第三十七話
お久しぶりですみません。
アデレイドたちが店を出ると、同じフロアの少し先の店先に佇んでいるグレアムが見えた。
その店はレースなどを扱っている店で、グレアムは目の前に置いてある繊細な細工のレースを見つめたまま動かない。
体格の良い生真面目そうな青年が、じーっとレースを見つめている姿はどこか異様だ。
声をかけずにそのまま放っておきたい気になる。
放っておいて、帰ってしまっては駄目だろうか? などと益体もない事を考えていると、こちらに気づいたグレアムが顔を上げた。
グレアムはアデレイドたちを見て、ぎょっと体を震わせる。
アデレイドを見て、気まずそうに目を泳がした。
明らかに動揺したグレアムの様子に、アデレイドも下着姿を見られた事を再度意識してしまい、恥ずかしくなって俯いた。
「グレアムさん、何してるの?」
動揺するグレアムに、ジャスティンの冷たい声が刺さる。
グレアムは気を取り直し、不機嫌そうなジャスティンを見下ろした。
「いや、何でもない。ただ少し見ていただけだ」
「ふーん。あまりに真剣に見ているから、そういう趣味でもあるのかと思ったよ」
ジャスティンがさらりと嫌味を言った。
アデレイドはぎょっとする。
ジャスティンは、アデレイドのドレス姿を見れなかった事と先ほどのグレアムの覗き事件のせいで、大分不機嫌だ。
その不機嫌の矛先がグレアムに向いている。
「グレアムさん、アディへのお詫びの品は何を買ったの?」
「いや、考えたんだが、何も買わなかった」
グレアムはジャスティンの不機嫌な物言いを特に咎める事はしない。
大人な対応に感心するが、アデレイドは少しハラハラしながら二人の会話を見守っていた。
「何で?」
「アデレイドは、お詫びと言って物を渡しても喜ばないのではないかと思ってな」
(おお、びっくり。カーヴェル様がちゃんとした人に見える)
アデレイドは胸中で失礼な事を呟いた。
今までのグレアムの残念さから、今回もアデレイドの気持ちなど考えずに一人で突っ走り、とんでもない金額の贈り物でもされるのかと思っていた。
少し、グレアムに対する認識を改めてもいいようだ。
「ふーん、グレアムさんの癖に生意気〜」
ジャスティンがつまらなそうに呟く。
あまりの言いように、アデレイドはジャスティンの頭を軽く叩いた。
「こら、ジャス。
なんて事を言うの?
カーヴェル様に謝りなさい」
「だって・・」
「いくらジャスとカーヴェル様が仲良くても、言って良い事と悪い事があるでしょ?
カーヴェル様が優しいからって甘えてばかりじゃ駄目よ。
先輩は敬いなさい」
ジャスティンは子供っぽくて愛嬌があるから、少しぐらい生意気な事を言っても許されてきたのだろうが、このままでは本人のためにならないと思う。
特にグレアムは侯爵家の嫡男、とても身分の高い人だ。
そんな人に、「グレアムさんの癖に」とか「生意気」だとか言い続けていたら、いつか痛い目に合う。
グレアムが許しても周りが許さないだろう。
アデレイドはジャスティンの後ろに回り、ジャスティンを直立の姿勢にさせる。
「はい、謝りましょう。
カーヴェル様、ごめんなさい」
「グレアムさん、ごめんなさい?」
言葉尻に疑問符がついたが、一応ジャスティンはグレアムに謝った。
素直で結構。
「いや・・・、気にしていないから大丈夫だ」
対するグレアムからの返事はぎこちない。
ジャスティンの後ろから覗くと、グレアムはなんとも言えない顔をしていた。
「カーヴェル様?」
「いや、なんでもない」
「そうですか?」
「ああ」
どこか煮え切らない態度。
何だろう、と思っていると、
「グレアムさんもアディに謝らないといけないんじゃないの?」
ジャスティンが余計な事を言った。
正直に言って、その件は流して欲しかった。
ハッと表情を引き締めたグレアムは、アデレイドに向かって頭を下げる。
「アデレイド、すまなかった。
覗くつもりはなかったのだ。
悲鳴が聞こえたので、ついノックもせずに入ってしまった。
だが、着替えを見たのは事実だ。
すまなかった」
アデレイドは顔を引きつらせる。
誠心誠意謝ってくれるのは良いのだが、大きな声で「覗いた」だの「着替えを見た」だの言わないでほしい。
「いいえ、私の方こそ変な物を見せてしまってすみませんでした。
その事は忘れて・・」
「いや、変な物ではなかったぞ。
なかなか結構な物だったと・・うぐっ」
馬鹿な事を大声で言い出したグレアムの足をジャスティンが思いっきり踏み、ぐりぐりと捻る。
「ジャス!」
「グレアムさんが悪いんだよ。
グレアムさん、少しはデリカシーというものを身に付けようよ」
「・・・すまない」
笑顔を浮かべながらグレアムの足をぐりぐりと踏むジャスティン。
グレアムは怒り出す事もなく耐えている。
この扱いで怒らないとはむしろ不思議だ。
「ジャス、私の為に怒っているならやめて。
それとも違うの?」
「・・・」
ジャスティンは少し考えた後、グレアムの足を踏むのをやめた。
「カーヴェル様、すみませんでした。
足、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ」
「怒ってます?」
「いや、怒っていない。
今のは無神経な事を言った私が悪い。
アデレイドには重ね重ねすまないと思っている」
無神経な事を言ったと自覚はあるらしい。
「いえ、それはもういいです。
ですからさっきの事は忘れて下さい」
「しかし、言葉だけでは気がすまない。何か詫びを・・」
「いりません。
さっきカーヴェル様が言った通りです。
お詫びに何か貰っても嬉しくないです。
それより忘れて下さい」
「・・・・」
納得は言っていないようだが、一応グレアムは引いた。
それにホッとしていると、
「グレアムさん、アディの着替えを見た事は本当に忘れてよ。
夜とかに思い出したら許さないからね」
グレアムに指を突きつけるジャスティン。
アデレイドはその頭をぺしんと叩いた。
「あなたも忘れてちょうだい」
「忘れるも何も、僕は見てないから無理だよ」
「そうじゃなくて」
「あっ、じゃあさ。
ちゃんと忘れるからさ、見せて」
こてんと首を傾げながら笑顔のジャスティン。
アデレイドは自分のこめかみがピシリと音を立てたのを聞いた。
ジャスティンの頬を両手で掴み、左右に引っ張る。
「ジャスティン〜。いい加減にしなさい!」
「いひゃいいひゃい」
「痛くしてるの! もう言わない!?」
「うう、もう言わない」
「よし」
アデレイドが手を離すと、ジャスティンは赤くなった頬を自分の手で包む。
「アデレイド・・」
グレアムが何か言いたそうに口を開く。
年下を苛めるのは良くないとでも言うのだろうか?
しかし、先ほどの事をいつまでも持ち出すジャスティンが悪い。
「何ですか?」
憮然と答える。
グレアムは気まずそうにアデレイドから視線を逸らし、
「いやその、あー、キャロラインの事なのだが」
ここにいる理由をうっかり忘れていたアデレイドは、はっと顔を引き締めた。
「はい。キャロラインが来たんですか?」
「いや、実はキャロラインは、今日はここには来ない事になったらしい」
「え?」
「どうやら親戚の家で過ごすらしいのだ」
「そうなんですか」
アデレイドはがっくりと肩を落とした。
昨日の夜は、キャロラインとどう話すかを考えて眠れなーーくはなかったが、それなりに気合いを入れてきたのにがっかりだ。
「残念です」
「ああ。だから、昼食を取った後にキャロラインの親戚の家に行こう」
「え?」
「前もって使いを出しておけば断られる事はない」
アデレイドはグレアムの顔をまじまじと見そうになって、慌てて止める。
びっくりしすぎて目を合わせるところだった。
「でもいいんですか? 私が訪ねても」
「ああ、私のよく知る家だから心配はいらない。
ここよりそちらの方がゆっくり話せるからいいだろう」
「そうですか。そちらの家にご迷惑じゃなければいいですが」
「迷惑ではない。歓迎する」
グレアムは穏やかな笑みを浮かべた。
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