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[第19話]

宮古島の英雄 仲宗根豊見親をモチーフに、

歴史と幻想が交錯するシリアス琉球史ファンタジー。


遥かな大海に抱かれし動乱の島・ミャーク。

永劫の青波が寄せ引く汀に、宿命の英雄が生まれ落ちる。


仲宗根豊見親なかそねとぅゆみゃ 玄雅げんが──

稀代の英傑か、それとも……。


傷持つ心に刃を纏い、人ならぬものと睦む孤高の魂の代償は。

愛憎と血潮に彩られし大海の王の物語、遥かな海の底より蘇る。


<第19話>

 黄金の童子・金丸とゴエクの王子。

 交差する標が、レキオの運命を加速させる。

 第二部・王都シュリ編 光に叛く 第19話。 


 あくまでパラレルなミャークの英雄物語として楽しんで頂けましたら幸いです。

 古琉球史・古先島史への入り口としてもいかがでしょうか。 

 不定期更新・気長にお付き合い頂けましたら幸いです。


 ※※※R-15※※※

 ※無断転載を禁じます※

 ※「pixiv」様にも重複投稿しています※

 ※第1話&第11話扉絵は[嵐山晶 様] に描いて頂き、ご本人の許可を得て掲載・使用しております※

 

 朝だというのに、薄暗い王宮の廊下は相変わらずの淀んだ空気に満ちていた。

 歩を進めながら玄雅は思案し、結局ヨナ小のことは肩に乗せたままにしておいた。

 鼻をつく甘ったるい香料のかおりと、僅かに混じる埃のにおい。不快に感じているのはヨナ小も同じなのだろう。肩の上で僅かに震えたヨナ小は、やがて体を玄雅にすり寄せてきた。

 さりげなく触れてやれば、「みに―……」と安心したような吐息が漏れる。そしてその声は、傍らのみげるに聞こえている様子もない。それでもこの歴戦の男なりに何かを感じてはいるのだろう、僅かに引き攣った目を向けてくるのが、ひりひりと心地よかった。

 無限に続くかと思えた廊下がようやく尽き、大仰な扉が見えてくる。

 玄雅は思わず顔をしかめた。玉座の間――。ロクな思い出のない空間に、反吐が出そうになる。

 そして、その扉の向こうから陽気な歌が聞こえてきていた。王宮の闇を吹き飛ばすような、調子はずれの明るい歌が。


    ララララ ララララ ……ちゃん

    ララララ ララララ ……。


    イゼナの かわいい ……ちゃん

    ララララ ララララ ……。


「……とうとう、ふれたのか?」

「最近は特にひどい。まあ、機嫌が悪いよりはいい」

 みげるが肩をすくめる間にも、歌声がどんどん調子はずれになってゆく。


    お米を 降らせる ……ちゃん

    ララララ ララララ ……。


 極力感情を排して進んでゆけば、扉の前には生気のない人形がゆらりと立っていた。

「月清様。空広を連れて参りました」

「……待ちかねていました。私も、少し……」

 掠れた言葉に、濃い疲れが滲んでいる。

「……少し、困っていたところだったので」

「きィよらァ! つききィーよ らァー! 賽はどこだ? 賽を振れ、賽を振らんと進まんぞー……ぉ!」

 たがが外れたような叫び声が淡い声に被さり、月清の顔が死にかけの蛸のように黒ずんでゆく。それでも毅然と扉に手を掛けたところで、糸が切れたようによろめいた。

 彷徨う白い手に、みげるがすかさず手を差し伸べる。

 だが、月清は固い一瞥を返しただけだった。

「おまえは、私を蔑んでいるのですね。いつでも、そうやって」

 恨みがましく光る目を避けるように、みげるが赤い頭を垂れる。だが、横に立つ玄雅には見えていた。もちろん、それは玄雅だけが気づくことのできる僅かな変化だったが――みげるの唇の端が、淡く上がっているのが。

「私はもう、借りません……。おまえの力など」

 必要のない感情を表に出すような真似はしない。それでも、その場にいた全員が、みげるの腹の中で弾ける哄笑を聞いたはずだった。

「空広、後はまかせる」

 その言葉が合図になったように月清が踵を返す。見送る非難がましい視線などお構いなしに、みげるもまた背を向けた。

 ち、と舌打ちをすれば、ひんやりしたものが頬に触れた。控えめに体を押し付ける、ヨナ小だった。

「案ずるな」

 ヨナ小を心配させるわけにはいかなかった。薄闇に一人残された玄雅は、精一杯の威厳をまとう。深い息と共に扉を押し開ければ、懐かしい闇が視界に広がっていった。そう――かつて玄雅の自由を剥ぎ取った、最も深い王宮の闇が。

 だが、次に襲ってきたのは意外な衝撃であった。

 どぉん、と何かが膝の下あたりにぶつかり、不意を突かれる形になった玄雅は後ろに大きくよろめく。

「はァー……ははははははは……!」

 平静を装いつつ見下せば、足元で盛大な笑い声が弾けていた。

「びっくり びっくり これはびっくり体当たり! 金丸さいころ大当たり!」

 敷物を敷き詰めた、王宮の床――。そこには床に体を投げ出し、頭上で両手を尖塔型に合わせた小男が転がっていたのであった。

 くりくりした目が、得意そうに玄雅を見上げている。

 再び息を吸い、吐きながら玄雅は状況を理解しようと努める。

 ――つまり、この男は部屋の奥の一段高いところから……つまり玉座から降りて……いや、落ちて――? そのままごろごろと胴で転がり、扉が開いたところを見計らって、膝下に体当たりを食らわせてきた、ということだ……。

 ふう、と深いため息が漏れる。

 ――相変わらず、意味が分からぬ。

 玄雅の困惑などそしらぬ顔で、男は飛蝗のように跳ね起きると、きらきらした目で玄雅の目を覗き込んできた。

「さあ、今の目はいくつだ! 一、二、三、四、五、六、どの目かなっ?」

「……では、『一』で」

「ヒャーイ! これはいい! 普通はここで『三』とか『四』とか! 無難なことを言うのに『一』とは! ミャークの獅子は何ごとにおいても極端だ。それは海底のごとくに低い自尊心のせいだろうか? それとも、劣等感の裏返しの万能感、天井知らずの自信のおかげだろうか?」

 喜色満面で手を叩いていた男が、不意に ぴた、と動きを止める。その目が動き、玄雅の肩のあたりで止まった。

 玄雅の額を嫌な汗が伝う。男は、確かに見つめていた。そう……、

「みにぃ?」

 肩の上の、ヨナ小を。

「……はァーははははは!」

 かろうじて表情を消した玄雅の虚勢に、陽気な笑い声が被さる。

 びりびりと闇を揺らす笑い声がひどく不吉で、玄雅の指は無意識のうちに刀の柄へ伸びていた。

 だが、柄に触れる前に、男の注意は別の所へ逸れていた。

「オギヤカーぁ! オギーヤカぁ! 玄雅君が来たぞ! ミャークのしし! 獅子だぞう! みんなで一緒にやろう! 楽しいたのしい、金丸すごろくだぞう!」

 叫びに答える者はいない。

 静寂だけが、目の細かい敷物の上に、精緻な彫像の上に、空っぽの玉座の上に落ちてゆく。

 廷臣の一人すら、そこにはいなかった。

 男と、玄雅の息遣いだけが、不自然な沈黙を揺らしているだけだった。

「……なんだ。誰も金丸の声を聞かないのか」

 そう――悪夢のようであるが、この男――先程まで床に転がり、笑い転げていた男、そして今、澱んだ沼のように途方もなく暗い目をしたこの男こそが、金丸……現国王の尚円なのであった。

 ううぁァ、とおかしな声を漏らしながら、小男・尚円がほどけた髪をかき上げている。豪華に染め抜いた着物をまとってはいたが、上半身はだらしなくはだけ、でっぷりとした腹が突き出ていた。

「仕方ない。私たち二人で続けるとしよう」

 定まらない声を発しながら、揺れる背中が玉座へと戻ってゆく。

 果たして、玉座の前には絵すごろくの板がのべられていた。

「さて。『金丸、運命の供物に出会う』のマスで止まっていた。物語を先に進めよう。玄雅君の目は一だったね」

 ――物語? 

 困惑する玄雅を尻目に、金丸のぽっちゃりした掌が何かを弄んでいる。その手の中にあるのは小さな人形だった。掌丘に隠れてしまいそうな、ほんの小さなその姿。精緻な模様の入った着物を着せられて、髪の毛などは一本一本埋め込まれているようで――。

 見つめる先で、人形の目がくるり、と回った。

「生きているようだろう?」

 目を上げれば、笑みを浮かべた平板な瞳が見つめ返していた。 

「賽の目は一。いーち……」

 尚円がすごろく板の上で小さな人形を摘み上げている。カチリ、と音を立てて人形が次のマスへ着地するのを、玄雅は引き攣った瞳で見守った。

「こうして、私は出会ったのさ。私の運命の供物にね。私はこの運命を愛したものだよ。血塗れの、私だけの供物をね。

 あの雨の日……馬は一頭だけしか残されていなかった。だから、私たちは互いに乗り降りしながら、ゆっくりゆっくり帰って行ったのさ。

 ゴエク。ゴエクという土地へね。そこには城があったのさ。

 さあ、ここが懐かしいゴエクの地だ……」

 尚円の面影を宿した生き人形が、マスの上で瞬きをしている。今のでっぷりした姿とは違う、瑞々しい青年――見慣れない風景にきょろきょろし、ほんの少し居心地が悪そうに身をよじり……。目を凝らせば、マスの中には風景や人影が色鮮やかに描かれていた。単純な線で描かれた深緑の木々と……青い空に舞う白い鳥と……。

「今にも、動き出さんばかりだろう?」

 そう――マスの中の風景はうねり、瞬き、息づいていた。

「思い出はいつだって美しい。舞い散る花びら、鳥の声……。濃い緑の香りと、吹き渡る潮風……。

 物語、物語……。私と、私の愛しい供物の物語だ……」



 細長い島の南寄り、小高い丘に建つゴエクの城に着いた金丸は、あの青年と住むようになった。

 もちろん、その当時は「供物」だの「運命」だのと呼んでいたのではない。金丸が唯一使っていた呼び名は――

「ニウ!」

であった。

「金丸。その名前は、私と二人きりの時だけにしてはくれないか?」

 きょとんとした金丸は首を横に倒し、「やだ」と言って首を振る。今や薄汚れた野良着を脱ぎ捨てて、さっぱりした着物に着替えてはいたが、馴染みのない織の感触がチクチクしてこの上なく不快だった。わざわざ買い付けたという舶来の布の価値など、知ったことではなかった。

 そして、言葉を交わす二人の周りでは、ニウの家族と臣下たちが無言で見守っているのであった。ゴエクの城では、皆で集まって夕餉の卓を囲むのが常だった。月星の光だけが照らす闇を振り払うように、火を焚いて、生を、食物を享受して――。

「……さあ、あなた。お食事が冷めてしまいますから」

 気を取り直したように、女が――ニウの妻が――汁椀を差し出してくる。そのまま恨みがましいような、それでいてあきらめたような目をしながら、金丸にも汁椀を寄越してくれた。

「アバサーのお汁はおいしいね」

 金丸が上機嫌で笑えば、その膝で、無邪気な笑い声がもう一つ弾けた。

「あばたーはおいしいね!」

 無垢な童女が、舌足らずに繰り返しながら金丸を見上げている。ニウの、幼い娘だった。

「わたし、とりもたべたい」

 山海の幸がひしめく食卓の上に、童女のぽっちゃりした手が伸びる。たどたどしい指が皿に引っかかる前に、金丸は鳥肉の串を渡してやった。

「かなまるもたべる?」

「いや……。もう、鳥は飽きた」

「ふうん」

 鳥にかぶりつく童女から目を動かせば、卓の向こう側ではニウが拗ねたように笑っていた。

 目を伏せた金丸は、魚の汁椀を啜る。

 ニウは、弓の名手だった。食卓に並ぶ鳥肉は、全てニウが狩ってきたものなのだ。暇を見つけてはそそくさと弓を背負って出かけてゆき、戻れば食卓には食べ切れないほどの肉が並ぶ。

 臣下たちは、ニウの弓を誉めそやしたものだった。南のミグルムイのようだ、北のヨゥイチ・ナッスノのようだ……。彼らが引き合いに出す名前は一つとして知らなかったが、ニウの腕が確かだというのは金丸にも分かった。狙いを定めるや否や、どんな鳥でも自ら矢に刺さり、落ちてゆくようにすら見えた。

 金丸も、最初の頃は面白がって狩りについて行った。

 だが、喜々として藪を進み、目を輝かせて矢を放つニウの姿に、いつしか冷えびえとしたものを感じるようになっていた。

 口の中に嫌な味が広がって、金丸は思わず顔をしかめる。

「もう、たべないの?」

 幼い声に引き戻されれば、ニウの娘が口をもぐもぐさせながら金丸の瞳を覗き込んでいた。雛のような黒目がちの瞳に、思わず頬が緩む。

「姫は、かわいいね」

「ひめ、かわいい!」

 照れているのだろうか、肉汁のついた幼い手が金丸の頬をぺちり、と叩く。

「こら、やめないか」

「やめないもん!」

 ニウの娘は金丸によく懐いていた。まるで本当の親子のようだ、などと言ってニウは笑っていたものだ。

 そして、そんな光景に固い瞳を向けていた、ニウの妻――。その瞳に宿っていた光は何だったのだろう。

 ゴエクに来てすぐに、金丸は盗み聞いたことがある。

『所詮、あれは男ですから』

と、女は言った。

『子も産めぬ……。他の女に手を付けるよりは、余程いい』

 まるで自分自身に言い聞かせるような独白に、金丸は思ったものである。

 ――ばかだなあ。

と。

 だが、ニウの妻のいうこともあながち的外れではなかった。

 段々と分かってきたことによると、ニウは人間たちのいうところの「王子」というものらしかった。小高い丘の上の立派な屋敷――人々が呼ぶところの「城」――に住み、他の者よりもいい着物を着て……。つまり、金丸がここまでの道中で耳にした「ハシサマ」、先ごろ死んだ偉大な王の息子ということらしい。

『だが、私は王子と言うのは名ばかりの、つまはじき者さ。……七男、だからね。兄たちに頭も上がらないし、出世の目もない』

 ニウが兄弟たちのことを話すとき、金丸の肌を何かがざらりと撫でる。その正体が何なのか、ニウは見せない。もどかしさも手伝って、金丸は辛辣な言葉を投げてやった。

『だから、暇を持て余してお手付き(、、、、)三昧か』

『……子供は良いからね。未来がある。希望がある。多い方がいい』

 ニウは掛け値なしのいい男であったし、まがりなりにも王子であったから、誘われれば断るものはいなかっただろう。したがって浮いた噂も多く、正妻に産ませた子供たちの他に、別の所にも数人。それから――……。

 食卓の向こうで、ニウの妻がこちらをじっとりと見つめている。

 口の中に残ったアバサ―の骨をぷっ、と皿に出すと、金丸は立ち上がった。

「お月見しよう。今日はいい月だ」

「わたしもおきつみ(、、、、)する!」

 懸命に言いつのる娘姫の頭を、ニウが優しく撫でている。

「子供は、寝る時刻だよ」

 気にしていないつもりでも、連れ立って部屋を出る背に刺さる視線が、痛かった。


 月は、美しかった。

 城郭の塀の上で、二人は足をぶらぶらさせながら月を眺めている。

「ニウの奥さんは、とてもきつい」

「まあね。だが、私に美しい子供たちを贈ってくれた、素晴らしい妻だ」

「……じゃあ、浮気なんかしなければいい」

 細いため息が、闇を揺らす。

「妻は、中城(なかぐすく)の護佐丸の娘だ。護佐丸義父上(ちちうえ)にはカツレン半島を押さえてもらっている。私は、頭が上がらないからね。疲れるのさ」

 また、金丸のよく分からない話の始まりだった。

 米粒と酒の詰まった頭で考えて、何とか理解したのはこういうことだ。

 細長い島を統一した「ハシサマ」が死んだあと、王になったのは長男の尚忠。

 兄を王と頂いて、残りの兄弟たちはそれぞれに国を支える職務に就いた。ニウが割り当てられたのはゴエクの地……。

『獣が跋扈する土地さ』

とニウは苦々しく言ったものだ。

 ゴエクから南東に目をやれば、海に突き出るのはカツレンの半島だ。海の荒くれ男たちが集うカツレンの地は独自の貿易術で栄え、今や半自治区と言ってもよいありさまなのだという。

 公然と異国船を出入りさせ、王府を圧倒する財力を持つと噂されるカツレンの勢力は、代替わりして間もない王府にとって目の上のたんこぶであったが、彼らが絶妙の均衡で「献上」してくる異国の知識や富が、王国に多大な恩恵をもたらしているのも事実であった。だからこそ、事実上の黙認状態が続いていた。

 そして、このカツレンに目を光らせているというのが「ハシサマ」の代からの王府の忠実な部下、護佐丸なる武人ということだった。

 この武人は先ごろ北の要所「ザキミ城」から、王府の中核に位置する「中城」へと居を移し、天性の築城の才を発揮してカツレンへの防備を固めているという。

 そして、この天才的な武人の娘をめとり、血縁を結んだのが――どういうわけか、ニウだった。

「つまりは、政略結婚だ」

「……難しい言葉を、覚えたね」

 ごまかすような笑みが、凝る。

「こうやって私たちは結び合う。富や、防衛と引き換えに……」

 月明りの中に浮かびあがる横顔が寂し気で、金丸は思わず身を乗り出していた。

「どうして、金丸に隠しごとをする?」

「言わない方が良いこともある」

「金丸にも?」

 覗き込んだ黒い瞳と、わずかに傾げた優美な首。命の漲る、男の首――。縊って、ぽきりと折れば蜜が滴り落ちるに違いない……。甘い妄想が弾けて、思わず体が震えた。闇に、指が伸びる。

 金丸はしかし、乱暴な力に引き剥がされていた。石の床に叩き付けられた躰に、鈍い痛みが広がってゆく。

 憎悪の瞳の先に立っていたのは、一人の男だった。豪奢な着物の上からでも分かる鍛え上げた肩が、僅かに上下している。

「誰が、こんな野犬を連れ込めと言った?」

 男の長靴が腹にめり込み、金丸の躰を乱暴に転がした。

「やはりお前はクズのままなのだな。監視が、まだ必要なようだ」

「おやめください」

 苦痛に身をよじりながら見上げれば、ニウが男の前に立ちふさがっていた。その声が、恐ろしいまでに冷たい。

「この金丸は、野犬などではなく、」

「……お前は、誰に口をきいている?」

 苦しげな息が響く。男の無骨な手が、ニウの首を片手で絞め上げていた。

「言え! お前は、誰に口をきいている?」

 必死に足をばたつかせ、相手を蹴り上げようともがき……やがて、空しいかすれ声が零れた。 

「あ……兄上……、の、」

「ほう」

「尚……布里(ふり)さ……ま」

「分かっているじゃないか」

 捕らえた躰をボロ布のように投げ捨てると、男――布里はニウの傍らにしゃがみ込み、顎を捕まえて乱暴に上向かせた。

「素直な弟は好きだぞ。素直でいる限りはな。さあ、あれはどこだ?」

 痛みに脂汗が滲むのを感じながら、金丸は必死に目を凝らす。

 ニウの瞳に込められた憎悪を舐っているのだろう、薄笑いを浮かべた男は立ち上がり、今度はつま先でニウの腰の帯のあたりをまさぐり始めていた。

 出会いの日から、ニウが肌身離さず帯びている、あの刀――。

 無抵抗の相手から取り上げることなど容易いはずなのに、この男は待っているのだ。ニウが自ら跪き、それを差し出すのを。

「遅く来た反抗期か? 王から盗み出すまでは上手にやったのに、何故すぐに持って来なかった?」

 靴の先が躰を弄び、苦しげな喘ぎが何度も漏れる。

 だが――虫のように身をよじるのに合わせてニウの手が自らの躰を伝い、震える指が刀の柄に掛かるのを、金丸は確かに見た。

「あ」

 金丸が声をあげた刹那――刀の切っ先が、男に押し付けられていた。いつ抜いたのか、気付きもしなかった。

「盗むなどと、人聞きの悪いことを。尚忠王に、この刀は過ぎたるものだったのです。相応しい持ち主が、相応しいものを持つ。それだけのことです」

「……誰のおかげで、今の地位があると思っている? お前など、元はといえば、」

「黙れよ」

 甘い唇から転がり出た声に、金丸は今度こそ仰天した。

 ニウの全身から、険悪な気が発散されている。その様子ときたら、場末の酒場にたむろしているごろつきそのものだった。

 刀を突きつける邪悪なニウがとてつもなく眩しくて、金丸は思わず手を叩きそうになる。

「……帰れ」

 本気なのが分かったのだろう、今度は布里が刀を抜こうとしていた。

 だが、金丸は力任せに醜悪な男を押しのけていた。

「欲しいなら、くれてやれ」

 覗き込んだ布里の目が、落ち着きなく揺れている。目玉の真ん中の点をえぐってやろうか、と思いながら、低い声で続ける。

「持って行け。お前に使えるのなら」

「……金丸?」

 声に滲む困惑を甘露のように味わいながら、金丸はニウから手探りで刀を奪い、ずしりと重い金属の感触を布里の手に押し付けた。

「コレが欲しかったんだろ? 使ってみろ。あんたに使えるなら」

「この……野犬風情めが……!」

 布里は、そのまま何かを言おうと口を開け閉めし……やがて踵を返した。

「金丸! なぜ、渡した!?」

 両肩に食い込む指が、揺すぶられる振動が心地よくて、金丸は笑い声を上げる。こんなに楽しいのは久しぶりだった。もうしばらくしていなかったけれど、上機嫌に乗せて、天から米を降らせようかと思ったくらいだった。

「ニウが、好きだよ」

 ニウ。金丸の、ニウ。動揺を浮かべてみせるおすまし(、、、、)顔には、隠し切れない罪人の生臭さが混じっているのだ。

「ああ、もちろん。二人の出会いは運命だ。杯を飲み干すんだ。奴らが溺れる血の海の杯を、二人で」

「金丸、相変わらず訳の分からないことを言うのはやめてくれ……」

「正直にならなきゃいけない」

 くるり、と虚空で手を回せば、懐かしい奇跡が再び起こり始める。手の中に現れたのは、真っ赤な杯。どこの国のものとも知れぬ大杯だ。

「暗くて分からない。朱塗りの杯だから、赤く見えるのか、それとも、波打つ海そのものが、赤いのか」

「城でその力は使うなと、」

「ニウは、金丸の力も込みで好きなんだ。さあ、二人で鍋を覗こう」

 杯の水面が月を捕らえて、揺らめく赤い水鏡に歪んだ顔が映り込む。

「材料その一。ひたひたの狂気に浸け込んだ、現国王の尚忠お兄さん。黄金の刀に呑み込まれ、心は哀れなみじん切り。刀を取り上げただけじゃ、間に合わなかった。もう長くない」

 水が揺れるのに合わせて、苦悶の顔が伸び、ぽっかり開いた口が歪み……やがて赤い水の中に沈んでゆく。

「材料その二。尚忠お兄さんの息子の尚思達を、王権の熱病で炙り(フランベし)ましょう。加熱時間は短めに。他にも材料が沢山ありますので。さあ、次、次、次の材料は……」

「金丸!」

「そろそろ香辛料(スパイス)を加えましょう。中城の護佐丸は、西の胡椒よりも尊い極上の香り。それから、かの名高いカツレン産の海賊も忘れずに。磯の香りは、お好きですか――」

 ――ぐつぐつぐつ。ぐつぐつぐつ。悲鳴と怒号で煮立つ鍋が、吹きこぼれそうになっている。

「まだまだ材料が必要だ。自分で飛び込んでくるもの。背中を押してやらなきゃいけないもの――」

 ニウの瞳を覗き込めば、もちろんそこに期待通りのものがある。

 困惑を装った、狡猾さ。お上品な、賢しさ。

「最後に王の汁椀(スープ)を啜るのは、だれかな?」

「……それを、私が言うわけにはいかないよ」

 ――ああ、もちろん。ニウは言わないだろう。これは、お互い同意の上の遊戯なのだから。この、無垢を装った醜悪な生き物、無欲の仮面をかぶった貪欲な化物――。生きた牡蠣をこじ開けるように、無理やり口を割らせてみたい。断末魔に飛び散る肉汁を、舌を滑り込ませて啜ってみたい。野蛮な欲望を飼いならすもどかしさすら、総毛立つように心地よい。

 美しい、金丸だけのニウ。闇の中でぬめる白目、まるで剥いたばかりの米のような、野蛮な瞳を金丸はどんなに愛していたことか。

「もちろん、ニウは最初からそのつもりだった。その刀を盗んできた時から。金丸と出会った時から」

 その瞳に宿るのは僅かな怯えと、待ち焦がれていたような――欲望なのか。

 目を閉じれば、今や布里の手に渡った刀が、ざりり、と咆哮するのが聞こえた。

「結局、ハシサマ一代が限度だったね。北山の呪い刀、ましてや天降の鳥の刀だもの」

「どこまで知っている?」

「王統の狂気、権力の夢……。天翔る鳥を落とすのは、八たび廻る猛き夢。命を喰らい、切り刻み……」

 刃に浮かびあがるのは、鮮やかな不幸の絵巻物。

 流血。憎悪。誤解と策謀、殺し合い。

「Lequiosの悪夢……Lequiosの真実……」

「金丸――」

 その目を覆う熱を、むしった花から吸い上げる蜜のように味わう。

 見つめる天の月だって、斬り堕としただろう。 


 ――消してしまえばいい。二人を煩わせるものは、全て。

 


<第二十話に続く>

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