第二十話
ちょっと長めです。
「キャロライン!」
前を歩く集団にいるキャロラインの背中に声を掛ける。
びくりとキャロラインの肩が揺れるがキャロラインは振り返らない。
代わりに進み出たのは、前にアデレイドにいい気になるなとご忠告をしてくれたひょろっと背の高い男だった。
アデレイドと同学年、16歳の茶色い髪の目つきの悪い男ーーダーレン・キブリングは、顔を歪めてアデレイドを見下ろす。
この男はアデレイドの事が大嫌いだ。
アデレイドの言葉を変な風に捻じ曲げて、アデレイドがキャロラインを苛めているように受け取る。
アデレイドをキャロラインに近付けない事が正しくて、アデレイドを排除する事が正義であるかの様に言う。
とにかく捻くれた男だ。
後ろにいる彼の同い年の妹ーーカーラは、たまにアデレイドに声を掛けてくれるほど優しいのに、なぜ兄はこうなのだろう。
非常に残念だ。
「キャロライン、話がしたいの」
ダーレンを無視してキャロラインに声を掛けると、ダーレンはアデレイドの肩を突き飛ばした。
「っ」
「気安くキャロラインに声を掛けるな、性悪女!
よくもぬけぬけとキャロラインの前に姿を見せられるな。恥を知れ!」
「・・・あなたには話してないわ。
私はキャロラインと・・」
「黙れ!」
ダーレンは声を荒げる。アデレイドはダーレンの顎のあたりを睨み付けた。
「黙らないわ。キャロラインと話がしたいのよ。
キャロライン、どうしたのよ。
言いたいことがあるならいつもの様に言えばいいじゃない。
黙ってるなんてあなたらしくないわ」
「このっ!」
キャロラインの背中に向かって話し掛けていた為、ダーレンが手を振り上げたのに反応が遅れた。
バチンっという音と共に一瞬目の前が暗くなる。
頬を叩かれ、アデレイドはよろけた。
誰かに支えられたので、倒れなかったが結構な衝撃だった。
「っつ、なにを・・」
「何をしている!!」
アデレイドの文句の言葉を遮って、真上から怒声が飛ぶ。
大声にアデレイドはぎゅっと体を縮めた。が、目の前の集団はその比ではなかった。
縮みあがり、青ざめている。
声の主はローランドだ。
真上から声が聞こえたところから、アデレイドの体を支えているのもローランドだろう。
普段優美な青年からこんな人を圧するような声が出るなんて思わなかった。
動けないでいるアデレイドやキャロラインの取り巻きを他所に、ひょこひょことジャスティンがやって来た。
「アディ、大丈夫? こっちにおいで」
腕を取られ、脇に逸れる。
「アディ、顔見せて。あー、赤くなってる。
口の中は切ってない? ちょっと見せて」
緊迫した空気を気にした様子もなく、ジャスティンはアデレイドに声をかける。
それどころではないアデレイドはジャスティンの問いかけに曖昧に答えていた。
ローランドはアデレイドが離れると、集団に一歩二歩と進んだ。
その分だけ集団は下がる。
俯いて動かないキャロラインが一番前に来た。
「キャロライン」
ローランドが自身の婚約者を呼ぶのは低く冷たい声。
キャロラインの体が震える。
「取り巻きの仕出かした事は君の責任だ。
アディに謝れ」
「・・・ごめんなさい。アデレイド」
久々に聞いたキャロラインの声は震えて弱々しかった。
アデレイドはとても悲しくなった。
なぜか分からないけれど、ギュッと胸を掴まれた様な気がした。
ローランドの冷たい声は続く。
「男をはべらすのは結構だが、管理はしっかりしろ。
そんな事も出来ないのなら君に用はない」
(なっ)
アデレイドは心の中で声を上げた。
キャロラインが悪い訳ではないのにその言い方は酷い。
婚約者に対してあまりにも冷たい対応だ。
キャロラインはぎゅっとドレスを掴み震えている。
それを冷たい目で見下ろすローランド。
アデレイドはキャロラインを背に庇い、ローランドと対峙した。
「エイデン様、酷すぎます。そんな言い方ってないわ!
もっと優しい言い方はないんですか?
キャロラインはあなたの婚約者でしょう。
そんな風に切り捨てる様な事を言わないで。
キャロラインは何も悪くないわ!」
アデレイドはローランドを睨みつける。
アデレイドを見下ろすローランドは辛そうに顔を歪めた。
誰もなにも言わず、固唾を飲んでアデレイド達を見つめる。
そんな中、声を出したのはキャロラインだ。
「アデレイド・・」
その声は泣いている様だった。
「あなたにそんな事を、言われたくないわ」
「・・え?」
振り返るが、キャロラインはアデレイドから顔をそむけ、ドレスを翻して走りだす。
「キャロライン!」
声をかけるがキャロラインは止まってくれない。
取り巻き達も慌てて、後を追う。
一瞬、ダーレンの妹のカーラと目が合ったような気がしたが、そのまま行ってしまった。
「・・・」
キャロラインに拒絶された。
アデレイドはキャロラインが去った方を見つめた。
どの言葉がキャロラインの気に障ったのか。
アデレイドにはキャロラインの為に何かを言う資格もないのだろうか。
アデレイドが嘆息していると、アデレイドが来た食堂からの廊下から声が上がった。
「アデル!」
「アデレイド、何があった⁉︎」
ブレントとグレアムがアデレイドに走り寄る。
二人はアデレイドの顔を見ると、眉間に皺を寄せた。
「誰にやられた? お前か?」
ブレントは唸るように言い、ローランドを睨む。
アデレイドはブレントの袖を掴んで止めた。
「違うわ。エイデン様は止めてくれたの」
アデレイドは叩かれた左頬を押さえる。
先ほどは興奮していたからか痛みを感じなかったが、少し落ち着いたら急に痛み出した。
「これは・・」
「ダーレンだよ。アデレイドを叩いたの。
ダーレン・ギブリング」
アデレイドの言葉を継いだのはジャスティンだ。
「アディ、痛いんだろ? 無理に話さなくていいよ。
医務室に行こう」
ジャスティンはブレントの袖を掴むアデレイドの手をそっと外させた。
「俺が・・」
「いい」
ブレントが声を上げるも、ジャスティンが冷たく遮った。
「君達は勝手に牽制しあってなよ。
それに付き合う時間が惜しいから、僕がアディを連れて行く。
グレアムさんも、いいよね」
何時もの子供っぽい言動はなりを潜め、ジャスティンは静かに言葉を紡ぐ。
グレアムは何か反論するかと思ったが、ただ頷くだけだった。
意外だ。
グレアムならここでも「いや、私が」とか言うかと思った。
ジャスティンはチラッとローランドを見た。
ローランドはアデレイドを見ていたがなにも言わなかった。
「じゃあ、後よろしく」
ジャスティンはアデレイドの手を引いて歩き出す。
アデレイドは躊躇したが、ここはジャスティンに連れていってもらうのが一番無難だ。
「ブレント、明日話を聞くから」
アデレイドは眉間に皺を寄せているブレントに声をかけ、その場を去った。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
「ねえ、アディ。なにがあったの?」
廊下を歩きながら、ジャスティンがぽつりと言った。
アデレイドは一瞬、体を強張らせた。
手を繋いでいるからジャスティンに分かってしまったかもしれない。
「なにがあったってどういう事? 体調を崩した事? 風邪かな」
「違うよ。なにかあったんだろ?
ローランドさんやグレアムさん、それにオールディスまでアディに話があるって言うんだから」
「うーん」
アデレイドは首を傾げた。
なにかあったというのは本当だが、三人が話があるというのがそれに繋がるのか分からない。
昨日の事を知っているのは学園長とデクスター達だけなのだから。
学園長が話した? それもないと思うのだが。
「三人の話がなんなのか、検討もつかないわ。
なんで、三人同時に話があるなんて言ってるのかしら。
今日学園でなにかあった?」
「グレアムさんは午後から登校したみたいだよ。
ローランドさんとオールディスは別に変わった事はないんじゃないかな。
学年違うからよく分からないけど」
「ふーん」
グレアムは午後から登校か。
午前中に何かあったのだろうか。
(あれ? 何か引っかかる。カーヴェル様って・・)
アデレイドは何かを思い出せそうで、足を止めた。ジャスティンが振り返る。
「アディ?」
「・・あ!!」
(思い出した! 私、昨日図書室でカーヴェル様に会ったわ。
意識をなくす前にカーヴェル様を見た気がする)
すっかり忘れていた。
昨日グレアムは図書室にいたのだ。
ということは昨日の件を知っているという事で、話とはそのことだろう。
まずい。
グレアムは昨日の事をブレントに話すだろうか?
すぐに口止めしなくては。
「ジャス、ごめん。私戻るわ」
「え、どこに? 治療は?」
「いい。こんなの平気。すぐに治るわよ」
来た道を戻るべく足を踏み出すが、ジャスティンに手を引っ張られる。
「だめだよ。放っておいたら顔が腫れちゃうよ。
ちゃんと治療しなきゃ」
「じゃあ、後で医務室に行く。ちょっとカーヴェル様に話があるの」
「だめ。すぐ行って。話なら明日にしなよ」
「明日では遅いかもしれないのよっ」
焦りを滲ませると、ジャスティンは一瞬黙った。
「・・・なんの話? 僕が伝えてあげるよ」
「・・・・」
今度はアデレイドが黙った。
視線を明後日に彷徨わせてから思いついた事を言う。
「昨日、寮則破りをしたのよ。
カーヴェル様の話は多分その事についてだから、それをブレントに言わないでって言いたいの」
「・・・」
ジャスティンは探るようにアデレイドを見る。
嘘は言っていない。
消灯後に出歩く寮則破りをしたし、グレアムの話もその件だろう。メインは図書室で何があったのかって話かも知れないが。
ジャスティンは納得していないようだが「分かった」と折れてくれた。
「アディを医務室に送ってから、走ってグレアムさんのところに行ってくるよ。
それでその事を伝えてまた戻ってくる。
だからアディは大人しく医務室で待っててよ」
「でも・・」
「待っててね」
念押しされてしまい、アデレイドは渋々頷いた。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
「うっうっ・・」
キャロラインは自室のベットに突っ伏し声を殺して泣いていた。
ローランドの冷たい瞳。
まるで自分などどうでもいいという様な言葉。
今までキャロラインはずっと我慢してきた。
ローランドと婚約したのはずっと昔、幼い頃。
王家の血を引く侯爵家の嫡男と、幼いながらに膨大な魔力を示したキャロラインの婚約は親の決めた婚約だった。
幼い頃は婚約など関係なくローランドとキャロライン、従兄妹のグレアムとキャロラインの姉のロザラインは仲良く過ごした。
それが壊れたのはいつからだろう。
ローランドはロザラインに恋をした。
キャロラインと違い、大人しくて優しいロザライン。
ロザラインはその時はすでにグレアムと婚約していた。
ローランドがなぜ自分の婚約者はロザラインではないのだろうと思っていた事は知っている。
ローランドはずっと姉を見ていたから。
そんなローランドをキャロラインはずっと見ていたから。
それでもいつかはローランドは自分を見てくれると思っていた。
ローランドは仲良く過ごすグレアムとロザラインの邪魔をしなかったから。
グレアムとロザラインが結婚し、自分とローランドも結婚して幸せになれると思っていた。
しかしあの日。
ロザラインはグレアムと出掛けた帰りに事故で亡くなった。
グレアムは用があり、先に帰った為に難を逃れた。
グレアムを責めるローランドは鬼気迫る様子だった。
その日からローランドはグレアムと距離を取った。
キャロラインを側に寄せ付けなくなった。
今のローランドはあの頃と同じ目をしている。
姉に恋い焦がれていた日のような。
アデレイドにローランドを取られてしまうのではないかと不安が広がる。
「わたくし、アデレイドに酷いことをしているわ。
ずっとアデレイドを無視して。
今日は庇ってくれたのに、あなたに言われたくないなんて言葉を返してしまったわ」
「いいのよ」
キャロラインの背を優しく撫でる手。
その手は優しく、その声に安らぐ。
「アデレイドはあなたからローランド様を奪おうとしているのだもの。
無視して当然よ」
「でも、アデレイドにはそんな気はないのよ。
さっきだってローランド様の言葉が酷いって。
切り捨てるような事を言わないでって言ってくれたわ」
「作戦かもしれないわよ?」
「作戦?」
キャロラインは少し顔を上げた。
「人を庇う事の出来る優しい女性って事を演出しているのよ。
さっきだって、あなたは知らないだろうけど、ローランド様を上目遣いで見上げていたの。
目に涙を溜めて」
「・・・・・」
「ただでさえ、目を合わせれば魅了出来るのに、そんな風に見つめられて、ローランド様はどう思ったかしら?」
「どう、思ったの?」
「さあ、それは分からないわ。あなたはどう思う?」
「・・・・」
「今頃泣いているアデレイドをローランド様が抱き締めて慰めているかもしれないわね。
ローランド様はお優しい方だから。
そこにあの女はつけ込んでいるのよ」
「・・ローランド様はアデレイドを抱き締めているの?」
「そうよ、抱き締めている。もしかしてそれ以上も・・」
「いやっ!」
キャロラインは顔を上げて首を振った。
自分の金髪が乱れて落ちる。
横を見れば、キャロラインを撫でてくれている友人の茶色い髪が見えた。
「わたくしはどうすればいいの?」
「ローランド様を取り返すのよ。
人を唆して笑っているあの女を酷い目に合わせるの」
「アデレイドはそんな子ではないわ」
「じゃあアデレイドにローランド様を取られてもいいの?」
「いや」
ふるふると力なく頭を降る。
キャロラインはもうどうしていいか分からなかった。
この間までは、アデレイドはわざと男を魅了して、側に置いているのだと思っていた。
男の意思を無視して、力で側に置くなんて、酷い女だと思っていた。
だけどあの日、白薔薇のサロンで泣いているアデレイドを見た時に違うのではないかと思った。
わんわん子供みたいに泣いているアデレイドは、とても男を唆す女には見えなかった。
今までずっとアデレイドを毛嫌いしていたグレアムも誤解だったと言っていた。
悪い噂も暴走したグレアムの事も全て自分が悪いと受け入れて耐えているのだと。
(でも、それも作戦?
グレアム様を騙してローランド様を唆して、全てを手に入れようとしている悪女なの?)
お読みいただきありがとうございます。