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~Episode of Spring I~

東京都の外れ。大多磨に存在する一つのワインディングロードがある。

幾多のモーターサイクルライダー達が集い、駆け抜け、時には笑い、時として涙すら流す場所。その道を大多磨周遊道路という。

彼は一人の高校生に過ぎない。そのマシンはVT250スパーダと呼ばれる250ccのモーターサイクルに過ぎない。しかしその胸にある輝きは何よりも強く、そして激しく。

 これはささやかな、けれど熱く、まばゆいモーターサイクルライダーたちの物語である。

 ━━まだ肌寒い四月の峠道。その空気を、赤と緑の弾丸が切りさいていく。

 枝に色づく若葉よりも、縁石の向こうに降り積もった落ち葉の方が目につく季節。

 冬の間、我が者顔で路上へ姿をみせていた猿たちも、ようやく山の奥深くへと走り去ろうとする季節だった。

(速い……な。やっぱり)

 前には太い緑。その後ろには、細い赤。

 先行するライムグリーンの車体、ZRX1200のLEDテールランプを見つめながら、彼は大型モーターサイクルの加速力というものを、嫌と言うほど思い知らされていた。

 月夜見第一駐車場からその先へ続くのは、ジェットコースターのような下りである。

『鉄の溝渡り』の区間を様子見程度にこなし、『52段のどん詰まり』のブレーキングで一気に距離を詰めたつもりだったが、その先のロングストレートでふたたびZRX1200の姿は遠ざかる。

「ちぇっ」

 ブレーキレバーにかけた人差し指と中指。彼はそこから力を抜いて、強くスロットルを握りしめる。

 アクセルのワイドオープン。この言葉を作り出したのは誰だろう。

 フラットすぎるほどフラットなトルクのV型2気筒エンジンが、澄ました顔でタコメーターの針を押し上げていく。

 80……90……107km。ディスクの表面をなめる程度のちょんブレでフロントフォークを沈めると、そのまま彼の赤いマシンは左へ切り返した。

 対してZRX1200は、続く右コーナーへの進入をはじめようとしている。

(少し、遠いな……)

 目測で150メートルも離されただろうか。サーキットなら絶望的なほどの差といえる。

 だが、ここは峠道だった。東京の西端にある聖地だった。

 彼らの走るこの道、大多磨周遊道路はまだまだ長く━━そして、手強い。


~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~


 品がある、と言うには荒々しすぎるZRX1200のエンジン音はしかし、その絶頂には至っていない。

 無理もないことだった。

 公道の、しかも峠道の下りで大型モーターサイクルのパワーを使い切ろうとしたら、どれほど熟練したライダーであっても、命のストックが二桁は必要となるだろう。

(タイヤは……まだ余裕だ。でも、おやっさんのマシンは足が啼いてるな……)

 そのマシンの状態を知りたければ、後ろから追うべし。

 彼の━━三鳥栖みとす 志智しちの眼前には、先行するZRX1200のすべてがさらけ出されていた。

 前後におごったハイグリップタイヤは、今もってエンジンの発生する膨大なトルクを受け止めているが、サスペンションが細かな路面の凹凸を吸収しきれていない。

 減速帯の上を駆け抜けるときは特に明瞭だった。

 リアが安定しないため、思い切った速度を維持したままコーナーへ突っ込めないのだ。

(ヘリポート前で抜けるか?……いや、まだ無理か……)

 追い越しのタイミングをじわじわと図る、志智の視界へうつるタコメーターの針は10000rpm以下に落ちることがない。

 ZRX1200がふらりとよろめきつつクリアするS字コーナーを、彼のマシンはノーブレーキで駆け抜けていく。

 ロングストレート━━その後、減速帯!

 ぐらぐらと揺れるZRX1200のテールを睨みつけながら、突き上げる震動を無視するかのように彼はレイトブレーキ。

 左へのキツいコーナリングを終える頃には、遙か遠くあったはずのZRX1200が、志智しちの目の前にいる。

 ヘリポート脇の右コーナーを二台のモーターサイクルは、からまりあった糸のような近さで駆け抜ける。

 このコーナーの『R』がゆるやかでありながら、アクセル全開で抜けられない理由は二つある。

 路面が荒れ気味であることと、すぐ先に下りのストレートが二連で待ち構えているからだ。

「━━勝負っ」

 ハーフバンク気味のZRX1200に対して、志智のマシンはフルバンクに限りなく近い体勢のまま、3速11000rpmを維持している。

 コーナー出口で4速へシフトアップする━━そのとき、マシンを起こした前方のZRX1200が巨馬に蹴飛ばされたように加速した。

 志智の赤いマシンはフルスロットルをキープ。

 排気量の差でじわじわ差が開いていこうとするその時、ZRX1200がブレーキングをはじめた!

「もらったぁ!!」

 その叫びが相手に聞こえているはずはない。

 だが、ブレーキングの減速Gに耐えつつ右を━━自分を追い抜いていく赤いマシンを見た『おやっさん』の表情にはしてやられたという衝撃が、ありありと浮かんでいる。

 ━━減速をはじめたZRX1200。

 志智しちのマシンはそれを右側から追い越した位置で、ブレーキングをはじめたのである。

 ニュートラルに入れて駐車していたなら、あっというまに転がり落ちてしまうほど傾斜した、その下りストレートエンド。

 誰もが初見初走ではぞっとするほどスピードの乗った自らに、そして止まらない自車に驚愕するその一点で、志智のマシンは今日、はじめてのフルブレーキングを敢行する。

 ぼしゅっ、と空気を押しつぶす音が聞こえそうな勢いでフロントフォークが沈む。ホッピングしかけるリアタイヤ。

 折れよとばかりに握りしめられたブレーキレバーが、増幅された油圧をキャリパーのピストンへ伝え、超高速で回転するフロントタイヤをディスクブレーキが停止させようとする。

 タイヤの表面が押しつぶされ、アスファルトへ張り付く。

 赤外線センサーを通して見ていたなら、その瞬間、志智のマシンのフロントは真っ赤に染まっていただろう。

(抜いた!!)

 親指の太さほどの余裕を残して、ブレーキング後のコーナーをクリア。

 再び現れたロングストレートの制動は、バックミラーを眺めつつ、余裕のあるものだった。

 ZRX1200は追撃をあきらめたらしい。

 この先の込み入った『大人』区間では、有利な点がほとんどないことを正常に認識しているのだろう。

「じゃあ、お先にな……」

 ふるさと村の信号が黄色になろうとするその時、志智しちの赤いマシンは大多磨周遊道路でたった一つしかない交差点を駆け抜ける。

 そのマシンは赤く、細く、フレームには無骨なアルミニウムの銀。

 VT250スパーダ。

 彼が産まれるその日よりさらに以前、この国の路上がモーターサイクルであふれかえっていた時代のマシンだった。


~~~~~~Motorcycle Diary~~~~~~


「━━戻ってきましたわね」

 その少女は、春爛漫というにはやや弱い陽射しの中で、うっすらと笑っていた。

 大多磨周遊道路はその名に反し、山中をつらぬく一本道である。

 従って、入り口もまた東京都の水瓶である小河内湖側と、檜原村側の二つが存在するわけだが、少女が立っているのは前者━━小河内湖側の入り口に隣接する、『川野』駐車場であった。

「吉脇。お茶を用意して」

 少女の装束はこの場においてもっとも異質。まばゆいばかりの金髪をツーテールに、ゴシックロリータ。

「かしこまりました、お嬢様」

 されど、傍らにひかえる壮年の男性もまた劣らず異質。一糸の乱れもないスーツをひるがえし、背後のハイエースに乗り込むと、上等なティーセットを二人分持ち出す。

 ほぼ同時に、小気味よいVツインのエギゾーストノートが近づいてくる。

 真っ赤な車体に、落ち着いたアルミフレームの地肌がどこか官能的な、そのモーターサイクルは、それが当然であるかのように、少女の前で停車した。

 ━━やや遅れて、ライムグリーンの大型ネイキッドも駐車場に入ってくる。

「ふー……っ、は」

「ご苦労様でしたわね、志智」

 赤いモーターサイクル、VT250スパーダの主は。三鳥栖 志智みとすしち濃密な酸素を求めるかのようにヘルメットを脱ぐ。

 そして、満足そうな表情で話しかけるゴシックロリータの少女を一瞥すると、つまらない話題でも振られたときのような目になった。

「ねぎらってもらうようなことをした覚えはないんだが」

「あなたが勝てば気持ちいい。あなたがもし負けたらとても悔しい。

 そんなわたくしがあなたを労うのは、当然じゃなくて?」

「そーいうのってさ、外野が言うことじゃないと思うんだけどな……あ、どうも、吉脇さん」

 執事が差しだしたティーカップを、グローブをはめたままの手で受け取ろうとした彼は、自嘲するように首を振る。

 若者であった。

 だが、明らかに学生と見てとれる成長途上さが顔立ちにある一方で、奇妙な違和感をおぼえるほどの落ち着きが黒い瞳にはあった。

「それで、志智しち

「……なんだよ、亞璃須ありす

 シチ、と少女は呼んだ。アリス、と若者は返した。

 だが、中学生であると称しても誰ひとり疑いをもたないであろう風貌の、背が低い少女にしても。

 新卒の社会人と自称しても皆が信じるだろう、長身の若者にしても。

 その年はおなじだった。

 正確には少女……日原院にっぱらいん 亞璃須ありすの方が年上である。

 若者が……三鳥栖みとす 志智しちが亞璃須と同じ年になるまでには、まだ七ヶ月ほどあるが、学年という意味では。

 ふたりともおなじ高校の三年生だった。


「今日はどこで勝負が決まりまして?」

「ふるさと村の信号ちょい手前」

「ああ……結構ひっぱりましたのね」

「おやっさんのマシン、速いからさ」

「そういうのは、勝った側に言われてもうれしくねーもんだけどなあ……ヨ」

 頭頂部に薄い領域がぼちぼち目立ちはじめた年頃といったところだろうか。

 ZRX1200の主であるその中年男性は、がっくりと肩を落としながら悔しさを処理しかねるように、志智のVT250スパーダへ恨めしげな視線を送る。

「ったく、どうしてたかだか40馬力のニーハンに勝てないんだかなあ」

「本気で走ったらおやっさんのダエグの方が絶対、速いと思うけどな」

「お! そうか!? 志智もそう思うか!? いやー、そうだよな。なんてったって、カワサキの出した最新式だもんな! やっぱお前はわかってるなー、ヨ!」

「お馬鹿なことを言いますのね。こんなムダに重いばかりのビッグネイキッド、登りはともかく下りになったら一体どこでパワーを使いますの?

 スパーダどころか少しいじった二種スクーターにすら、後れをとりかねませんわ」

「あ~……い、いや。そのなんつーか、きっとそいつが正しいんだろうが、おじさんとしてはちょっとくらい夢を見させてもらってもいいと言うか……」

「事実を言ったまでです」

「かなわねえな、『モタロリ』ちゃんにはヨ」

「……は? その呼び方、あまり好きじゃないんですけど?」

「おお、こわっ。

 名前で呼べばなれなれしいと怒られ、あだ名をつければ噛みつかれ、洗濯物は一緒に洗うなと言われ……中年オトコの扱いなんてこんなもんだよな」

「バツイチの言う台詞ですか」

「はっはっはっ。まあ、今回は負けたが次はヨ! 志智、負けねえからな」

 ジト目で睨みつける亞璃須から逃げ出すように、『おやっさん』は陽気にわらってZRX1200へまたがる。

「……ああ、楽しみにしてるよ、おやっさん」

 ━━応じる志智しちも。亞璃須ありすも、『おやっさん』の━━彼の名前は知らない。

 ただ、頻繁にこの川野駐車場で顔を合わせるというだけ。

 なれなれしく話しかけてきて、訊いてもいないのに身の上を語り、思い出したように志智のスパーダと競争を申し出てくるというだけ。

 セルスターターが回り、1164ccのエンジンが目を覚ます。

 おやっさんはカワサキ乗りらしく、無駄にニュートラルでスロットルをあおり、ミッションが壊れたような音と共に1速へ入れ、そして駐車場から出るなり全開にして去っていく。

「……そろそろヘッドからオイルが漏れはじめる頃ですわ」

「なんのことだ?」

「別に」

 ヘッドドレスを揺らして小さく嘆息しながら、亞璃須はカップの紅茶を飲みほす。

 その香りも、温度も、味も。この場にはすこし上品すぎた。

「吉脇。すこし走りたくなりました」

「かしこまりました」

 少女の言葉を待っていたかのように、執事はハイエースのリアゲートを跳ねあげた。

 広すぎるほど広いその場所には、一台のオフロードマシンがあった。

 いや……そうではない。

 オフロードを走るにしては、妙に小さなホイールと溝の少ないハイグリップタイヤが、そのマシンのカテゴリがモタードと呼ばれるものであるのだと主張していた。

志智しち、三分待っててくださいな」

「ああ」

 興味なさそうに応える志智の言葉へ反発を示すように、リアゲートが乱暴な音を立てて閉まった。

 暗いフィルムの向こうで衣擦れの音がする。

 ゆるやかな春風と相まって、どこか想像をかき立てるその特殊効果音は、しかし三鳥栖みとす 志智しちの淡々とした瞳を揺るがせることはない。

「にふ~ん、三十秒!!」

 ばしん、と音を立ててリアゲートが開くと、ゴシックロリータの少女はそこにいなかった。

 淡い銀を基調にしたカラーのレーシングスーツをまとったライダーがいるだけであった。

「吉脇っ」

「かしこまりました」

 ヘルメットを片手に亞璃須が地面へ飛び降りると、執事は袖をかるくまくりあげてハイエースの中からラダー━━つまり、ハシゴを引っ張り出す。

 そして、地面との間に立てかけたラダーの上をつたって、モタードマシンが引き出された。

「風張まで一往復。いいですわね?」

「ああ、それでいいよ」

 17インチホイール化され、ローダウンリンクも入っているとはいえ、そのモタードマシンは身長148cmの亞璃須にとっては見上げるほど大きく、そして高い感じられる。

「お嬢様、整いました」

 執事がキックを一発。そのマシンは目を覚ました。

 サイドスタンドを立てたまま、亞璃須はそのシートにまたがり━━否。這いあがった。

 そして、まったく足が地面に届かない状態にもかかわらず、1速半クラッチで前へすすむや、器用にスタンドを払いのけた。

 サイドスタンドストップスイッチなど存在しない、レーシングマシンならではの所行である。

(……いつ見ても奇妙な光景だな)

 モタードに乗ってるゴスロリだから、『モタロリ』。

 よく名付けたものだと志智は思うが、それにしてもこんなマシンに乗る必要があるのだろうか。

 少なくとも、亞璃須の低身長にくらべて、そのマシンの巨大さたるや釣り合わないにも程があった。

 どうせならセローやKSRにしておけば可愛げもあっただろう。

 ━━なぜこんなモンスターでなければならなかったのか?

(いや……)

 志智は知っている。このマシンでなければならなかった。

 そうでなければ、亞璃須と志智の出会いはおそらくなかった。

「さあっ」

 ヘルメットの中で亞璃須の瞳がらんらんと輝いている。

 XR650R。日本の法規に沿って登録され、公道を駆けぬけることを許された最後のレーサー。

 その一台が、腹の底を揺さぶるような排気音を奏でている。

「走りましょう、志智」

「そうだな。走ろう、亞璃須」

 Vツインとビッグシングル。遠くなっていくそのサウンドが川野駐車場へ戻ってくるまで、およそ20分だった。

 彼らは今日もここにいて、ここで走る。

 大多磨周遊道路。三鳥栖志智。VT250スパーダ。そして、彼を取り巻くひとびと。

 ━━これはささやかな、けれど熱く、まばゆいモーターサイクルライダーたちの物語。

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