第二十三話
午前中の授業はほとんど頭に入らなかった。
授業と授業の合間の休み時間に、廊下で会ったケイシーに頭を叩かれ何か言われた。
呆れた様な顔から、ろくな事ではないだろうが、早口過ぎて頭に入らない。
何をやってる、とか、気を付けろ、とか聞こえたから心配してくれている様だ。
何も言い返さないアデレイドを不審に思ったのか、ケイシーとチェスターが顔を見合わせる。
「アデル、どうした?」
チェスターはアデレイドの肩に手を乗せた。
ケイシーがすかさずその手を外す。
アデレイドはそれをぼーっと見ていた。
「アデル、何をぼーっとしてるんだよ。
ほらほら目を覚ましなよ」
ケイシーはアデレイドの頬をぺしぺし叩く。
ケイシーの方を見ようとして、ケイシーの手に顔を掴まれて、止められた。
「こっちを見るなっての。
君ねえ、まだ具合悪いの? 昨日早退したんだろ?
具合が悪いなら部屋で寝てなよ」
「ううん、大丈夫。ちょっとぼーっとしてるだけ」
「あっそう。ならとっとと目を覚ましなよ。
ぼーっとしてるからってうっかり目を見られたら、こっちは堪んないんだから」
ケイシーの言葉にアデレイドは少し目が覚めた。
そうだ、気を付けなければならない。
意識して下を向く。
「アデル、今流れてる噂は相当やばいよ」
ケイシーは声を潜めて言った。アデレイドは首を傾げる。
どの噂だろう。
「君、ローランド・エイデンをこっ酷く振ったんだって?」
「なんでそれを?」
「噂だよ。皆言ってるよ。本当なんだ」
「本当というか・・・」
アデレイドは口ごもった。さすがにあの賭けの事は言えない。
「気を付けなよ。
ローランド・エイデンが君を見る目には怨念が籠ってるよ」
「お、怨念?」
「そう、怨念。恐ろしい負の力を感じるね」
「・・・・・」
ケイシーはいつから怨念を感じれる様になったのだろう。
多分口からでまかせだろうけど。
「後、女子共がいきり立ってるらしいよ。
君に制裁を加えるって。
エイデンを振ったのは許せないってさ」
「・・・・」
アデレイドは頭が働かないのもあるが、どうしていいか分からなくなった。
ローランドと共にいてもよくないが、突っぱねてしまうのもよくないらしい。
どうすればいいのか。
頭を抱える。
ケイシーは嘆息しつつ、一人では危ないからと、チェスターと共に次の教室まで送ってくれた。
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午前の授業が終わり、次は昼休み。
教室を出たらそこにはブレントがいた。
今の時間、ブレントは魔法の演習だった気がする。
魔法の演習は屋外での授業。
アデレイドは座学ーー歴史の授業で校舎の二階の教室。
ブレントはまた授業をサボったのかもしれない。
「ブレント」
寄って来たブレントに声をかける。
いつもなら笑みを浮かべるブレントだが、今日は機嫌が悪いらしい。
眉間に軽く皺を寄せている。
「アデル、あいつらが来る前に行くぞ」
「? 」
アデレイドは首を傾げた。あいつら、とはジャスティンとグレアムの事だろうか。
ブレントはアデレイドの腕を掴むと、いつもの東屋とは別方向に歩き始めた。
「どこに行くの?」
「森のいつもとは違う場所に行こう。敷物も持ってきたからそこで昼食だ」
ブレントは右手に持つバスケットを持ち上げる。
昼食の入ったいつものバスケット。すでに持っているということはやはり授業をサボったようだ。
「ブレント、森に行くならこっちからだと遠回りだけど・・」
アデレイドは早足で歩くブレントに困惑の声を上げた。
ブレントは止まる様子はない。
「向こうから行くとカーヴェルに見つかるからな」
「えっと、見つかったらよくないの?」
「一昨日から言ってるだろ、話があるんだ。
あいつらがいると話せないから、あいつらには今日の昼食は遠慮してもらう」
つまり、グレアムとジャスティンに見つからないように森に行って、二人で昼食を食べようという事か。
「ブレント」
「なんだ?」
「でも、何か言っておかないと、ジャスティンとカーヴェル様が心配すると思うの」
「心配ない。いつもの東屋に書き置きはしてやった」
「書き置き?」
「アデルと俺は今日は違う場所で食べるから、そっちは勝手にしろってな」
「そう、それなら・・」
「奴らはそれでもお前を探し回りそうだからな。
さっさと見つからない場所に行くぞ」
「そう、分かった」
アデレイドは簡潔に返事を返した。
ブレントの早足について行くにはアデレイドは小走りになる。
階段を降りて一階まで行き、校舎の裏手から森へと行く。
必死に足を動かしていると、ブレントは何かに気付いた様に速度を緩めた。
「悪い、アデル。少し早かったな」
「あ、ううん。大丈夫」
少し息切れしていたアデレイドはほっとして顔を上げた。
ブレントはアデレイドを見て、足を止める。
手を繋いでいるので、アデレイドも引っ張られて、止まった。
「アデル、大丈夫か? 顔色が悪いな」
「え? そう?」
「ああ。具合が悪いのか?」
ブレントは心配そうにアデレイドの顔を見る。
アデレイドは首を振った。
「ううん、ちょっとぼーっとしているだけ」
「・・・ちょっとじっとしてろ」
ブレントはアデレイドの前髪を上げると、アデレイドの額に手を当てた。
「・・・・熱はないな。昨日と同じか?」
「うん。昨日も寝過ぎちゃったから、それでぼーっとしてるんだと思う」
「寝過ぎ・・・にしては、おかしいな。他には?」
「んー、別に」
アデレイドは答えながら、いつもより頭が働いていない気がして、首を振った。
頭がくらっとして、よろける。
「危ない」
ブレントに支えられて、転がらずに済んだ。
「ありがとう」
「大丈夫じゃないな。医務室に行くか」
「それはいい」
アデレイドはブレントの言葉に首を振る。
「行ったら、今度はなんだ?って言われちゃうから」
「学園の医務室と寮の医務室じゃ、いる奴は違うだろ?」
学園の医務室の治療士は一人、そこに常勤で日勤だ。
寮の医務室の治療士は複数、寮の職員なので、患者がいる時だけ医務室勤務。他の時は寮の警備や管理業務をしている。
どちらも、本格的に具合が悪い生徒が出れば、学園の教師でもある医療士が診ることになっている。
学園の医務室と寮の医務室。みている人は違えど情報は共有している。
「学園の医務室に行ったら、寮の医務室にも報告されるの。
またティモシーさんに怒られるわ」
「ティモシー? 誰だ、それ」
「寮の医務室の人」
「いたか? そんな奴」
「いるわ。細くて背の高い、金髪の若い男の人」
「ああ、あのもやしみたいな奴か」
「・・・」
ブレントはただ思い付いた事を言ったようだが、たまにブレントの口の悪さはどうかと思う。
「オールディス!!」
突然、グレアムの怒声が響いた。
アデレイド達が来た方角から、グレアムが歩いてくる。
その顔は声と同様に怒っている様だ。
「アデレイドをどこに連れて行く気だ」
「貴様には関係ない」
ブレントはグレアムの出現にチッと舌打ちをし、グレアムの言葉をバッサリと切った。
一昨日辺りから、ブレントとグレアムの仲は急速に悪くなっている。
今までは、一応気を使って、「君」という呼び方もしていたのに、今は問答無用で「貴様」だ。
これでは魅了直後のピリピリしている状態がずっと続いている様なものだ。
「関係ないだと? いや、いい。貴様と話をしても仕方がない」
グレアムは言い捨てると、アデレイドへと向いた。
「アデレイド、どこに行くつもりだ? 昼食はいつもあの東屋で取っているのだろう」
「はい。でも、今日はブレントが話があると言うので」
「それで黙って行ってしまうのか? 私もジャスティンも心配する」
「・・・・」
アデレイドはなんて返していいか分からずに、ブレントを見上げる。
ブレントはアデレイドをグレアムから隠すように一歩前に出た。
背の高いブレントの後ろにいるとアデレイドからグレアムは全く見えなくなる。
「いつもの東屋に書き置きはしてある」
「それで事足りると思っているのか? 随分強引で失礼なやり方だ」
「元々、アデルと俺がいるところに貴様らが割って入ってるんだ。
いい加減に俺達の邪魔をしないでもらおうか」
「そうだとしても感心しないやり方だ。
貴様が強引にアデレイドを連れ出したのだろう。
アデレイドには守る者が必要だ。
貴様のような、人の気持ちを考えない奴にその役目は譲れない」
「守るだと?」
ブレントは鼻で笑った。
「貴様にはアデルを任せられない。
何をするか分からないからな」
「なんだと? 私が何をするというのだ」
「アデルと決闘した時の事を忘れたとは言わないだろうな」
ブレントの冷たい声に、グレアムはぐっと息を詰まらせた。
アデレイドも胸中で呻く。
その事はもう掘り返さないでほしい。
「貴様よりローランド・エイデンの方がよほど紳士だろう」
ブレントは鮮やかに地雷を踏み抜く。
最近のグレアムとローランドの不仲から、それが一番グレアムに打撃を与えると思ったのだろう。
その言葉はアデレイドにも打撃を与えた。
今、ローランドの名は聞きたくなかった。
ぼーっとしていた頭が少し覚めた。
いや、逆かな。くらくらする。
「オールディス、私はアデレイドに対して、紳士であろうとしている」
「どうだか。口だけではないと、どうして言える」
「貴様に証明する気はない。
アデレイドと私の問題だ」
「証明する必要はない。
魅了が解ければ貴様もすぐにいなくなる」
ブレントは低い声で告げる。
アデレイドは急に魅了の事を言われて、ビクッと体を震わせた。
いつもなら受け流せるのに、今日はブレントの言葉が胸に刺さる。
「貴様の気持ちは今だけだ。
それを自覚して、アデルの前に現れるな」
吐き捨てる様なブレントの言葉。
一瞬の沈黙の後、グレアムの低い声が響いた。
威嚇する様な獰猛な声だ。
「アデレイドに近付く男は皆、アデレイドの力に支配されているのか?
アデレイドを気遣う事も心配する事も全て魅了のせいだと言うのか?」
「そうだ。
アデルに魅了され、愛を囁き、信用させて、去っていく。
去り際に手酷い言葉でアデルを傷付ける。
それなら始めから近づけない方がいい」
(やめて。言葉にしないで)
アデレイドはぎゅっと手を握った。
その話はやめてほしい。
言葉にされて、思い知りたくない。
「貴様は違うのか?」
「俺は違う。俺はアデルを裏切らない」
「どうだか。
私は貴様が一番信用ならない。
アデレイドを傷付けているのは貴様も同じだ。
貴様はアデレイドを気遣っている様でいて、全く気遣っていない。
アデレイドの事を思うなら、なぜ皆の誤解を解こうとしない?
なぜアデレイドは自分が悪いと思っているのだ?
貴様がそう誘導しているのではないか?」
「・・・・・」
ブレントは答えない。
アデレイドはグレアムのあまりの言いがかりに言葉が出なかった。
「私は貴様こそがアデレイドを一番傷付けると思っている。
アデレイドを信用させて、その分だけアデレイドを傷付ける。
私は貴様がアデレイドの側にいるのを許容出来ない」
「・・・・」
沈黙が場を支配する。
アデレイドからは見えないが、多分ブレントとグレアムは睨み合っている。
昨日、喧嘩しないでと言ったばかりなのに。
アデレイドは込み上げる涙を堪えていた。
お読みいただきありがとうございます。




