第五話
シリアス回です。ブレントの事情。
コツコツコツコツ。
絨毯が敷かれている為に抑えられているが、僅かに聞こえる自分の足音だけが響く廊下。
ブレントはその廊下を執事に先導されながら歩く。
前を歩く初老の執事は、物音もさせずブレントに関心を抱くこともなく、淡々と進む。
思えばこの執事は、いや、この家の者は、ブレントの存在をないものとして扱ってきた。
その扱われ方は、ブレントが家で受ける扱われ方と似て異なる。
ここではブレントはいないものとして扱われる。
一人を除いて誰もブレントと目を合わさない。
家でも無視されるのは同じだが、父からは憎悪を向けられ、兄からは蔑まれ、母からは「お前なんて産まなければよかった」と言われる。
子供の時はその扱いに訳が分からず、傷付いた。
傷付き、もがき、理由を知りたくて辿り着いたのがこの屋敷。
広大な敷地を持つこの屋敷の主は、ブレントを受け入れてくれた。
その時からブレントの心の拠り所はこの屋敷の主になった。
その方の役に立つようにブレントの全てはあった。
学園に入り、勉学に勤しむのも将来その方の役に立つ為。
魔法、剣術、人脈作り、情報収集。
全てはその方の為だった。
アデレイドに会うまでは。
大きな扉の前で止まる。屋敷の主がいる執務室。
中に入れば、重厚な焦げ茶色の家具が並び、毛の長い絨毯はブレントの足音を消す。
子供の頃、初めてここに入った時、ブレントはそのあまりの重厚感に圧倒され声も出なかった。
大きな窓を背にした執務机についているのは、年の頃は40代後半の男。
白髪混じりの焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳、大柄な体は歳をとっても引き締まり、整った顔立ちと合間って若々しく見える。
ふと、自分もこんな風に年をとるのかと自嘲の笑みを浮かべる。
若々しくて結構だと思うべきか、野心に溢れ人の道を外れそうな男に似ていることを疎むべきか。
「なにを笑っている?」
「いえ、なんでもありません」
目の前の男は書類にサインを終えると顔をあげ、ブレントを見た。
その強い眼差しに子供のブレントは圧倒され、優しく頭を撫でてくれたことに心を許した。
でも今ならば分かる。
家に居場所のない優秀な子供を意のままにし、駒とする。
この男の優しさはその為のものだった。
「今日呼んだのは分かっているだろうが、あの娘の事だ。
三週間前の馬鹿騒ぎから、宮廷でもあの娘の話が出るようになった。
妖精の血を引く娘、魔法を消し去る無効化の力、人を魅了する力。
軍などはあの娘を獲得しようと動き始めたようだ。
おそらくハーツホーンの学園長がのらりくらりと断るだろうが、あの娘の有用性が知れ渡るのも時間の問題だろう」
男は一度言葉を切った。
ブレントと同じ、琥珀色の目がぎらりと光る。
「妖精王が目をかけているという娘を我が陣営に取り込めば、物事は私の有利に働く。
馬鹿な能力に踊らされて表舞台に立たれるのは都合が悪い。
特に我が陣営にいるとは言えない今は尚更だ。
お前には、あの娘を孤立させお前のみを頼るようにしろと言っておいたが、上手くいっていないようだな」
「いえ、確実にアデレイドは私を頼り信頼しています。
私以外に心を許す事はありません」
「ほう、そうだといいがな。
だが、入れ込んでいるのはお前も同じではないのか? あの娘に手を出そうとしたとの報告もある」
ブレントは微かに眉を寄せるが、素知らぬ顔で返答した。
「アデレイドの気をこちらに向ける為の芝居です。あの騒ぎで多少気が逸れていたので戻させました」
「そうか、そういうことにしておいてやろう。しかしあんな馬鹿騒ぎを起こさせたのはお前の失態だな」
「申し訳ありません」
「しかも、二度目の決闘はお前から申し込んだとか。それによってさらに騒ぎが大きくなった。
昨日、闘技場の防御壁を壊してみせたのは本当に余計だ。
これからいろんな輩があの娘に寄ってくるだろう。
お前は今まで通り、あの娘が頼れるのはお前だけだと仕向けるのだ。
いざという時にお前の言うことを聞くように囲い込め」
「はい」
「以上だ。期待しているぞ。お前にしか出来ないことだ。ブレント」
「はい、お任せください」
ブレントは胸に手を当て、深く頭を下げた。
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ブレントは屋敷を出た後、足早に敷地外へと歩を進める。
本当なら箒を使って直ぐにでも飛び出たいが、目上の人間の屋敷から許しもなく飛んで出て行くのは失礼にあたる為、敷地外まで歩く。
あの男のいる屋敷になど、一秒でも長く居たくはない。
昔はここに呼ばれる事が喜びで、あの男の役に立つ事が人生の目標だったが、そんな昔の自分に虫唾が走る。
あの男にそっくりな自分の顔も嫌になるくらいだ。
ブレントの母は一時期、あの男と愛人関係にあり、その時にブレントを身籠った。
ブレントがあの男の子供だろうということは、貴族社会では有名な話だ。
裏門へと黙々と歩く。
王弟、ベリー公爵の邸宅。
王の息子達を暗殺したのではないかと密かに噂される男。
あの男ならやるのではないかとブレントは思っていた。
あのギラギラとした目は脇に立つことをよしとしないだろう。
人の良さそうな微笑みと、垣間見える狂気。
今日のように自分の思い通りにいっていないときは、狂気が強く顔をみせる。
あの男にアデレイドを利用させるなど冗談ではない。
学園にはブレント以外にもあの男の手の者がいるのだろう。
ブレントの動向を監視し、あの男に報告しているのかも知れない。
アデレイドが孤立するように噂を流し、生徒を煽っているのかも知れない。
「くそっ」
ブレントは言葉を吐き捨て、激情を抑えるように手を握りしめた。
三週間前のあの日、ローランドのキスを許したアデレイド。嫉妬から、彼女の側を少しのつもりで離れた。
黒い感情に流され、自分がアデレイドになにをするか分からなかったから。
だがそれは失敗だった。
いつの間にかグレアム・カーヴェルを魅了し、決闘騒ぎを起こし、アデレイドは全校生徒に本当の姿を晒した。その力も魅力も。
あの男の言う通り、これからアデレイドの周りは騒がしくなるだろう。
アデレイドはこれからも自分が守る。誰にも渡さない。
ブレントが初めにアデレイドに近づいたのは興味から。
うっかり魅了され、散々醜態を晒した後、あの男に命じられて側にいるようになった。
だがしかし、自分はその時にはすでにアデレイドに囚われていたのだと思う。
周りからなにを言われてもなにをされても、立ち上がる少女。
悪意ある噂に傷付き、落ち込む。
しかしブレントには涙を見せずにまた立ち上がる。
ブレントを頼りにしているようで拒絶する。一人で立ち上がろうとする。
そしてなにもなかったかのように笑う。
たぶん、どこかで泣いているのに。
「自分が悪いのだから仕方ない」と言う彼女。
それは彼女にとって、開き直る為の言葉だ。前に進む為の言葉。
だが同時にその言葉は、アデレイドを深く傷付けている。
「君は悪くない」と、グレアムは言い、アデレイドはそれに涙を流した。
それはブレントがあえて言わなかった言葉。
言ったグレアムと言わなかったブレント。
アデレイドの中でどちらが信頼に足るのだろう。
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