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錬猫アーリーデイズ・七夕変

スペシャルサンクス:小説家になろうチャットルームの方々

 練った小麦粉をねじりながら、由梨はご機嫌で歌を唄っている。

「……スワンが翼を広げます……わたりなさい、わたりなさい……」

「天の川に橋をかけるのは白鳥じゃない。かささぎだ」

 ねじって形を整えたものを熱した油に放り込みつつ、理久は冷静にコメントした。



 今日は七夕。夕方には冬沢家と春国家が両方集まって(といっても、春国家は由梨と由梨の母だけだが)宴会をするのが通例だ。

 今作っているのは索餅。そうめんの先祖となった揚げ菓子だ。

 理久と由梨の祖母が日本びいきの西洋人で、その影響から冬沢家も春国家も行事食に関しては非常に厳しかった。料理はさほど得意ではないと自称する理久も、実は正月のおせち料理を全て手作りできたりする。



「もー、理久ってばロマンなさすぎ。夏の大三角は白鳥座なんだからいいじゃん」

「夏の大三角はヨーロッパ。七夕伝説は中国」

「つまんないことばっかり気にしてー」

 不満げに言いながらも由梨は手を止めない。ただねじるのに飽きたらしく、既にねじってあるものをつなげたり輪にしたりして遊んでいた。

「ねじり終わったなら代わってくれ。いい加減暑い」

 まだ始まったばかりとはいえ、夏だ。理久は同時進行で天ぷらも揚げている。ひたすら暑い。既に汗だくだった。

「ん、いいよー」

 応えて立ち上がろうとすると、リビングでそれぞれに準備をしていた兄たちから野次が飛んできた。

「却下だ、理久!」

「万が一、由梨ちゃんがやけどでもしたらどうするんだ!」

「心頭滅却すればこの程度どうってことないだろ」

 言葉と共に削りかけのかつお節まで飛んでくる。確かめんつゆの準備をしていたのは……

「もったいないことするな、海斗兄貴! これ、枕崎の一級品だって言ったろうが!」

 当たらずに床に落ちたかつお節をいったん洗って投げ返す。捨てるなどともったいないことはしない。なんといっても最高級品である。

 どうやら誰かに当たったらしい。何かがぶつかる音とマヌケな声が同時に聞こえてきた。



 本日のメニューはざるうどんにざるそば、さらにそうめん。炭水化物ばかりでは体に悪いので、鳥のから揚げや夏野菜の天ぷら、薬味各種も怠りない。デザートには索餅とゼリーとスイカ。

 そばは長兄作、うどんとそうめんは次兄、めんつゆは三兄だ。デザートは由梨の担当で、揚げ物全般が理久の担当。そば打ち以外はくじ引きで決めたので仕方がないとは言え、これほどの貧乏くじもめったに無いと理久は思っている。




 理久たちの両親は海外転勤中、由梨の母は仕事。そのため宴会は子供達だけで行われた。子供と言っても、男性陣は全員酒が呑める年齢だ。

 既にできあがっている兄たちは放っておいて、由梨と理久は縁側に陣取って笹を眺めながらデザートをつまんでいた。

「晴れてよかったねー」

 藍色の地に朝顔の柄が印象的な浴衣に着替えた由梨はにこにこ笑ってゼリーをほおばる。サイダーを使ったゼリーは爽やかな触感が特徴だ。

「叔母さん、残念だったな。今日は夜勤だっけ?」

「うん、写真撮ってきてって頼まれちゃった。だから理久も浴衣着て欲しかったのに」

「仕方ないだろ、サイズが合わなかったんだから」

 由梨の浴衣は母から譲り受けたものだ。理久も母譲りのものがあるにはあるのだが、サイズが合わなかった。仕立て直すには手間がかかるということで、兄から強奪した作務衣姿だ。

「……今から作れば、夏祭りには間に合うよね」

「着ないからな」

 あっさり断ってスイカを手に取った。索餅は兄たちがつまみとして消費してしまった。塩味にアレンジしたことがこんなところで仇になるとは。理久も由梨も一つずつしか食べていなかった。あれだけ暑い思いをしたというのに、である。




 風が吹く。傍らに置かれた蚊取り線香から灰が飛び、理久の手にかかった。

「あちっ!」

「大丈夫?」

「……多分な」

 手を振って灰を落とし、様子を見る。赤くなっていない。たいしたことはないだろう。忌々しげに蚊取り線香をにらんだ。罪がないことはわかっているが。

「そういえば、理久は短冊になんて書いたの?」

「……平穏」

「平和じゃなくて?」

「平穏。平和は世界レベルだ。私が願うことじゃない。だいたい、由梨の短冊も似たようなものだろ」

 一口かじったスイカはみずみずしいが甘みは少ない。熟してないとも言えるが、理久は甘いものが好物というわけでもないのでこのくらいがちょうどいい。

 笹が風に揺れる音に目を細め、由梨は見るともなしに短冊を見た。『平穏』『彼女』『健康』『免許』……やたら簡潔な内容は理久たち兄妹のものだろう。それらと並んで風に揺れる由梨の短冊は『毎日のんびり過ごせますように』だ。

「まあねー。でも、誰でも持ってる願いじゃない?」

「違いない」

 口の中でよりわけた種を庭に吐き出す。行儀が悪いと言って由梨が理久を小突いた。




 

 結局、理久が由梨の浴衣を着ることはなかった。

 ほどなくして、二人は異世界に問答無用で引きずり込まれることになる。

索餅……小麦粉を練ったものを縄状にねじって揚げた菓子。そうめんの祖先

行事食……おせちなどの、季節ごとに食べる料理。七夕の場合はそうめんがメジャー

由梨が歌っていた歌……タイトルは『スワンのつばさ』

枕崎……高級かつお節の産地

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