や女たち──。

 それだけではありません。布里のことを猪呼ばわりするだけでは飽き足らず、「堅物」だの「つまんないやつ」だの、更にはもっとひどい悪口まで──大っぴらに笑い立てるようになっていました。布里がじっと黙って、一言も言い返さないことを知っているからです。

 刀の腹にがばっ、と真っ赤な口が開いて、「わっはっは」と大声で笑いました。

「私は、良き弟だ。兄たちを助け、この国の平和を守り……」

 布里が諳んじるほどに読み込んでいた書物の中には、あの懐機から贈られた大陸の「ジュ教」の書もありました。その教えによれば、布里の領分は兄たちを助けて国を繁栄に導くことであり──ああ、この刀のいうことなど、とんでもないことです!

 真っ白くて真っ黒い欲望が、まるで刃の軌跡のようにざぁ……ん、と心の中をよぎりました。


 ──なあなあ、布里よ。おまえの頑張りなど全て無駄さ。

 このまま一生、愚かな兄たちの下で飼い殺しさ。


 布里は踵を返しました。そのまま、走りに走って逃げました。

 いくら遠ざかっても遠ざかっても、倉の奥から、大きな笑い声が追いかけてきました。


 ──なあなあ、布里よ。分かっているだろう?

 ……わっはっは。わっはっは。わっはっはっはっは──。


 その声を追い払おうと、いかつい手で両耳を痛いほどに抑えました。一生懸命つなぎとめておかないと、暗い廊下に打ち付ける踵の一打ちごとに、固い鱗の一枚いちまいがホロホロと零れていってしまいそうでした。

 ほんの少し見てくれは悪いかもしれないけれど、文武に優れ、序列をわきまえ、王家を支える常識的で聡明な王子。

一生懸命身に付けた鎧を、失うわけにはいきませんでした。

 そして──布里があの倉に足を踏み入れることは二度となく、この日の出来事を武骨な拳で小さく押し固めて、頭の隅っこにねじこんで隠したのでした。

 

 筋骨隆々の容れ物に、闇を幾層にも畳み込んでしばらくのこと。

 ある日、布里の前に一人の少年が連れてこられたのでした。

「新しい弟だ」

と──ああ、普段はそんなことをする人ではないのに、父が、あの帝王・尚巴志が、その少年の頭にポン、と手を載せているではありませんか。

 そんな気さくなそぶりは、その場にいた王子の誰もしてもらったことはありませんでした。

「ヤマトの黒曜石だ」

 きっと、父がまたどこかでこさえてしまった子なのでしょう。

 王子たちは絶句しました。

『わあ、なんだこいつは。また父上が面倒を起こしたのか? いい加減にしてくれ!』とでも尚忠は思ったでしょうか。

『ああ、なんだこいつは! こんな得体の知れないやつ、弟とは認めないぞ! どこかへやってしまえ!』とでも尚金福は考えていたでしょうか。

 いいえ。きっと、そうではなかったでしょう。

 間に合わせで着せたのでしょう、いかにも不釣り合いな高価な衣を着て、その少年はこちらをじっ、と見つめていました。

 今までどこでどうやって生きてきたのやら。腹を空かせて人間の赤ん坊をくわえ去るような、野犬のような目をした少年でした。 

 そして、その全身には、薄いけれども隠しようのない血の臭いが膜のようにこびり付いていたのでした。

 その時、布里の内側を駆け巡った感情を本当の意味で説明することは、誰にもできないでしょう。

 その目は、高みから全てを睥睨し、全てをあざ笑っていました。

 黒曜石の瞳が宿す、黒々とした、鮮やかな光。

 それは、自分が何を持っているかを知っている目でした。秩序も序列も関係なく、全てを壊してしまう力を生まれながらに持っている者の目でした。

 鼻ぺちゃの布里。ごつごつした無骨な布里。ふがいない兄たちに歯ぎしりをし、それでも秩序を愛そうと努めてきた布里──。

 どこかであの笑い声がしていました。

 目の前で目を刺す輝きを放っていたのは、心の底でいつも欲しいと請い願っていた、絶対的な美でした。 

 布里が百万回素振りをしようが、千万回書を諳んじようが、この美しいものの頭上には、ただ息をし、長い睫毛を瞬かせているだけで、無限の甘露と花弁の雨が降り注ぎ続けるのでしょう。

 その証拠に、見てごらんなさい! 美の衣を傲慢にまとったこの少年。その頭には、まるで晴れやかな未来を約束する花冠のように、父王の掌が載って──……。


 ──なあなあ布里よ……──。

 わっはっは。わっはっは。わっはっはっはっは──。


 きっと、そこが曲がり角で、崖の淵だったのです。


 ──この鮮烈な華を、


 ──踏み躙って、罰しなくては。

 




「布里のおじうえ?」

 囁きが、意識を引き戻した。 

 薄暗がりの向こうで整った眉をひそめているのは、見慣れた若々しい顔立ちだ。尚志魯。先ごろ死んだ尚金福の息子。 つまりは自分のおいっ子で、現在の正当な王位継承者──。

「ああ……。少し、昔のことを思い出していた」

 らしからぬ胡乱な様子に不安をおぼえたものか、青年は曖昧に頷いた。

 布里は密かに苦笑いする。王家きっての武勇の王子・尚布里、力漲る体に溢れる自信を滲ませて、今やアマミで立てた戦功を肩書の一つに加え、肩で風を切って歩く頼りがいのある男──。そんな男がうわの空でぼんやりしていたのだから、無理もない。

 睫毛をゆっくりと瞬かせた青年は、控えめに言葉を継ぐ。

「ゴエクのおじうえのことですか?」

 ぱち、と火が爆ぜる音がして、独特の火のにおいが鼻をついた。アマミの、そしてカツレンの戦の光景が炎の向こうにけぶった気がして、重い眩暈に目を閉じる。

 頼りなげに身をくゆらせる魚油の灯りだけが、部屋をほのかに照らし出していた。

 シュリの城──。天女を母とする王が定めた土地に、歴代の王たちが幾層にも産室と墓所を積み重ねてきた、王族たちの根城。生と死が堆積するその空間で、濃い血を分けた二人の男は対峙していた。

 深まる夜の沈黙の中で答えを弄ぶうちに、遠くで聞こえる遠雷の音が、湿った夜風の中を駆け抜けていった。

 自らが城を構えるエスの地の風とは、明らかに異なるにおいの風。潮風の爛れた生臭さの代わりに、淡く立ち込めるそのにおい。隠しようのない、血のにおい──。シュリの風だった。

「勘がいいな」

 おじは若いおいを眺めやる。

 本当に、父親に似なくてよかったな、としみじみと思う。志魯の父・金福は若い頃からの暴飲暴食のつけがいよいよ回り、死の直前にはもはや怪物めいた風貌になっていたが、こうして目の前にいる息子の方は大違いだった。

 無駄な肉のついていない若鹿のような体に、ふく、と品の良い輪郭。きゅ、と結んだ意志の強そうな口元は、どこか愛らしい。そう、例のあの呼称を使い回すものまでいるという──。

 ──「中山の天童」。

 陳腐な枕詞が頭をよぎり、思わず鼻で笑ってしまった。

 ──だが、少し華奢すぎる。もっと鍛えねばな、私のように……。

 再び、苦い笑いがこみ上げた。

 ──情けないな、尚布里よ。この年になっても、若者と見苦しく張り合って。

「そんなところだ。私とあやつ、ついに兄と弟の争いか。あの芥隠風に言うなら『因果』なこと、とでも言うのか」

 自嘲気味に呟いてみれば、志魯はさりげなく杯を渡してきた。ひやり、とした磁器の肌が、絡みつく夜の暑さの中で心地よい。

 押し付けるようでもなく、過剰にへりくだってもいない。

 こういう気づかいが自然にできるところが、このおいの良いところだ、と布里は思う。変わり者の多い王族の中で、随分まともな方ではないか。そう──このおいのことは嫌いではなかった。むしろ気に入っていた。たとえこの青年が、唾棄して止まない実の兄・金福の息子だったとしても、だ。

 と……と……、と湿った音が酒の香気と共に薄闇に満ちてゆく。

 二人の間の肴の皿に盛られているのは、鳥の串と茶色い干魚が数匹、塩を振った蟲の素揚だけ。王族二人の酒宴としてはいたって質素なものだったが、密談の席には、かえって相応しいのかもしれなかった。

「ゴエクのおじうえには失望しました。異教に心を奪われ、あの金丸の傀儡と化しているというではありませんか。そのような心弱き男が王家に名を連ねるなど……」

 言葉が途切れる。

 言い過ぎた、とでも思っているのか、それともその謙虚さも計算の上なのか。いずれにせよ──若いな、と思う。

 今は「ニウ」とかいうおかしな名前で呼ばれているという、弟──志魯にとっては、おじの一人にあたる「ゴエクのおじうえ」。

 その顔を思い浮かべれば、唇の端に残っていた苦笑いが、たちまち混じりけの無い苦い味に変わる。

 自らが手塩にかけて調教し、王族として仕立て上げた「弟」。そして、屍の上を飛び回る鴉のように弟から離れない、得体の知れない化物・金丸……。


 ──あれほど躾けておいたはずだ……。


 思わず顔を歪めれば、頭の隅がぴり、と痺れた。

 なにやらおかしな具合だった。手持ち無沙汰に首筋のあたりに触れてみれば、怪訝そうに見つめる志魯と目が合った。

 鷹揚に杯を干し、気まずさをやり過ごす。

「一度お聞きしたかったのですが……。ゴエクのおじうえ……は、」

 声に、濃い疑念が絡んでいた。

「一体、何者なのですか?」

「どういう意味だ?」

 白々しい沈黙が落ちる。

「あの人が芥隠と深い絆を結んだのも、あのような異国の宗教に固執するのも……あの人が元来持つ要素(、、、、、、)故なのでしょうか?」

「志魯、歯に何か挟まっているのか?」

 あからさまなからかいの言葉に、志魯の頬に血が上った。闇を揺らす若い熱の波に、布里は自らの心を愉しませる。  

 ──ああ、そうだ。年長者が年若き者をからかうのはいつだって愉しいものなのだ。今や後世の住人となった父・尚巴志もきっとそういう気分だったのだろう。

「気まぐれに仕込んだ不吉の種というものは、時にとんでもない芽を出して宿主に絡みつき、絞め殺す。父上には、そういう昏い偶然を愉しむ側面が確かにあった。

 ……私やお前がリウクーに吹く風に見るように、あの弟は見たのかもしれんな。芥隠のいる方から吹く風に」

 納得したのか否か。薄闇の向こうで僅かに背けた顔からは分からなかった。

「……ゴエクのおじうえをここまで生かしておいたのは、布里のおじうえの個人的な思惑ゆえですか?」

 ふふ、と軽く笑ってやれば、若者は憮然と口を引き結んだ。

 生真面目な志魯らしい反応だった。あの好色で押さえの効かない金福の息子とは思えない潔癖さ。それは、アクの強い身内に囲まれた布里にとっては、安心できる美徳だった。

「志魯よ。個人的な思惑というものは、ばかにできないぞ。そのおかげで、あの護佐丸はこちらについてくれたのではなかったか?」

 志魯の頬が、今度こそ紅潮した。

 かの名将・護佐丸の個人的な思惑──。有名なその話は、浮橋が完成してこのかた増える一方のナハの安酒場の戯れ歌にまでなっているという。


 ── お若き貴人 志魯様は 

    尚巴志様に 生き写し


    巴志様慕う 護佐丸は 

    その身投げ出し 誓います

    (われ)が主君の 孫様に 

    永久(とわ)の忠誠 誓います ──


 陳腐な歌詞の通り、護佐丸は志魯のことを、どういうわけか尚巴志の再来だと触れ回っているのである。

『やあ、者ども聞きたまえ!』

 熱に浮かされたような目をして、かの老獪な武将・護佐丸は言ったとか言わなかったとか──……。

『我の勤めし 中城

 太陽(ティダ)()(もと) まどろめば

 枕立ちしは 我が主君(きみ)よ』

 事の始まりはこうである。

 古くから王家に仕える武将・護佐丸は言わずと知れた名将で、元々はかの北山攻めの際に尚巴志に重用され、その武功から揺るぎない地位を築いたのだという。

 そのことに恩義を感じているのであろうか、今や王国の要・中城の守りを固める護佐丸は、その武勇においても名を馳せていたが──亡き帝王・尚巴志への過剰な傾倒においてもまた、有名だった。

 ゆえに、三山統一後まもなく始まった見苦しい身内同士の権力争いの中で、この男の忠誠心は常に尚巴志とその直系の一族に捧げられ、揺らぐことはなかった。

 だが、件の尚巴志本人が後世に去ったあたりから、この男の道筋はおかしな具合に反れ始めたのだという。

 主君を失ってすっかり老け込んでしまったかつての猛将は、心の空白を埋めるがごとく、かねてから情熱を注いでいた築城術に取り憑かれてしまったという。

 私財を注ぎこんで補完と増築を重ねた要塞・中城──すなわち、シュリとカツレン、二つの城の間にそびえる石の城には、この男の偏愛が余すことなく注ぎ込まれていた。芸術ともいえる正鵠を得た石積み、敵を惑わす面妖な階段の数々、確実に敵を貫き殺すために並ぶ無数の銃眼……。

 城が堅牢さを増すごとに、護佐丸がシュリの城に顔を出すことも減っていったという。

 煌々と満月の照らす夜には、護佐丸が尚巴志の名を呟きながらふらふらと城壁を彷徨っている、などと囁くものもいたし、その一方、城作りに熱中するふりを隠れ蓑に、私兵を増強してよからぬことを企んでいるのだ、と囁く者もいた。

『ああ、何という邪推であろうか。こうして亡き主君を忍ぶことしかできぬ哀れな老兵を憐れみたまえ!』

と、護佐丸は言ったとか言わなかったとか。

 そんな具合であったから、護佐丸の忠誠心は今も名目上は「本流」の王子の一族、すなわち尚忠とその子・尚思達に注がれていることになってはいたものの、その捉えどころのない本心ゆえに、護佐丸を油断ならない存在として考える者も多かった。

 そして、すったもんだの末に、王位が尚思達から尚金福に転がり込んだ頃から、いよいよおかしな風が吹き始めた。

 元々、王・尚金福は大層評判が悪かったから、人々の囁きは、自然と「その次」を見据えたものも多かった。

『ほら、王様になるには必要なんだろう? ミンの国からもらったという王印だよ。順当に考えれば、あれを継ぐのは息子の志魯様だ』

『志魯様は若すぎる。今までの武功を見れば、相応しいのは金福様の弟の布里様だ。見ろ、あの筋骨隆々とした頼りがいのある姿。ひょろりの志魯様とは大違い』

 こんな囁きの中で、金福は死んだ。

 そして、入れ替わりのように表舞台に躍り出てきたのが、件の護佐丸なのである。 

 護佐丸曰く──。

 尚巴志の死後王位が定まらないのは『誠に嘆かわしいこと』で、『巴志様が生きていらっしゃったら、何と仰るか!』とのことで──この老人の嘆きは日に日に増すばかりだった、という。

 そんなある日のことであった。

『あれは、天高く太陽が照らす日のことであった。

 亡き巴志様は今の王国を見て何を思われるか。ああ、今一度そのお声を面影を拝し、是非とも心の内を打ち明けたいものだ……。落涙を抑えることもできぬ私は、遥かなるシュリの城を、眼下のクダカの島を臨みながら、一人城壁にもたれて瞑目していた……』

と、ここで中城の主は目を閉じる。

『陽の光に照らされて揺れる木々。草いきれとむせるような花の香り。その香気に身を任せるうちに、私は儚いまどろみへと誘われた。

 耳に聞こゆは妙なる音色。巴志様がおられるニライの地とはこのような場所であろうか、いや、ついに私もそこの住人に加えて頂けたのだろうか……』

 ──などど思っていた時、

『ごさまるや、ごさまるや』

 と名を呼ぶ者があったという。

『私は振り返った! この私に分からぬはずはない、その御声の主は──、』

 そこに立っていたのは、満開の花々の中に立つ小柄な姿だった。両腕を広げたほどもあろうかという大扇が面を隠し、長い黒髪が眩しすぎるほどの陽光の中でたなびいていたという。まとう彩衣の裳裾は光を受けて、きらきらと煌めいていた。

『その姿は顔を隠したまま、美しい声で(オモロ)を歌い始めた。

 細く長く、小鳥のような声で紡がれる古謡。すっかり幻惑された私は、最初は歌の言わんとしていることが分からなかった。だが、何度も何度も繰り返す歌に耳を傾けるうちに、その歌は私の脳裏を浸し、染みこんでいった──』


 ──しゅり みやこてらす

   てだがひぬ ひかり

   そのな しるや

   しろもり ごさまる ──

 

 甘い歌を紡ぎ続けるその姿が、太陽の下でゆっくりと顔を覆う扇をずらしてゆく。陽光が揺れて、その輪郭をおぼろげににじませ……そして昼下がりの眩暈の中で、求めて止まない面差しが像を結んだのだという。

 懐かしい顔。いや、かつて知っていた時よりも若く──そう、傷一つなく皺ひとつない、瑞々しい面差し。

『巴志様!』

 狂おしく名を呼べば、まるで雲が月を覆い隠すように、再び大扇がするすると顔を隠していった。

『巴志様!』

 叫びに応えるように、陽光の下でもう一度扇が動き──そして、護佐丸は再び深い混乱の縁へと落とされることになる。

 見つめ返す若々しい面差しは、巴志のようで巴志ではない、瓜二つと言っても良い、よく似た誰かであった。

 霞んだ目を何度もこする護佐丸をからかうように、大扇は再び顔を隠し──……顔が隠れ切った瞬間、その姿は眩いばかりの光を放って消えてしまったという。

 後には、護佐丸一人が陽炎の中に残されているばかり。

 夢か、現か。

 確かなのは、我に返った護佐丸の手には真っ赤なアカバナーが一輪、残されているばかりであった……。と、いう。

『私はこの出来事の意味を考え続けた。巴志様から変じた若き顔、陽光の中で授けられたアカバナー、あの歌について……』 

 そして、混乱した頭のまま久々にシュリの城へと上がった護佐丸の目は、釘付けになってしまったのだという。

 王を失った混乱の最中の宮中に、凛と咲く一輪の花。今まで目を止めたこともなかったのに、そうと示されては最早目を離せない、その花。

 今まで大して日の当たることもなかった尚金福の息子・尚志魯──固くつぼんだ若芽が、春の息吹に触れてたちまち瑞々しく零れたように、帝王の面影を写し取って咲いた、若き王子に。 

 あとは、大仰な台詞の羅列の始まりである。

『私は理解した! この方こそが巴志様がお示しになられた次代の王!』

 護佐丸は感涙にむせび、志魯の前で大げさにかしずいたという。

『あの日、巴志様の面差しから立ち現れたのは、まさに志魯様のもの。巴志様は、その面差しを志魯様の器に注ぎ入れることで、未来の王をお示しになられたのだ!  

 アカバナーの赤は太陽、すなわち王の象徴そのもの! あの日、国の混乱を憂う巴志様が、王国の進むべき道筋をお示しになられたのだー……!』

 酔ったように持論を並べ立て、年若い志魯のつま先に接吻せんばかりにひざまずく老将の様子は、滑稽ですらあった。

 耄碌したのか、気が弱くなって自らの妄想に引きずり込まれてしまったのか。色ぼけだ、などと意地の悪いことを言うものもいた。

 だが、周囲の白けた囁き声など、護佐丸はお構いなしだった。

 いや──少なくともそう見えるように(、、、、、、、、)振る舞っていた(、、、、、、、)

 布里は一度、古くから王家に仕える廷臣の一人にそれとなく聞いてみたことがある。

『若い頃の父上と志魯は、そんなに似ているのか?』

 廷臣は困ったような顔をして、言った。

『まあ、似ていると言えば……似ているでしょうか……?』

 その答えに、抑えようのない嘲り笑いが漏れたものである。

 ──問題なのは、護佐丸は、あの阿麻和利と同じく巨万の富を蓄える豪傑で、王家ですら制御の出来ない武力を抱えているということだ──。

 少し前、布里は護佐丸と顔を合わせていた。人の良さそうな好々爺の仮面の下で、決して笑わない二つの眼が冷たい光を放っていた。

「厄介なものだ。結局のところ、人の身に分かることと言えば、自らがそれをどう判断したかということだけだ」

 僅かに顔をしかめた志魯が杯を取り上げる。そのまま自分で杯を満たそうとするのをすかさず止めた。

「私が注ごう」

 酒が再び、ぎこちない沈黙を埋めてゆく。

「護佐丸の抱える富と兵力。本心はどうあれ、奴がこちらについているのは、良いことだ」

「そうですね……今は」

 志魯の喉がのけ反り、その若い喉が隆起してまた元に戻るのを、布里はゆるゆると見守った。

 ──きっと、護佐丸自身も半分は醒めていて、半分は酔っているのだ。

 そんな気がしてならなかった。

 再び、頭の隅に痺れが走った。

 ──さっきから、これは何なのだ?

 布里は歯噛みをする。

 ──まさか、もう酔ったはずはあるまい。いや、それともある日突然老人たちの命を奪ってゆく、死の痙攣だとでもいうのか? いや、私はそこまで老いてはいない──。

 視線を泳がせてみれば、どこかから──いや、確かに自らの頭の奥から、聞きなれない音色が聞こえてきた。


 ──しゃんしゃんしゃんしゃん しゃんしゃんしゃん……。

 

 金属がこすれ合う音。耳障りな鈴の音。

 それに、ラ・タタ、ラタタタ…… 

 ラ・タタ、ラタタタ……

 ああ、これは異国の太鼓の音なのだろうか──?

「おじうえ?」

 張りのある若い声が、混濁と清明の間に線を引く。

「それで、クメの島の首尾は如何でしたか」

 曖昧な返事に、不機嫌なおいの声が被さる。

「例の、クメの島の神人には、お会いになれたのですか?」

「……会えたともいえるし、会えなかったともいえる」

「おじうえ!」

 正気を奪うほどに濃い湿気に、不吉な雷鳴が混じり始めていた。

 そろそろ、この若者をなだめるのも限界だった。陳腐な手の内の見せ合いの始まりだ。

 シュリの都を擁する細長い島から南に船で漕ぎだせば、岸壁の一枚一枚が鳥の羽を思わせる壮麗な岩山と、純白の砂州を抱く大きなひし形の島がある。

 クメの島、と人々はその島を呼んだ。

 シュリの島と幾度も睦まじい舞踊を繰り広げながらも、異なる音色で歌い続けてきた島。

 半分は隣人で、半分は異邦人。そんな風にクメの島を捉える者もいた。

 海の先に座す大陸の国々ともシュリの王府とも親しく結びつつ、独自の歴史と信仰を保ち、肝心のところでは決して心を許さない、とらえどころのない島だった。

「『過去と現在に在り、忘却と永劫の中で生と死を繰り返す……』か」

 布里自身もまた、密かにクメの島に出向いていたのである。

 シュリを遠く離れて舳先から見渡せば、青く澄んだ海はさらに恐ろしいほどに透き通ってゆき、やがて孤を描く砂州、そして神が宿るという小島が現れる。そして、眩い光景に目を奪われているうちに着くのだ──。

 旧き神の島。かつて、天の鳥の羽から生まれた鳳凰が神々の争いの末に岩と化し、今も石の翼の下に失われた物語を抱いて眠るという島。そこでは、数多の古謡が一人の神人によって歌い継がれているのだと言われていた。

「──まさか、クメの島の神秘など、本気で信じているわけではありますまい」

 眉をひそめるおいに、布里は笑ってみせた。

「信じるのは難しかろうな。自らの目で確かめてみるまでは。……さ、こちらへ」

 は、という怪訝な声に、刺すような雷鳴が被さった。

 あんなに遠くで弾けていたはずの雷は、今や随分と近づいているらしかった。

 灯りが揺れ、小さな人影が屏風の影から薄闇の中に押し出される。唐突に現れた気配に、志魯の動揺が感じられた。

「さっきから聞いておれば、ねちねちと回りくどいことじゃ。

 狭い島での殺し合い喰らい合い、やっていることはどこも同じじゃの。クメの島のハブも大概じゃが、シュリの毒蛇は人の姿をしているらしい」

 目で制していなければ、志魯は手をかけた刀をそのまま抜きはらっていただろう。それほどにその気配は忽然と現れ──そして、異質だった。

 小柄な、それこそ大人の腰のあたりまでしかない背丈。

 僅かな震えを帯びた声は、奇妙なことに老婆のようにも、ひどく幼いようにも聞こえた。そして、その頭部は妙な形の頭巾で覆われている。

「おじうえ、この者は?」

「さ、どうぞこちらへ」

 志魯の問いには答えず、円坐を滑らせてやれば、影はちんまりとその上に収まった。二人の男の傍らでその姿はあくまで小さく、目深に被った頭巾がすっぽりと面を隠している。

 その顔が僅かに動き、視線が肴の皿の上で止まったらしい。

「ふん、あれが蛇が喰らう肴かえ?」

 視線を追えば、皿の上の鳥と魚と蟲は、長い宴の間に黒ずんで不味そうに見えた。

 声に含まれた不機嫌を感じって、布里はさりげなく傍らに置いてあった包みを差し出してやった。あらかじめ買い求めておいた、緑の葉に包まれた餅菓子である。

「これで機嫌をとったつもりかの」

 ずろ、とした袖から覗いた指先が餅の包みに伸び、「あっ」と志魯が息を飲むのが聞こえた。

 皿の上に並べられた干魚が──茶色くなるまで干した細い小魚が、指の代わりに生えているのかと……そんな風に思ったのは、布里だけではなかったらしい。

 男たちの動揺を尻目に、かさり、かさり、と葉の包みが開かれて、さわやかな葉の香りが闇を満たしてゆく。

 布里は必死に気持ちを立て直す。

 ──葉の香りに意識を向けろ。ああ、そうだ、茶色い干物の指のことは考えるな!

 それに、さっきから頭の隅に巣食う奇妙な引き攣れ。まるで……そう、まるで誰かに針と糸を引っ掛けられて、傀儡の如く操られているような……そんな錯覚を振り切らなくてはならなかった。 

 ああ、それにしても──自分の口から出る言葉が自分の言葉のような気がしない。まるで、あらかじめ書かれてあった台詞を読み上げているような──……?

「……我がおい志魯よ。本題に入ろう。そなたも分かっている通り、我らは決めねばならぬ。

 我ら王家。

 カツレンの阿麻和利。

 ゴエクの金丸と我が弟。

 これではあの三山の時と変わらぬ。この対立を続けることは、この国全体の滅びを招きかねん。

 ヤマトやミンにとって、我らがリウクーは殻の固まり切らぬ小蠍のようなものだ。育ちきれば厄介だが、今なら揚げて喰らうこともできる滋味……。ましてや、蠍が自らの尾に齧りついているようではな」

 言葉を切れば、おいの白目が闇の中で光るのが見えた。もちろんその対立に、こうして向き合うおいとおじ・志魯と布里の喰らい合いまで加える気はないだろう、という言外の圧力を嫌と言うほど感じているはずだ。

 志魯がせわしなく杯を干す。再び零れるほどに満たしてやれば、志魯は同意の印であるように一気に干した。ちり、と油灯が爆ぜる。

「仰る通りです。我らは、一枚岩とならねば」

 ──「今」は。 

 まともに見えるこの青年だって、皮一枚剥げばどんな闇が凝り固まっていることか。だが、それを追及している時ではなかった。

「そう、この対立は止めねばならぬ」

「どのように?」

 それを自分に言わせるあたり、この若者のこすっからいところが出ているのかもしれない。そして、自分もどう思われているのやら。  

 そんな二人の様子を餅を咀嚼しながらしっかり耳でとらえている小さな姿を思えば、もはや事態は滑稽ですらあった。 

「この争いの三つ巴、一つと一つが戦を始めるときが、全ての輪が壊れる契機となろう。ヤマトとミン……。忌々しい道案内の蝙蝠が二匹、ついに動き出したということだ。その先に待つのは混乱に乗じた乱戦と掃討であろう。それだけは避けねばならぬ。ゆえに──」

「結ぶのですか」

「一時的には仕方あるまい。少なくとも、この国を異国にくれてやることだけは避けねばならぬ。

 最初にゴエクと結ぶのは、難しかろうな。弟と、私の間にあったことは……苦すぎるゆえ」

「は……。随分と私的な理由ですね?」

「志魯よ」

 ひどく疲れた目をした自分を自覚することは、何ともいえない屈辱だった。

「そなたは若い。そのうち分かる。立場が変わろうとどのような権力を持とうと、人はちっぽけな私情や感情からは逃れられぬ。それどころか、大いなる川の流れは、小石の堆積で変わる……」

 志魯は、あくまで礼儀正しく、それでいてはっきりとした蔑みの目を向けてきた。

「では、阿麻和利と?」

「内乱の時の貸しもある。あの食わせ者、気にはくわぬが、最初はそれが手堅かろうな。何より、我らが持つものを、阿麻和利は喉から手が出るほど欲しいはずだ」

「ミンから授かったという王印のことですか? おじうえ、あのような印があったところで、一介の海賊風情にとって何になるというのです」

「志魯よ。形ある『モノ』は侮れぬ。過程など後からいくらでも創りだせる。必要なのはその裏付けだ。

 何らかの意味と共に生み出された宝物が、人の世をどれだけ動かしてきたか。振り返れば古今東西、枚挙に暇はないではないか。

 ヤマトの幼帝と共に海の都に沈んだ宝物の物語は、そなたも知っておろう」

「……おじうえは、意外に夢想家でいらっしゃる」

「物語には、常にいくばくかの真実が隠れているものだ」

「酔っていらっしゃるのですか?」

 不意に弾けた雷鳴に、あの声が被さってきた。

「さすがは不遜なシュリの王族どもじゃの。その調子では、古の物語などせいぜい切れ端程度にしか知らんのじゃろう。なにせ、ヤイマやミャークが未だに畏れる鳥の肉まで、酒の肴に喰ろうておる」

「手厳しいですな」

「長旅の返礼に、これくらいは言わせてもらわんとの。残り少ない時間を使って、わざわざこのような場所まで連れてこられるとは。形を保つのも、一苦労じゃ」

 最早、志魯は動揺を隠そうともしていなかった。おいが見つめる先を追えば、小柄な影の着物の裾から、どろり、としたものが床いっぱいに滲み出してゆくところだった。ぶにゃあ……、と闇の中で伸縮したそれは、欠伸をするように震えると、再びするすると着物の中に戻っていった。

「なんじゃ、おかしな顔をして。腹でも痛いのかえ? 本題はどうした。あの刀と、イゼナのあやつの話をするのではなかったのかえ?」

 逃げるように視線を逸らせば、細い通気窓の向こうに鮮やかな稲妻が走るのが見えた。

「……仰る通りです。まずは阿麻和利と結ぶ。護佐丸の兵力を加え、ゴエクを圧する。

 我がめいは──今は百十踏揚と呼ばれているのだったか──阿麻和利の妻。溺愛する娘の夫が我らと結んだとあれば、『ニウ』も心穏やかではありますまい。

 加えて、あれの妻は護佐丸の娘。ここまで固められては、降るしかなかろう。少なくとも、私ではなく、先王・尚金福の息子、尚志魯と結ぶという名目であれば」

 莫大な富と兵力を抱える護佐丸と阿麻和利、加えてミンの王印までこちらに獲られては、「ニウ」も金丸も平静ではいられないはずだ。

 ──落ちる。

 それが布里の算段だった。たとえあの金丸が、そして、あの刀がどのような力を持っていたとしても、だ。

 ──そのために、自分は長い年月を費やしてきた。そう──……、

 ちら、と目をやれば、小さな姿は再び黙々と餅を咀嚼している最中だった。

 ──「これ(、、)」を手に入れるために。

 志魯は少しの間視線を一点に据えて黙っていた。

「ゴエクのおじうえは、今や出家を望んでいらっしゃる。頭数に入れる必要もないでしょう。  

 むしろ、問題はあの金丸です。聞けば、あの金丸は人知を超えた化物だというではありませんか。

 それに、あの刀が今、ゴエクにあるのでしょう? あれを、奴をどう斃そうというのです!」

 ついに、すぐ近くで雷が弾けた。城の庭木にでも落ちたのだろうか、白い閃光が三つの影を照らし出す。

「金丸は、我が弟に異様なまでに執着している。そして、芥隠を蛇蝎のごとく嫌い抜いているそうだ。『ニウ』がこの争いから降りることなど、決して認めまい。

 幸いなことに、あの刀は金丸ではなく我が弟を選んでいるということだ。心弱き弟には、到底使いこなせぬ」

「おじうえ、何をおっしゃっているのですか?」

 視線を動かせば、頭巾の小さな姿が頷くのが見えた。

「よいか若造。我らがすべきは、一刻も早くあの金丸を消すことじゃ。

あの刃は、本来ならばあのまま人世の狂気を吸うて弱り、爛れ、壊れて消えてゆくべきはずのものじゃった。それが、あの金丸と引きおうたせいで、ここまで話が大きくなってしまった。

 人知を超えたものは、いつの世も必ず悲劇を呼ぶ。人の手に余るものは、やはり人の手に余るのじゃ。

 あやつは──『いてはならなぬ者』なのじゃ」

「ですが、どうやって!」

 青ざめた青年が身を乗り出し、床の上の杯が揺れてこぼれた。

「いい加減にしてください、歯に何か挟まっているのはおじうえの方です! この話は、どこへ行くのです!」

「そなたも聞いたことくらいはあろう。あれはおとぎ話ではない。神世の鳥と竜の物語……」

「酔っている場合ではありません! この者は、一体何者なのです!」

「人ならざる者の死に立ち会う者。神世の──君」

 唐突に全ての音が搔き消え、世界が真っ白になった。

 目に映るもの全て──志魯も、小さな姿も、酒壺も肴の皿も。床に零れたままの酒の雫も、餅を包んでいた長細い葉も──全ての物が輪郭だけになって、あとはただ真っ白に浮かびあがっていた。

「おーはーなーしーはーァ 

 そーこーまーでー……ェ」

 闇に広がる不吉な声。不吉な姿。

 耳を貫いた轟音の残滓に、不吉な音色が混じり合う。

 

 しゃんしゃんしゃん しゃんしゃんしゃん……。

 ラ・タタ、ラタタタ ラ・タタ、ラタタタ……。


 ほどなく加わったのは、ぱちり、ぱちりと弾ける禍事の謡。

 布里は、ゆるゆると理解する。


 落ちた。

 雷が、シュリ城に。



 <第二十三話へ続く>

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