第六天魔(法)王
「12000セラで泊まれる部屋が有ると友人から聞いて来たのだが、本当だろうか」
「……生憎だがその部屋は人気で埋まっちまってるな」
「では一番安い部屋でいい。後は冷えるといけないから赤い毛布を貸してもらえると助かる」
「……一階の突き当たりの部屋だ」
歩くだけでギシギシと悲鳴を上げる廊下を抜けて突き当たりの扉、の左手にある押し入れの扉を開く。
確かにこの符丁を考えたのは自分で、門番は真面目であればある程良いなどと自分で面接までして選んだ。
その結果、ちょっと外の空気を吸いに出ただけで先程のやりとりをしなければ門番兼宿屋の店主は通してはくれないのだ。
これまでも「今さっき出かける時に雑談したろ?顔見てわかってるんだから素通りさせろよ!」と言った内容の苦情は散々出してきたが変化は無く、もしかして文字が読めないのだろうかと一時は真剣に悩んだ。
押し入れから持ち出したガラスがひび割れたランタンを手に向かうのは、従業員用のプレートが張り出されたトイレ。
「まあ今回の結果次第で見張りに人を付ける必要も無くなるのか。そもそも私がこのように人目をはばかる事が無くなるのだったな」
洋式トイレの便座に座り、右の壁から突き出したフックにランタンを掛ける。
ガゴッ
仕掛けが作動する低い振動音。そして、実際にはトイレの個室がまるまるエレベーターとなっており地下に降りているのだが、身体が浮かび上がる感覚が伴う。
「師匠どこにいってたんですか! もうカウントダウン始まってますよ」
「私が居たところでどうなるものでもあるまい。むしろ私が対処しなければならないような事態が起きたとすれば、この計画は失敗も同然だ」
「それはそうですが。とにかく今日ぐらいは大人しく座ってて下さい」
ふむ。この座って見てるだけというのがどうも性に合わなくてついつい飛び出してしまったのだが、おかげで弟子達の雰囲気がピリついてしまったようだ。
今更だがオンボロ宿のトイレの地下にあるここが私の研究室である。室長らしく立派な革椅子に座り正面のモニターを眺める。
「カウント10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0。発射。10、15、20。ブースター切り離しました。……120。師匠、ケルベロスから通信第一が来ました。実験成功です!」
「そうか。皆の者、そのままの体勢でいいので聞いてくれ。ここに至るまで長らく苦労してきたが、今回の打ち上げ成功によって全てが実を結ぶ時がやってきた。観測班は交代で仮眠をとるように。この研究室の場所はバレていないはずだが、このめでたい日にあの馬鹿共の襲撃で負傷する事は全員、許さんぞ」
喜びで感情を爆発させながらも、慌ただしく次のフェーズに向けての準備を始める私の弟子達を眺めながらようやく自分のした事の大きさが実感出来た。
いち研究者として誰にも成し遂げれない偉業を求めてきたが、机上の空論でしかない偉業の片鱗を探し出してこねくり回していた時には確かに研究者としてすべき事が多々あった。
しかしそれがプロジェクトとして形になり始めると私の手を離れる場面が増えていった。
素材、航空、資金調達、天文学etc…… 様々なプロの協力が入る事によって私はシステム面での、いち専門家としての役回りになってしまう事に娘を嫁にやる父親のような複雑な感情を抱える羽目になる。
しかし弟子達の表情から私が進んで来た道が間違っていなかったのが見て取れた。
それから三日、ケルベロスが静止衛星となっても想定していた襲撃は無くあっさりとしたものだ。
学会や教会の連中も人の足を引っ張るほどバカではなかったかとも思ったが、高い確率で今回私たちが何を成したのか、自分達にどれほどの影響を与えるのかを理解すら出来ていないのだろう。
まあ連中の考えている事を理解しようとしても無駄か。
今日は資金提供者である第二王子と顔つなぎをしてくれた辺境泊が研究室にわざわざ来ての報告会だ。
正直こういう場所は苦手だ。だいたい説明は散々行ってきたし、定期的に報告もしてきた。成功した事もとっくに知っているはずなので今更、報告もくそもない。ないのだが必要な事らしい。
「ゴーレムであるケルベロスの打ち上げが今回成功いたしました。ケルベロスについて簡単ではありますが改めて説明します。3つの独立した処理脳を持ち、それぞれが役割を果たしながらお互いを監視、修理を行う事で半永久的に稼働する事が出来、エネルギー源である魔力も成層圏には予測通り溢れていました。
そういえば魔力は空気より重く、空中より地表、地表より地中と濃くなると唱える学者も以前いました。それは大きく間違えていた訳ではないが、大量の魔力を必要とするケルベロスが空中の更に上空で作動する現実を彼は受け入れることができるのでしょうか」
「スタディオ殿、話がズレているぞ」
「おっと失礼。ケルベロスの事でしたな」
苦手だが散々繰り返してきた説明である。カンペを片手に口が動くまま放置していたらいつの間にか脱線してしまっていたらしい。
「この計画には莫大な国家予算が費やされています。本当に成功したのでしょうか」
バレてマズい箇所からは引っ張っていないだろうが、国家予算と言う名の第二王子の私的流用である。そして今回の成功をもって彼が王位継承するのはほぼ確定した。
本来は詠唱と魔力によってケルベロスと個人が直接パスを繋ぐのだが、可視化しないと専門家ではない彼らには理解しにくいだろうから専用のモニターを弟子に設置してもらう。
部屋には弟子達が揃ってはいるが客人がいる手前、皆壁に引っ付いて無言を貫くらしい。役目変わってもいいんだぞ?
「1つ目の機能は住民登録。魔力パターンをケルベロスに記録する事で生年月日や名前、犯罪歴、なんなら現在地まで調べる事が可能となります」
モニターには事前に登録しておいた私の個人情報が並ぶ。更に画面を切り替えると、拡大地図に現在地を示す赤いマークが点っている。
「施政者として犯罪者を根絶やししてしまうのは愚策です。王子が王位を継いだ曉にはやつらを適度に放置、適度に間引く事で民を救う賢王と成れましょう」
「そうじゃの! 賊に困り果てる民、それを私が救いの手を差し伸べるのじゃな」
「ケルベロスをどう利用するかは利用者が決めればよいかと。ただ登録者全員を常時見張るのは人間の脳では不可能ですので、やはり逃亡犯なり反政府集団のアジトを把握するのに利用するのがよいかと」
「今まで山賊化した連中は追えば逃げ、山狩りで日数を掛けた挙げ句に局地戦で手痛い反撃を食らう事も多かった。それが拠点を直接狙えるとなれば軍の編成も考えなければなりませんかな」
「二つ目は個人認証が可能になった為、貨幣を持ち運ぶ必要がなくなります。これまで各国がそれぞれ好き勝手に発効される貨幣は貨幣の純度、重量やその国の国力で価値が変わるのが現状でした。今後この銀行業務が一般的になればお金の価値は安定しますし、貨幣を預けケルベロスにその記録をさせれば持ち運ぶ手間も無くなりどこでも引き出せるようになります。これは1国で独占するよりも各種ギルドに権利を与える事で登録しない人間がいない状況を作る事が肝心で、成功すれば税の回収も用意になります」
「欲張って独占すれば世界中の国から宣戦布告される未来しか思い浮かびませんな。それにギルドは教会ほどではないにせよ半独立組織。彼らを束ねる立場になればどこの国も迂闊に手を出せないでしょう」
傭兵ギルドや鍛冶ギルドからそっぽ向かれればその国は戦争どころじゃなくなってしまう。流石にそんな強権ばかり発動できる訳じゃないだろうが、ジョーカーを一枚持っていると思わせるだけでこの国は安泰だろ。
「最後は物品に情報を吹き込む機能です」
先程モニターに映し出された私の個人情報は国家、預金システムならギルドのみ書き込みが出来るが、その書き込み制限を緩くしたバージョンだと思っていい。
試しに辺境泊が身に着けていた指輪を借りて情報を書き込む。
『ヒルン=ホルン辺境伯の指輪』
価値 八十万セラ
ホルン家に代々伝わる指輪。
保持者が詠唱する事で指輪の魔力を使用して魔法、物理障壁を展開する。
内容は辺境伯から聞いたまま書き込んだ。価値は私ではわからないので適当である。実際に運用する時には各ギルドのランクによってケルベロスへのアクセス権に差を設ける予定だ。
それで高ランクの魔道具家であれば詳しく書き込めるし、鑑定士が知れる情報にもランクの差が出来れば励みになるだろう。逆に冒険者ギルドには最低限のアクセス権だけでいい。
「……確かにこれで王位に就けなければ我は大馬鹿者じゃろうな」
「むしろ今回の件が公になった時に、追い詰められた者が放つ暗殺者に気をつけた方がよろしいかと」
これは私にも言える事だ。
この世界には5柱の神が居る。
木の神 ウライル・カータ・ポ
火の神 ハストスウェルドシン
土の神 ホハハ・ホハ
金の神 ヘディ
水の神 ウェトンブリダ・ウィトンバルウィン
この5つの属性しか魔法にはないと、思考することを放棄した学会の者共は私の研究結果を鼻で笑い、異端である事を理由に私を学会から追放した。
自分達がしでかした失敗を帳消しにするには私と研究結果を無き者にしようと考える者が出るだろう。もしくは自分が私の位置に成り代わろうとするか。どちらにしろ私が邪魔になる。
そして5柱を主神に奉るそれぞれの宗教からも今後の発言によって狙われるであろう。
「私はこのケルベロスを使った通信、情報を司る魔法を第六の魔法。雲魔法と名付ける」
王子、辺境伯のみならず壁に並んだ弟子共も表情が変わる。
それはそうだろう、学会が認めていない新魔法に教会が神を認めていない神秘をたった今宣言してしまったのだから。
「私はこれより第六の魔法を創造した現人神となる。今後私の事を第六天魔王と呼ぶがよい」
どうだ! おまえ達の師匠は偉大なる神となったのだ。
(師匠壊れちゃった……)
(俺の師匠は厨二ちゃうから他人のそら似だろ)
(あの年で発病はやばくね)
(けど、結果だけ見れば魔法に新しい分野を作り上げたのは事実よ。魔王はないけど)
(ないわー)
弟子達が騒然としている。この名称を決めるまでにはかなり時間を掛けたが、苦労したかいがあったと言うものだ。自らの師匠が第六天魔王ともなればそれに仕えた弟子達は自動的に使徒となる。
私の研究の為に付いてきてくれた弟子達へのサプライズプレゼントだ。
カァーΣ^)/……カァーΣ^)/……カァーΣ^)/……
その後第六天魔王と名乗ったスタディオの作り上げた雲魔法は人々に不可欠な魔法となり、『ステータス』や『マップ』など一部魔法は着火、浄化、洗浄、硬化などと並び生活魔法と呼ばれるまでになった。
偉大な功績ではあった物の、同時に彼の魔法はあまりにも人の善意に頼り過ぎていた。
口座の数字を不正書き換えしようとするハッキング行為は後を絶たず。
高ランク生産者は自分の名前を出さずに駄作をさも高品質のように書き込み高値で販売。
名称程度しか書き込み出来ない冒険者ギルドの面々は酔っぱらっては飲み屋の机から椅子から建物の煉瓦の一つ一つに片っ端から『うんこちんちん』と命名するのが流行り、社会問題となった。
それが何になるのかスタディオには最後まで理解出来なかった。しかし自分の人生そのものを汚された思いがして徐々に心を病んでいく。
1582年
低俗な書き込みが収まる事はなく、馬鹿らしいと受け流す事も出来ずに絶望したスタディオは第六天魔王を奉るホンノー大神殿に自ら火を放ち焼身自殺した。
1782年
人類は希少な素材と莫大な魔力を使いケルベロスを、雲魔法を何とか利用し続けていた。
しかし書き込みは極端に制限され、書き込みが出来るのは住民登録とギルド登録でしか利用出来なくなっていた。
ホンノー大神殿の焼失と共に、弟子である事は認めても頑なに第六天魔王の使徒である事を認めなかった弟子達のせいで『通信』や『索敵』の魔法が第六の魔法であると知っている人間は殆ど居なくなってしまった。
とある街の貧困地区に住み着いている少年は人を見るとなぜか、国が管理している最高機密であるはずの個人情報やギルドが保管している口座の預金残高や取引情報が頭に浮かんでしまう。
少年はスタディオと全く同じ魔力パターンを持って生まれていた。
その情報を知った商業系ギルドの幹部から飼い殺しに近い扱いを受けながらも、少年は子分を守り、力を蓄えていた。