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[第18話]

 宮古島の英雄・仲宗根豊見親をモチーフにしたシリアス長編歴史ファンタジー「竜宮の寵児 -異伝・仲宗根豊見親-」第二部。


 イゼナに堕ちし黄金の童子、永遠の供物と邂逅す。

 シリアス琉球史ファンタジー「竜宮の寵児」王都シュリ編 第一八話・王朝を染め上げる二人の王の酩酊劇、開演。

 

 あくまでパラレルなミャークの英雄物語として楽しんで頂けましたら幸いです。

 不定期更新・気長にお付き合い頂けましたら幸いです。


 ※※※R-15※※※

 ※無断転載を禁じます※

 ※「pixiv」様にも重複投稿しています※

 ※第1話&第11話扉絵は[嵐山晶 様] に描いて頂き、ご本人の許可を得て掲載・使用しております※

 

 何だね……いつまでも羊水の微熱に溺れているのを、やめろというのかい? 

 気が進まないねえ。

 いや、つまりこういうことなのさ。

 私はね、皆が望むような話ができるか分からない、ということなのだよ。

 つまりね、つるりと呑み込みやすいが「ほんとうのこと」からは随分遠ざかってしまった話と、「ほんとうのこと」にはそれなりに近いが、とても食べられたものではない話が常に混在するということさ。

 まあ──こんな風に始めれば良いのかねえ。かろうじて「受け入れやすい物語」というのは。


 ──かつて、リウクーの北に浮かぶ小島があった。

 神の座す島、王を産む島・イゼナ島……。そこに産まれし、善良なる男があった。

 だが、その瞳には、市井の身には過分ともいえる、強い光が宿っていた。

 名を、金丸(かなまる)という。


 どうかね? 

 なるほど。反応は悪くなさそうだねえ。

 では、今回はそのように始めてみるとしようか。

 そう……目的のためには、仕方がないものねえ。



〈廻る真実(空事)の物語 ―イゼナの黄金丸―〉


 ──かつて、リウクーの北に浮かぶ小島があった。

 神の座す島、王を産む島・イゼナ島……。そこに産まれし、善良なる男があった。

 だが、その瞳には、市井の身には過分ともいえる、強い光が宿っていた。

 名を、金丸という。


 金丸がどこから来たのかは誰も知らない。

 ただ気づいた時には、金丸がいつもそこにいたのだと……そう、イゼナの人々は語った。

 ある者は、いつかの実りの時期に、風に揺れる稲穂の一粒の中から飛蝗(ばった)のように金丸が飛び出てきたのを見たと言ったし、またある者は、黄金色の水田の真ん中に、金色のおくるみ( 、、、、)に巻かれた赤ん坊の金丸が忽然と現れたのだと言った。

 実りの黄金色を背負ったこの子供が「金丸」と呼ばれるようになったのも、至極自然なことに思われた。

 水と土、そして降り注ぐ太陽に恵まれた北の島で、人々は米を育て、米を刈り、そしてまた米を育てて生を繋ぎ続けた。そして、その営みの傍らにはいつも金丸がいた。

 金丸は常ならぬものであった。

 まず、身の丈が伸びなかった。顔立ちはいつまでも子供のままであったし、おぼつかない手足やら舌足らずな口の利き方なども、何年経っても変わらなかった。

 年月がいくら巡ろうとも、金丸は童子の姿のままなのであった。

 金丸には親と言うものがなかったが、生きるのに困ることはなかった。イゼナの人々が金丸を至極大事にしたからである。

 これには理由があった。

 金丸が笑えば、笑い声が米粒に化して降り注ぐ。

 金丸が歌えば、歌声がずっしりと実った稲穂に変じて降り積もる。

 さらに童形の金丸を胸乳に抱けば、子宝に恵まれ、乳の出が良くなるなどの噂もあって、イゼナの島では、どの集落の人々も皆、島をぶらつく金丸をこぞって家に招き入れては歓待した。

 その歓待ぶりと言えば、土間などには当然置かず、上座の内の間に上げるのが当然で、へそが飛び出そうなほどにたらふく食べさせ、飲ませてやるという具合であった。

 返礼に溢れんばかりの米を残してゆく金丸は、一種の福の神だったのである。

 虚空から米を産し、子宝を授け、人々の繁栄を守護する金丸は、島の女たちに引っ張りだこであった。老いも若きも、女たちは家から家へと渡り歩く金丸を見かけるや否や嬌声をあげ、争って金丸に群がった。柔らかい腕やら胸やらにもみくちゃにされた金丸が笑い声を弾けさせれば、きらきらと黄金色に輝く(もみ)の雨が降り、男たちは地面に小高く積もった米を得ようと、(ざる)を持ってわれ先に押し掛けた。

 このような長閑な光景の中で、金丸の存在に意義を唱える者はついぞ現れなかったし、女たちの関心を一身に集める金丸に殊更目くじらを立てる男たちもいなかった。

 何といっても、金丸は人畜無害でかわいらしい、幸福の童子だったのである。


 さて、そうやってさらに何年かが過ぎた。

 その年はいつになく肌寒く、イゼナの島の端から荒れた白波の彼方を見やれば、彼方のシュリの都のあたりには黒雲がかかり、雷がピカピカと輝いていることもしばしばだった。


 ──白波の 裂ける遠くに 何がある

 ──雷鳴の 弾ける先には 何がある


 垂れ込めた空を切り裂く白い閃光を見つめていると、金丸の胸の内に、ふつふつと馴染みの無い感情が湧き上がってくるのであった。

 それは、童子の体には不釣り合いな、激しく吹き荒れ、煮えたぎる、一種の暴力的な衝動であった。

「あらあら かわいい金丸ちゃん。難しいお顔をしてどうしたの?」

「あらあら 小さな金丸ちゃん。お外は寒いわよ。さあ、抱っこしてあげましょうね」

 雨粒に打たれて立ち尽くす童子に女達の甘い声が降り積もろうとも、もはや金丸の耳には届かなかった。


 そうして──遠雷の音を聞きながら、さらに幾晩が過ぎた。

 金丸はいつもの通り、女の胸に抱かれて横になっていた。だが、今までは童子らしくスヤスヤと眠りについていたのが、その晩は寝苦しく、何度も寝返りを打っては不快に身をよじった。

 大粒の雨が止めどなく降り、藁ぶきの屋根を際限なく叩き続ける晩であった。


 ──雨粒の 弾ける向こうに 何がある

 ──稲妻の 降り立つ場所に 何がある


 金丸の胸に、何度もその歌が去来しては荒れ狂った。体の中で踊り狂う衝動が、童子の体を破り出んばかりであった。

 たまらなくなってもう一つ寝返りを打った時、漆黒の闇が白く照らし出された。

 ぐっすりと眠っていた女が呻いて蠢き、金丸はその鈍重な肉塊を勢いよく跳ね除けていた。

 暗闇で上がった不快そうな声を背に、金丸は、大粒の雨が降りしきる闇へと走り出ていった。

 もう一度、雷鳴が弾けた。

 天から降りる雷竜が、イゼナの大地を目がけて──……いや。

 金丸を目がけて落ちた。頭の天辺から体を貫き、へそのあたりで渦巻いて、つま先から大地に駆け抜けて。

 金丸は、稲妻に打たれてしまったのである。

 

 ようやく後を追ってきた女が悲鳴を上げているのを、金丸は地に臥したまま聞いていた。

 濡れた土の匂いがした。雨の匂いがした。イゼナの島の土の中で、命が絶え間なく蠢く音がした。


 ──雨が降り、雷が大地と結び、大地に命を与え──。


 いつしか、大地に横臥したままの金丸は、自らの四肢に力がみなぎってゆくのを感じていた。

 今まで感じたことのない熱い奔流が、体中の微細な血の管を通じて駆け巡り、隅々まで満たしていった。

 すっかり仰天したのだろう、女がぬかるみに尻もちをつく音が聞こえていた。

 無理もない事であった。小さな金丸、稲妻に打たれた哀れな童子は、天の雷を受けて大人の男に変身していたのである。


 さて、この事件は小さなイゼナの島をひっくり返さんばかりの大騒ぎを起こした。

 なにせ、今まで島の豊穣の象徴であった金丸童子、人畜無害な福々しい子供が、一夜のうちに瑞々しい美男子に変身したのである。

「災いの印じゃ!」と半狂乱で騒ぎ立てる神女もいれば、

「いやいや、これは更なるシマの発展の前触れじゃ」と神妙に言う神人もいた。

 人々は眉をひそめて寄り合いを重ね、不穏な雲が渦巻き始めた。

 

 さて、当の金丸本人と言えば、まったく困惑していた。変わったのは外見だけで、中身は童子のままなのである。今まで通り女たちが抱きしめてくれるかと思えば、何やらおどおどしてこちらを見てくる。怪訝に思ってこちらから抱きしめてやろうとすれば、男たちが血相を変えて金丸を引き剥がすのであった。

 そのくせ、行き場を無くした金丸が、仕方なしに集落の端の破れ屋に身を丸めていると、いきなり闇の中で熱っぽい肌が押し付けられたりした。驚いて身を引いてみれば、忍んできた女の熱い瞳が月明りにきらめいていたりするのであった。


 もう誰もちやほやしてくれないので、仕方なしに金丸は自分のためだけに空中から米を出し、自分のためだけに炊いて、一人で食べて暮らすようになった。

 雨もりのする破れ屋で、丼一杯のつやつや輝く飯を際限なく頬張った。だが、ちっとも美味いと思わなかったし、いくら食べても腹が膨れた気がしなかった。

 そのうち暇と孤独を持て余した金丸は、空中から炊きあがった米まで出すことができるようになった。汗水たらして得る米よりも、何倍も甘くて美味い米が、際限なく金丸のもとに溢れた。

 それでも、村の人々は金丸に近寄ろうともしなかった。


 ──化物だ──。


 それが、いつしか人々が囁くようになった言葉だった。

 

 これは、金丸にとっては全く理解不能なことであった。

 米も、炊けた飯も、いつでも村人達に差し出す用意がある。いや、現に何度も村の人々の家の前に、山盛りの握り飯を置いて回った。それでも、人々は怯えた目をして、手を触れようともしなかった。

 童子の金丸にそうしていたように、温かい腕や胸で金丸を包んではくれなかった。代わりに、固く冷たい瞳が、金丸を打ち据えた。

 いつしか、金丸の目からは大粒の涙が落ちるようになっていた。

 

 やがて、次の種蒔きの時期になった。

 その年は、何もかもが異様であった。鳥の数がとにかく少なかったし、いつまでたっても寒かった。人々は怪訝な顔で苗床に種を播き、ぽつん、ぽつん、とだけ芽を出した苗を、不安な顔で田に植えた。

 そして、ねじれて弱々しい苗の行く末を、ほどなく知ることになる。

 苗は次々に枯れていった。実るどころではなかった。

 まるで、太陽の光が罰なのか、水田の水が毒なのか、と言わんばかりに、くたり、くたり、と死んでいく。

 そして、追い打ちを掛けるように ぴた、と雨が降らなくなった。

 大地はからからに乾き上がり、実りなど望むべくもない。

 島は阿鼻叫喚である。あの「変身騒ぎ」に続いての異変であった。

「おしまいじゃあ!」

「おしまいだあ!」

 と、老いも若きも泣き叫んだ。

 イゼナの島は、凶作など経験したことがなかったのである──金丸童子が笑っている間は。


 ──金丸のせいだ。

 ──金丸のせいだ。


 いつしか、人々の囁きには憎悪がこもるようになっていた。

 春から夏へ、秋から冬へ。何年も何年も、同じ歌を歌い、同じ幸せを言祝ぎ続けてきた人々にとっては、どんな小さな変化も、災いと見なされた。金丸の劇的な変化などは、論外であった。


 ──村の端の 破れ屋 金丸

 ──島の女を 堕落させ

 ──宙から穢れた 米出す 化物


 不吉な囁きがいつしか歌になり、人々の間に不信の蜘蛛の巣が張り巡らされるようになった。


 ──殺してしまおう。


と最初に言ったのは誰だったのか。

 いつか金丸と声を合わせて歌った子供だったのか、それとも胸に金丸を抱いてあやした女だったのか。

 もしくは金丸の掌に菓子を載せてくれた老婆だったか、馬の背に乗せてくれた老爺だったのか。

 いやいや、童子に夢中の恋人を、苦笑いしながら見ていた若者だったのかもしれないし、島の誰でもなかったのかもしれないし、全員だったのかもしれない。


 ──ばらばらにして、埋めてしまおう。

 ──埋めたところから米が生える。

 ──そういうカミサマがいたらしい。どこかの国に、いたらしい。


 北の島の人々が 遠い南の船乗りに 

 吹き込まれたは よた話 それとも異国の伝説か──……。


 涙で歪む空の高みに、人々の歌声が暗色の帯に化してたなびいていた。

 イゼナの空は、暗かった。

 もう、誰も金丸を抱きしめてくれなかった。

 ただ、異形の青年を引き裂かんとする、聞くに堪えない呪い歌だけが天を満たしていた。



 ほどなく、干上がった田は再び潤った。滋養を吸い上げた稲穂は快く風に揺れ、にこにこと笑いながら実っていった。

 大地を埋め尽くす黄金色の稲穂が、さらり、さらりと歌をつむぐ。


 ──血の珠の 弾ける向こうに 何がある

 ──肉塊の 倒れる先には 何がある


 黄金の田を見つめる金丸もまた、いつしか小さな声でその歌を口ずさんでいた。

 脳裏を満たす自らの歌声だけが、優しく体を包み込んでいた。

 そっと目を閉じた向こうに、真っ赤な奔流が田の水面で脈打つのが見えていた。


 その日、金丸は小さなくり船を漕いでイゼナの島を出た。

 白波を漕ぎ行く背中に、重く、気だるげに実った稲の歌を聞きながら。


 金丸は振り返らなかった。持ち主を失った水田に実る、刈る者とてない稲穂の姿など見る必要もなかった。

 だらりと手足を投げ出し、裂けた首をのけ反らせ、吹き出す紅い奔流で黄金色の水田を満たす供物たちの抜け殻など、見たくもなかった。


 イゼナの島の 小さな 金丸。

 イゼナの島の 美男子 金丸。

 イゼナの島で 殺した 金丸。


 人の生き血を 田に撒いて、

 大地に実りを 還した金丸。





 さて、長きを過ごした島を出た金丸であったが、その後どこへ行ってもうまくいかなかった。

 くり舟を乗り捨てて一人、北からぽつ、ぽつ、と移動してゆく。

 最初は良い。見てくれも良いし、邪気のない健康そうな青年であるから、行く先々で人々に声を掛けられた。

 北の村々にはどこか暗い影が付きまとっていて、しょんぼりと下を向いた村人たちには、瑞々しい金丸が眩しく映ったのかもしれない。

 大抵は行き場がないのか、ということになって、作男の仕事などを得たりする。

 生まれてこのかた島の外へ出たことがなく、世間のことなど米粒ほども知らない金丸であったが、一度居場所を見つければ、そこから耳学問で色々な事をおぼろげながらも理解した。

 かつて大きな戦があり、今はそれから何年も経っているらしいこと。

 自分のいる北の地は、細長い島を三つに裂いた権力争いの中で、真っ先に滅ぼされてしまったらしいこと。

 その後に南の地も負かされてしまったらしいこと。

 戦を征したのは島の真ん中あたりにいた「ハシサマ」で、その男が国を一つにまとめて治めるようになったこと。

 その「ハシサマ」が少し前に死んだこと。

 そして、今や世間は妙な具合にさざめいていること──。

 人々は

「また、戦になるのだろうか」

と眉をひそめてみたり、

「ハシの野郎が死んでせいせいした!」

などと言い放ってみたり……。

 どこぞの沖に海賊が出た、であるとか、どこぞ王子が謀反を企んでいる、であるとか。嘘か真か分からない噂話を織り交ぜながら、人々は畑で汗を流し、漁にいそしんで生を繋いでいた。

 だが、そんな言葉の奔流にもみくちゃにされながら、金丸はついぞ人々の営みの中に溶け込むことができなかった

 外見こそきりりとした青年であったが、悲しいかな、金丸にはおよそ器用さと言うものがなかった。農具を持たせれば自分の足の上に落として怪我をする。漁に出してみれば、ぽけ、と空など見ているうちに船から落ちて、竿ごと櫂ごとなくしてしまう。

 なんだこれは、ということになり、追い出されそうになっているところで、女が一人二人、慰めに忍んで来たりなどする。しかし、布団の中ではぎゅう、と抱き付いて手を握るだけで、それ以上何をするでもないので、女達が真っ赤になって怒りだすのが常であった。

 そうこうしているうちに、口さみしくなって空中から握り飯を出すところなどが見つかってしまい、あとは化物扱いである。

 追われて逃げるように去った村もあれば、あまりの酷い仕打ちにかっとなり、皆殺しにしてしまった村もあった。

 これは金丸本人も困ったことで、あァ、嫌だなァ、と思った時には金丸に非道の仕打ちをした相手が目の前に転がっているのである。

 その様子は、眠っているようなのから、まあ、言葉にするのも嫌なありさまになってしまったものまで様々で、金丸の意志などまったくきかないのであった。


 こうして、金丸は一日を送るごとに安住の地を失い続け、細長い島を北から南へ下っていった。



 その日も、雨だった──と、金丸は後に回想することになる。

 金丸はまた一つ、居場所を失おうとするところであった。

 流れ流れた金丸は、ついに細長い島の中程にまで辿り着いていた。

 今度の村でも野良仕事はだめ、漁もだめ……それならば、と子守を任された金丸は、うっかり目を離してしまった。幼児は足を踏み外し、小高い崖から落ちてしまった。

 当然、親たち──運の悪いことに、彼らは村長の一家だった──は烈火のごとく怒り、金丸はまたも追い出されることになった。

 そして今、金丸の腕の中には、甘い溜息を吐きながら身を預ける女がいる。大雨の降りしきる村はずれの森の中、大樹の影で、女が猫のように身をくねらせて、白い指を首のあたりに這わせていた。


 ──この女は、崖から落ちた子供の母の、姉だったか、妹だったか──。


 子供は運良く崖の途中に生えた枝に引っかかり、大泣きしていたところを村の人々に助けられて事なきを得た。

 それでも、村の有力者の子を危険な目に合わせたかどで金丸の追放が決定し、最後のお楽しみの機会を逃すまいと、この女が現れたというわけである。

 また、いつもの茶番の始まりだった。

 庶民の楽しみは少ない。

 誰が誰の父親かすら判然としないこともある民草の間では、男女の交流は時に放埓で、一時の冒険に身を預ける者もそれなりにいた。

 女たちが何を求めているのか、金丸は分かっていないようで、分かっている。熱い吐息と、絡みつく細い指と……。

 だが、金丸はすっかり膿んでいた。これは、金丸の求めるものではなかった。

 背中を預けたごつごつした木肌から、重い湿気が伝わってきていた。無数の雨粒が、金丸をあざ笑うようにはじけ続けていた。

 女が焦れたように爪を立てる。


 ──あァ、


 いつもの、澱んだ闇が鎌首をもたげはじめていた。


 ──嫌だなァ。


 そう思った時には、ぴしゃあ、と音を立てて白い閃光が炸裂していた。

 いやな臭いが鼻をついた。見れば、寄りかかっていた木の肌は無残に裂け、内側から炎がちろちろと舌を出していた。そして、そろそろと見下した足元には、命の抜けた躰が転がっていた。

 それは雷に貫かれた、女だったものの抜け殻だった。

 じっ、とその残骸を見つめてから、金丸はうつむいたまま豪雨の中に踏み出していった。


 ──とうとう、雷すら触れてくれなくなった。


 土砂降りの雨が容赦なく打ち付ける中を、金丸は歩き続けた。

 粗末な草履がぐっしょりと水を吸い上げ、雨に浸された着物がぺったりと肌に張り付いても、ぬかるんだ大地の上を歩き続けた。いつしか深い藪に迷い込んでもなお、とぼとぼと歩き続けた。

 ほうぼうから突き出た小枝に破かれて、無数のかき裂きだらけになった着物の裂け目から、小さな羽虫が何度も金丸の肌に近づいては離れ、を繰り返していた。

 不思議なことであったが、どんなに深い茂みに入ろうとも、金丸は虫に刺されるということがなかった。むしろ、人を悩ませる蚊も、足元を這う毒虫も、暗がりの蛇も──皆、金丸の向かってくるのに合わせて身を引いて、道を開けてくれるかのようであった。


 ──腹が減ったなァ。


 降りしきる雨の中で、寂しさが言葉に凝って浮き上がる。

 おもむろに歩みを止めると、太い木の下に腰を下ろし、黒く湿った樹皮に背を預けた。

 そのまま ひら、ひら、と手を宙に躍らせれば、黄金色の米粒が灰色の空の高みから ぱら、ぱらと降り、ひとりでに白い米へと剥け、香ばしく炊きあがりながらまとまって行く。

 やがて ぽと、と金丸の掌に収まる頃には、小振りな握り飯になっていた。

 こうやって、金丸は握り飯を出すこと自在であったから、飢えとは無縁のはずであった。

 だが、金丸は空腹のままだった。

 いくら甘く炊けた米を頬張っても、空虚な体がそこにあるだけであった。

 その理由が、金丸にはついぞ分からずじまいであった。


 ──いっそ、飯を食べるのをやめて、静かに目をつむっていれば、そのうち気持ちがふわふわとして、遠くなって……いつかの昔に通ってきた道をたどって帰れるのだろうか。


 追われ続ける日々の果てに、金丸は、いつしかそんな風に考えるようになっていた。


 長い溜息をついて、膝を抱いて目を閉じる。ただ無心に弾け続ける雨音を聞いていれば、少しは気持ちが楽になる気がした。  

 その時──不意にその音が金丸を引き戻した。

 金属が がぁん、がぁん、と打ち合わされる、たとえようもなく醜くて、それでもついつい身を乗り出してしまう、音。

 人間の憎しみと恐怖が だぁん、だぁん、とぶつかり合い、ぐしゃぐしゃにもつれあって弾ける、もわりとした音。

 そう──流浪の旅の中で、何度も見た事がある、それ。

 戦が終わったとはいえ、いまだに生臭い血煙を上げ続ける、それ。

 ぱっ、と振り返った金丸の顔は、きっと──、


 ――殺し合いの音だ!


 輝いていたに違いない。


 金丸の目に飛び込んできたのは、白い閃光の中で弾ける真紅の血飛沫であった。

 大粒の雨が覆う灰色の世界を切り裂いて、眩しい光を放射する生きものが──一人の青年が、鮮やかに踊っていた。

 手には血染めの刀を持って。ほどけた長髪を振り乱して、切れた頬から真っ赤な血潮を飛び散らせながら。

 さあっ、と一陣の雨が通り過ぎ、青年の刃がひらめく。

 ぱっ、ともう一つ血飛沫が上がり、どす黒い断末魔の声が色のない世界を赤黒く染めた。

 豚のような不快な叫びに、ようやく金丸は理解する。

 青年の周りには、まるで蛆のように不格好な男たちが、刃を手にして蠢いていた。

 何やら、聞くに堪えない罵声を口々に上げている。

「──盗──……!」

「……せ、──を!」


 腐った口から、爛れた声がどろどろと流れ出ていた。金丸がたどってきた村々で散々聞かされた、何の役にも立たない泥の奔流。

 だが、そんな虫の排泄物に耳を傾ける余裕など、もはや金丸には残っていなかった。

 それよりも、目が、耳が、全身がその青年に奪われていた。

 多勢に無勢の陣の中、血と雨粒とを撒き散らし、泥をはね上げ、一人刃を振るい、舞い──驚くほどに無駄なく、正確に人を切り捨ててゆく、その姿。

 また、刀が煌めいた。抜き身の、細い刃。どこまでも優美な、長い刀身。銀と灰が混じり合う閃光が、豪雨を切り裂く。

 刹那──その光が、黄金色に変わった。

 青年が、驚いたようにこちらを見た。

 金丸も青年を見た。

 二人の間で、時が止まった。

 刃の放つ光の色が変わったのではない。

 刀身が、反射したのだ──金丸の持つ光、黄金色の光を。


 ぱあっ、と大輪の血の花が散り、最後の躰がどさり、と大地に落ちた。

 あとは、激しく打ち続ける雨粒の音と、青年の上がった息の音だけが不規則に響き続けているだけだった。


 青年の胸が荒く上下していた。顔に張り付いた髪の房の先からも、刀を握った拳からも、水を吸いあげた着物の縁からも、血が伝い、雫となって落ち続けていた。

 金丸を、まるで全身が鼓動に変じてしまったような胸苦しさが満たしていた。

 戦っている時は無敵の鬼神のようにすら見えた青年は、よくよく目を凝らせばかなりの傷を追っていた。返り血なのか、自らの血なのか分からない真紅が顔をまだらに染め、血と雨が混じり合った雫が輪郭を伝っている。

 不意に青年の血塗れの片手が上がり、破れた着物の脇腹を押さえた。呻き声と共に刀が大地に投げ出され、体が地面にくずおれる。

 青年は、それでも何かを求めるかのように顔を上げた。

 それは、苦悶に歪んだ美しい顔だった。

 何かが金丸の背中を押した。いつの間にか、静寂が全ての音をかき消していた。

 何かが天から降り始めたのが視界の端に見えた。

 ぱつ、ぽつ、と雨の音に代わって落ち始めたそれ──それは、黄金色の籾の粒だった。

 さらに一歩を進めれば、一面に敷き詰められた黄金色の籾床の上に、真珠色の粒が跳ね零れ始めた。それは、自ら輝く籾を脱ぎ捨て落ちる、白い米の雫だった。

 らせん状に虚空を満たす眩暈が、青年と金丸を隔てる距離をたわめ、大地をかき消してゆく。

 やがて、不思議な音色までもが聞こえはじめた。

 どちらからともなく見上げれば、もはや灰色の空でなく、白と、金の光がゆらめく天から──ぴゅうー……と不思議な歌声が降ってきていた。

 高い虚空に細長く、きらきらと身をくねらすものが、いくつも舞っている。

 その美しさに、金丸は思わず息を飲んだ。傍らで、青年も同じようにするのが聞こえていた。

 やがてその姿が明滅し、清らかな稲妻に変じた。

 音もなく輝く白い光が空を巡り、閃光が渦巻いて、光る玉に纏まってゆく。

 碧い、蒼い、瑠璃色の玉──天から地上にゆっくりと堕ちてゆく、完璧な形を描く宝玉。玉はくるくると回るたびに青い色を薄れさせ、清らかな白から、無垢の透明へと色を変えていった。

 金丸は、何が起こるかを知っていた。

 恭しく両手を天に捧げれば、回る宝玉はゆっくりと虚空で停止し、ほんの少し気だるげに震え……そして、ぱあん、と弾けて、天から降り注ぐ無数の米の雨を黄金の光で染め上げた。


 金丸は、心の臓の鐘の音を聞いた。

 孤独な夜に、塞いだ耳の奥から響く潮騒を聞いた。

 一人で歩く海辺の端で、寂しく耳に押し当てた巻き貝の抜け殻が歌う音を聞いた。

 天から、なつかしい鼓動が降り注いでいた。

 慰め、満たす、香気の雫──無数に降り続ける、黄金色の雨。

 天から降る黄金の籾は白い米に変じ、そしてついに薫り高い酒の露へと姿を変えていたのだった。


 雨音に押されるように、もう一歩だけ、歩みを進める。

 酒粒の紗幕の向こうから、青年がまっすぐ見つめ返していた。

 まるで操られるように、また一歩、歩みを進める。

 いつの間にか金丸の両手は上がり、絶え間なく堕ちる酒粒の雨が、寄せた両掌の椀の中に酩酊の池を作っていった。

 ついに青年の前にたどり着き、瞳を覗き込む。

 金丸は、その瞳をよく知っていた。


 ──飢えた瞳だ。 


 瞳に捕らえられながら、金丸はまるで宝冠のように、自らの両掌を青年の頭上に掲げる。


 ──哀しい瞳だ。


 まるで千年の昔からの儀式のように、恭しく掲げた掌の花を広げてゆけば、酒の泉は幾筋もの白糸と化して、血染めの青年を洗い清めていった。

 甘露の中で青年は瞬いて、まっすぐに金丸を見つめ返した。


 青年は、金丸と同じ瞳をしていた。


 その瞳が発する同じ思いを、金丸はただ言葉に載せる。

「全てを、飲み干そう」

 かすれた、だが迷いのない声が、答えを返した。

「ああ」

 あとはただ、酩酊だけが全てを浸していった。

 一度は空になった掌からは、いつしか黄金の酒の奔流が湧き出して、血染めの大地を染め上げてゆく。

 降りしきる雨の中、蠱毒の杯は何度も満ちては空になり、天から降る酔夢の歌声だけが響き続けていた。

 酒の滝が洗い流すのももどかしく、金丸は濡れた指を滑らせて、血が凝った面差しを何度もなぞった。

 疑念も、恐怖もない瞳がそこにあった。


 長らく感じていなかった静けさが、全身を満たしてゆく。


 ──安堵。


 もはや、温もりを求めて惑う童子の姿は、そこにはなかった。

 金丸には分かっていた。これ以上、自らを抱きしめる胸を、腕を探さなくても良いのだと。 

 これからは、この血に塗れた供物を抱きしめてやれば良いのだと。


 降りしきる雨の中、

 見つめているのは、大地に臥した血染めの刃。

 

 これが──黄金の申し子・金丸と、後に王となる、一人の青年との出会いであった。



<第十九話に続く>

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