第四話
アデレイドが通う、ハーツホーン魔法学園は王都の郊外にある。
広大な敷地を持つ同学園は、国が認可する唯一の魔法学園である。
アデレイドが所属するのは魔法教養学部。
基本12歳からの6年カリキュラムで、この科は魔法以外に一般教養、礼儀作法、ダンスなども習い、所属しているのは貴族の子弟や裕福な商人の子や地主の子などが多い。
魔法の素養もピンからキリまでで、キャロラインのような膨大な魔力と制御力を兼ね備えた生徒がいる一方で、ほとんど魔法を使えない、アデレイドの魔法に毛が生えたほどという生徒もざらにいるのである。
授業内容は選択制のものも多く、魔力のあまりない生徒は、男子は剣術や勉学、女子は教養を磨くが、空いた時間にせっせと婚活に励む者もいる。
身分の低い貴族や平民の娘にとって、高い身分の貴族の子弟に見初められれば玉の輿。
そこまでいかなくても人脈作りは大事なのである。
そんな彼女らにとって、なんとなくむかつく存在なのがアデレイド。
力のない田舎貴族の娘のくせに、何かと話題をさらい、時に狙っていた男の心をいとも簡単に奪う。
そんなアデレイドにはいつも複数の女子から、嫉妬の視線や蔑みの視線が向けられている。
しかしーー
今日のアデレイドはそんな視線がまったく気にならなかった。
朝、寮を出て、校舎に向かう道のりをアデレイドは鼻歌混じりに進む。
(なんで私は今までコレを使わなかったのかしら。こんなにも快適なのに)
アデレイドはまっすぐ前を見て歩く。
ある意味まっすぐ前を見ないと、なにも見えない。
(なにも気にならない。なににも煩わされない。自分の世界が広がったよう!)
実際には狭くなっているのだが、アデレイドはそのことはきっぱりと無視し、自分の世界に酔っていた。
「ねー、アディ。それ外してよー」
アデレイドの左斜め後ろからのジャスティンの声とともに、ぐいっとアデレイドの左腕が引っ張られる。
死角からの不意打ちに、アデレイドは左にたたらを踏み、がんっと頭に金属がぶつかった。
「いったぁー。ジャスティン君、いきなり引っ張らないでよ、危ないじゃない」
「もー、僕のことはジャスって呼んでって何回言わせるの?」
「ジャスティン君こそ、それはできませんって何回言わせるの?」
アデレイドはずれてしまったソレを直しながら言った。
「ジャスティン君の魅了はもうじき解けるわ。
・・・最近、ちゃんと解けてない人が続出してるけど、そのうち解けるの。
だから、もう少し我慢してて。もう少しだから」
「っ! そんなこと聞いてないだろ!」
ジャスティンは急に声を荒げる。
「ジャスティン君?」
「アディは昨日からずっとそう。僕の事をちゃんと見てくれない。僕の気持ちも無視してる。
・・・そんな風だとそのうち痛い目をみるからね」
苛立ったような声を出したジャスティンに戸惑って、アデレイドはそちらを向く。
しかし、急な動きにアレがついてこれず、またずれてしまった。
アデレイドは両手でいい位置に直す。
「アディ、ずれちゃったの直すぐらいなら、それとってよ! 顔が見えない!」
「いや」
ジャスティンの癇癪混じりの声にアデレイドはふるふると首を振る。
頭の周りで、重いものがぐらぐら揺れた。
アデレイドは現在、甲冑の頭部だけを被っている。
昔魅了してしまった男から、去り際に「一生それを被ってろ」と渡されたもので、どう処分していいものやら今まで部屋の片隅に置いておいたのだが、被って外に出てみたら意外といい。
目の部分が横線のように穴が空いているので、動くたびにそこに目が合うように直さなければならないのが難点だが、コレをつけていれば、周りの声も視線も気にならない。
今も周りでは人が集まり、ざわざわとしているが、遠い場所の事に感じる。
もっと早く被ればよかった。
「仕方ない。実力行使だ」
ジャスティンの低い声とともに、がしりと甲冑の頭部を掴まれた。
「あ、なにするの!」
アデレイドは取られないように自分の両手で抑えた。
「やめてよ! とらないで!」
「なに言ってるんだよ! そもそもこれどこから持ってきたんだよ!」
「もらったのよ! いい感じなんだからとらないで!」
「どう見ても大きいよ! ぐらぐらしてるじゃないか!」
「これしかないからしょうがないの!」
「とって!」
「いや!」
13歳とはいえ、ジャスティンは男の子。力に負けそうになるが、絶対にとられるわけにはいかない。
アデレイドは死に物狂いで甲冑の頭部を抑えた。
甲冑の頭部だけを被った女とそれをとろうとする少年。
周りはそのあまりな光景になにも言えず見守るが、勇敢にもそれに声をかけた者がいた。
「なにをなさっているの?」
心底呆れたような声が聞こえた。この声はキャロラインだ。
そちらを向こうとしたが、ジャスティンがまだ甲冑の頭部を掴んでいるようで動けない。
「ジャスティン君、この声ってキャロラインでしょ。とりあえず離して」
「え〜」
ジャスティンは不満の声をあげるが、素直に離した。
甲冑の頭部をいい位置に直す。
目の前には数人の男とともにキャロラインが見えた。
グレアム、ジャスティン、ついでに三週間前に魅了してしまった長い茶髪のキザっぽい男の子もいないが、男の人数が減らない。入れ替え制だろうか?
「ご機嫌よう、キャロライン様。いい朝ね」
「ご機嫌よう、アデレイド様。いい朝ですけど、あなたのせいでそれは台無しだわ」
相変わらずのきつい言い様。しかし今日のアデレイドはそんなことは気にならない。
なぜなら甲冑の中ーー頭だけーーという別世界にいるから。
「意味が分からないわ。私には爽やかな朝よ」
「そう。・・・あなた、これから医務室に直行した方がいいわ。頭の具合が悪いみたいだから。
そういえば、オールディス様がいないようだけれど、どうしたのかしら?
そんなものを被っているから見捨てられたの?」
「うっ」
多少気にしていたことを言われ、アデレイドは呻いた。
もしかしたらこんなものを被っていたら、ブレントに愛想尽かされるかもとは思った。
しかし、自分の魅了の被害者をこれ以上出すわけにはいかないのだ。
それにーー
「ブレントは今日は休みよ。用事があるからって出かけたわ」
「用事ですって?」
キャロラインは眉を顰めた。
「昨日あんな騒ぎを起こして、あなたの身辺が騒がしくなるって分かってて、オールディス様はあなたを一人にするの?」
「どういう意味よ」
キャロラインの何かを含むような言い方にアデレイドはむっとする。
まるでブレントが、アデレイドの事をどうでもいいと思っているとでも言っているようだ。
「アディは一人じゃないよ。僕がいるんだから」
横からジャスティンが会話に入るがアデレイドとキャロラインはジャスティンを無視して見合う。
「ブレントはなにか外せない用事があるのよ。
昨日の夜に、明日は側にいられないから気を付けろって言ってくれたもの」
「夜って? あなた、昨日の夜はまた謹慎してたでしょう?
それにあなたは通信の魔法も使えない筈よね」
「・・・」
キャロラインの鋭い突っ込みにアデレイドは口を閉じた。
実はブレントとアデレイドには落ち合う場所がある。
ブレントが魔法で青い鳥を作ってくれるのが合図。部屋の窓の外にその鳥を見つけたら、会いに行く事になっている。
しかし、その事を他の人にーーましてやこんな大勢人がいる前で言う気もない。
「秘密の方法があるのよ」
アデレイドがボソッと言うと、それに食いついたのはジャスティンだった。
「なに? なになに⁉︎ 秘密の方法って⁉︎ あいつばっかりずるいよ!
僕だって、アディに夜も会いたい!」
アデレイドの左腕をぶんぶん振り回し、ジャスティンは子供のように駄々をこねる。
その様子は幼い子供のようで愛らしい。
しかし、アデレイドにはもう分かっているので騙されない。
この子に気を許してはいけないのだ。
可愛い振りして、セクハラエロ少年なのだから。
「ジャスティン君はまた今度!」
「今度っていつ?」
「今度は今度。いつか機会があったらよ」
「むぅ」
ジャスティンは頬を膨らませ、拗ねたようだ。甲冑の頭部を被っているからそちらは見えないが。
アデレイドとジャスティンが揉めていると、キャロラインがふうっと嘆息した。
「公衆の面前でじゃれ合うのはおやめなさいな。オールディス様の事はもういいわ。
それより本題よ。アデレイド様、ソレ、外しなさい」
ソレ、というのは甲冑の頭部だろう。アデレイドは首を傾げる。
「なぜ?」
「なぜですって? あなた、そんなものを被っていて、おかしいとは思わないの?」
「それは、まあ。
でもコレを被っていれば、覗きこまれない限り誰とも目が合わないのよ。優れものでしょ」
「淑女としてあり得ないわ」
「う・・」
アデレイドは自分でも多少どうかとは思っているので、分が悪い。
「とにかく外しなさい」
「いやよ」
アデレイドはツンっと横を向く。また甲冑の頭部がずれた。
アデレイドがまた甲冑の頭部をいい位置に直していると、キャロラインの低い声が聞こえた。
「ジャス、わたくしがアデレイドを押さえるから、あなたはソレをとりなさい」
「なっ」
アデレイドは慌てて甲冑の頭部を押さえる。
「え〜、僕がアディを押さえたい・・」
「おだまりなさい! いいからやるわよ!」
ジャスティンの空気を読まない不埒な言葉をキャロラインは一喝し、アデレイドへとにじり寄る。
「ちょ、キャロライン! コレは外せないのよ!」
「おだまりなさい! ご自分がどんな格好をしているか本当に分かっているの? 恥を知りなさい!」
「いいじゃない。私がどんな格好をしていたって」
「なにを言っているの⁉︎ 女性としてそんな格好はあり得ないわ!
あなたがそんな格好をしていたら、学部全体が恥をかくのよ!」
ジリジリと後ろに下がると、また後ろからがしっと甲冑の頭部を掴まれた。
「はーい、観念してー」
ジャスティンの楽しそうな声がする。
「ちょ、待って! だめだってば!」
アデレイドは必死に抵抗するが、二人掛かりで来られ、ついにがっぽりと甲冑の頭部を外された。
「!」
目が合ったキャロラインが息を飲む。
ざわざわとうるさかった周りもシーンとなった。
アデレイドは甲冑の頭部を被るにあたって、カツラも眼鏡もしていなかった。
アデレイドの淡い金の髪と深い海の青の瞳が晒される。
アデレイドは咄嗟に右手に持っていた鞄を頭に乗せた。
「アデレイド! あなた、いつもの眼鏡は? カツラは⁉︎」
我に返ったらしいキャロラインが叫ぶ。
「鎧の頭を被ってるのに、そんなのしてくるわけないでしょ!」
「なんてこと。ーージャス! それをアデレイドに返して!」
「やーっだよ!」
ジャスティンは言うと同時に甲冑の頭を勢い良く、あさっての方向に投げた。
魔法を使ったのか、それはすごい速さで飛んでいき、森の向こうに消えた。
「・・・・」
「・・・・」
アデレイドとキャロラインがジャスティンを見ると、ジャスティンはいつもの、にへらっという笑みを浮かべた。
「っ、アデレイド! とにかくそのままではマズイわ!着いてきなさい!」
キャロラインはアデレイドの腕を掴み、走り出す。
アデレイドは大人しくそれに従い、ざわめくその場を後にした。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
キャロラインはアデレイドを白薔薇のサロンに連れ込んだ。
そこで授業が始まるまでのんびりしようとしていたらしい男子二名が、アデレイドを見た途端に同時に紅茶を吹き出す。
向かいにいた女子がそれを被り、悲鳴をあげていた。
そんな三人を横目に小部屋に入る。
ジャスティンも着いてきたが、キャロラインによって小部屋からは締め出された。
つい昨日大泣きした小部屋で居心地悪く立っていると、頭にばさりとなにかをかけられる。
「それを被ってなさいな。それはさしあげるわ。
あんな甲冑の頭なんて被られるよりそれの方がずっとマシだわ」
かけられたのは黒いレースのついたベールだった。
適度な透け具合のベールで、これなら授業中も被っていられそうな代物だ。
「ありがたくお借りするけど、ちゃんと返すわ。
あなたに物をもらう謂れはないもの」
「さしあげるわ。あなたにはそれを被っていてもらいたいのよ。
これはあなたの為じゃないわ。わたくしの為よ」
「どういう意味?」
アデレイドが聞き返すと、キャロラインはアデレイドからベールをばさりと取った。
「なにするのよ!」
アデレイドは乱れた髪を手ぐしで直す。
続けて文句を言おうと思ったが、キャロラインの真剣な様子に言葉が引っ込んだ。
キャロラインは真っ直ぐにアデレイドの目を見つめる。
「ローランド様が今日から登校されるわ」
「ローランド様? ああ、エイデン様ね。そう、魅了が解けたの。早く解けてよかったわ」
また一瞬誰だっけな? と思ったが、キャロラインの婚約者ーーローランド・エイデンを思い出した。
「そう・・・、早く解けたわ」
キャロラインは俯き、沈んだ声を出す。
「もう一週間前には解けていたのですって。ローランド様の妹様がそう仰っていたわ。
昨日の夜にご本人ともお話をして・・・、ご本人は解けたと仰ってるけど、本当に解けたのかしら」
「どういう事? 確かに二週間って早いと思うけど、最近私にも魅了の効果がよく分からなくなってるから、そういうこともあるんじゃない? カーヴェル様は気合いでなんとかなるって言ってたし」
そう言った当人が魅了に負けていたので、なんとも言えないが。
魅了の力は妖精の力。
目を合わせただけで相手を魅了する力を持つのは、家族でもアデレイドだけ。
その力がどんなものなのか、どう変化し作用するのか、アデレイド自身も本当のところはよく分かっていない。
今までの積み重ねで推測するのみだ。
「エイデン様の様子がいつもと違うの?」
「違うというわけではないけれど、少し引っかかるの。
頭のいい方だから、魅了が解けた振りをしてあなたに近づこうとしているのではないかと・・・」
こんなに不安そうで沈んだキャロラインは初めて見た。
キャロラインはいつも沢山の男に囲まれて楽しそうに笑っていた。
今の不安そうで、儚げなキャロラインはいつもと違う人に見える。
なにか、理由があるのだろうか?
「もし、解けていなくても、周りの人が私に近付けないわよ。大丈夫大丈夫」
アデレイドが優しく言うと、キャロラインは顔をあげ、いつものようにキッとアデレイドを睨む。
「あなたに慰められたくないわ! 昨日ここで大泣きしてたくせに!」
「なっ、それは今は関係ないでしょ!」
「とにかく! あなたには絶対にローランド様には近づいてほしくないのよ。
出来ればさっきの甲冑の頭の上にそのベールを被ってほしいわ!」
「分かったわよ! お昼に探しに行ってくるわ!」
「冗談よ! そんなことをしないで! これ以上学園の風紀を乱さないでちょうだい!!」
すっかりいつもの様子に戻ったキャロライン。
言い合う二人の声が聞こえた白薔薇のサロンの面々ーージャスティンは除くーーは止めるべきかと悩むのだった。
お読みいただきありがとうございます。