第五集 31~35
―31.シフト―
シフト。それはバイトをしているものにとっては大きな悩みの種だ。特にゴールデンウィークなる大型連休があるこの時期のシフト決めは、悩みどころだ。まあ、就活浪人が決まって、コンビニmanistopでのバイトを始めたのは、ほんのちょっと前。前のバイト先経験を生かして、研修期間無しでもバリバリ働けますなどと言った手前、連休中も休むわけにはいかない。ただ、ところどころで大学時代の仲間と飲み会があるので、それだけは開けたい。まあ、そのメンツの中で就活浪人なんぞやっているのは俺だけなので、少々憂鬱なのだが。
就活で最初に一抜けしたのは、俺なのになあ。畜生。
内定先が倒産だなんて。そんな凶事に見舞われたのは、ひとえに自分の‘臼井幸夫’などという、‘幸薄’な名前が原因になっているに違いない。普段は、占いなんて信じないくせに。こういう都合のいい時だけ、当て馬な感情をぶつけるために信用する。そんなちっぽけな自分にため息をつきながら、ひとりの部屋で朝食を取っている。最近は神楽坂さんの家にお邪魔することが多くなって、家事がおろそかになってしまった。
洗濯物が溜まっている。
床の端々には埃が溜まっている。
「連休中に久々に掃除でもするかな」
とくに冬の間の暖房で汚れてしまったエアコンを、これからの時期に供えて掃除しておきたい。近くの薬局でスプレー洗剤を買おう。そう思い、立ち上がった瞬間にスマートフォンに着信が入る。電話を取ると、あの声がした。
「あ~、臼井くん。シフト入れておいたから」
「……、神楽坂さん?何ですか、シフトって?」
「臼井くんがあたしといる時間っ!」
俺の連休は、コンビニと、行きずりの女の家で居候する業務により、つぶされた。
―32.存在意義―
コンビニのシフトを入れている間は、神楽坂さんも遠慮してくれたが、時間を拘束されることには変わりはない。神楽坂さんの家に行くのは慣れたものだ。高級マンションに住む他の人たちから俺は、どんな目で見られているのか。考えてみると少し怖い。味噌時に近い麗人の部屋に、俺が足しげく通っているのを見て、通い妻ならぬ通い婿とでも思っているのだろうか。
顔を歪めながら、エレベーターで神楽坂さんの居室にまで上る。インターホンを押すと彼女が秒速の反応で、玄関を開ける。もはや待ち構えていたのではないかという具合だ。
「臼井くん、おっはよう!」
彼女の家に行って何をするのか。それは俺が聞きたい。ただ単に向こうも暇つぶしで俺を呼んでいるだけなのに。やけに細かく時間を指定してくる。それもなぜか朝早い。
「あの……、今朝の七時ですけど」
「昔、デイトレードしてたら、この起床時間が身についてしまってねえ」
神楽坂さんは投資家で稼いでいる。資産運用にまわす元金はどうやって貯めたのかは知らないが、とにかく今は高級マンション住まいを維持できるほどになっている。そして、今は中長期投資というやり方に乗り換えているらしい。証券市場が開いている間は、目をひん剥いてモニターに張り付いていたのが、今では悠々自適に暮らしている。まあ、だから暇を持て余して、俺なんぞを連れ込んでいるわけだが。
「二度寝とかしないんですか」
「せっかく早起きして、朝からぐうたらできるのに。
寝ちゃったら、もったいないじゃない!」
睡眠とぐうたらの差が分からないのだが。
「それに今日は、ネット動画配信サービスで海外ドラマを見まくる予定なの!」
そう言ってリビングルームに置いてある巨大モニターの電源を入れ、インターネットにつなぐ。最近になって動画配信サービスの会員になったらしい。
「月額千円で見放題って本当にお得よね」
「何見るんですか、というかこれ、僕必要なんですか」
疑問符を浮かべながら、上物の革張りのソファーに腰かける。するとそのすぐ隣に、神楽坂さんがリモコンを片手に腰かけてきた。海外ドラマを見るということと、俺がわざわざ彼女の家にいることとは、直接関係ないじゃないかと思うわけである。
俺だって、せっかくの休みだし、家のことしたいし。
いや、流石にこんなことを思うのは、非情か。
「必要だよ。臼井くんは」
そう言って俺の太ももに頭をもたげて膝枕の格好になった。
「こうすると、いい感じの位置に頭が来るのよね~」
「あの、帰っていいですか」
―33.SNS―
海外ドラマを何本か見終わったあとで、神楽坂さんはおもむろにスマートフォンを取り出した。SNSを最近始めたのだという。なんでも利用している動画配信サービス利用者のグループがあるらしく、そこに見た感想を投稿すると、その感想が共有されるのだそうだ。
「あ、このSNS。僕もやってますよ」
「え、本当に?じゃあ、相互フォローしようよ!」
そして、互いのアカウントをフォローし終わった後。
鉤爪の女@kagitsume
>@yuky
フォロバありがとう!よろしくー!
Yuky@yuky
>@kagitsume
こちらこそ、よろしくお願いします。
鉤爪の女@kagitsume
>@yuky
ねえね、さっきっ見たの、どうだった?
「いや、隣にいるんだから直接話してくださいよ」
鉤爪の女@kagitsume
>@yuky
え~、いけず~。
「その返答もそっちでするのかよ!」
鉤爪の女@kagitsume
>@yuky
だって、楽しいじゃん。そっちもここで返答してみてよ
Yuky@yuky
>@kagitsume
いや、別にいいですけど。なんか意味あるんですかこれ?
鉤爪の女@kagitsume
>@yuky
遠距離恋愛みたいで楽しいじゃん。
「いや、遠距離て。膝に頭乗っけながら言われても」
いや、でも考えてみれば、神楽坂さんほどの麗人に膝枕をしている俺というのは、充分に人に羨ましがられる状況なのかもしれない。たしかに彼女の絡み方は、少々面倒くさい面もあるが。この状況は悪くはないのかも。
鉤爪の女@kagitsume
>@yuky
お腹空いた。お昼作って!
「SNS介してパシるなや」
―34.リクエスト―
不本意ではあるが、腹が減っているのはお互い様。神楽坂さんは料理ができない。そして俺は自慢ではないが、自炊歴が長い。よって味をしめた彼女は、頻繁に俺に食事を作らせるようになった。
「神楽坂さん、何食べたいですか?」
キッチンに立てば、その台詞が自然と出てくるぐらいに順応されてしまった。自分では、他者とはあまり関わりを持ちたくないという人種だと思っていたのだが、これじゃあまるで世話好きみたいじゃないか。
キッチンからリビングのソファに座る神楽坂さんに呼びかけたが、返事はない。代わりに無言でスマートフォンの画面を指さしてきた。そういうことかと、自分のポケットに入れてあるスマートフォンを取り出す。
鉤爪の女@kagitsume
>@yuky
あたし、揚げ物がいいな~!
「いや、だから。直接言えって」
鉤爪の女@kagitsume
>@yuky
色々と野菜とか、お肉とか買ってみたんだよ
冷蔵庫を開けると、なすび、じゃがいも、にんじん、鶏むね肉などが入っていた。前よりは生活感は出てきてはいるが、理由を考えると顔を歪めずにはいられない。
「それって、僕に作らせるためでしょうが」
―35.素揚げ―
俺が料理の支度を始めていると、きまって神楽坂さんは俺の隣にやって来る。料理を自分ですることに関しては、包丁もろくに握れないほど駄目だが、他人がやっているのを見るのは好きなのだという。始めは彼女のことも考えて、一緒に作るようにしていたが、とんでもない時間と手間がかかるため、もうそれもやめた。幸い、このキッチンには、神楽坂さんが形から入るためにと、取り揃えた調理器具が豊富にある。そのうちのほとんどは買った本人でさえ、使い方を知らないそうだ。
調理器具の棚に、揚げ鍋が置いてある。ひとり暮らしで自炊をするという人は多いにしても、揚げ鍋が家にあるというのは、上級者だ。揚げ鍋は縁に着脱可能な網棚が付いているのが便利だ。そこに揚がったものを置くことで、ある程度の油を落とすことが出来るのだ。揚げ鍋をコンロの上に置き、まずは野菜を洗って切る。
「神楽坂さん、野菜を普通の冷蔵室に入れるとカピカピになっちゃいますよ」
「え、そうなの?」
「せっかく野菜室あるんですから、そこに入れてください」
「冷やせばいいわけじゃないのね」
「冷やし過ぎると食感が固くなったりしますから」
食材をそれぞれ適当な大きさに切って、水気をキッチンペーパーで拭き取る。
「えっと天ぷら粉とか、パン粉とかはある?」
「え、ないわよ」
「衣の材料がないのに揚げ物を所望したのか」
「そっか、衣ってつけないとダメなんだな。
揚がるとついて来るものかと」
「どんな油使ってんだよ、それ」
本当にこの人の料理に関する知識の乏しさには、白旗を挙げざるを得ない。
「んじゃあ、素揚げにでもするか」
揚げ鍋に油を注ぎ入れる。素揚げだと使う油は少なめでもいいので、少し遠慮がちに注ぐ。揚げ物に使った油はオイルポットでこせば、何度かは再利用できるが、できれば油は節約したい。揚げ物に凝っていた時期は、炒め物などでは全然減らない油があれよあれよという間に減っていくので焦ったものだ。
弱火から中火でゆっくりと温度を上げていく。油の温度調整が難しいところだが、箸先を油につけて出る泡の量で見たり、油のかさが少なくて分りにくいときは、切った材料のかけらを試しに放り込んでみて実際に揚げてみる。油がはねないこと、油煙がたたないことなどを確認したら、材料を投入しじっくりと揚げていく。油の色と焼き色で、素材の色にほんのりとキツネ色が混じれば、火が通った証拠だ。火が通りにくい根菜も、揚げれば思いのほか早く火が通る。揚がったら網棚の上にしばらく乗せて油を落とし、さらにキッチンペーパーで表面の油を拭き取る。
「試しに食べてみます?」
少しだけ塩をつけて、出来上がりを味見してもらう。彼女の白い歯が、なすびの素揚げに突き立てられたとき、さっくりと微かな音が鳴る。粉でつけた衣ほど主張はしないが、控えめに音を立てる。上品な音色だ。
「あつっ」
彼女の表情のほころびが教えてくれる。上出来だ。
「おいしいっ!」