第二十五話
遅くなりました。
寮の廊下に設置してある魔法灯に灯りをつけるのはティモシーの仕事だった。
魔法灯は魔法石と魔法陣を組み込んである物で、魔力を注げば発動する。
日が暮れてくる頃、設置してある魔法灯の一つ一つに灯りを灯していく。
ティモシーは廊下の先に親しい人物を見つけ、他に誰もいないのを確認して声をかけた。
「カーラ」
「ティモシー、お仕事ご苦労様ね」
地味な顔立ちに似合わない艶やかな笑みを浮かべてカーラは寄って来た。
「どうした、こんなところで。また兄貴に会って来たのか?」
「ええそうよ。相変わらず馬鹿だったわ」
カーラは肩をすくめて、言葉通り、馬鹿にした笑みを浮かべる。
カーラが兄を嫌っている事は知っているから別にその言葉に驚かない。
普段のオドオドとした気弱な様子からかけ離れた態度もこちらが本性だと知っている。
「その馬鹿の様子はどうだ? 上手くいきそうか?」
「そうね。あの女に対する悪意をたっぷり煽っておいたわ。
今日やっと私が望んでいた言葉を言ったわよ。
殺してやるって」
「そうか、やっとか」
「ええ、やっと。
今まで口ではあの女を排除するとか言っていたくせに何もしなかったけど、さすがに反省室に入れられて、プライドが傷つけられたみたいね。
物凄く怒っているわ。
そこにあの女を排する事が皆の為で、それが出来たら英雄だとかなんとか言ってやれば、思い通りよ。
馬鹿な男よね」
ふふふっと、顔を歪めて笑うカーラは悪女そのもの。
普段大人しい女を演じるカーラの演技力には脱帽だ。
「これが上手くいけば、ギブリング家の跡継ぎは君になるか」
「いえ、まだ駄目ね」
カーラは頬に手を当て、視線を宙に向ける。
「ダーレンが問題を起こして跡継ぎから外れても、それだけでは駄目ね。
お父様は私の言いなりだけど、親戚が黙っていないわ。
私は娼婦が連れてきた娘で、本当にギブリングの血を引いているのか疑わしいって言われているもの」
「実際はどうなんだ?」
「さあ、どうかしら?」
顔は宙に向けたまま、視線だけティモシーにやり、カーラは妖艶な笑みを浮かべる。
カーラは天性の悪女だ。
その視線で声で、男を自分に引き寄せる。
彼女を味わった男は、蜘蛛の巣に捕らえられた蝶さながら、もう逃れられない。
もがけばもがくほど深みに嵌り、彼女を求め、その愛を得る為に彼女の願いを叶える。
そんな男が何人いるのか知らないが、自分は他の男とは違うと、ティモシーは確信している。
ギブリング家を手に入れたカーラの横にティモシーが立つ。
ティモシーはカーラに協力していた。
「あなたがあの女で試している薬を親戚にも使おうと思うけど、どう?」
「どうだろうな。判断力を鈍らせるって話は本当だが、クローズには効きすぎているみたいだ。
暴露ないように薬漬けにするなら、もっと量を減らした方がいいな」
「ふ〜ん、後で薬と適量を書いた紙をちょうだい。
ギブリング家の使用人で試してみるから。
それにしても、あなたも変なタイミングで薬を使うわね。
デクスターの件のすぐ後で、あの女がふらふらしてたら、誰かが訝しむかもしれないじゃない」
「デクスターの件が失敗したからすぐに次の手を打ったんじゃないか。
君の為だよ」
君の為、と言われて喜ぶようなら可愛げがあるが、カーラは鼻で笑う。
「恩着せがましいわね。
でも今日の夜の事を考えれば、薬を使っていて正解かもね。
激高しているダーレンに対して、あの女がどんな態度をとるのかしら。
取り乱して泣き叫ぶ? 逆にダーレンを攻撃する?
どうなるかしら。楽しみね」
「そうだな」
ティモシーは言いながらカーラの腰に手を回す。
この廊下の魔法灯をつけ終われば少し休憩を取れる。
誘う様に腰を撫でれば、カーラは笑みを深めた。
「このところ、都合よく進んでいるわ。
キャロラインはローランドとあの女の仲を嫉妬して殻に閉じこもってるし。
ダーレン達はそれに苛立っていて一触即発。
デクスターにあの女を襲わせる件が失敗したのは残念だけど、まあいいわ。
ここで痛い目を見ればいいのよ」
「痛い目ですむのか?」
「さあね、死んじゃってもいいんじゃない?
元はといえば、あの女の魅了の力が招いた事よ。
自業自得」
カーラは顔を歪めると、吐き捨てるように言った。
ティモシーはカーラに絡めた腕を解いて、一歩下がる。
こういう言い方をする時はアデレイドへの愚痴が止まらなくなる前兆だ。
何回もそれを聞いているティモシーは正直うんざりしていた。
「あの女の力は相手の意思を無視して自分に好意を持たせるのよ。
しかも力を制御出来ないってなんなのよ。
あんな危険人物、何処かに閉じ込めておけばいいのに、学園で好きにさせるなんて意味が分からないわ。
妖精王のひ孫だからってなんなのよ。
あの女は十九番目の子供の孫よ。
私は妖精王の三番目の子供の子孫。
間に幾代も挟んできたとはいえ、妖精小王の子孫なのに、なぜ人間の世界で苦労しているのよ」
ティモシーは聞きながら、はいはいと相槌を打った。
カーラが言うには、妖精界は一人の妖精王と五人の小王で治めているという。
妖精王には子供が十九人いて、始めの五人が生まれたのはもう数千年も前だという途方もない話だ。
ティモシーの感覚からすると、そんな昔の血の繋がりならカーラが妖精王に相手にされないのも当然では? と思う。
おまけにカーラの祖母は悪さをして、力を奪われ妖精界から追放されたらしい。
追放され、人間との間に娘をもうけ、その娘の娘がカーラだ。
祖母が妖精界から追放された件にアデレイドの祖母が関わっているのも、カーラがアデレイドを厭う理由の一つだ。
その上、妖精王はアデレイドを気にかけている。
それがカーラは気に入らない。
十九番目の子供の子孫であるアデレイドより三番目の子供の子孫であるカーラの方が偉いらしい。
それがカーラの独りよがりか、妖精界の不文律なのかは分からないが、カーラはそう思っている。
「本当にあの女はむかつくわ。
妖精王が溺愛しているですって?
妖精王が冥界から戻ってきたら、妖精界に迎え入れるですって?
私は拒否されたわよ、追放された女の孫だからって!」
カーラの声は段々大きくなってきた。
ひと気がないとはいえ、大きな声で話せば響く。
「落ち着けよ、カーラ」
「あの女は妖精界に行って永遠ともいえる命を生きるのに、私は数十年で老いて死ぬのよ。
妖精を祖母に持つという事は同じなのに、なんなの、この差。そんなの許せる?」
「いや、そりゃそうだけど」
「殺してやるわ、あの女。ダーレンが失敗しても私が殺す」
カーラの目には狂気が渦巻いていた。
ティモシーは苦々しく顔を歪める。
カーラの囁きは悪意や欲望を増大させ、人を破滅させる力がある。
ダーレンを排除してギブリング家を乗っ取り、さらにその力を使って、もっと大きな獲物も狙える。
王に取りいって権力を握ることだって、出来るかもしれない。
しかし、アデレイドへの妄執が邪魔だ。
ある意味でカーラもアデレイドに魅了されている。
その存在に。
カーラがアデレイドの事で下手を打つ前に、自分がアデレイドを排除するべきかもしれない。
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ダーレンの謝罪を受けるとカーラと約束した日の午後、アデレイドはまたも医務室で世話になっていた。
今まで以上に体調悪く過ごしていたのだが、その原因は緑色の飲み物だった。
もう緑色の飲み物は飲みたくない。
きっかけは昼休み、ジャスティンと昼食を食べていた時だった。
食欲のないアデレイドはパンを二口食べて終わりにした。
「アディ、また食べないの?」
「うん。食欲なくて」
ジャスティンは心配そうにアデレイドの顔を覗き込む。
アデレイドは果実水が入ったグラスを手に持ち、しかしそれも飲み干せそうになくて溜め息をついた。
「ねえ、アディ、医務室に行こう。それじゃあ倒れちゃうよ」
「そうね」
アデレイドは答えつつも動く気はなかった。
動きたくない。それにまた頭痛がしそうな気がする。
アデレイドは傍らに置いた鞄からティモシーに貰った薬を出した。
「アディ、それなに?」
「頭痛薬」
「・・・ちょっと見せて」
ジャスティンはアデレイドの手から薬の包みを奪うと、何やら検分を始めた。
包みを開いて匂いを嗅いで、眉を顰める。
テーブルの上に置いて、フォークで掻き分けて何かを確かめている。
薬は荒い粉状で、掻き分けて何か分かるとも思えないのだが。
薬を少量手に取り、人差し指と親指で擦り合わせて、見て、嗅いで、ぺろっと舐める。
すぐにコップを手に取り口を濯ぐと、ジャスティンは硬い声を出した。
「アディ、これ誰に貰ったの?」
「誰って・・」
あの薬を貰った時、ティモシーは誰にも言わないでと言っていた。
ティモシーの実家の商家が他国から入手した貴重な草が使われているということで、今この薬が人に知られると利権問題が生じて困ったことになるらしい。
アデレイドが黙っていると、ジャスティンは溜め息をつく。
「いつから飲んでるの?」
「一昨日からよ」
「一昨日か」
ジャスティンは思案する様に薬を見つめる。
「ジャス、この薬になにかあるの?」
「うん。これにはあまり良くない物が入ってると思うよ」
「え?」
「多分、アディの体調不良はこれが原因だよ。
僕は前にアディみたいな症状の人を見たことがある」
「ええっ・・」
良くない物が入ってる?
他国の貴重な草だと言っていたが、なぜジャスティンがそれを知っているのだろう。
テーブルの上に置かれたジャスティンの手は硬く握られている。
声からしてもジャスティンは怒っているようだ。
なぜ怒っているのか分からないアデレイドは混乱して、何を言っていいのか分からない。
「他にもまだあるの?」
「あと一つ、鞄にあるけど」
「そう、それ出して」
アデレイドは言葉に従い、鞄から薬を出した。
ジャスティンはそれも包みを開けて中を確認した。
「これも同じだね」
「・・・・」
アデレイドは無言でジャスティンの手の中にある薬を見つめた。
良くない物? 体調不良の原因?
もしかして、ティモシーは薬を調合する時に間違った物を入れてしまったのだろうか。
もしそうだとしたらティモシーに早く伝えないといけない。
他の人にもこの薬を渡しているかもしれないから。
「ジャス、私、行くところが出来たわ」
「どこに行くの?」
「寮に戻るわ。そこに居なければ・・」
ティモシーは寮の職員であるが、主に夕方から夜の勤務なので、昼はどこにいるか分からない。
考え込んでいると、
「アディはまず医務室に行こう。毒消しを飲まないと」
「毒!? あの薬、毒なの?」
「毒みたいな物だよ」
ジャスティンの肯定にアデレイドは息を飲む。
「じゃあ、早くティモシーさんに伝えないと。
他の人にも渡してたら大変だわ」
「ティモシー? 寮にいる金髪の男?」
「あ」
慌ててしまって、思わずティモシーの名を口に出してしまった。
「ジャス、この事は内緒にしてね。
ティモシーさんに誰にも言わないでと言われているの」
「・・・・」
「実家のご商売の利権に関わるんですって。
この薬の販売ルートを確定してから、おおやけにしたいんですって」
「おおやけねえ。これは元々おおやけに出来ない物だよ」
ジャスティンは渋い顔だ。アデレイドは首を傾げる。
何が入っていたのだろう。
「今回のは何か間違った物が入ってしまったのかもしれないわ。
本当の薬は違う物の筈よ。
薬を貰う時、これはよく効く頭痛薬だって言ってたもの。
そのうちに国内でも販売出来るって」
「・・・・」
アデレイドが言葉を重ねると、ジャスティンはますます渋面になった。
「ジャス?」
アデレイドは不安を覚えて、ジャスティンを窺う。
ジャスティンは今までに見た事がない程、不機嫌だった。
自分が言った事は間違っているのだろうか。
ジャスティンを不快にさせたのだろうか。
ジャスティンはアデレイドの様子に気付くと、気遣う様な笑みを浮かべた。
「アディは心配しないで。
僕がティモシーさんと話をしてみるよ」
「でも、誰にも言わないでと言われてるから」
「仕方ないよ。この薬でアディが体調を崩したんだから。
向こうが悪い。
アディは心配しないで。大丈夫だから」
ジャスティンに「心配しないで」と、重ねて言われて、アデレイドは安堵した。
微笑み返して、コクリと頷く。
「アディはティモシーさんに何も言わないでね。
僕が話をするから」
「ええ」
「じゃあ、アディ、医務室に行こう?」
「分かった」
アデレイドはジャスティンに連れられて、医務室に向かう。
医務室に行くと、ジャスティンは医務室の先生と何か話していた。
医務室の先生が出て行き、帰って来た時には何故か学園長が一緒で。
学園長に診察されて、治療を受ける。
とどめに出て来た薬が、コップに入った緑色のドロドロとした液体だった。
アデレイドはその青臭い匂いに顔を顰める。
「それを全部飲め」
「全部ですか? すごくまずそうなんですけど」
アデレイドは匂いをかぎ、試しにちょっと飲んでみた。
「!?」
まずい。物凄くまずい。
青臭くて苦くてえぐみがあって、とても飲める気がしない。
「クローズ、私の魔法で薬の影響は大体消えただろうが、全てじゃない。
早く体調を治したいだろ?」
学園長にそう言われてしまえば断れない。
アデレイドはぐいっと薬を飲み干した。
「しばらく胸がムカムカすると思うが、我慢だ。
多分熱が出て、吐き気がする。
それが治まったら体調がよくなるからな」
学園長はベットに横になったアデレイドの頭を撫でると、ジャスティンと医務室を出て行った。
薬の効果は凄まじく、胸はムカムカするし、お腹は痛い。
とにかく気持ち悪くて、体が熱くて、汗がダラダラと出た。
あまりの辛さにさっき飲んだのは毒か、と心の中で文句を言っていたのだが。
それらが治まった後にはすっかり気分がよくなっていた。
体の不調が消えただけではなく、心もすっきり。
今までの暗い気持ちはなんだったのか。
自分が戻って来た気がする。
お読みいただきありがとうございます。




