~Episode of Autumn V~
朱に染まった山々の間を、命綱を通したかのように東北道の高架が駆け抜けている。
(この時期に来ると……こんなに凄いんだな)
大館インターチェンジまで2kmの表示を眺めながら、吸い込んだ空気の質は関東とまったく異なるものだった。
右も左も、山肌は一面の朱。
赤でもなければ、紅とも言いがたい。志智の視界を占拠しているのは、今にも燃えだしそうな赤い色だ。
「すげ……」
紅葉といえば、まっさきに黄色や柔らかみのある紅を連想する、東京生まれの志智には、刺激的なほどの色である。
スパーダのギアは6速ホールドのまま。メーターの針は時速110kmを指した状態から、ぴくりとも動かない。
目指す終着点までは今しばらく距離がある。
長い旅はまだ折り返し地点にも至っていない。
━━それから四時間後のこと。
「……ふう」
空は既に太陽を追い払い、月と星を賓客として迎えている。
津軽サービスエリア上り線のベンチに横たわりながら、志智の口元からこぼれた嘆息には疲労の色が濃かった。
(ここからまた東京まで帰って……あと600kmちょっと、か)
こんな遠くまでやって来た目的は、既に果たしていた。しかし、いささかスケジュールには無理があったようだ。
(いつもバイク便で夜通し走ってるからって、頑張りすぎたかな……)
給油の際もリセットしていないトリップメーターは、既に800kmを超えている。
朝一で東京を出て、実走行時間だけでも、すでに八時間以上。
その間、時速100km前後の風圧にさらされ続けた体が、悲鳴をあげているのがよく分かる。
「まあ……いいや。
後は帰るだけだし。すこし寝るか……別に凍死するほど寒くはないよ、な……」
雨具を羽織ると、わずかなぬくもりを感じた。もっとも、ベンチに横たわる背中から伝わってくる寒気はどうにもならない。
(別に夜を明かそうっていうんじゃない……二時間か三時間くらい、仮眠するだけだ……)
空には満天一歩手前の星。
もっとも、サービスエリアの灯りがなければ、それはそれは見事な光景がのぞめたことだろう。
(ん……?)
ふと出口の方向をみると、まるで建物を撤去したあとのようなコンクリ打ち放しのスペースがあった。
(なんだろう……な……)
去年からモーターサイクルに乗り始めたばかり、ましてや、都市部以外の高速道路を走るのは、今日がはじめてである志智に、ガソリンスタンドの跡など判別がつくはずもない。
「………………」
本州の最果てで過ごす夜は、冷たく、寒く━━しかし、それ以上に孤独だった。
本線上を通り抜ける車の走行音と、時折、サービスエリアに入ってくるトラックの音だけが、鼓膜を揺らしていく。
三十分。寒さと戦う。一時間。眠気が勝ってくる。
一時間半。どうして眠いのに眠れないのかと思う。
二時間。ああ、もう一枚だけ何か着る物があれば、と脳が後悔する。
それを超えると、まどろみの時間だった。
四時間が経過して、志智が目を覚ましたとき、幸いにして彼は悪寒を覚えることもなく、くしゃみも出なかったが、暖房の効いたトイレへ直行した。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
「……っていう具合でさ。
ちょっとしたホームレスの気分を味わってきたんだ」
「せっかくの三連休でしたのに、どうしてるのかと思ったら、青森まで行っていましたのね」
翌々日の火曜日。
振替休日の夕方に帰宅して、そのまま翌朝まで眠り続けた志智には、三連休明けの実感などほとんどない。
おまけに、一時限目が終わるや否や、亞璃須が事情聴取でもするような顔でやって来たのだから、さらに落ち着けない。
「まったく……周遊にも来ないし、どこかで事故っていたらと心配しましたのに……」
「連絡が取りたいなら、ウチに電話すれば良かったじゃないか」
「は? 志智、あなた寝ぼけてます?
これだけの親密な! もはや運命とか契りとかいう段階すらも超えた、濃密な関係にありながら!
━━あなたったら、わたくしに電話番号の一つも教えていませんよね?」
「……なんでところどころ、周りに聞かせるような大声なのかは知らないが」
ひそひそと周囲から聞こえる、嫉妬と羨望と呆れを含んだ噂声。
そのほとんどは、志智にとっていわれのないものだったが、原因は亞璃須のこうした行動にあると思っている。
(しかし、ティックの奴……自分の姉にも教えないとはな……)
志智としては、亞璃須に伝えるべきか少し迷うところだったが、包帯まみれのティックはさすがに見たくない。
「ま、まあとにかく電話番号だよな。
確かに教えてないような━━でも変だな。俺からお前のケータイに連絡したことが、何回かあったはずだぞ」
「ますます寝ぼけてますわね、志智。
公衆電話からかけてきて、30円だと1分しか話せないからって、用件を言うだけ言ってそれで終わりだったでしょう?」
「うっ……そ、そうだっけ?」
「そーですわ」
半眼になった青い右目。そして黒い左目が、志智に向けられている。
長い金髪が不意に揺れて、志智の鼻先をくすぐった。
(いい匂いだな……)
亞璃須は毎朝シャワーを浴びるのだろうか。学校ではいつもこんな香りをさせているように思う。
「わ、わかったわかった、俺が悪かったよ。
知っての通り、俺はケータイとか持ってないけど、ウチに置きっぱなしにしてる070のやつがあるからさ。
それを今度教えるよ」
「今度と言わず、いますぐにでも知りたいですわ」
「そんなこと言っても、俺も番号なんて覚えてないからな。
それにウチにあるやつは、受信専用のプランだから、これからもお前にかけるときは公衆電話だぞ」
「結局、根本的な解決にはなりませんのね……志智もそろそろケータイを持った方がいいんじゃありません?」
「……まあ、確かにそうかもしれないけどさ」
ぼやく志智の声は、かなり否定的なニュアンスを含んでいた。
「変な話だけどさ……ケータイなんて何に使うんだ?
バイトの時は確かに借りてるけど、それは仕事で必要だからだし。
俺達は学校でいつも顔合わせてるし、話ならそこで出来るじゃないか」
「あなたらしい答えですわね。。
まあ、わたくしもSNSとかは、あまりやっていませんけど」
「そういえば、お前って女友達とかあんまり━━」
「と・こ・ろ・で」
志智の言葉をさえぎるように、亞璃須はぐっと顔を近づけてくる。
またしても良い匂いがしたが、この甘酸っぱい香りは体臭の方だったなと志智は思った。
「そんな遠くまで行って何をしてきたんです?
ただ走りこむだけ?」
「まさか」
「志智の話からすると、現地には数時間くらいしかいなかったみたいですけれど……アイドルの握手会でも追いかけていました?」
「それこそあり得ない話だろ。
何が悲しくて、そんなことのために北の果てまで行かなくちゃならないんだよ」
「世の中には嬉々としてそうする人もいますわ。
で━━な・ん・の、用事だったんですかっ?」
やけにしつこく問い詰めてくるな、と。
疑問に思った瞬間、何となくその理由に思い至った志智は、吹き出したくなるのをこらえつつ、とぼけてみせる。
「たとえば……そうだな。
同年代の女と会っていたとか言ったら、どうする?」
「志智を殺してわたくしも死にます」
「やめろ。じわじわ首に手を伸ばしながら言うと、本気に聞こえるからやめろ」
「聞こえるも何もわたくしは本気です。
さあ、白状なさい。寝る間も惜しんで、青森まで走って、一体何をしてきたんです?」
「………………」
予鈴が鳴る。成り行きを見守っていたクラスメイトたちが、一斉に自分の席へ向かった。
亞璃須だけが動こうとしない。
覆い被さるように、自席にすわったままの志智を見つめながら、不安と怒りが混ざり合ったような目で、唇をかみしめている。
その必死さがどうしようもなくおかしくて。
そして、かわいらしく思えて、志智は微笑を浮かべながら首を振った。
「大したことじゃないよ。本当に。
ただの……墓参りだからさ」
「………………あ」
その言葉を聞いた瞬間、日原院亞璃須はまず安堵を表情に浮かべ。
次に慌てたそぶりをみせ、そして軽く頭を下げて「ごめんなさい」と言った。
志智はただ一言「忘れろ」と返した。
亞璃須は子犬のように「はい」と言った。
~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~
次の週末のこと。
(周遊も周遊で紅葉のシーズンだけど……今日はずいぶんいい路面だな……)
夏が去り、秋が深まり、日没が早まるにつれて、ライダーの活動時間は狭くなる。
真夏であれば、午後五時に出発しても大多磨周遊道路はゲートクローズ時の滑り込みで、一往復程度流すことが可能だ。
しかし、11月ともなれば、午後二時、できれば午後一時ごろには出かけなければ、あっという間に訪れる黄昏に現地で驚かされることになる。
(ここは良くても……下に降りたら真っ暗、とかさ。
あるもんなあ……)
浅間尾根の駐車場を右側に見つめながら、車体を一気に左へ倒し込む。
少しずつタイヤのグリップが心許なくなっているのを志智は感じる。
それは残溝のせいばかりではない。
気温と路面温度から導き出される、必然である。
「ぼちぼち無理して走れなくなる時期かな……」
『路面清掃中』の看板を路肩に認めると、志智は左手をグリップから離した。
片手運転で流せる程度の速度で、見通しの悪い右コーナーをイン寄りにクリアしていく。
五人程度の清掃員が、ホウキを持って落ち葉を片付けているのが見つかる。
(……こうやってしょっちゅう清掃が入るから、紅葉のシーズンでも走りやすいんだよな……)
それでも先月のように、雨の直後となれば行き届いた状態とはならないものの━━
大多磨周遊道路の清掃頻度は、志智が理解している限りの『常識』では考えられないレベルだった。
すくなくとも、自宅近くの道路ではこんなに毎日毎週、路面清掃にあけくれてはいない。
これだけの人員を働かせて、いったい幾らかかっているのだろうか?
アルバイトなのか。正規雇用なのか。落ち葉を掃き集め、四輪を、二輪を走りやすくするためだけに、どれだけのコストがかかっているのだろうか?
「ここって案外……政治家のお気に入りとか、だったりするのかな……」
完全な空想の次元で、そんなことを呟いてみたその時。左右へ一気に視界が開ける尾根の部分で、一台のマシンに抜かれた。
(フルカウル……太い音させてるな)
反射的に目の形が鋭角になる。3速に入れたままでスロットルを全開。
ナンバーには緑の枠がある。車検があるということだ。しかし、大型スーパースポーツバイクというには、どこか古くさいデザインに見える。
「なんだろう……見たことないバイクだな……」
月夜見第二駐車場を回り込む左カーブを、理想的なフルバンクで抜けていくそのマシンを見つめながら、志智は相手の技量と性能を計る。
立ち上がりは……かなり速い。
だが、まったく次元が違うというほどではない。野太い音からすると、そこそこ回しているようだが、この加速ならリッターマシンということはなさそうだ。
では、600ccのスーパースポーツか。それにしては、デザインセンスが一世代前に見える。
丸みを帯びたやや大きめのカウルは、志智の知っているYZFとかCBR、あるいはGSX、ZXといった文字から始まるマシンとは明らかに方向性が違うようだ……。
(それにこの音……なんていうか。
いい音だな……)
高らかに鳴り響く直四のサウンドではない。
重厚でありつつも、気品を感じる音だった。
(スパーダにもちょっと近い感じかな……)
月夜見第二駐車場をぬけた先の右コーナーは、ギャップがある上に、常時日陰となっており、しかも落ち葉が溜まりやすいという難所である。
先行するマシンは、ギャップの上でぐっとスイングアームが沈んだのをきっかけにして、一気に右サイドへマシンをバンクさせた。
(うまい……ここの走り方わかってるな……)
そして、落ち葉に乗らないよう注意深くコーナーをクリアしていく。後続の志智がとったアプローチも、まったく同じものだった。この場所の鉄則なのだ。
その先は、やや荒れた路面に何重ものS字を描きながら、一気に下り傾斜となる。
先行するマシンのペースが速い。
コーナーへ突っ込む速度は90kmを超えているだろうか。相当なハイペースである。
(これだけ速い相手には、なかなか……)
じわじわと三鳥栖志智の胸に火がついてくる。
峠のライディングは一期一会だ。自分がたまたま走っていたその時、その場所で、認めるに値するライダーと出会えることは、一つの奇跡なのだ。
「ちょっと頑張ってついていく価値も━━あるってもんだよな!!」
そんなことをヘルメットの中で叫んでしまうほどに、熱いものがこみ上げてきた、しかしその時。
「……ありゃ」
先行するマシンは不意にペースダウンしたかと思うと、月夜見第一駐車場へ入ってしまう。
(なんだよ……)
やる気を削がれてしまったような思いで、志智もあとに続いた。そのまま通過してもよかったが、車種だけでも確認したかったのだ。
「なんだこれ……足回りが……あれ、こっち側にはないのか? メーカーはホンダだけど、えっと……R……V……F。
RVFっていうのか?」
どこか色あせ、今にもひび割れそうに思えるカウルに、描かれたグラフィックは、確かに一時代前のものだった。




