第四集 24~30
―24.指名―
神楽坂さんの身の回りの世話というか、単なるパシリでお金をもらうというのも流石に気が引ける。自分はあくまでもニートではなく、就職浪人なのだ。定職という目標に向かって前進する必要がある。就職活動資金を貯蓄するため、食いつなぐため。そして何よりも神楽坂さんに厄介になっているという現状を脱するために。俺は下宿近くのmanistopというコンビニエンスストアでアルバイトをすることにした。
コンビニでのバイトは経験済みなので、面接もすんなりと通った。就職活動と卒業論文、その他もろもろの事情を考慮し、4回生のときは不定期バイトを渡り歩いていた。レジ打ちに棚卸、フライヤーでのホットスナック類の調理。肉まんに最近始まったドーナッツやコーヒードリップなどのサービス。その他もろもろの業務。一年弱ぶりのコンビニ勤務は懐かしさはあったが、新鮮味には薄かった。
「へぇ、臼井さん就職浪人なんスか。よろしくッス」
深夜帯のレジ打ち業務。隣に立った金髪の、いかにも遊んでそうな若者が話しかけてきた。俺より少し前に入ったバイトらしい。俺はあまりこういうやつはいけ好かないところはある。だが、白を切るわけにもいかないし、話すようにしておけば退屈しのぎくらいにはなるだろうと、愛想よく「よろしくお願いします」とだけ返しておいた。名札には有澤和樹とある。
「そういや知ってますか、たまにこのコンビニにふらっと現れる姉さんなんスけど。
これが、すこぶる美人で、ガチタイプなんすよ」
勤務中に常連に美人がいるなどくだらない話。ふたりだけの深夜業務だからと言ってまったく気が抜けているものだ。ここでの単調な仕事を考えればそれぐらいのことをひそかな楽しみにするしかないのだろうし、かつての俺もそうだった。これが、勤めるはずだった青井商社があんなことにならなければ、単調とは程遠い社会人生活になっていたことだろうに。
「おっ、ウワサをすれば、臼井さん。やってきましたよ」
お目当ての客が来たということに一喜一憂する有澤には、集中しろという一言を送りたい。こんなことにイライラするだけの職場はなんというか、淡白で平和だ。刺激というものにはきっと縁遠い……。
「あら、臼井くんじゃない?」
聞き覚えのあるその声と、見覚えのある艶やかな長髪。ブルーライトカット加工でレンズが青く光る、赤いぶちメガネ。彼女の姿が目に入った瞬間、頭の中で平和の二文字がガラガラと音を立てて崩れていった。あまりもの衝撃で、口をあんぐりと開ける俺に向けて有澤の好奇の視線が差し向けられる。にっこりと彼女が笑って、こちらに向かって手をひらひらと。尚更、有澤の視線の槍が刺さるのを感じながら、目の前の客を処理していく。落ち着いてなどいられたものじゃない。
彼女は、自身のトレードマークであるパイポの替えカートレッジと健康ドリンクを何本かかごに入れて、レジに並んだ。有澤がいそいそと隣のレジを開けて、二番目に並ぶ彼女に向けてこれ見よがしに手を挙げて声を上げる。機転が利くのはいいが、いかんせん動機が不純だ。
「二番目のお客様、こちら空いておりますよ!」
「チェンジでっ」
……、ホストクラブじゃねえよ。
―25.幻想―
「えっ、臼井さん知り合いなんスか?あの美人と」
神楽坂さんが買い物を済ませたあと、早速有澤が俺に絡んできた。もともとお目付していたのだから、無理もない。しかし、ややこしいことになりそうだ。面倒だと思いながらも、一応知り合いだと返しておく。
「何やってる人なんスかね。スーツ姿が多いスけど」
「投資で稼いでて高級マンション住まいだぞ」
流石に彼女がふざけて名乗っている鉤爪師を言っても仕方ないので、稼ぎ口の方を話題に出した。あまり正直に話すと関係性を怪しまれるので、情報は小出しにしようとは思う。
「マジスか、超勝ち組じゃないスか。
なんか投資で稼げる人って、目利きがすごそうっスよね。
絶対、詐欺とか疑似科学とか見透かしてそうスもん」
とりあえず、さっき彼女が買った商品に、コラーゲンたっぷりレモンドリンクが6本もあったことは黙っておこう。
―26.彼女の買い物―
コンビニに勤めるようになってしばらくが過ぎた。神楽坂さんはほとんど毎夜来店する。有澤の話によれば、俺が入ってからかなり来店回数が増えたらしい。彼女が来店すると、少しばかりいやに緊張して肩が上がってしまう。彼女はとかく人騒がせな節があるので、何かが起こることを覚悟しなければならないのだ。
故意でないのはともかく、そうであるものについてはやめてほしい。
特にやめてほしいことは3つばかしかある。
一つ目。
「2番目の方、こちらのレジが空いております」
「レジは臼井くんがいいです」
俺を指名すること。
二つ目。
「臼井くん、最近ドルが下がってきてるんだけど、ここ置いてない?」
「コンビニにあるわけないでしょうが」
ありもしない商品を要求すること。
そして三つ目。
「臼井くん、これください」
<人妻三昧 6時間収録DVD付き>
「……、……」
明らかにリアクション目的で商品を買うこと。
―27.クレーム―
世の中にはとんでもないクレームを言う人がいる。普段の生活の腹いせか。明らかに自分側に非があるのに、平気で棚に上げる。まったくのお門違いを平気で押しつける。そういう人がいるというのは、接客業をやっていれば必ず目の当たりにするものだ。
「有澤、シフトで相談があるとか言ってたけど」
「ああ、臼井さんといると、あの美人に避けられるんで
オレと一緒のシフトに入らないで下さいよ」
しかし、ここまで理不尽なクレームもなかなかないと思うのである。
―28.プレゼント―
流石にシフトを一緒にしないでくれというのは半分気の迷いで言ったようなものらしい。気にしないで下さいとも言ってきたが、相変わらず彼は俺と神楽坂さんの間柄をしつこく詮索してくる。どうやら相当、神楽坂さんに対して一目置いていたらしい。こういう気がしていたから、あまり関わり合いたくなかったのだが。ため息をついて、夜勤明けの肌寒い帰り道を歩く。勤め先のコンビニから下宿先は本当に目と鼻の先といった具合で、勤務先であると同時に普段から利用もしているくらいだ。ものの数分で自分のアパートに到着する。郵便受けを確認するのをさぼっていたせいで、いくつかチラシがはみ出ている。
いいかげんに取り出しておくか。
もうひとつため息をついて、ダイヤル式の鍵を回して郵便受けを開ける。バラリと中身のチラシ類が溢れ出て零れ落ちた。その中に見覚えのある雑誌が一冊。
<人妻三昧 6時間収録DVD付き>
いや、なんでうちに届いてんだよ。
―29.エイプリルフール―
昨夜というか、今朝、例のマニアックな成人向け雑誌が郵便受けに届けられていた件に関して、神楽坂さんに文句を言った。
「いやー、今日はエイプリルフールだから。ほんの冗談よっ」
彼女はそんなことを言って笑っているが、彼女にからかわれるのは別にこれに限ったことではない。むしろ、それ自体が彼女のいきがいであるかのように、ことごとく繰り返されるのだ。そのひだけのからかいならば、可愛らしいとも思えるかもしれないのだが。呆れてため息をひとつ。彼女とかかわるようになってからやけにため息が増えた気がする。
「ほらほら、エイプリルフールなんだから、ため息なんてしないで。
そうだ、せっかくのこんな日なんだから
嫌なことは嘘だと思って忘れればいいのよっ!」
人の気も知らないで。
「本当だったら入社式間近だったのに、すべてが嘘になった僕にそれを言いますか?」
「ご、……ごめんなさい」
―30.四月馬鹿―
エイプリルフール、直訳すると四月馬鹿。
もともとは昔のヨーロッパの暦の新年が、現在一般的に使用されているグレゴリウス暦の3月25日にあたり、その日から4月1日まで春の祭りが催されるという風習があった。しかし、1564年にフランスのシャルル9世が、グレゴリウス暦にあたるものを採用し、新年は1月1日になった。これに反発した人々が4月1日にバカ騒ぎを起こし、シャルル9世の逆鱗に触れ、嘘の新年を祝っていたものをことごとく処刑した。その中には齢13歳の少女も含まれていた。このような些細な反発で民衆が殺されてしまうという悲劇を忘れ去らないために、嘘の新年を祝う行事は繰り返された。これがエイプリルフール。4月1日にジョークニュースを報道したりする所以である。
「臼井くん!見て見て!今日のこの新聞記事っ!」
「どうしたんですか、神楽坂さん」
「今日は歴史に残る日よ!見てこれジャワ原人が
恐竜に乗っている化石が発見されたんだって!
こっちでは、三葉虫をハエたたきでやっつける男が書かれた浮世絵が!
あと一番すごいのが、アメリカ大統領選挙で
いきなりエリア51在住の宇宙人が名乗りを上げたっていう」
ちなみにこいつは、ただの馬鹿である。