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第三集 16~23

―16.理解不能その1―


 俺が神楽坂さんのところに世話になるようになってから、しばらくしたある日のこと。彼女は電話越しの相手に向かって罵声を浴びせていた。


「はぁあっ?有り金を融かしたぁあっ?」


革張りのソファーに爪を立ててかりかりと音を立てる。相当に苛立っていることが声と仕草から読み取れる。彼女がここまで怒ってるところは始めてみた。正直、大賞が自分ではないといえ、少し怖い。


「だから言ったでしょーが、軽い気持ちで投資を始めるなって!

 だいたい生活費と資産運用に回すお金は分けろって

 リスクマネジメントは投資でも、社会生活でも基本中の基本じゃないの!

 だいたいそんな、クズ株を買わされるなんて……もう、信じられない。

 あたしは自己責任って言ったからねっ!知らないからっ」


捨て台詞を吐いて通話を切る。


「どうしたんですか?」

「ああ、あたしのところに投資のやり方を教えてくれっていう奴が来て

 いかにも楽して短時間で稼ぎたいとか生半可な気持ちでやろうとするから

 やめるように言ったんだけど、しつこくてね。

 案の定、儲けもしないクズ株を買わされて、てんやわんやなってるのよ」


要するに、不良債権を騙されて大量に買ってしまったということらしい。しかも、その際に生活資金ごと流してしまった。


「本当に絵に描いたような失敗よ。

 あたしの教えたことがひとつも活かされてないわ。

 そういう先輩の教えさえおろそかにする様なんじゃ、

 普段の仕事でもうだつが上がらないはずよ。

 だから、軽い気持ちで投資を始めるやつは嫌いなのよ」

「神楽坂さん、投資に必要な心構えって何ですか」


「働きたくないって本気で誰よりも強く願うことねっ!」



分かんねえよ。



―17.理解不能その2―


 まだ電話のことで腹が立っているらしく、彼女の愚痴は続く。俺はそんな彼女の機嫌を取るために、アールグレイのストレートティーを注ぐ。これではまるで自分は執事か付き人のようだ。ひとり暮らしにはいささか広すぎる高級マンション住まいというのも、いかにもだ。小さく礼を呟いて、一口飲む。尚も愚痴は止まらない。


「まったくどうして、クズ株なんて買っちゃうかねえ。

 せめてそれくらいは見抜けるようになりなさいっての」

「クズ株ってそんな騙されやすいもんなんですか」

「証券会社の中にはそういう口がうまいのがいるのよ。

 詐欺師って言ってもいいわ。摘発された例も少なくないし。

 正直ああいうのに引っかかる奴の気が知れないわ。

 それくらいの真実を見抜く力すらないって、どう世渡りできんのよ」


呆れかえるように額を手で押さえる。ここで俺は彼女のしなやかな手首に見慣れないブレスレットがあるのに気付いた。


「そのブレスレットどうしたんですか」

「ああ、これね。なんか路地裏にいた占い師に

 30万のところを20万で売ってもらった、

 パワーストーンのブレスレットなんだけど。

 これご利益ありそうでしょ!ねっ!」



お前が一番分かんねえよ。



―18.調理器具―


 正直、今になって男はこうだとか、女はこうだとか、そういう考え方はよくないとは思う。いや、そういう時代になって来ているからこそ、俺も自炊に凝っていたりするわけで。だからこそ、彼女が包丁ひとつ手に握れないのは、ひとりの大人としてどうなのかと思うわけである。


「そういうわけで、僕がやれる範囲で教えようと思います」

「ごめんね……世話かけちゃって」


それにしても思うわけである。彼女のキッチンには前にも触れたが、フライパンと鍋が、大きさの違うものが3つ4つ取りそろえられている。溶岩プレートもある上に、泡だて器やハンディミキサーまである。


「どうしてこんなに調理器具が揃ってるんですか?」

「あたしね、形から入るタイプなのよね。

 でも形だけ取りそろえたらそれだけで満足しちゃって

 買ったら料理するかなあって思ったんだけど」



お前は絶対起業しない方がいい。



―19.溶岩プレート―


 彼女は卵さえろくに割れないほど料理がてんでダメだというのに。ここにある各種調理器具の使い方が分かっているのだろうか。とくにこのステーキを焼くときに使う溶岩プレートなんかはよほど料理に凝らなければ持っていない代物であろうと思うわけである。


「あの、この溶岩プレートは何で買ったんですか?」

「ちょっと前に見た映画で、キッチンで調理器具を駆使しながらの

 乱闘シーンがあってね。それを見たら興奮してしまって

 殺傷能力の高そうなものを買ってしまったの」


調理器具を買う動機じゃねえ。



―20.玉葱―


 とりあえず最初は基本の食材として、どんな料理にでも合う玉ねぎの切り方を教えることにした。


「まずは玉葱の、芽が伸びる方向と根が伸びる方向、それぞれの端を切る。

 皮の上で包丁の刃が滑ることがあるから、真っ直ぐ刃を下ろすんじゃなくて

 少し引きながら下すのがコツです」


「なるほど、やってみるわね」


彼女は右手に包丁を持ち、それをまな板の上に転がした玉葱に向かって振り下ろした。刃は玉葱の身に食い込んだところで止まり、もちろん切れてなどいない。


「この包丁切れ味が良くないわね」

「とりあえず手を添えてください」


「いや、左手を添えると、指を切ってしまうリスクが出てくるから。

 これは私なりのリスクマネジメントだ」



マネジメントできてねえよ。



―21.マニアックなルート―


 こうして何回か、神楽坂さんの家に来ていると思うわけである。なぜ、神楽坂さんは、あのときのどうしようもない俺に声をかけてくれたのだろうとか。たとえ俺が道端で飲んだくれて倒れていても放っておけばいいじゃないか。あそこまで手厚く介抱した上。いや、その弱みを握ったからこの変な関係がだらだら続いているのか。


「あの、神楽坂さん。どうしてあのとき僕を助けてくれたんですか」

「ああ、ちょうど飽きちゃってね」


そう言って彼女は、スマートフォンであるアプリを起動させた。どうやらゲームアプリのようで。画面には少女漫画に出てくるような、やけに線の細い体型の、男性キャラが映っていた。女性目線の恋愛ゲーム、所謂乙女ゲーなるものらしい。


<ご、ごめん、ミネちゃん。またお金を貸してほしいんだっ!

 そうじゃないと、もう今月生きていけなくて!>

<ねえ、まだデビューできないの?

 あたしを武道館に連れてってくれるんじゃなかったの?>


<ごめん、必ず!成功したら返すから!>

<いいのよ、だってあなたはあたしがいないと、生きていけないもの。

 それはあたしだって同じことよ。愛してるわ>

<ああ、ミネ、愛してるよ>


「どう頑張っても相手がヒモメンになるのよねー。

 キャラ四人もいるんだけど全員こうなっちゃって」


むしろなぜ、そのルートが用意されているんだろうか。



―22.理不尽―


 俺が神楽坂さんの家に来てやることと言えば、彼女のご機嫌取りと世間話、食事の相手。なんか女の家に入り浸っていてやましいだとか言われそうだが、そこはいつも呼び出してくるのは彼女の方からなので、お門違いだと強く言いたい。今日はなぜか昼下がりのサスペンスドラマの再放送を一緒に見ていた。


「この温泉旅館の女将が殺された殺人事件の犯人は、絶対女将の旦那よ。

 女将の死体を見たときの泣きまねも嘘くさかったし

 それに探偵が泊まっている部屋に仲居が料理を持ってきたときに

 居合わせてたでしょ。そのときの互いの目の動きがおかしかった。

 差し詰め、仲居と不倫していて、奥さんが邪魔だったのね」


「そう言わずに最後まで見ましょうよ」

「あたし、こういうのに2時間弱もはぐらかされるの嫌いなのよね」


じゃあ、見なきゃいいだろ。


「じゃあ、あたし、犯人の予想もついたし。寝させてもらうわ」

「何と言う理不尽」


結局、俺だけがそのサスペンスドラマの行く末を見送った。


<犯人は旦那さん……あなたですね>

<ち、違う!私はやっていない!>


<あ、あの……。すみません>

<なんだ?音声がドラマの撮影中にしゃべるな!>

<私が女将を殺したんです!>


―こうして、温泉旅館で起こった殺人事件は無事解決された。完。―




……、理不尽だ……。



―23.花見―


 今日この日は、神楽坂さんがふたりで花見に行きたいとか言い出すから、家ではなく待ち合わせという形で呼び出されることになった。恋人でもないのに、ふたりきりで花見とは。いや、あの麗人と待ち合わせしていたら、俺は周りからは恋人同士だとか思われるんだろうか。いや、そんなのは心外だ。あんな俺を金に物を言わせて連れまわしているだけの女が、俺の年上の彼女だなんてそんな。だいたいこの前も、乙女ゲーに飽きたから手をつけただけだとか言われたし。


「お待たせ。臼井くん」


きまり悪くそわそわしている俺の目の前に彼女は、春らしいポンチョを羽織って現れた。少しまだ寒いのか声が所々震えている。三月の終わり。春一番に合わせて風が強くなったところに、一度冬の寒さが戻る寒の戻りが重なってしまった。


「ちょっと春に急ぎすぎたかしら。ちょっと寒いわ」

「にしても花見って、まだ満開じゃないですよ」


花見としては少々時期が早い。まあ、もう一週間もすれば、この河川敷の桜並木は花見客で埋め尽くされて風情もへったくれもなくなってしまう。そう考えると咲き始めのこの時期に歩くのも乙なのかもしれない。


「早咲きの桜の穴場があるのよ」


そう言って彼女は、俺に先立って桜並木から少し離れた所へと走る。相も変わらず恐ろしく速い彼女の足についていくのは骨が折れる。そして息を切らしてたどり着いた先で、彼女は一本の薄桃色の花を携えた木にもたれかかって微笑んでいた。


「ねっ、綺麗でしょっ!」




「ああ……」


綺麗だ。素直にそう思えた。薄桃色の可愛らしい沢山の花が枝から笑いかける。ベージュのポンチョに包まれた彼女の笑み。これから訪れるのは、まさしく春なのだ。俺は見とれてしまうとともに、きまり悪くなってしまう。




……。この木がアーモンドの木だというのは、言わないでおくべきだろうか。





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