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[第21話]


<第21話>

~ 戦女神はカツレンに降臨し、

墨染の僧衣がゴエクの王子を絡め取る。

歴史の糸が織上げるのは、虚か実か。~



宮古島の英雄 仲宗根豊見親をモチーフに、

歴史と幻想が交錯するシリアス琉球史ファンタジー。


遥かな大海に抱かれし動乱の島・ミャーク。

永劫の青波が寄せ引く汀に、宿命の英雄が生まれ落ちる。


仲宗根豊見親なかそねとぅゆみゃ 玄雅げんが──

稀代の英傑か、それとも……。


傷持つ心に刃を纏い、人ならぬものと睦む孤高の魂の代償は。

愛憎と血潮に彩られし大海の王の物語、遥かな海の底より蘇る。


あくまでパラレルなミャークの英雄物語として楽しんで頂けましたら幸いです。

古琉球史・古先島史への入り口としても。 

不定期更新・気長にお付き合い頂けましたら幸いです。


※※※R-15※※※

※無断転載を禁じます※

※「pixiv」様にも重複投稿しています※

※第1話&第11話扉絵は[嵐山晶 様] に描いて頂き、ご本人の許可を得て掲載・使用しております※

 

 

 かさ、と小枝が落ちる音に、意識がふと逸れる。

 小さな庵と、その一角にしつらえた小さな庭。故郷の草木に似たものをこつこつと集めて、形を結んだ緑の空間に訪れた一羽の小鳥──。

 ああ、それを意識してしまった時点でだめなのだ。小鳥が枝の上で虫を啄むついでに嘴で葉柄を捩り切ってしまったのだろうか、などと思い浮かべてはならないのだ。

「──それで、あなた様はどんな気持ちだったのです?」

 逸れた思考を、静かな声の櫛が梳き整える。この声は何故、蒸し暑い夜にさらり、と吹く涼風のように平らかなのだろう。自分よりもはるかに若い張りを持ち、そのくせ何倍も老成していて、抗うことを許さない声だ。

「私は……王になるためには、乗り越える必要があると思った。私を苦しめた影を、この手で、そう、私自身の手で! 消さなくてはならないと思った。そうしなければ、私は、昔の自分を越えられないと……」

 脳裏で、瑠璃の光が闇にはじけ飛ぶ。

「……だが、弾けてしまった。積み上げてきた自信……。それに、そなたがくれた念珠も……」

 青みを帯びているようにすら見える、澄み切った瞳が覗き込んでくる。

「あれは、ただの物質です」

 さりげなさを装っているくせに、あざといほどに目を離すことができない視線。それは、この男が初めて近づいてきた時と変わらなかった。僅かなひび割れを見つけて、傷の形そっくりに体を変えて入り込み……。それが分かっているのに、その瞳が与えてくれる安心感に寄りかかることを止められない。

「──それであなたは、自分自身が向き合うことで、過去の苦しみを乗り越えられると思ったのですね」

「だが、消えない! あと何人殺せばいいのだ? 布里……。それに、金丸は……。

 そなたの教義で、私はどう裁かれる? 苦痛は深く、悟りはますます遠い」

 若々しい手が、几帳面に折りたたんだ手巾を差し出してきた。

「苦しくて、涙が流れるほどなのですね」

 ばつの悪い思いで頬を拭う。

 そう、権力と言うものがこんなに煩わしいものとは思わなかった。決断と判断。さじ加減一つで悲鳴と共にはじけ飛ぶ人間の命──。 

 声無き鳥を射落としていた頃の方が、よほど楽だった。

 あの男のようだったら、どんなに楽だっただろう。童子の笑い声を弾けさせ、どんなに汚れても決して垢のつかないあの男。

 無邪気に生きた穂を刈り取って、ぽいと捨てても何のあとくされも残らない。うらやましくて、うらやましくて──憎らしかった。

 再び目頭が熱くなる。

 構うものか、この男にはここまで話してしまったのだから。とりとめのない喚きと、未熟な感情の奔流。それが分かっているくせに、自らの惨めな瑕疵を晒していることが、残酷なまでに心地よい。

 ──お前は、酔っているのだ。分不相応な地位を得た凡夫が、酒で畏れを慰めて。

 心の奥から、自らをあざ笑う声が聞こえる。

「教えてくれ。私は、結局弱者のままなのだろうか? ──布里に……虐げられていたあの頃のように……?   

 娘を引き留めておくことすらできなかった。私よりも、あんな得体の知れないカツレンの若造がいいと言うのか?」

「娘さんが家を出られたのも、ご自分のせいだと考えていらっしゃるのですね」

「……そなたはいつもそうだな。答えから逃げる」

 二人の会話はいつもこの調子だった。密室の中で交わされる感情の爆発と、突き放すように包み込む安心感。あの(、、)金丸といるときにはとても考えられない、確かな安息がそこにあった。

 金丸。その名前を思い浮かべる度に、心が揺れる。

 かつては互いを必要とした相手。そして、今は──?

 心がどこかへ剥離してゆくのを捕まえるように、対峙する声が意識を引き戻した。

「──差し上げた、新しい数珠の調子はいかがです?」

 会話の舵を握られている。今までだったら、そんな屈辱を自分に許すことはなかっただろう。だが今は、その引力に身を任せているのが──楽、だった。

「ああ、あのありがたい法具! あれがあると気持ちが楽になる。最近はよく眠れるようになった……」

 相手の顔がほころぶのを見て、自分自身の心も緩む。そう、なにか良い話を提供してやれるのは嬉しかった。この数年、いつも自分は暗い顔をして、暗い話をしているばかり。せめて、一つくらいは何かを返してやりたかった。本当はあのちっぽけな数珠に大した価値を感じていなくても──……、いや。実際にあれは効いているのではないだろうか? この頃の自分は、布団に入って念珠を繰っているうちに眠りに落ちてゆくのではないのか?

「合っているみたいですね。もう少し続けてみましょう。それから……」

 斜めに逸れた蒼い瞳に心が騒めいた。この男との会話を、何としてでも良い話題で終わらせたかった。

「どうした?」

「一つご提案があるのです。これはまだここ(リウクー)では新しいものですが……」

「もったいぶるな。今の私なら叶えてやれることの方が多かろう。教えてくれ」

 瞳が、しっかと見つめてきた。

「鐘、です」

 有無を言わせない瞳だった。

「作ってはどうでしょう。あなた様を苦しめる煩悩を祓い清めるための、鐘を」

 ぱささ……、と鳥の飛び立つ音がした。きっと、羽根の一枚くらいは宙に舞っただろう。風を受けて、そよぐ花の茎がたわんだかもしれない。その花の色は、どんな色だっただろうか。白か、赤か、それとも、あのサガリバナの首のような……? 

 煩悩、煩悩──。自らを縛して苦しめてきた、甘く美しく、憎くてたまらないもの。

「それがあれば……私は──?」

 なめらかな若々しい顔。ヤマトの顔立ち。

 どこをどうすれば、こんな淡い色の唇になるのだろう。ヤマトの地に実る、北の果実を齧ればいいのか。それとも、キォトーの都に積もる純白の「雪」というものが、この男から色を奪ってしまったのだろうか。

 ああ、これも煩悩だ。煩悩、煩悩──。それ(、、)から是非とも、

 伸ばした自らの指が、墨染の衣に触れていた。

「解き放たれたいでしょう?」 

 声が喉の奥で枯れて、庭の葉が一枚、落ちるのが聞こえた。


「ニウ! 騙されるな!」

 タガが外れたような大声が、張りつめた静寂を引き裂いた。嵐のように転がり込んできた影が、黒い衣を引き千切らんばかりに掴み、乱暴に揺すぶっている。

「こんな異教徒の戯言を信じるな! こんな……こんなっ! 頭に毛がない、ヤマトの異人の妄想を……!」

「金丸、失礼なことを言うな! 彼は……」

 胸ぐらを絞め上げられているのにも関わらず、揺らがぬ声がちりり、と空気を揺らした。

「お初にお目にかかりますね、金丸殿。私は、」

 その声は、その身にまとう衣と同じように、どこまでも深い墨染色をしていた。

「私は、芥隠(かいいん)と申します」



「あいつは、とォーても嫌な奴だったァ。かいいんしょうこ。しょーこ。僧形の皮を被った、ヤマトの虎ァアア……は」

 見つめる玄雅の前で、ぽっちゃりした金丸がゆらゆらと上半身を前に折り曲げては後ろに反りかえらせ、を繰り返している。城の玉座の間の闇は、ますます深い。

「金福が死んで、後は残りの邪魔者を消せば『あがり』のはずだった。それなのにニウは、受動の蜜の罠にかかってしまっていた……」

 金丸がぼんやりと見つめる先では、奇妙な光景が展開していた。

 最初は床に延べられていただけのすごろく板──枠で囲われた中に、風景が描かれたマスがいくつも並んでいたはずのただの板──その盤上で金丸が小さな人形を摘み上げ、板の上を移動させてゆくごとに、マスの中の風景が膨張し、すごろく板いっぱいの大きさに広がってゆく。いや、それだけではない。描かれた木々も、家も、人々までもが、実体を帯びて立体的に立ち上がり、板の上に一つの風景を形成してゆくのだった。今も、簡素な部屋の風景の中で、三つの人形が揉み合っている。


 ──おかしい。絶対的に、何かがおかしい。


 背中に冷や汗を伝わせる玄雅のことなどお構いなしに、金丸が語り続ける。

「ほら、見てごらん。この時金丸はね、殺してやろうと思ったんだ。(ボード)の上の金丸がポカ! ポカ! 芥隠和尚を殴っているよ」

 その通りだった。膨張して立ち上がった光景の中で、金丸人形がヤマトの僧形のなりをした人形を細長い棒で殴りつけ、その腰にもう一つの人形が……ニウが、すがりついている。その表情の真に迫っていることと言ったらどうだ。悲壮に眉をゆがめ、首を振って懇願している。とても人形とは思えなかった。いや、それは先程からそうだったではないか。

 金丸人形が動いてゆくごとに移り変わる盤の上の風景。場面ごとに現れては消えてゆく人形たち。広がるナハの海。人形が人形の頭を押さえつけて溺れさせ……。焼けただれた顔をした青年人形と、阿麻和利という名の人形と……。

 不意に、素っ頓狂な歌声が玄雅の思考を粉々に砕いた。

「げ・ん・が君 のー 

 とてもわるい とこーろ はー 

 認められない ここーろ さー

 この世に溢れる (センス・)(オブ・)(ワンダー)

「……はっ?」

 目をきらきらさせた金丸が、こちらの物分かりが悪いとでも言わんばかりの顔で首を振っている。

「つまり、金丸が汗水たらして整えてやったヤマトの航路からは、いらぬものも入ってきてしまったのさ。

 病、毒物、思想に思考。

 概念、情念、そして宗教。

 ニウの中では元々、色々なことが曖昧だった。あやふやな自己認識と帰属意識。傷ついたままの自尊心と、それを覆い隠すための虚栄心。サガリバナのしべ( 、、)のような内面を、金丸と二人、そっと育ててゆけばよかったものを……。

 そこに、現れてしまった。

 人類にとって、最も簡便に存在意義を与えてくれる、蜜のような麻薬がね。ヤマトの僧侶……。キォトー五山のかいいんしょおこ……。ナンゼンジから来たオボーォオサンが……。

 ああ、話が飛んで困惑しているのかな? 

 じゃあ、順を追うとしよう──『二マス戻る』」

 金丸が、さっ、と盤の上から人形を摘み上げた。たちまち盤の上の光景が収縮し、再びマスがちりばめられた絵すごろく板に戻る。

 金丸がくるり、とその場で二回転し、一つ前のマスを目指して人形をカチリ、と下ろせば、再び違う光景が立ち上がりはじめた。

 石を積んだ立派な城壁の前で、三つの人形が飛び跳ねている。唖然と見つめるうちに、盤の真横の虚空から小さな馬の人形が現れ、人形たちの目の前をパカパカと横切っていった。その背には、凛々しい乗馬装束の人形が一つ乗っていた。

「ナハでの舟遊びの後、ニウの姫は家出してしまったのさ。

 あの阿麻和利に吹き込まれた甘言を信じて、一人馬に乗って、素性怪しき海賊按司の元へと駆けて行ってしまったのさ」

 馬に乗るふりをしているのだろう、パッパカ! パッパカ! と叫びながらその場で飛び跳ねた金丸は、くるり、と玄雅を振り返る。

「私は止めた。賢雄も止めた。ニウはもう、半狂乱さ。姫を溺愛していたからね。それでも姫は行ってしまった。

 恩知らずなお姫様だ。金丸はね、食いしん坊な姫のために、団子やおにぎりを天から降らせてやったものだよ。小さい頃はあんなに喜んでいたのに、大きくなってからは……嫌な目で金丸を見たよ。


 ──私と ニウの娘姫

 百度(ももと) 大地を 踏みしめて

 行ってしまった 阿麻和利の

 花の伴侶に なるために」


 盤の上で、ニウ人形が頭を抱え、従者の賢雄人形が顔を両手で覆って大地に膝をついている。その小刻みに震える肩を、金丸人形がさすってやっていた。何と真に迫った、嘆きの光景であることか。

「すぐに姫と阿麻和利の婚儀が発表された。

 ニウは半ば強制的に阿麻和利の義理の父にされてしまった。阿麻和利はカツレンの内乱で布里と結んでいた男だ。ここに至って、とても面倒なことになった……」

 必死で巡らせる思考を遮るように、金丸が虚空でくるり、と手首を回した。

「一マス、進むゥ」

 その声に絡む不吉な響きに体を強張らせた時には、金丸人形は再び摘み上げられて次の光景へと降り立っていた。

 盤上に広がるのは──真っ赤な光景だ。 

 板の上で数え切れない人形たちが蠢いている。

 人形たちの小さな顔の一つ一つが怒りと興奮に歪んでいる。炎に照らされた闇が盤を満たし、いつしか男たちの怒声と断末魔の叫びまでもが金丸の歌声に混じって響いてきていた。


「──姫を迎えて すぐのこと

   阿麻和利 城を攻めました

   火矢(ヒヤー) 打ち込み アマミ()の 

   爆弾使って 攻めました

   カツレン城は 落ちました

   阿麻和利按司の 手の中に」


「ああ」

 玄雅は思わず声を漏らす。カツレン城の銃眼から放たれた鉄玉がつんざくような破裂音を上げ、騎馬が驚いて棒立ちになる。兵士が振り落とされ、無数の矢が降り注ぎ、刀を持った敵が襲いかかる。

 殺すものと殺されるものが入り乱れ、血と炎の赤が盤の上を染めてゆく。

「阿麻和利は悪賢いやつでね。精鋭の兵は最初から北に隠してあった。アマミの島に、硫黄をこねて作った大量の火薬と一緒にね。

 あいつは上手かった。茂知附の簒奪や、先の遠征で王府に反感を持っていた北の民をうまく利用したのさ。

 虐げられていたアマミの若者の顔を焼くような、悪辣非道の茂知附を成敗した善良な按司・阿麻和利。そういう演出に大成功した」

 城の城壁が轟音と共に爆発し、門が内側から開いた。間髪を入れずに城を取り囲んでいた兵がうねり、渦となってなだれ込んでゆく。

 その手に握られているのは、精錬された鋼の刀だ。

「この急襲で、先の内乱で心身ともに弱っていた茂知附はあっという間に討たれてしまった。せっかく手懐けていたカツレン半島だけでなく、姫まであの小生意気な男に取られてしまい、茂知附派だったニウの面目は丸つぶれだ。

 この事件が最後の一押しになった。すっかり嫌気が差したニウはゼン宗? とかいうヤマトの宗教にどっぷり沈んでしまったんだ。 

 あの憎たらしい芥隠。金丸に隠れて、音もなく巣を張りめぐらせていたヤマト渡りの蜘蛛──。宗教の衣の下に、権力と富への渇望をたくし込み、ニウをまんまと篭絡した食わせ者に」

 金丸が滔々と話し続けている。その横顔を見つめながら、玄雅は頭の中が朧に霞んでゆくのを感じていた。


 ──自分が今聞いているのは、いや、そもそもこの盤の上の光景は……何だ──?


 頭の後ろが冷たく痺れ、陽炎のごとくに視界が揺れる。濃い眩暈によろめいた刹那、耳を強く引っ張られた。

「みにっ! みにみ!」

「ヨナ小……」

 鈍重な視線を向ければ、薄闇の虚空でぼんやりと光を放つヨナ小が、必死の面持ちで無い首を振っている。

「みに! みにみにみ!」

 ──ヨナ小の言っていることは分かる。そう、ここにいてはいけない。ここにいては──。

 だが、何かが玄雅の足をその場に貼り付けにして離さない。

「……私が知っているのと、随分話が違っているように思えます」

 ここにいてはいけない。それが分かっているのに、なけなしの抵抗の言葉が勝手に唇から漏れる。

 淡い抵抗をついばむような陽気な声が、玄雅を惑いの沖へと攫ってゆく。

「ああ、玄雅君。それが過去と現在の狭間に横たわる罠なのさ。

 伝承というものは、真実が担保されないからこそ伝承という。

 ヒトは見たいものしか見えない、語りたいものしか語れない。

 そしていつか、その仕組みのいたずら(、、、、)を通して、伝承は混じり合い、歴史と言う名の空事にすり替わってゆく。

 これが、傲慢な時の流れがヒトに仕掛けた罠、永遠に繰り返す仕掛け(トリック)なのさ」

 玄雅の本能が、警告を発し続けていた。この男は、この空間は、本質的に何かがおかしい。だが……。

 さりげなくあとじさろうとした時、金丸の目がおかしな光を帯びた。赤錆の隙間から凶兆を放ち続ける古刃のような、嫌な光だった。

「……さっきからーァ、金丸ばっかりが、さいころ役をしているじゃないかァ……?」

 肉のついた上半身が揺れる。

 あああァうぁァー……。

 ううあァうぁァー……。

 空洞のような呻きが玉座の間に反響し、不安と恐怖が、じわじわと肺臓を満たしてゆく。

「げええぇんがああァくん……。その耳ィ……とられたはずだろーォ……?」

 ゆら、ゆらと揺れていた体が、不意に鞭のようにしなった。咄嗟にかわしていなければ、突き出された両手に──耳を、むしり取られていた。

「何を……」

「それにィ……鼻ァ……も。腕ぇ……も」

 何かが、目の前の男の中で崩れてゆく。

 ──まずい。ここにいては。ここにいては──。

「みにみにみ! みにみ、みにみみ みっみみ!」

 今度こそしびれを切らしたように、ヨナ小が玄雅の頬に体当たりを食らわせた。そのまま空中を泳いで玄雅の手をくわえると、出口へと引っ張っていこうとする。

「……じゃまァーーァーー す るな?」

「みっ……!」

 止める間もなかった。

「ヨナ小!」

 石火のように伸びた手が、ヨナ小を鷲掴みにして闇の向こうへと投げつけていた。

 玉座の背に叩き付けられた小さな体が、毬のように跳ね返る。薄闇の床の上で、淡い光を放つ体が何度も転がるのが見えた。

「貴様っ……!」

「はァーははははは! 転がれ転がれ毬魚! さあっ玄雅君、今の目はいくつかなっ!」

「ふざけるのも大概にしろ!」

 憤怒が理性を染め上げ、気づいた時には刀の柄に手をかけていた。

 弾けた怒りの閃光をあざ笑うように、金丸の哄笑が轟く。

「抜けないとも、抜けないともさ、玄雅君! 私が宿すのは黄金の刀! 金から産まれし(くろ)、玄は金には敵わない!」

 刃が、煌めいた。

 あの日、玄雅が海の姫から引きずり出したぬめる刃が──盤の上で蠢く光景もろとも、すごろく板を真っ二つにしていた。

「こんな茶番は散々だ、失礼させてもらう!」

 気を失ったままのヨナ小を拾い上げ、急いで背を向ける。

 その時──ぐにゃあ、と何かが歪んだ。

 視界が……いや、空間が? 玄雅が踏みしめているはずの王宮の床が、取り囲む壁が、天井が揺れ動いていた。全ての実体が零れ落ち、現実が失われようとしていた。

「逃ィ── が さな いよ」

 怖気を感じて振り返れば、丸っこい小男が──いや。

 玄雅は頭をはっきりさせようと首を振る。

 先程までだらしない奇声を発し、ぽっちゃりした肉を揺らしていた小男の姿が伸びあがり、引き締まり──すごろく板の上から投げ出されて転がった金丸人形そっくりに変わってゆく。

 その手首が、ゆっくりと回転し、ズ……という嫌な音と共に、二つに分かれて飛び散ったすごろく板が集まり、融合して元に戻ってゆく。

「あーー。だめだァ……。形は戻っても、斬られた断面から零れて止まらない。私とニウの、もーのーがーたーりーィ」

 わあん、というおかしな音と共に、すごろく板の四方から澱んだ奔流がはじけ飛んだ。

 あらゆる色彩が混じり合った波が、壁を染め、敷物を飲み込み、天井へまでせりあがり、玉座の間を満たしてゆく。

 澱んだ濁流に呼吸を奪われそうになった時、高らかな声が全てを切り裂いた。

「みにったまー!」

「ヨナ小!」

 その名を言い終える間もなく、光が体を包んだ。視界を遮断され、動揺に圧倒されそうになる。それでも正気にしがみつこうと大きく息を吸えば、光は不思議とあたたかかった。

 それは、どこかで知っていた感触だった。

 だが、次の瞬間、温もりは消えていた。体が投げ出される感覚と、足場が揺れるような眩暈。それでも眼前に飛び込んできた光景に、玄雅は声を上げていた。

「ヨナ小、無事か!」

 床に突っ伏した玄雅のすぐ横に、ヨナ小の丸い体が投げ出されていた。紅白色の体から、滲むように色が抜け出てゆく。

「ヨナ小! ヨナ小、しっかりしろ!」

 両手で丸い体をさすってやっても、ヨナ小の目は瞼の膜に覆われたまま開かない。

 憎悪の目を上げてみれば、視線の先には金丸が──そう、今や瑞々しい四肢を備えたすらりとした青年が──澱んだ尊大な瞳で見下ろしていた。

「私の第一波をやり過ごすとは、さすがは竜宮の寵児といったところか。いや──……」

 ヨナ小を胸に抱いた玄雅の背筋を、冷たいものが駆けあがる。

 そこは、玉座の間ではなかった。

 もはや天井も床もない。

 金丸と玄雅の四方を、伸縮し、揺らめく空間が取り巻いていた。

 男と女。大人と子供。笑い、嘆き、怒り、喜び……。無数の人間たちがまるで辻劇の一幕のように、四方八方で等身大の寸劇を繰り広げている。

 その演者の顔に、玄雅は息を飲む。

 ──そう、あれは従者の賢雄。それにニウと、剃髪の芥隠。阿麻和利もいる。それに姫も、顔を焼かれた青年も──。先ほどまで小さな人形の顔に描かれていたのとそっくり同じ顔をした人間たちが、生の一幕を早回しで演じては別の一幕へと呑み込まれてゆく。

「玄雅君。今ので随分負荷( 、、)を負ったようだが、大丈夫かな?」

 甘い二重瞼を細めた若者──金丸が、ゆらゆら揺れながら呟き続けている。

「だが、それはこの私も同じことだ。板が割れたから、もう制御は不可能。このままでは、取り込まれてしまう」


 ──取り込まれる。


 反射的に玄雅は叫んでいた。

「出せ! 私たちを、ここから!」

「無理だな! 金丸すごろくは、あがりに行くまで終わらない!」

 次の瞬間、腹に食らった痛撃に呼吸を奪われていた。

「はァーははははは! あがりたいなら転がれ転がれ! さあっ、今の目はいくつかなっ!」

 脂汗が滴る。遠くなりそうな意識を、指先に触れるヨナ小の感触がつなぎとめる。歪み続ける床に指を食いこませ、苦渋に顔を歪めながらも声を絞り出した。

「……六! 六だ! 貴様が投げたヨナ小の分も入れて、十二!」

「はァーははははは! 楽しくなってきたァ! ぼんやりおすまし玄雅君がとうとう恥も外聞もなく、十二! だが、」

 ぐわぁ……ん というおかしな音と共に、二人を取り巻く光景が震え、爆発する。

「玄雅君は空気を読まない! 十二なんていったらァ、飛んでしまうさ物語が! 見ろ!」

 金丸がぐにゃぐにゃ歪む空間のあちこちを指差しながら、飛び跳ねている。

「回れよ回れ、盆回し!  

 回るよ回る、盆回し! 

 玄雅君は飛ばしてしまった!

 まずはあの感動的な一幕! 

 出奔した姫が、カツレンの戦神であり(かんなぎ)百十踏揚(ももとふみあがり)として新たな生を享け、民を扇動して咲き誇るまで! 

 巫は高らかに言い放つ!

『歴代の血塗れの玉座を清める新たな王は、天降(あまおり)の善なる按司・阿麻和利である』──。

 玉座争いの第三勢力の出現だ。

 この見せ場を、玄雅君は飛ばしたァ!」

 金丸が正面をびし、と指差した。途端に歪んでいた光景が像を結び、戦装束に身を包んだ美しい女が鬨の声をあげている。その横で目を細めているのは、豪華な武装に身を包んだ阿麻和利だ。

 響き渡る歓声が玄雅の理性を奪って行く中で、金丸の声が高らかに響き続ける。

「それに、嫉妬に駆られた従者の賢雄が姫を奪還せんと涙ぐましい努力に奔走する一幕、そしてあのアマミの青年と阿麻和利との愛憎溢れる一幕も玄雅君は飛ばしてしまったァ! それに、見ろ!」

 金丸が今度は横を指差す。そこでは、ヤマトの美僧・芥隠と、そして初めて見る男が──そう、大陸の衣に身を包んだ鋭い目の男が顔を寄せ合うようにして何かを囁き合っている。

 ──ああ、あれがタオ教者の懐機なのだ、と玄雅が思ううちにも金丸が叫び続ける。

「分かるかね玄雅君? 

 芥隠・懐機の二人組、こいつらがリウクーに仕掛けたのはひどい罠! 

 橋作りと遠征で王府の金を流出させ、宗教を使ってニウに虚無と罪悪感を植え付けた。

 それだけじゃない。奴らは開いたのさ。武力ではなく、知力による感染の傷口を。宗教、規範、人の道……。知性の仮面を盾に「野蛮」なリウクーから武力を取り上げ、骨抜きにするための壮大な計画の第一歩だ。

 ミンを追われた懐機と、ヤマトの間者の芥隠。

 故郷からつまはじきにされたはぐれものが、失われた夢を、力を取り戻さんと引き寄せあい、その罠にまんまと引っかかったのさ、私の無垢なる美しき供物(ニウ)は!」

 金丸の声がどんどん大きくなってゆく。

「分かったかね玄雅君! 

 こうして金丸とニウは引き裂かれ、異国の害毒がじわじわと大地に浸みこみ始めた。

 カツレンには阿麻和利。

 王府には布里、ついでに、死んだ金福の息子の志魯(しろ)

 ゴエクのニウは骨抜きで、金丸は一人臍を噛む。

 それで、金福の後の王位には誰がついたかって──?」

 金丸が咆哮のように、笑う。

「誰もつかなかった、いや、つけなかったのさ!

 金福を殺したのは誰? 

 布里の手の者? それとも金丸? 

 むしろ王を天降按司に取り換えるべき?

 誰かが動けば誰かに討たれる、大混乱の三すくみ。

 その答えを出せないままに空位は続き、互いが互いをけん制し合い、混乱に乗じて攻めてくるのはミンかヤマトか、という具合さ!」

 歪み続ける光景に囲まれながら、美しい青年に変じた金丸が自分で自分を抱きしめ、独白を続けている。

「そしてニウはといえば、ゼン宗に傾倒しすぎて、すっかり王位に興味を無くしてしまった。

『ヤマトの寺で出家したい』とまで言った。これは芥隠も予想外だったらしくてね。ニウを傀儡に仕立て上げるつもりだったから、びっくり仰天していたよ」

 天を仰いで笑っていた金丸が、がくり、と頭を垂れる。

「金丸は何度も言ったんだ。ニウのためなら、志魯も布里も殺してあげる。懐機も芥隠も、阿麻和利も殺してあげる。

 二人の夢を叶えよう、二人で国を治めよう……。でも、人の心は変わる。変わってしまう……」

 金丸が後ろを振り返った。つられるようにそちらを見れば、うねる光景の中で過去のニウと金丸が言い争っている。

「ニウは金丸に諭すようになった……。

 これからは、普通に暮らせと。

 米を降らせるな 酒を降らせるな。

 人を殺すな 血の雨を降らせるな。

 イゼナ島へ帰れ」

 玄雅と金丸が見つめる中で、二人の男が空しい言葉を投げつけ合っていた。いつかの時とは大違いの、豪華な着物ときれいに撫でつけられた髪。

 叱咤と懇願、嫌悪と未練──。

 手に入れたものの方が多いはずなのに、疲れた二組の瞳が、悲しい。

 金丸の体が揺れるのを止め、瞳が空洞になる。

「島で誰か いい娘を娶れ

 子供を作れ 家庭を作れ

 子孫を繋ぎ 善良に暮らせ。

 そうすれば、」

 ああああァああ、と声が漏れた。

「……ごくらくへ いけるよー と 

 ニウは言ったのでした。

 そこにはゼン宗だけではなく色々な教義が混じり合っていたのですが、それはニウの正気を保つのに、確かに役に立っているようでした。それなので、」

 光景の中の金丸が、不意に着物を開くのが見えた。はだけた腹のへそのあたりを、なにやら必死で指差している。

「それなので、金丸はニウの望みを叶えてあげようとしたのですが、」

 言葉が、途切れた。

 四方で歪み続ける光景の中で、現在(いま)の金丸が立ちつくしている。その姿が揺らめいて、小さな童子の面影が覗いたことに玄雅は密かな動揺を覚えていた。

「……その前に、とても面倒なことが起きてしまいました。それは、あの布里のことです」




 〈第二十二話に続く〉


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