二枚の離婚届
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「これからもずっと俺の隣にいて下さい」
俺、不破 湊は幼稚園からの幼馴染、(旧姓)南 凛と三年前に婚約。
今では俺は大手の企業の女社長の秘書、凛は人気モデルとなっている。
人気モデルということで言うまでもないが、凛はとてつもなく可愛い。
その可愛さは小学校の時から異彩を放っていた。
幼稚園生の時、凛に初恋をした俺は思い続けて十年、高校入学時に見事に成就したのである。
俺の容姿は正直凛とは不釣り合いだが、世間一般で見ればイケメンに近いほうではあるだろう。
少し贔屓目に見れば……
結婚後の生活は二人共とにかく忙しかった。
結婚する前も忙しくない訳ではなかったが、以前にも増して忙しかった。
お互い仕事の関係で同居しているにも関わらず顔を合わせることは多くはない。
それでも夜ご飯だけは毎日決まって二人で食べていた。
それだけでもお互い幸せだった。
目玉焼きにはソースだ醤油だなんだと、些細ないざこざはあったがそれはもう可愛いくらいのものだった。
喧嘩というような喧嘩もなく、夫婦円満。
俺はもちろん、はたから見ていた人にも離婚のりの字も想像できなかっただろう。
凛もそうであって欲しかった。
そうだと思っていた。
しかし今から一ヶ月前、終わりは急に訪れた。
「私たちもう終わりにしましょう」
それだけ言って彼女の名前が書かれた離婚届を目の前に突き出された。
俺は目の前で起きていることが現実ではなく夢であると信じて疑わなかった。
驚きすぎて涙も出なかった。
実際翌日の朝、水で濡れて乾いたようなしわくちゃの実物を見て腰を抜かしたほどだ。
凛の様子が少し変わったのは四ヶ月前、凛の祖母の容態が悪くなり始めた時あたりから。
医者から言われたのは余命宣告。
期間は半年だった。
小さい頃には俺もよくお世話になった義祖母。
俺でさえもかなりのショックを受けたものだ。
特におばあちゃんっ子だった凛からすれば耐え難い現実だったというのは想像に難くない。
実際凛はそれを聞いてから一週間、仕事も休み魂が抜け落ちたようなまさにもぬけの殻状態だった。
一週間後にはなんとか祖母を助けようとさまざまな文献とにらめっこする日々を続けていた。
俺は俺なりに色々と調べていた。
そして、調べていくうちに俺はある一つの手掛かりを得る。
ぬか喜びをさせてこれ以上傷つく凛を見たくなかった俺は、密かに先生にアポを取り、仕事に行くふりをして会いに行った。
先生が仰るには実際の容態を見ないと分からないが、凛の祖母は助かる見込みは低く、費用もバカにならないらしい。
それでも俺は見込みは低くとも凛の笑顔と優しい義祖母を諦めることができなかった。
僅かな可能性でもあるならと、今までの俺の貯金では足りないがなんとかしようと、俺が秘書をしている女社長にお願いをした。
その間も凛は、文献漁りを続けていた。
始めて数日経った後、丸一日何処かへ一人で出かけたかと思うと、次の日には打って変わって仕事に精を出すようになっていた。
俺は痩せ我慢をしているような凛を心配しつつも、頑張る彼女を精一杯応援し、これから何があっても支えていこうと思ったのを今でも強く覚えている。
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私の名前は不破 凛。旧姓は南 凛。
私の夫は不破 湊、幼稚園からの幼馴染。
昔から私は思っていたが、日本一、いや、世界一かっこいい。
ちなみに私の幼稚園の初恋の相手でもある。
その時に何か約束をしたが大した事でないのだろうか、忘れてしまった。
恐らく昔も今も、そしてもちろんこの先も、湊以上に好きになる男の子はいないと思う。
結婚後の忙しさは想像以上だったけれど、湊のおかげで仕事も頑張れたし、一緒にいるだけで何より幸せだった。
何もかもが幸せだった私達の元に、つい四ヶ月前、私のおばあちゃんが倒れたとの連絡が入った。
私と湊はすぐに駆けつけた。
そこで聞かされたのはおばあちゃんの余命宣告。
期間はたったの半年だった。
目の前が真っ暗になって何も手がつかなくなるという状態に陥った。
おばあちゃんを助けるためならどんなことだってするのに……
一週間は何も出来ず、ただただ夢だと願うばかりだった。
一週間後は少し落ち着きを取り戻し何か方法はないかと、私は無我夢中で文献を読み漁った。
何日か読み漁る内にそこで一つ手掛かりとなりそうなものを見つけた。
早速一日かけて文献にあった凄腕の医者に会いに行った。
話をするとどうやらすごくお金がかかるらしく、助かる可能性も低いらしかった。
それでも、可能性が見えたということに私は素直に喜んだ。
お金は決して払える金額ではなかったが、払うためには仕事を頑張らないとと思い、翌日からは仕事に打ち込むことにした。
けれど余命までの残り四ヶ月、その期間ずっと働いたところで目標の金額には届きっこない。
そんな憂鬱な考えが浮かんできた今から二ヶ月前、ある一人のおぼっちゃまが私の前に現れた。
彼の名前は巽 修哉。
親が大金持ちのいわゆるボンボン。
私の写真集を見て一目惚れしたと結婚を申し込んできた。
当然断るつもりだった。
そのはずだったのに……
私のおばあちゃんの病院の先生と親が知り合いらしく、私のおばあちゃんの容態を知っており、自分と結婚すれば費用を代わりに負担すると言う。
時間に追われ、大好きな湊をほったらかしにしてしまうほどおばあちゃんのことで頭がいっぱいだった私は、今思えば冷静な判断が全く出来ないと言うほど凄く混乱していたんだと思う。
おばあちゃんが助かるという言葉だけに過剰反応してその場で了承してしまった。
我に返った時にはもう大方の準備が整ってしまっていた。
大好きなおばあちゃんを助けるためには大好きな湊と離婚しなければならない。
涙で濡れては乾かしを繰り返したしわくちゃの離婚届に震えながらも自分の名前を記入する。
そして私は一ヶ月前、遂に湊に告げた。
「私たちもう終わりにしましょう」
と……
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離婚を切り出された俺は一人、トボトボと会社へ行く。
いつも見ているカラフルな景色とは打って変わって、俺の周りはいつもの色を失い、味気のないモノクロの世界が広がっている。
会社のエレベーターで上にあがり、ドアが開く。
何やら社長は取引先と電話をしているようだった。
「間に合わないってどういうことよ!前から約束してたでしょ?必ず何とかしなさいよ?二日後に取りに行くから!わかったわね?返事は?」
社長室のガラスはそこそこ分厚いはずなのだが……
隣の秘書室の入り口まで怒号が漏れている。
普段はかなり温厚な方だ。
怒ったところなんて今初めて見たものだ。
「多少のミスは人間だから仕方がない。それならミスを取り返せ」
これくらいの気概の持ち主だ。
そんな温厚な方があんなに声を荒らげているなんて……
「あら、おはよう、不破くん。例の件なんだけど、私の方で何とかしてあげられそうよ」
女社長の倉石 瞳さんは笑顔で迎えてくれた。
切り替えが恐ろしくはやい。
普段あまり怒らない人の方が怒ると怖い。とはよく言ったものだ。
俺も怒らせないようにしないと……
「あ、ありがとうございます」
俺は離婚の事を忘れ、喜びながらお辞儀をする。
ただ、金額が相当な金額なだけに、ひどく申し訳なく思ってしまう。
そこから二、三日は倉石社長への申し訳なさを仕事で返そうと奮闘するも、空回りして逆効果となるばかりだった。
もしかしたら離婚のことを考えないためにただ単にがむしゃらだっただけなのかもしれない。
四日後、倉石社長から突如呼び出しを受ける。
「例の件なんだけど……一つ条件を加えさせてもらうわね。私が何とかする代わりに不破くんには私と結婚して欲しいの」
クビを宣告されると身構えていた俺は急なプロポーズに焦ったと同時に、そこで凛と離婚するという事実を思い出す。
「わかりました。ではそれでよろしくお願いします」
俺は離婚のショックで投げやりになってしまい、条件を飲むことにしてしまった。
その二日後、一週間連絡の取れなかった凛から突如一緒に来て欲しいとのメールを受け、二人で凛の祖母の元へと向かった。
そこには元気そうな凛の祖母、絹枝さんの姿があった。
凛は少し痩せていたが体調や顔色は幾分かマシになっていた。
凛との話はやはり落ち着き、しばらくは離婚など忘れかけていた。
しばらく会話をした後、俺は仕事の呼び出しをくらい、二人を病室に残して会社へと向かった。
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湊に終わりを告げた私は、同居していた家を逃げるように飛び出し、仕事場の近くのマンションの一室を借りた。
湊と一緒にいるとたまらなく悲しく、申し訳ない気持ちになるからだ。
その気持ちを振り払うかのように仕事に打ち込んだ。
その間にも何度か巽さんと食事に行ったが、いつもより高級な食事では不思議と物足りなかった。
味はいつもより美味しいはずなのに。
一人でおばあちゃんのところへ行くと、そこには病気とは思えないほど元気な姿があった。
おばあちゃんは私に一人か尋ね、続けて湊くんも次は連れて来てほしいと頼まれる。
正直会いたい気持ちもあった私はその翌日、湊に連絡を取り、二人でお見舞いに行く事を約束した。
翌朝湊と久しぶりに待ち合わせをしておばあちゃんの所へ向かう。
おばあちゃんの病室に着き、しばらく三人で会話をした後、湊は会社から呼び出しをうけたと病室を出て行く。
やはり湊と話すと落ち着くのは変わっていなかった。
湊が出て行った後も私はおばあちゃんと二人で会話を続ける。
そこで私はおばあちゃんに凄腕の医者がいる事と、先約がいるがその人が終わればおばあちゃんの手術をしてくれるということを伝えた。
巽さんから借りたお金の入った封筒をおばあちゃんに渡し、明日くる先生と話して渡してほしいと付け加えた。
私は
「また来るね」
と笑顔で言って病室を後にした。
湊にメールを送ろうと文章を打ち始める。
『今日はありがとね。あと、急に離婚なんて言ってごめんなさい。本当は離婚なんてしたくないよ。大好きだよ湊。もっと湊の側に居たいよ。ごめんなさい』
メールを打つ間に、心に留まっていた感情が溢れてくる。ついには携帯の上に大粒の涙が零れ落ちる。
そのメールをゴミ箱にいれ、
「今日はありがとう、ごめんなさい」
とだけのメールを送った。
その後お昼ご飯にと食べたサンドイッチはしょっぱい味がした。
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凛からのメールを読み、そっと携帯を閉じる。
「ごめんなさい」
メールの最後の言葉が深く心に刺さる。
俺は改めて離婚を痛感していた。
しかしもうすでに社長との婚約がある。
切り替えられないのは自分が一番わかっていたが、どうしようもないと割り切ろうとはしていた。
「急に申し訳ないわね湊くん」
「いえ、それで用事とは?」
「頼まれていたものがやっと用意出来たの。あと、私は仕事で出るから机の上の報告書やらをまとめといてくれないかな?じゃあお願いね」
一方的にそう言って出て行く瞳さんにお辞儀をする。
目的の物を確認した後、報告書に目を通す。
山積みの量を見るとかなりの時間がかかりそうだ。
気合いを入れ直し片っ端から目を通していった。
時刻は午後九時。
四、五時間も読みっぱなしで流石に疲れた。
それにしても流石大企業だ。
かなり時間がかかってしまった。
社長室のすぐ横の自動販売機で買ったブラックコーヒーを啜りながら帰り支度をし、タクシーで帰宅する。
明るい街灯とは正反対の真っ暗な玄関の鍵を開ける。
「ただいま」
俺の疲れ切った声は、誰もいない家の中へと飲み込まれていった。
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湊へ送ったメールの返信は来なかった。
一日返信がこないのは初めてのことだ。
それだけでも湊との距離が離れていくのがわかる。
仕事の方は大分落ち着いてきた。
多分マネージャーの倉石 奏多さんが気を遣って調節してくれているのだろう。
最近何度か彼女が頭を下げて謝っているのを目にしたことがある。
それでも私の前では笑顔でいつも通り接してくれている。
ほんとに感謝してもしきれない。
今日は喫茶店での打ち合わせ。
馴染みのお店でよく一番奥の目立たない席を使わせてもらっている。
いつもと同じランチセットを1つずつ平らげると、話は世間話から仕事のことにかわっていく。
「今回はドラマのヒロイン役をして欲しいと言われてるんだけど、女優みたいなお仕事したことないって言ったんだけどどうしてもって……やってみる気ある?」
今まで女優に興味がなかったと言えば嘘になる。
しかしいきなりヒロイン役とはまったくもって出来そうにない。
呆気にとられている私を見て、
「断ろうか?」
と尋ねる奏多さん。
私は不安よりもしたいという気持ちが勝り、その場でやりますと返事をした。
「そっか、じゃあ連絡しとく。頑張ろうね」
手を振り出て行く奏多さんを見届け、頑張ろうと心に決める。
ピロロンッ。
その音にすぐさま反応するように携帯を取り出す。
新着メール0件の画面を眺める。
当たり前だ。
仕事の話の際はマナーモードにしているから音が出るはずもない。
マナーモードを解除し携帯をしまう。
ピロロンッ。
今度は間違いなく自分のものだ。
すぐさま携帯を開く。
新着メール1件。
湊だ。
わくわくしながらも急いでメールを開く。
差出人 先生。
少し落ち込みながらも本文に目を向ける。
「こんにちは。絹枝さんの件ですが、ご本人に手術を断られてしまいました。もしご本人のお気持ちが変わられたのなら再度連絡して頂きますようお願い致します。p.s.絹枝さんが凛さんとお話したいとおっしゃっていました」
カタッ。
携帯が手から飛び出した。
落ちた携帯を拾い上げ、急いで勘定を済ませるとタクシーを捕まえる。
「楠木総合病院までお願いします」
病室に入るとおばあちゃんが待っていたと言わんばかりに隣の椅子を指差す。
私は椅子に座ると何故断ったのか聞こうと口を開こうとした時だった。
「湊くんとは離婚でもするんか?」
予想外の言葉に驚いた。
離婚の話は湊にも頼んで負担にならないよう黙っておこうと決めていた。
戸惑う私を見ておばあちゃんは続ける。
「はぁー、やっぱりか。最近一人でしか見舞いに来ないし、凛の元気もない。この前二人で来た時は最初気まずそうだったし」
自分は気まずいだなんて思っていなかったのに……いや、そう思い込んでいただけか。
おばあちゃんには敵わないと思った。
「そうよ。離婚するの。それよりなんで手術断ったの?」
私は落ち着いた声でゆっくりと聞こうとする。目尻が段々と熱くなっていくのがわかる。
おばあちゃんは黙って二枚の封筒を渡してきた。
一枚は私が渡した巽さんからの手術費の小切手だった。
もう一枚を開けてみる。
中からは一枚の写真が入っていた。
湊と通った幼稚園の写真だ。
「そこが閉園になるのが決まったそうじゃ。湊くんと二人でそこに行ったら手術は大人しく受ける。行かないなら受けない」
私は
「わかった」
と了承し、条件のこともまとめて湊に伝えた。
湊からは夜に返信が来た。
「わかった。絹枝さんに手術を受けてもらおう」
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今日は瞳さんと食事の日だ。
夕方の待ち合わせまでは仕事がないので暇だ。
特にすることもないからか凛の顔が浮かんでしまう。
いつもなら嬉しい何もしない時間が、今はただただ苦しかった。
気分を変えるために本を読もう。
しかし、慣れないことをするからか、内容は頭に入ってこない。
しまいにはそのまま眠ってしまった。
はっと目を覚ますと、待ち合わせまで三時間。
少し急いで支度をし、玄関のドアを開ける。
誰もいない家に
「いってきます」
を言って……
瞳さんとの待ち合わせまで二時間。
俺は凄腕の先生のところへ来ていた。
どうやら絹枝さんに断られたそうだ。
手術費の小切手を返還され、そのまま先生にはお礼を言って別れる。
別れる間際、先生は
「同じ人への予約だったなんてな」
と呟いていた。
集合場所に着くと向こうから歩いてくる瞳さんが見える。
いつもとは違う私服姿に少しドキッとする。
「安心しろ。お店は事前に調べてあるし大丈夫だ」
自分に言い聞かせる。
「待たせちゃった?」
「いえ、僕も今来たところです」
カップルかのようなやり取りをした後、お店へ案内しようとすると、
「じゃあついてきてね。今日行くのは私の行きつけのお店なのよ」
呆気にとられていると、
「早く!」
と催促され小走りで追いつく。
お店予約してなくてよかった……
着いたお店は上品なお店だった。
思わず財布の中を確認する。
足りるかな……
辺りを見回してコンビニを探す。
そんな俺を見て瞳さんが言った。
「お金は私が持つから。もし嫌なら給料から少しずつ引いていくけど?」
瞳さんの鋭い目力に押され、
「給料から引いて下さい」
と一言告げる。
瞳さんは一目散に店の奥の個室へ入っていく。
それに続いて俺も入った。
次の瞬間、目の前の料理に目を奪われた。
今まで食べたことのない高級な料理が広がっている。
俺の意思とは関係なく唾液が口いっぱいに広がる。
ずっと立っていたからか、早く席に座るよう促されてしまった。
「さぁ食べましょう」
瞳さんは黙々と食べ始める。
俺も恐る恐る口に運ぶ。
美味い!今まで食べた中でもトップクラスに美味い。
「そっか、口に合ったようで良かった」
表情から読み取ったのか瞳さんは満足そうにそう言った。
その後は世間話やら仕事の話やらで盛り上がり、あっという間に時間が過ぎた。
「今日はありがとうございました」
俺はタクシーに乗る瞳さんにお礼を言い、手術費を返す。
驚いた瞳さんは良いのか?と目で訴えてきたので俺は静かに頷いた。
「では明日も仕事よろしくね」
そう言う瞳さんを見送り家へと帰る。
家に着き、携帯を開くとメールが届いていた。
差出人 凛。
本文には昔二人で通っていた幼稚園が閉園となること、明日そこに行くことで絹枝さんが手術を受けてくれることが書かれていた。
俺は了承する返事を送り、明日の朝、瞳さんに事情を話そうと決め意識をそっと手放した。
翌朝、俺はいつもより少し早く会社へ向かう。
いつも通り社長室にいる瞳さんには、婚約の約束をしているので包み隠さずに全てを話した。
瞳さんはいつもと変わらず話を聞き、
「あらそう、じゃあ今日はあがっていいわよ」
と言ってくれた。
「用事が早く済めば連絡して戻ってきます。」
そう言って俺は凛の元へと急いだ。
病室に入るとすでに凛と絹枝さんがいた。
「ごめんね湊くん。凛をよろしくね」
「いえ、わかりました。手術頑張って下さい」
凛の手を引き病室を後にする。
凛の手を引いたまま懐かしい幼稚園へと歩いて行く。
途中でハッと気付き急いで手を離す。
「あっ……」
離すと同時に凛がそうこぼしたので、
「ごめん」
とすぐに謝罪した。
「あ、違うの。おばあちゃん実はもう離婚のこと知っててそれであんな条件を……」
俺はその時やっと理解した。
メールを読んだ時何故そんな条件なのかと思っていたがそういうことだったのか。
「そうだったのかー。それなら言ってくれれば良かったのに」
と言いつつ、俺は凛の手を握ることが出来て喜んでいる自分に気がつく。
そんなことを考えていると懐かしの幼稚園が見えてくる。
そこから幼稚園に着くまでは凛との間に長い沈黙が流れる。
昔はあんなに大きく感じたジャングルジムが今は自分より少し大きいくらいに見えている。
「あっ!」
そう言って凛が走り出す。
その姿に幼稚園生の頃の姿の凛と重なり、思わず俺も走り出す。
「そういえば……完全に忘れていた。今の今まで」
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二人で病室で待ち合わせをした。
湊は一度会社に寄ってくるらしい。
湊が来るまではおばあちゃんとお話していよう。
「今日の手術頑張ってね」
「頑張りますとも。あ、そう言えば昔埋めたものはもう取り出したんか?」
「ああー、中学のタイムカプセルでしょ。私達が二十歳の時に取り出したわよ」
おばあちゃんはなんだか腑に落ちないと言うような面持ちだった。
ガラララッ。
「遅くなってすみません」
湊が言った。
おばあちゃんは私をよろしくと湊に言って、湊はそれを了承した。
次の瞬間だった。
ギュッ。
湊に手を引かれドキッとする。
そのまま病室をあとにした。
手を引かれたまま幼稚園へと向かっていく。
パッ。
「あっ……」
湊の手が離れて思わず声が出た。
ごめんと謝罪する湊に伝える。
「おばあちゃん実は離婚のことを知ってて……」
さっきの状況を思い出し、敢えて伝えていなかった過去の自分を静かに褒める。
そんなことをしている間に懐かしの幼稚園が見えてくる。
そこから私はふと、病室での微妙な反応だったおばあちゃんを思い出す。
埋めたもの?タイムカプセルは正確には埋めていなかった。
図書室の二階に置いてあったものだ。
おばあちゃんの勘違い?それとも……
気がつくとすでに幼稚園に着いており、目の前にはジャングルジムがあった。
その奥にある築山が目に入った瞬間、綺麗にパズルのピースが埋まった。
そうだ、幼稚園のころ築山の近くの木に埋めたものがあった。
何を埋めたかまでは思い出せないけど、たしかに埋めた。
私は一直線に走り出した。
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俺と凛が埋めたのは確か紙のようなものだったはずだ。
未来への自分の手紙とかだろうか?
目の前を走る凛は思い出しているんだよな?
そんなことを思いながら凛に追いつく。
俺たちは二人して辺りの土を掘り返す。
「あった!」
凛の声に振り向くと、小さな箱が埋まっていた。
凛と二人で持ち上げると、蓋が外れて小さな2枚の紙がそれぞれの前に落ちる。
俺は目の前に落ちた一枚のみらいの『みなとくんへ』と書かれた紙を拾い上げて読み始めた。
「あたしはみなとくんがだいすきです。みなとくんはいまでも、あたしのことがすきですか?けっこんしてますか?まだだったらはこのなかのかみをつかってください。りんより」
読めるか読めないかギリギリの文字で書かれた手紙を読み終えた俺は涙が止まらなくなっていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は目の前のみらいの『りんちゃんへ』と書かれた紙を拾い上げ読む。
「ぼくはりんちゃんのことがすきです、それはみらいのぼくもかわっていないです、ぼくのおよめさんになってますか?まだだったら。このなかのかみをつかってみらいのぼくがつたえます、みなと」
ギリギリ読めた手紙に、
「句読点があべこべじゃない……」
私は声にならないつっこみをしながら涙を流していた。
俺たちは箱の底に引っかかっている紙を取り出そうと箱を裏に向ける。
その時、俺のポケットから提出し損ねていた離婚届が落ちる。
俺たち二人の視線が落ちた離婚届に釘付けになった瞬間、箱から一枚の紙が舞い降りていく。
落ちてきたもう一枚の離婚届を見て思わず凛とお腹を抱えて笑う。
「結婚がまだだったらこの紙使えねーよ」
凛の手紙に笑いながらつっこむ。
「小さい頃の湊にもそっくりそのまま返すわよ」
笑う俺の横で凛の携帯の音が鳴り響く。
凛はメールを見て泣き出した。
携帯を見てみるとどうやら手術は成功。
これからも長生き出来るそうだ。
続けて凛の携帯に着信がきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
奏多さんからだ。
「用事は終わった?」
「はい、もう大丈夫です」
そう答えた時湊の携帯も鳴った。
少し離れて小声で会話を続ける。
「落ち着いて聞いてね、湊くんね、婚約が決まっているらしいわよ。会社の社長と」
一度お会いしたことがある。
すごく綺麗で聡明な方だと感じたものだ。
「え……そう……ですか……」
落としそうになる携帯をなんとか受け止め答えた。
私の声は少し震えている。
「凛のおばあちゃんの手術費の負担を条件に受けたそうよ」
「え……」
声にならない言葉を発し固まっていると続けて奏多さんが言った。
「あ、そうそう、湊くんの結婚相手私のお姉ちゃんなんだけど電話代わるわね」
「……もしもし、初めまして倉石瞳です。奏多がお世話になっているそうで」
「……あ、いえ、こちらの方がお世話になっております」
「まぁ、単刀直入に言うわね。私湊くんとは結婚しないわ。結婚ってのは湊くんが余計な恩を感じて空回りしてたからそれを止めたかっただけなのよね。まあべつにしても良いかなとは思ってたけどね。それじゃあね。湊くんによろしく」
一方的に言われ電話を切られてしまった。
電話を終えて湊のところへと戻る。
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瞳さんからだ。
「用事の方は終わったみたいだね」
「え、あ、はい」
「聞いて驚かないでよ。実は凛ちゃんには婚約の予定があったらしいよ。相手は巽修哉という坊ちゃん」
「……そうですか……というかあったってどういうことですか?」
「まぁ落ち着いて、その巽修哉って男だけど、実は私の弟なんだ。問い詰めたら凛ちゃんのおばあちゃんの手術費を負担すると婚約を持ちかけたそうなの」
「え、巽って、瞳さんは倉石じゃ……」
「修哉は父と喧嘩して母方の性を名乗っているらしいのよ。まぁそんな訳で凛ちゃんは別に修哉が好きではないらしいから」
「は、はぁ……」
自体がいまいち飲み込めない。
「あと婚約の話は白紙にしといた。私も最初は驚いてさ、ちゃんと話聞いたらなかなかひどい経緯だったからさ、つい頭にきて一喝したのよ。そしたらなんか感動したのか涙ながらにまじめに探すって約束してくれてね。まぁそういうことだからじゃあね〜」
そこで電話は切れた。
凛の婚約が白紙なのはわかったが、社長が一喝か……
俺はとある日の電話中の社長を思い出していた。
そりゃ涙ながらに言うしか……ね……
凛はまだ少し離れたところで電話をしていた。
それにしても凛にまさかそんな話があったなんて……
少しして電話を終えた凛が戻ってきた。
「凛に結婚の話が来てたんだな」
そう言うと凛は驚いていた。
「なんか白紙に戻ったらしいぞ」
「え……?ほんと……?」
「ああ、何でも相手は社長の弟らしくて」
少し表情が明るくなった凛が切り返してきた。
「湊こそ社長と結婚するんでしょー?」
「な……なんでそれを……」
「しかも条件出される前は空回りで失敗ばっかだったんでしょー?……まぁ、私のおばあちゃんの為だったらしいけど……」
後半部分は凛の声が小さ過ぎて全く聞き取れなかった。
俺は恥ずかしくて固まっていた。
そんな俺に凛は続けて言う。
「あ、そうそう、その空回りを止める為の結婚話だったらしいよ。まぁつまり湊は社長とは結婚出来ないらしいよ。残念だったね」
そうだったのか。
と俺は天を仰ぎ冷静になった。
俺も凛も結婚話は無くなった。
落ちていた二枚の離婚届を拾い上げ、新しい方の離婚届を凛の前で真っ二つに破った。
昔の離婚届を凛の前に差し出す。
「俺と結婚して下さい」
少しの静寂の後、凛が口を開く。
「離婚届破ったら離婚出来ないじゃない。あ、でもこっちも離婚届か……」
少しの沈黙の後俺はそうか、と渋々顔を上げる。
凛は俺の目を見て、
「まぁ離婚する気ないんだけどね」
とペロッと舌を出し悪戯っぽく笑うと、俺の胸に飛び込んできた。
俺も凛を抱きしめる。
「私次女優さんの仕事するんだ。出来るかな?」
「今のは俺も騙されたし、出来るよきっと」
そうよね。と言って凛は俺を少し離し、至近距離でお互い見つめ合う形になる。
可愛い顔の両頬が林檎のようになる。
「あ、あのね……」
凛は少しして視線を外し、また戻して言った。
「これからもずっと私の隣にいて下さい」
最後まで読んで頂きありがとうございます。
最後はハッピーエンドとなりました。
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