第十話
更新遅くてすみません。
ジャスティンを追いかけて森を走っていると、一本の木の前に彼を見つけた。
ジャスティンは木に向かって項垂れるようにように立っている。
まだ距離があるから分からないが、泣いているのかもしれない。
アデレイドは駆け寄ろうとして、ふと、足を止めた。
ジャスティンはアデレイドを拒絶するように背を向けて立っている。
アデレイドの曖昧な態度が少年の心を傷つけたのだ。
慰めてあげたい。泣かせたいわけではない。
だけど、慰めてどうする?
魅了されアデレイドの事を好きだというジャスティンをアデレイドは受け入れられない。
なら、嫌われた今はいい機会だ。
このままジャスティンに関わらずいれば、やがてジャスティンの魅了は解けるだろう。
傷つき怒らせたジャスティンをそのままにするのは偲びないが、それが最善に思える。
アデレイドはジャスティンに背を向けた。
「ごめんね、ジャスティン君。さよなら」
ジャスティンには届かないほどの小声で呟く。
後ろ髪引かれる思いで進んでいくと、後ろからバタバタと走る音が聞こえた。
なんだろうと足を止める。
「アディ!」
ジャスティンの声がしたと思ったら後ろから体当たりされた。
「うきゃあ!」
倒れると思ったが倒れない。見てみれば、体当たりではなくジャスティンに抱きつかれていた。
「アディー、ひどい! どこに行く気⁉︎」
ぎゅうぎゅうと抱き締められ、耳元で喚かれる。
「ジャ、ジャスティン君。びっくりした」
「びっくりしたのは僕だよ。
アディってば僕を置いて帰ろうとするんだもん」
「それは・・、そうっとしておいた方がいいかと思って」
「そんなわけないよ。こんないい機会・・じゃなくて、迎えに来て欲しいに決まってるじゃないか」
「・・・?」
今、ジャスティンは何か言いかけなかっただろうか?
「いいきか・・?」
「違うよ。迎えに来て欲しいって言ったの!」
「そう? まあいいけど。それよりジャスティン君、放して」
「やだ」
駄々っ子のようにアデレイドを抱く力を強めるジャスティン。
「ジャスティン君」
「やだやだ、絶対やだ」
大きなこどもがいる。
アデレイドは嘆息した。
「ジャスティン君、私、あなたとちゃんと話をしなければならないと思うの」
「いいよ、話なんてしなくて」
「そんな訳にはいかないでしょう?」
「いいの。アディが側にいてくれればそれでいいもん」
「ジャスティン君」
「聞きたくないの!」
ジャスティンは甘えるようにグリグリーっと頭を押し付ける。
頭と頭が擦れて痛いって。
「・・・離さないと、怒るわよ」
「・・・・」
ジャスティンはやっと放した。
一息ついて振り返り、ジャスティンと相対すると、ジャスティンは目に涙を浮かべていた。
(うぐっ)
少年の上目遣いの涙目。
傷つけたと罪悪感があるところにそれは破壊力がすごかった。
「僕の事、嫌い?」
「そ、そんな事ないわよ」
「だって、僕が側にいちゃだめなんだよね? 嫌いって事?」
「そうじゃなくて」
否定するが、涙目で見られ落ち着かない気分が深まる。
もうなんでも言う事をきくから、取り敢えずその目はやめてと言いたい。
「じゃあ、側にいていい?」
「う、うーん」
「いい?」
「・・・うん」
負けてしまった。しかしこれ以上負けるわけには・・。
「ジャスって呼んで?」
「いや、それは・・」
否定しかけたところで、ジャスティンがまた悲しそうな顔をする。
「愛称を呼ばないのは嫌いだからじゃないのよ」
「じゃあ、なに」
「それは・・」
東屋での繰り返しになると思い口ごもると、ジャスティンがポロリと涙を流した。
「ジャスティン君、泣かないで」
「アディー」
「わかった、わかったわ。ジャスって呼ぶから。ね、泣かないで」
口をへの字に曲げて泣くジャスティンは泣き止まない。
手の甲で涙を拭うので、ハンカチを渡す。
「アディー」
「なあに、ジャス」
「創立祭の夜会のパートナーを僕にして」
「え?」
三週間後の今日、ハーツホーン魔法学園の創立祭がある。
創立祭という名の学習発表会で、各々の学習成果を来賓に見せる場である。
メインイベントは剣術大会と魔法の演武会。それと夜に行われる夜会だ。
夜会は五、六年生参加の会で、来賓を招き、大々的に行われる。
そこで礼儀作法、身だしなみに振る舞い、ダンスを精査され、今後の人生にも関わってくると言われる恐ろしい会だ。
下級生はパートナーとしてなら参加が許される。
「私、出る気ないわよ」
「五年生は出なくちゃいけないはずだよ」
「そうだけど、どこかで隠れているわ」
「・・嘘だ。僕をパートナーにしたくないから嘘をついてるんだ」
ジャスティンは落ち込んでいるからか、随分考えが後ろ向きだ。
また泣き出したジャスティンの頭を撫でる。
「違うのよ、本当に出る気がないから、パートナーになっても仕方がないの」
「じゃあ、出なくてもいいから僕をパートナーにして」
「うーん」
出ない夜会のパートナーなど意味があるだろうか?
でもそれでジャスティンが泣き止むならいいか。
「わかったわ。出なくてもいいならパートナーになって」
「うん、よかった。ありがとう」
顔を上げたジャスティンは泣き笑いの顔だった。
こんな事で笑ってくれるならいくらでも聞いてあげよう。
ジャスと愛称で呼ばなかったのは、魅了が解けた後ジャスティンが嫌がるだろうからと、ジャスティンとあまり仲良くならないようにとの抑えからだ。
でも懐っこいジャスティンにはすでに情が湧いていて、どっちにしろもうだめだ。
魅了が解けてジャスティンが離れていったら寂しくなるだろう。
「アディ、絶対だからね。嘘だったら僕の言うことなんでも聞いてよ」
ジャスティンは手を伸ばし、アデレイドを抱きしめる。
アデレイドもジャスティンの背に手を回してぽんぽんとあやすように叩いた。
「わかったわかった。大丈夫よ、だからもう泣かないでね」
「うん」
やっと明るいいつものジャスティンに戻ったようなので、体を離そうとするが、ぎゅうと抱き締められて、離れられない。
「ジャス。早く戻らないとケイシーにご飯を全て食べられてしまうわよ」
「もうちょっとだけこうしてて。アディ、いい匂い」
ジャスティンは耳元で大きく息を吸った。
おや?
これは少しよくない感じではないだろうか。
「ジャス、そろそろ離して」
「やだ。もうちょっとアディを感じてたい」
「・・・」
これはダメなやつだ。
アデレイドは上体を反らしてーーあまり反らせないがーージャスティンから離れようとした。
両腕はジャスティンの腕に挟まれ動かせない。
距離をとったと思ったが、肩に手を回され、引き寄せられる。
13歳とはいえ、ジャスティンは男の子。
ギリギリと力比べの様相を呈してきた。
しかもアデレイドは負け気味だ。
「ジャス、離してってば」
「やだ、もうちょっとこうしててよ。お願い?」
ジャスティンは可愛らしく小首を傾げるが、アデレイドは思い出していた。
この子はセクハラエロ少年だった。
「ジャス、離してくれないとパートナーの話、なしにするわよ」
「その場合は僕の言う事をなんでも聞いてくれるんだよね?」
「それは・・」
「アディは嘘なんてつかないもんね。なにしてもらおうかなー。なんでもいいんだもんねー」
「・・・」
なんか、嵌められた気がする。
ジャスティンを見ると、いつものにへらっとした笑みを浮かべた。
どうしてくれようか。
口で勝てる気がしない。蹴る。踏む。少年にするのは可哀想だ。
くすぐるか。
「あ」
ジャスティンが声を上げた。
ジャスティンはアデレイドの後ろを見て、顔をしかめる。
「?」
振り向くより先に横に人の気配を感じた。
ごすっという音とともにジャスティンの頭に拳が下ろされた。
痛そうな音だ。
ジャスティンはアデレイドから手を離して、頭を抑えた。
「いっだ〜」
「自業自得だ」
剣呑な声はブレントの物だった。
見れば、眉間にシワを寄せている。
「ブレン・・」
「お前、本当〜にいい加減にしろよ」
ブレントはアデレイドの両頬を掴み、左右に引っ張った。
頬がびよーんと伸びる。
「いひゃいいひゃい。ぶえんと」
「お前の頭はいつになったら学習するんだ?
人けのない場所で男と二人きりになるなとあれほど言っただろうが」
ブレントは怒っているというよりは呆れた声でアデレイドの頬を引っ張る。
「いひゃいって。しょれにおちょこっていったってびゃすてぃんはまだこぞもじゃない」
「なんて言ってるかわからん」
ブレントはやっと手を離した。
アデレイドは引っ張られた頬を撫で、上目遣いで睨みつける。
もちろん顎あたりを。
「男って言ったってジャスティンはまだ子供じゃないって言ったの!」
「お前なぁ、そんな風に油断してるからひどい目に合うんだぞ」
「うっ、だからってなんでいきなり頬をつねるのよ」
「お前がまたアホな目にあってるからだろ。目を覚まさせるためだ」
「アホな目になんて合ってません!」
「ほほう、そうか。抱き締められて逃げられないように見えたぞ」
「それは、ジャスが落ち込んじゃったから慰めてたの。ねえ、ジャス」
ジャスティンに話を振ると、ジャスティンは頭を押さえたまま、アデレイドの隣に立った。
涙目だ。相当痛かったのだろう。
まあ、ブレントの言うように自業自得だから同情の余地はないが。
「ジャス、な。
俺がちょっといない間に打ち解けたな。
お前、こいつの本性覚えてるんだろうな」
「エロ・・・ちょっと甘えん坊?」
「誤魔化すなよ、エロガキだろ」
「うーん」
わかっている。セクハラエロ少年だ。
だが、口に出して言うのは可哀想だ。
言動も子供っぽいし、そんなに警戒することもないんじゃないかなと思っている。
ませた事を言いたい年頃なんじゃないかな、と。
「アディー、こんなやつ放っておいて戻ろうよ。
僕、お腹すいたー」
ジャスティンがアデレイドの腕を振りながら甘えた声を出した。
アデレイドはすかさず、ジャスティンにデコピンをお見舞いする。
「ジャス、ブレントの事をこんなやつって言わないの。
それにお腹空いたなら先に戻ってて」
「ひどい、アディ」
「ひどくない」
「むう」
ジャスティンは頬を膨らませたが、先に戻る気はないようだ。
むくれるジャスティンは放っておく。
「ブレント、おかえり。早かったのね」
「まあな。用事はすぐ済んだからさっさと帰ってきた」
「約束のお土産は? セロン洋菓子店のマカロンは⁉︎」
アデレイドはブレントに詰め寄った。
アデレイドは甘い物が好物だ。
昨日ブレントは土産にマカロンを買って来てくれると言った。
アデレイドはブレントが帰ってくるのをーー正確にはマカロンが目の前に置かれるのを今日ずっと楽しみにしていたのだ。
「ああ、それなら・・。
まずい、東屋に置いて来た」
「なんですって!」
アデレイドはブレントもジャスティンも置いて走り出した。
今、東屋にはケイシーとチェスターがいる。
二人とも大食漢でよく食べる。
特にケイシーはその細い体のどこに入るんだというぐらい食べ、甘い物も好物だ。
アデレイドとケイシーは、最後の一枚のクッキーで何回か揉めた。
そんなケイシーの前にマカロンを置いたら、一つ残らず食べられてしまう。
東屋に着けば、ケイシーの目の前に洋菓子店の箱があった。
「ケイシー!」
「ちょ、アデル!
まずはこれ被ってよ! そのまま近づくな!」
「ぶっ」
ケイシーに勢いよく投げつけられたのはベールだった。
投げやすいように魔力でも込めていたのか、顔に当たった時に結構な弾力があった。鼻が痛い。
ベールはすぐにサラサラの布に戻ったので、被ると、ケイシーに詰め寄る。
「ケイシー! 私のマカロン、食べてないでしょうね!」
しかし答えはケイシーの隣、チェスターから来た。
「安心しろ、アデル。俺がケイシーを止めておいたから」
「よかった〜。ありがとうチェスター」
「ふん、アデルは意地汚いんだから。菓子の一つや二つで」
ケイシーは馬鹿にしたように言うが、ケイシーのすぐ目の前にその菓子が置いてあるので説得力がない。
アデレイドがマカロンの入った箱を取り上げると、ケイシーは残念そうな声を出した。
箱を開けると色とりどりのマカロンが五個も入っている。
アデレイドの家は裕福ではないのでーー領主の子供が畑を耕すぐらいーー初めてマカロンを食べた時は感動で声が出ないほどだった。
ブレントやジャスティンも戻って来たので、みんなで分ける。
ブレントに一個、ジャスティンに一個。
仕方がないのでケイシーにも一個渡す。
残った二個はアデレイドの物だ。
「待ちなよ、アデル。チェスターの分は?
仲間外れにする気?」
ケイシーの非難にアデレイドは口を尖らせる。
「だって、チェスターは甘い物が嫌いじゃない」
「そういう問題じゃないよ。気持ちだよ気持ち。
チェスターにも一個あげなよ」
ケイシーが手を出す。
アデレイドはケイシーからマカロンを守るべく隠す。
「ケイシー、あなたの企みはわかっているのよ。
後でチェスターからマカロンをもらう気でしょ!」
「べ、別に僕はそんなつもりじゃ」
「うそうそ、絶対そうでしょ! ケイシーは甘い物の為ならなんでもするんだから!」
ビシッと指を突きつけると、ケイシーは怯んだ。
ブレントとチェスターはいつもの事と静観している。
ジャスティンは呆気に取られているようだ。
「なんでもって失礼だろ!
それにチェスターにあげた物をチェスターがどうしようとチェスターの勝手だ」
「本音が出たわね、ケイシー」
「いいから、チェスターにも一個あげなよ。
ケチな女は嫌われるよ!」
「食い意地の張った男だって嫌われるわよ!
これをケイシーにあげたら私が一個でケイシーが二個じゃない。
ずるいわ!」
アデレイドとケイシーはしばし睨み合うーー実際には目は合ってない。気持ちだけだ。
くだらない争いであるが、どちらが二個食べるかはプライドの問題だ。
そしてこれはブレントがアデレイドに買って来たのだから決定権はアデレイドにある。
優勢を確信して、ふふんっと鼻を鳴らすと、まさかの買ってきた本人から横槍が入った。
「アデル、俺の分やるから、チェスターにも一個やれ」
「やったね!」
ケイシーが歓声をあげる。
アデレイドは憮然とブレントを見上げた。
「ブレントの分がなくなるじゃない」
「俺は甘い物は好きでも嫌いでもない。だからいいさ」
アデレイドは渋々一個をチェスターに渡そうとして、すぐにケイシーに取られた。
なんか悔しい。
「ほら、アデル」
渡されたマカロンを見る。
着色料の入ったピンクのマカロン。
アデレイドは受け取ると、ナイフで半分にして、
「はい、あーん」
ブレントの口元まで持っていく。
こういう時、半分返してもブレントは受け取らない。
食べさせるには口元まで持って行くのが早い。
案の定、一瞬躊躇したがパクリと食べた。
やり遂げた感で満足していると、右腕を引っ張られた。ジャスティンだ。
「アディ、僕も! 僕もあげる!」
「なんで? それすごく美味しいのよ。
ジャスは甘い物、好きなんでしょう?」
「好きだけど!
じゃあ、半分こしよう! 僕の半分あげるから、アディの半分ちょうだい!」
「半分ずつ?」
「・・・お子様。魂胆丸見えだよ」
ケイシーの冷たい突っ込みが入る。
つまり、ジャスティンは『あーん』がして欲しいのだ。
ジャスティンの前で軽率だったかと思ったが、引っ込みそうにない。
今回だけと前置きして『あーん』してあげると、ジャスティンは嬉しそうにマカロンを食べた。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
昼食を終え、午後の授業に向かう。
ケイシーとチェスターと別れ、ジャスティンも別の棟に行く為別れて、ブレントと二人で歩いていると、
「あまり、遠くに行くなよ」
小さな呟きが聞こえた。ブレントを見上げると、ブレントもアデレイドを見ていた。
「なに? 遠く? さっき森に行った事?」
「違う。ただの願いだ。遠くに行くな」
「? よく分からないけど、そんな子供に言うような事を言われても・・」
アデレイドが首を傾げていると、ブレントは苦笑した。
「そうだな、悪かった。
俺がいない間になにかあったか?
なにかあったら俺に言えよ。あまり溜め込むな」
優しく言われ、アデレイドは考え込む。
あったといえばあったが。
ブレントに言うほどでもない。心配をかけたくない。
アデレイドは別の事を口にした。
「創立祭の夜会・・出る気はないんだけど、一応ジャスがパートナーってことになったわ」
「ボランがパートナーか」
「夜会は出ないって言ったんだけど、それでもいいって言うから」
「そうか、それはまたケイシーが憤慨するな」
「え? なんでケイシー?」
「アデルのパートナーが誰かという賭けがあるらしい。
それでケイシーは俺に賭けたから、さっさと誘えとさっき言われたよ」
「はあ?」
アデレイドは素っ頓狂な声をあげた。
なぜ、アデレイドのパートナーの賭けなんか。
あれか。最近グレアムやらローランドやら目立つ人々に関わったからか。
これでは出なかったらばれてしまうではないか。
アデレイドは頭を抱えた。
「どうしよう? 夜会に出なかったらばれるわね」
「大丈夫だ。なんとか誤魔化しておくさ。心配するな」
「ありがとう、ブレント。
ブレントはパートナー決まっているの?」
ブレントはアデレイドがあまり行事に参加しない事を知っている。
だからアデレイドをパートナーにという話もなかった。
「まあ、適当にな」
「そう。ブレントは夜会、楽しんできてね」
「・・ああ」
ブレントの顔が曇った気がした。
ブレントも子爵家の人間として、いろいろ付き合いがあるのだろう。
お読みいただきありがとうございます。




