第三十四話
午前中の柔らかい日差しの中、アデレイド達を乗せた馬車は進む。
馬車は揺れるもの、乗っていると体のあちらこちらが痛くなるものと思っていたが、カーヴェル家の馬車はアデレイドが今まで乗ったことのある馬車と全く違う。
あまり揺れないし、座席は弾力があっていつまででも座っていられそうだ。
見るからに高級そうな生地が使われている馬車内。
置いてあるクッションもふかふか。
万が一にも汚したり傷つけたらどうしようと頭をよぎる。
アデレイドは改めて、グレアムとの住む世界の違いを感じていた。
アロウズに向かう二台の馬車。こちらに同乗しているのは二人。
アデレイドの隣には楽しそうなジャスティン。
向かいに座るのはカーヴェル家の侍女。
名をラナといい、栗色の髪を結い上げた二十歳ほどの優しそうな女性だ。
グレアムは後ろの馬車に乗っている。
多分二台馬車を用意したのは、貴族的な考えで、家族でもない男女が同じ馬車に乗るのは良くないという事だろうが、ジャスティンは気にせずこちらの馬車に乗った。
グレアムは自由なジャスティンの行動は諦めているようで、何も言わずに侍従と共に後ろの馬車に乗った。
横にいるジャスティンを見ると、いつものにへらっという笑みを浮かべる。
「どうしたの? アディ」
「ジャスはどこにいても堂々としてるなあって思って。
カーヴェル様にも物怖じしないし」
「だって、グレアムさんより僕の方が偉いもん。
物怖じする訳ないよ」
「へ?」
いきなり出た言葉にアデレイドは素っ頓狂な声を上げる。
アデレイドは真意を問おうとジャスティンを見るが、ジャスティンは首を傾げ、
「グレアムさんはああ見えて結構甘いからね。
年下から可愛く『お願い』されちゃうと、結構聞いちゃうんだよね」
「ああ、そういう事ね」
アデレイドは納得した。
つまりジャスティンはグレアムを舐めきっているのだ。
多分昔から優しくしてくれたお兄さん相手に調子に乗っているのだろう。
「だからさ、アディも遠慮しないでグレアムさんに頼み事をすればいいんだよ。
喜んで聞いてくれると思うよ」
「遠慮しておくわ」
「アディ、本当に頑固だなー。
いいじゃないか、ドレスの一着や二着。
贈らせてあげてよ」
「絶対にやだ。
いい、ジャス。わたしがアロウズに行くのはキャロラインと話をする為だからね。
絶対にドレスを買ってもらうなんて事はないから」
アロウズに着き、上流階級の女性用の階まで行くと、アデレイドの固い決意は崩れ去った。
どうせ買えないのだから、見ない、近付かないと思っていたのに、案内された階に置いてある品々に心奪われる。
フロアは何店もの店で区切られているようだ。
マネキンが着ている豪華なドレスを前面に置いている店の奥を覗くと、既製品のドレスが飾ってある。
赤、桃、黄、緑、青と色別に分けられているドレスはアデレイドの目にはどれも豪華でうっとりと見つめてしまう。
反対側には生地がたくさん置いてあり、奥の部屋で仕立ての相談をするようだ。
上品なドレスを着た親子が店員に案内されて奥の部屋に入っていくのが見えた。
装飾品を売っている店に行けば、いろいろな色の指輪、ネックレス、ブローチなどの各種装飾品が置いてある。
どれもこれも綺麗で、アデレイドはまたうっとりと見つめていた。
「すごい、綺麗」
「アディ、気に入ったのあった?」
「全部、綺麗・・」
「全部かあ、流石に全部は無理だけど、どれか買ってあげるよ、どれがいい?」
「買う?」
アデレイドは宝石から目を離し、顔を上げる。
横にはにこにこと笑っているジャスティンがいた。
その後ろにはグレアムと侍女のラナ、それとカーヴェル家の従僕のサムがいる。
アデレイドはハッと我に返った。
この階の煌びやかさに心を奪われて、周りを気にせずふらふら歩いてしまった。
周りを見れば、この階に相応しくないアデレイドが夢中になって宝石を見ている事に訝しんでいる貴族の奥様もいる。
「ご、ごめんなさい。つい夢中になっちゃって」
「いいよ。目をキラキラさせながらドレスや装飾品を見ているアディ可愛いし」
「かわ・・」
動揺しているところに降ってきたジャスの軽口にさらに動揺して、アデレイドは顔を赤らめる。
「アディ、可愛い〜。
ねえ、どれにしようか。
この花を象った金のイヤリングはどう? 真ん中の石がアディの目の色に似ているでしょ?」
ジャスティンが見ているのは耳から垂れ下がる形の金の花のイヤリング。
深い青色の石が嵌め込まれており、とても綺麗だ。
うっかりそれを吟味しようとして、アデレイドは首を振る。
「ごめんね、ジャス。いらないわ」
「気に入らない? じゃあ、向こうのは?」
「そうじゃなくて、どれも欲しくないのよ」
思いっきり見ておいて今更なんだが。
本当は買ってくれるなら貰ってしまえと囁く自分もいるが。
アデレイドはそれを振り払って、後ろにいるグレアムに声をかけた。
「ごめんなさい、カーヴェル様。
それで、キャロラインはいました?」
「いや、まだ来ていない。
来たら知らせるように言ってあるから、ゆっくり見ていればいい」
「いえ、もういいです」
我に返ってしまえば、自分がどれだけ場違いな場所にいるかが分かる。
買い物をしている貴婦人に付き添っている侍女や従僕の方がアデレイドより上等な服装をしている。
カーヴェル家の侍女従僕も然りだ。
明らかにアデレイドだけ場違い。
さっさと退散した方がいい。
「私、下の階で買い物があるので・・」
言い掛けたアデレイドの腕をジャスティンが引っ張る。
「アディ、やっぱりドレスが先だよね。こっち来て」
「わっ、ちょっ、ジャス」
ジャスティンに引っ張って行かれたのは奥にある店だ。
入り口側にあった店よりもさらに格式高い気がする。
「アディ、ドレス着てみたくない?」
「え? でも私には買えないし、買ってもらう気もないわよ」
「うん、それは分かった。だから着てみるだけだよ」
「着てみる?」
意味が分からず首を傾げる。
ジャスティンは声を潜めた。
「そう、試着させてもらおうよ」
「え、でも買う気もないのにそんなの」
「だーいじょうぶ。この店にとってカーヴェル家はお得意様なんだって。
だから大丈夫」
ジャスティンはそう言って、ラナに目配せする。
ラナも内緒話をするように近づいて来た。
「その通りでございます。
奥様がこの店に吹っかける無茶に比べれば、試着ぐらいどうって事ございません」
言葉は丁寧だが言っている事が奥様に対して失礼ではないかと思うのだがどうだろう。
だが、ラナはアデレイドの戸惑いを無視して話を進める。
「キャロラインお嬢様が来られるまでまだ時間がございましょうし、時間潰しだと思えばよろしいのではないですか?」
「アディ、着るだけだよ。
試着は無料だよ。試してみるだけだよ」
ジャスティンがどこぞの商売人のように見えてきた。
試すだけと言いながら、後で壊れたとか言って買わせる悪徳商人のようだ。
ジャスティンはそんな事をしないだろうが、若干腰が引けた。
「いや、やっぱりいい」
下がろうとしたら、ラナに腰をガシッと掴まれた。
背の高いラナを見上げると、にっこりと微笑まれた。
「つべこべ言わずに参りましょう、アデレイドお嬢様」
「っ」
アデレイドは顔を引きつらせた。
優しそうな人だと思っていたのに、なんか怖い。
アデレイドはずるずる引きずられるように店に足を踏み入れた。
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