新入塾生は名家の令嬢でした
短編連作の形になる予定です。
完全に趣味で執筆しているため、更新はのんびり不定期です。
「うっわ、もう十一時かよ」
終業時間からゆうに三時間が経っていた。クソ、田中め。
五郎は、自宅に駆け込む。三十代を目前として両親と同居している一軒家である。
(ただいま)
小声で言う。もう両親は寝ている時間なのだ。
忍び足で二階に上がり、子ども部屋――なにが三十代目前で子どもだ、と思うが両親にとっては永遠の子ども部屋なのだそうだ――に入る。
スーツも脱がないままで、幼いときから使っているクローゼットを開く。
そのクローゼットは、『夜の梟堂』にあるものと瓜二つであった。
この中が、どうやら異世界に通じているらしいということが分かったのはちょうど一年前。転移した瞬間、ミネルバと名乗る漆黒の髪の魔女に見つかった。危うく火魔法で黒焦げにされそうになったのは今や良い思い出――ではない、五郎は結構根に持つタイプだ。
そして、紆余曲折あり、留守にしがちなミネルバの代理として火曜日と金曜日に『夜の梟堂』の講師として出勤することになったのだ。
「よっし、行くぞ!」
クローゼットに飛び込む。
ふわり、という浮遊感とともに、五郎を包む空気の質が変わる。異世界にあるクローゼットへと転移したのだ。
安心感。転移するときに感じる不思議な感覚を、五郎は――ゴローは、そう呼んでいる。
「すみませーん、遅刻しました」
「あっ、ゴロー!」
クローゼットから出ると、すでに実技演習室で待ち構えていたマツリが駆け寄ってくる。
「おっ、マツリ。どうだったよ、試験は!」
前回出講したのは金曜日。王立魔法学校では、毎月月末の土曜日に中間試験がある。マツリは、栗色の柔らかい髪を揺らして、にっこりと笑った。
「はいっ、ゴローのおかげでちゃんと合格できました!」
おおーっ! とゴローが大きくガッツポーズをした。王立魔法学校の中間試験は、ちょっとやそっとで合格が出るものではない。半分以上が不合格、追試となることも決して珍しくない難易度なのだ。一発合格、素晴らしい!
「ちょっと! 運が良かっただけじゃない。いい気にならないで欲しいものだわ!」
喜びに浸っていると、不意打ちでツンツンケンケンした声が響く。学習塾ガッツに子どもを通わせている教育ママに非常に酷似した声に、ゴローはビクッと身体を震わせた。
「ど、どどど、どなたさま?」
「……っ、どなたさま? あなた、ワタクシのことを知らないの?」
見ると、実技演習室の隅にゆうゆうとウェーブする銀髪に大きなリボンをつけた女の子が立っている。
銀髪。
普段はマツリの栗色の髪や、ミネルバの漆黒の髪を見慣れているので忘れがちだが、異世界である。物珍しさに顔面至近距離まで近寄ってみると、まつげまで銀髪だ。つまり、アンダー的なヘアーも?
「ち、近い! 近い近い近い近い!」
ゴローの奇行に、銀髪少女は顔を真っ赤にして逃げ惑った。
「あ、申し訳ない。ついっ!」
「あはは、ごめんねヨルガオちゃん。ゴロー、こっちの世界に全然慣れてなくって」
マツリがすかさずフォローを入れてくれた。
せっかくの異世界転移といいつつ、ほとんどの時間を『夜の梟堂』で過ごしているゴローは、まったくこの世界の常識に疎いのだ。
「ふんっ、『こっちの世界』、ね。本当にこいつが、異世界から来たスゴ腕の指導者なんでしょうね」
そうは見えないけど、と、ヨルガオなる少女は、疑いの眼差しでゴローを見る。
「そうだよ! ゴローの言うとおりにすると、不思議にテストが出来るようになるの。わたしにもどうしてか分からないけど、本当だよ!」
「まあ、去年はビリに近かったアンタの成績が、学年次席に追いつくくらいなんだから、何かあるんでしょうけど」
「うん、ゴローは本当にすっごいんだから!」
ゴニョゴニョと何か言っているヨルガオの手を取って、マツリがぶんぶんと降っている。なるほど、魔法学校の同級生のようだ。雰囲気から察するに、クラスのリーダーで優等生の、跳ねっ返りといったところだろうか。
「まあ、スゴ腕かどうかは知らんが、俺は『夜の梟堂』の講師だ」
ちなみに、生徒は今のところマツリひとりだ、と言おうとしたが、あとからミネルバになんと言われるかわかったものではないので、口をつぐむ。『夜の梟堂』は経営難に陥っていた。ミネルバが席を外しがちなのも、いわゆる出稼ぎに出かけているからなのだ。
「で? ヨルガオちゃん、かな。なにか『夜の梟堂』にご用かな?」
言うと、ヨルガオがキッと睨み付けてくる。顔が赤くなってプルプルと震えているところを見ると、何か言いにくい事情でもあるのだろうか。
(あ、あのね、ゴロー)
マツリがゴローのスーツの袖を引っ張って部屋の隅に誘導し、耳もとで内緒話をはじめた。ゴローも、それにつられて小声で返答する。
(なんなんだよ、あの偉そうな子。同級生? おまえ、いじめられてたりしない?)
(ちがうの、あのね、ヨルガオちゃんは……)
「ちょっと! この私も差し置いて、なにを話しているのよ!」
「うわっ!」
銀髪が大激怒した。迫力に気圧されて、ゴローとマツリは床にすっころんだ。
「はぅっ! ち、違うのヨルガオちゃん、別に」
「分かっているわよ、どうせ、私の悪口を吹き込んでいたんでしょう!」
言いがかり・オブ・言いがかり、である。しかし、ヨルガオはどんどんと顔を赤くして、ついには目元に涙まで浮かべはじめてしまった。
「お、おい?」
「分かっているわよ! ツチミカド家の跡取り娘が、ろくに魔法も使えない。成績も最悪。どうせ、どうせコネで入学したんだって言われているんでしょう!」
ゴローは目が点になる。
えっと?
「もしかして、お前、入塾希望か?」
「そーよ、なにか問題でもっ!?」
いや、ない。っていうか、そのキャラで勉強できないんだ……大変だな。ゴローは同情した。
「いや、ないない。ないよ」
ゴローは立ち上がって、スーツについた埃を払う。
「入塾希望者っていうんなら、ちょっとはじめさせてもらうかな」
「はじめるって、何を?」
「うん、学習面談」
***
場所を一階に移し、『夜の梟堂』自慢のティーセットでお茶を煎れた。
機微な話になる可能性もあるので、マツリには席を外してもらい、二階の実技演習室で自習してもらうことになった。マツリには、一通りの勉強のコツを教えてある。自分で自分の勉強をコントロールする段階に入っているのだ。
「まずはヨルガオ。今回は、『夜の梟堂』に来てくれてありがとう」
「ふぇ? べ、べつに」
「いま一番、困っていることって何かな」
「えっと、そうね」
ヨルガオの話をまとめるとこうだった、勉強時間は十分。一流の大魔法使いを家庭教師として雇い、なんでも質問できる状態で、手ほどきも受けられている。分からない問題はじっくりと腰を据えて考え、覚えにくい呪文については何度も何度も反復をして完璧になるまで叩きこんでいる。
しかし、それが学校でテストをするという段になると、まったく出来なくなってしまうのだ。
「それで、悔しいのが、家に帰ってやってみると、座学も実技も、問題なく出来るのよ」
ヨルガオが、机の上で拳を握りしめている。
「なるほどな」
「あとは、基本的な問題はできているはずなのに、ちょっと応用された聞き方をされると、もう頭が真っ白になってしまうわね」
「うん、うん」
「可笑しいと思っているんでしょっ」
「いや」
ゴローは、低く落ち着いた声で言う。
「大丈夫、良くあることだから」
「え?」
「良くあることだよ」
「良くあること」
自分の悩みを、良くあることだと一蹴されて激怒するかと思いきや、ヨルガオは毒気を抜かれたように目をぱちくりとさせている。
相当に悩んでいた証拠である。寝ても覚めても悩んでいたことに対して「良くあること」、すなわち「どうにかなるもの」であると提示されれば、自然と肩の力は抜けるものだ。
「じゃ、じゃあ、私の成績、どうにかなるっていうの?」
ヨルガオが身を乗り出す。
ゴローは、にっこりと微笑んで言った。
「ああ。絶対にどうにかなる」
ヨルガオの瞳が大きく見開かれ、パァッと輝いた。
「ほ、本当に?」
「ああ」
ゴローは、力強く頷く。
「俺と一緒に、頑張ろう」
言うと、ヨルガオはこくりと首を縦に振った。ゴローのことを信頼した表情である。
「なんだか、ちょっと心が軽くなったような気がするわ」
ヨルガオが笑って、深々と頭を下げた。その所作は完璧で、話の流れからどうやら名家の令嬢らしいと察していたゴローも、その推測を確信に変えた。
「よろしくお願いします。ゴロー先生」
「おっと、先生はやめて、先生は」
「で、でも」
「だって、俺、お前らに教えられることなんてないもん」
「え?」
ヨルガオが怪訝な顔をした。ゴローは、ぽりぽりと鼻の頭を掻きながら言う。
「あー、ほら。俺はこの世界の人間じゃないからさ、使えないんだよ」
「え?」
「だから、使えないんだよ、魔法」
「え、えええっ!?」
一気にヨルガオが不審そうな顔をする。
「ただし、絶対に成績を上げる。見ろよ、マツリを」
成績最下位層から、一気に学年次席に駆け上がったシンデレラガール。ゴローが手塩にかけて育てた生徒第一号である。
「俺を、信じてみてくれないか」
ゴローは右手を突き出す。
少しためらって、ヨルガオはその手を取った。
藁をも掴む思いのヨルガオにとって、その手はあまりにも温かく、力強かった。
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