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~Episode of Spring III~

「勝負……だって?」

 抑え気味の口調。どうでもよいことを装いつつ、その内に潜んだ高揚感を三鳥栖志智みとす しちの背中に立つ日原院亞璃須にっぱらいん ありすは感じとっている。

「ああ、そうだ。

 自己紹介が遅れたな……俺は芦田。芦田浩平あしだ こうへいだ。境林大学の二年生だ。

 あんたは?」

「……三鳥栖志智。高三」

「高校生なのか。同い年くらいかと思っていたぜ」

 喉から飛び出してしまいそうな何かを、締め込んだボルトでむりやり押さえつけるような、志智の言葉。

 対して芦田と名乗ったCBR250RRの主には、そんな感情の機微が伝わっていないらしい。

(たぶん……わたくしだけが、今の志智をわかっている)

 亞璃須が口元を笑わせてしまうのは、そんな優越感からだった。

「勝負、って言われても。芦田━━『さん』は速そうだし、俺なんかじゃかないませんよ」

「つまらない気遣いはいらないぜ。同じバイク乗りじゃないか。

 三鳥栖……とか言ったな。

 あんたは速い。俺はあんたの走りをこの目で見ている。謙遜しても、仕方の無いことだぜ」

「………………だけど」

「競い合いがイヤだ、っていうならそれでもかまわない。

 俺は自分の走りがどんなレベルにあるのか、知りたいだけなんだ。そのためには、おなじ二輪同士……追いかけっこするのが一番手っとり早いからな」

 にやりと笑いながら、芦田はCBR250RRのセルスターターを回した。

 かしかし、と四つのピストンが上下する音。

 すぐにはかからない。しかし、芦田が軽くスロットルをひねると、250cc四気筒エンジンは目を覚ました。

「確かにエンジンのポテンシャルだけでいえば、VTなんかこいつの敵じゃないが━━」

「!」

 志智が目を見開いたのは、挑発の言葉に反応したわけではなかった。

 しゅんしゅんとニュートラル状態で吹け上がるそのエンジン音。

 軽やかでありながら、それは志智が知っているどんなエンジンよりも鋭く、そして芸術的な高音を響かせている。

「峠を走るなら話は別だ。

 バイクの速さなんてものは操るライダーの腕だ……VTであれだけ走れるんだから、それはあんたにもわかるだろう」

「………………」

「俺はあんたの速さをリスペクトしているんだ。

 だけど、自分の腕にも自信があるつもりだ。だから、競って……比べてみたい。

 どうだ? わからないかな、この気持ちが」

「それは━━」

 逡巡するように志智が視線を落としたその瞬間だった。

「いいですわよ」

 日原院亞璃須の声がひびく。

 CBR250RRのエキゾーストノートにかき消されないよう、彼女にしては大きな声で。

「その勝負、お受けしますわ。MC22とスパーダなら、車体的にもちょうど合いますしね」

「……おい、亞璃須」

「なんだ、このゴスロリお嬢ちゃんは。三鳥栖━━あんたの知り合いか?」

「いや、こいつは━━」

「わたくしは志智のクラスメイトです。そして、彼と特別な関係にある者です」

 傲然と胸を反り返らせつつ宣言する亞璃須の傍らで、三鳥栖志智は「違う違う、こいつが言ってるのはガセだから」と言わんばかりに、チョップの形に立てた右手を振っている。

「ああ、その……なんだかよくわからないが……」

 芦田はよっぽど亞璃須の行動が予想範囲外だったのか、ぽかんと大口をあけたあと、後頭部をかきながら言った。

「つまり、あんたが三鳥栖が勝負を受けることを……保証してくれるってわけか?」

「そう思って頂いてかまいませんわ」

「おい、待てよ亞璃須。俺は受けるなんて一言も━━」

「たとえ志智がイヤだと言っても!! わたくしが! このわたくしがかならず承諾させてみせます!!」

「お、お前な……」

「………………いやまあ、それならそれで俺としては好都合だが」

 頭を抱える志智と、目をきらきらさせて断言する亞璃須を見くらべて、芦田は何を思ったのか。

 懐疑か。同情か。

 あるいは、面倒そうだから詳しく追求するのはやめておこうというあきらめか。

「まあ、いい」

 決心が口元にあった。亞璃須の言葉と志智の意思がどうであれ、ヘルメットを手にした彼は『やる気』だった。

「腹は決まったぜ。たとえあんたが逃げても、勝手に仕掛けるだけだ……いいな、三鳥栖」

「いや、ちょっと待ってくれないか、芦田さん。俺は━━」

「勝負は来週のこの時間だ! それでいいな、ゴスロリお嬢ちゃん!」

「日原院亞璃須です。変な呼び方はやめてくださいまし」

「じゃあな、三鳥栖!」

 ヘルメットの中から、芯の強い声が志智の鼓膜へ届く。天空の彼方までとどくような回転の上昇と共に、CBR250RRは川野駐車場から飛び出していった。

 ォン、という残響が消え去ると、鳥の声と風が鳴らす木の葉のさえずりが戻ってくる。

「あのな……おい、亞璃須!!」

「なんですか、志智? まさか逃げるとでも?」

「逃げるとか逃げないとか、そういう話じゃないだろ!

 お前なあ、俺の気持ちも考えないで勝手に決めたりすんな!」

「べつにいいじゃありませんか、あなたとわたくしの仲ですし」

「そういう問題じゃねえ!!」

 身長190cm近い男が、子供のような身長の美少女にくってかかっている。それも強い怒りと共に。


者が見ていたならば確実に止めるだろう光景。

 しかし、少し離れたところで成り行きを見守っていたSS乗りたちも、四輪組も。

 亞璃須の『特別な関係』宣言を聞いてしまっているからか、興味津々の視線しか向けていなかった。

(ふむ。若いというのは、いいものですな……)

 くすぐったいような、懐かしいような、そんな感情を抱きながら、亞璃須の執事である吉脇もまた木漏れ日ほどの温度で彼らを見守っていた。


~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~


「くそっ……なんてこった……」

「一体どうしたってんだ、シー坊」

 三鳥栖志智とその妹、千歳が二人で暮らしているアパートから歩いて五分。

 モーターサイクルなら一分もかからない場所にある、二輪販売店『ハング・オフ・モータース』の店主は困惑顔の志智を認めると、手にしていたスナップオンの工具をトレイの上に戻した。

「あ、いや、こっちのことなんだ。祇園田ぎおんだおじさん、こんにちは」

「おう。なんだ、スパーダのピストンでも吹っ飛んだか?」

「そんなことになったら、ここまで乗ってこられないよ……これ、今月分の家賃。

 バイト代が入ったから、さ」

「律儀なこったな……そんなもん、いいって言ってるだろーが」

 志智が差し出した銀行の封筒には、この国でもっとも高額な紙幣が二枚はいっている。

 社会人なら大した額ではない。

 だが、高校生の志智にとってそれがどんな意味を持つのか、店主の祇園田宗義ぎおんだ むねよしはよく理解していた。

「ほれ」

「なんだよ、返さないでくれよ」

「半分だけだ。生活の足しにしな」

「イヤだよ。俺はもう高三なんだぜ? 自分の力で生きていくさ」

「んなこと言ったってな……家賃の引き落としだって、俺の口座名義だぜ。

 公共料金もそう、もろもろ支払いはみんなそうだったな……頼れるうちは、きっちり頼ってもらわなきゃ、後見人のつとめがいがないってもんだ」

「……それでも家賃くらいは払うよ。電気代とかも、そのうち必ず……」

「頑固な奴だなぁ、シー坊」

 くっくっくっ、と肩を笑わせつつも、店主は愉快でたまらないといった様子だった。

 彼はひらひらと福沢諭吉を揺らしながら、店の奥にあるレジを開けると、5000円札を取り出す。

「それじゃあ、こいつだけ返そう。それでいいな?」

「だけど━━」

「こいつはなあ、俺が千歳ちゃんに飯をおごりたいから渡すんだ。

 けど、ここんところシーズン・インで店も忙しくてなあ……その時間がとれそーにねーや。

 というわけで志智。お前が俺のかわりにいってこい」

「……わかったよ」

 少し乱暴な手付きで5000円を受け取る志智に、祇園田はますますうれしそうな顔をした。

「そうやって、ぶすっとしてる時の顔は、お前のおやじさんにそっくりだぜ」

「そういう言われ方、あんまり嬉しくないんだよな……」

「ははッ、子供ってのはそんなもんかもな」

 作業つなぎの上から腰をかきながら、祇園田は店の外へ出ると、志智のスパーダを押し始める。

「いや、今日は整備じゃないって」

「なにいってんだ、前に来たときから1500kmも走ってるじゃねーか。

 オイル交換だ、オイル交換」

「1500kmくらいすぐだよ……前に言ってたじゃないか、今時のオイルは10000kmくらい平気で保つってさ」

「そりゃ、今時なら、な━━ほれ、支えてろ」

 志智がスパーダの車体を直立させている間に、祇園田ぎおんだは慣れた手付きでレーシングスタンドをスイングアームに溶接されたフックへ引っかける。

 テコの原理。

 軽く手で押しただけでスパーダの後輪はあっけなく持ち上がり、前輪とレーシングスタンドだけが乾燥重量140kgの車体をささえる。

「綺麗なバイクだ……ホンダらしくないってーか、イタ車みたいな色気があるよな。

 そう思わねえか、シー坊」

「これ以外に乗ったことがないからわからないよ」

「ホンダだとVTR1000……あー、Fの方な。ファイヤーストーム。あれくらいだな、こういうセンスは」

 17mmのソケットをラチェットハンドルへ装着して、店主はスパーダの腹下へもぐりこむ。

 力を入れるのは最初だけだ。オイルドレンボルトが緩んだあとは、くるくると手で回していく。

 もう半回転で外れる━━そのタイミングで、オイル受けのトレイを直下へ敷くと、指先をすこしだけ汚しつつ、オイルドレンボルトを抜き去る。

 真っ黒なオイルが重力にしたがって落下をはじめる。

「祇園田おじさん、手、拭きなよ」

「おう、気が利くな」

 志智がさしだしたペーパータオルで右手とボルトを拭くと、祇園田はボルトにはまっている銅製のワッシャーを一瞥し、交換する。

「いくら?」

「昨日の夕飯は鮭だったな……」

「オヤジギャグかよ。その丸いのと、オイル代……ちゃんと払うよ」

「くだらねーこと気にするな」

「けど、1500kmしか走ってないのに、オイル交換なんて」

「どうせ変えるのは、メーカーの営業が置いてった試供品だ。

 それも一番安い奴な、つまりタダってことだ。そんな気になるなら、今度千歳ちゃんにコーヒーでもいれてもらえりゃいいや」

「……わかったよ。2リットル、ちゃんと作らせる」

「残念だな。今回はフィルター交換してないから、1.8ってところだな。

 オイルの交換量はここ……車体にも書いてあるからな。自分のバイクのことは覚えとけ、どっかで役に立つぜ」

 半透明のジョッキから、飴色の新品オイルがエンジンへ注ぎ込まれていく。

 無理に押し込めばあふれだし、ゆっくりやりすぎれば無限の時間がかかる。

 小さく細いモーターサイクルのオイル注入口から、その液体をそそぎこむ作業の効率は、単純でありつつも驚くほど経験値に依存する。

「1500kmしか、ってさっき言ったけどな、シー坊」

「うん」

「バイクにもいろいろある。エンジンにもいろいろだ。

 メーカーにも当然、特徴がある……ホンダのエンジンはどんなオイル入れても変わらないなんてな、やっかみ混じりに言われるくらいだ。

 特にVTは出来がいい……ははっ、カブほどじゃないだろうが、そこらの廃油を突っ込んでも街乗りくらいならいけるんじゃないかってほどさ」

「それなのに、どうして1500kmだけで変えるんだよ?」

「オイルを選ばないエンジンだからって酷使すればいいってもんじゃない。

 VTみたいなエンジンを長持ちさせるためにはな……ふつーのオイルを、ちょいちょい変えてやる。こいつが一番なのさ。

 モービルもモチュールも……カストロールの全合成油もいらんいらん。ホームセンターの安売りオイルだっていいんだ。

 とにかく小まめに交換する。VTを長持ちさせる最高のレシピさ」

「ふうん……」

 その言葉を年寄りが語るつまらない秘訣として忘れてしまうことは簡単だった。

 きっとネットを検索すれば似たようなことを書いてあるサイトがいくらでもあるだろうし、バイクの整備には大して興味のない志智にとって、オイル交換の頻度や使うオイルの種類など、どうでもいいことに思えた。

(いや━━でも)

 けれど、覚えておこう。

 この人は、自分たちの後見人なのだから。両親を亡くした自分と妹を助けてくれた、第一の人なのだから。

(あそこに住んでいられるのは……祇園田おじさんのおかげだからな……)

 言葉を。情報を。記憶しているだけで、少しでも恩に報いることができるならそうしよう。

 志智は祇園田の言葉を脳裏で反芻し、そして自宅に帰ってからはメモした。


~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~


「楽しみですわね、明日」

「……そういえば、もう明日なのか」

 水・木・金の三日間は深夜のアルバイトがある。

 二時限後の休み時間に話しかけてきた亞璃須へ、三鳥栖志智は眠たげな目のままで応じた。

「雨でも降れば中止かな……」

「何をとぼけているんですか。雨が降ったのは一昨日ですわ」

「そうだった。夜の雨って走りにくいんだよな……」

「あの2ダボ━━なかなか速そうですけど、勝てます?」

「むりやり勝負に引っ張りこんだお前が言うセリフかよ、それ」

「ふふん」

 抗議の意志を多分にふくんだ志智の半眼に、亞璃須は悠然と応じる。

「むりやり? 本当にそうだと思います?」

「どういう意味だよ」

「志智、あなたは少しだけ嬉しかったはずですわ。

 あんなふうに面と向かって『勝負したい』なんて。いまどき、普通に走っていたら絶対にありませんものね」

「バイクで勝負なんて危ないだろ。俺は周遊でレースをやってるわけじゃないんだぞ」

「そうですわね。『あのとき』のあなたは、レースどころか殺し合いみたいな走りでしたものね」

「………………」

 殺し文句をつきつけられた時のように、三鳥栖志智は沈黙する。

 いや、ただ一言だけ、儚い抵抗を試みた。

「……そうやって、何でもあの事を持ち出せば、思い通りになるとおもうなよ、亞璃須」

「思い通りもなにも。

 志智、わたくしはあなたが内心で望んでいることを代弁してあげただけですわ」

「はっ、くだらねーな。恩着せがましいんだよ」

「でも、否定はしませんわね?」

「…………だから、なあ」

「わたくしにしたって、いつもあなたがそうあってほしいとは思いません。

 危なくて仕方ないですものね。

 だけど、たまには見せてくれてもいいんじゃありません?

 あなたの本性。あなたの本質。あなたの闘争心。

 わたくしは━━あなたのそういうところに惚れたんですからね、志智」

「………………はっ」

 ロングストレートの金髪を優雅になびかせながら、亞璃須は背を向ける。

 その流麗さ、愛らしさ。

 誰もがうらやむのではないかと思える魅力のすべてを叩きつけられても、志智の瞳は揺らぎはしない。

「確かに、な」

 誰にも聞こえない程度の呟きは、授業開始をつげるチャイムにかき消される。

「『あのとき』のお前も……そうじゃ、ないよな。

 俺が知ってる亞璃須は、こうじゃない。

 ……俺を救ってくれた亞璃須は……」

 時計の針はすみやかに回り、土曜の夕方が大多磨周遊道路におとずれる。


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