16グランピングでお泊まり(2)
カナコが日吉に本気になりそうというタイミングで、彼は先輩の女性社員と付き合い始めた。
カナコにちょっかいを出してきたのは日吉のほうなのに、カナコが振り向きそうなったとたん、あっさり他の女性へ行ってしまったのだ。
(あれは何だったのよ。今で言う蛙化現象ってやつ? 私の気持ちを察して離れたなんて、当時はかなり傷ついたけど)
そんなことを考えているうちに、なぜか隣に日吉が座ってきた。昌樹と美佐紀以外のメンバーは席を取り替えて交流していたのだが、まさか日吉がそばに来るとは思ってもみず、カナコの体が一気に硬直する。
「渋谷、元気だった?」
カナコの顔を覗き込むようにして、日吉が笑みを向けた。
「見ての通り、元気よ。日吉も元気そうね、相変わらず……」
チャラそうね、と言いそうになって、慌てて口を噤む。
「う~ん、まぁまぁ……元気かな」
苦笑した日吉は、カナコから目を逸らした。
「何かあったの?」
「周りがこれだけ結婚していけば、さすがの俺もねー」
「……日吉って結婚願望あったんだ?」
今も遊んでそうな雰囲気が漂っている彼の、意外な言葉に驚く。
「あるよ、結婚願望。渋谷と約束したじゃん、俺」
「え?」
カナコが問うと、大真面目な顔をした日吉が答える。
「三十過ぎてもお互い独身だったら、結婚しようって」
「……はぁ?」
「忘れたのかよ、薄情なやつ」
日吉はふてくされながら、ワインではなくビールを口にした。
「全っ然、記憶にないんですけど。そんな、マンガでしか聞いたことないようなセリフ、日吉が言うわけないでしょ」
記憶をたぐり寄せてみたが、さっぱり覚えがない。
カナコはため息を吐き、サラダを口に入れた。フレッシュなオリーブオイルのドレッシングが絡んだサニーレタスをもぐもぐし、顔を上げる。
昌樹と美佐紀の周りは盛り上がっているし、他のメンバーもそれぞれ熱心に話をしており、カナコは日吉と話を続けるしかなかった。
「だから言ったんだって。信じてくれよ」
「もし本当だったとしても、私が忘れてるってことは信憑性がない約束だったのよ」
「どういうこと?」
再びこちらを振り向いた日吉は、キョトンとした顔で尋ねる。
「自覚ないのね……。日吉の態度を見て、そんな約束、本気で期待しないって当時の私が思ったのよ、きっと。だからスッパリ忘れてるんじゃない?」
カナコに近づく前の行動も、近づいたくせに先輩と付き合ったことも、とにかく日吉を男性として信用できないと確信したのだろう。
「俺は結構本気だったけどね」
「そんなこと言うなら、どうしてあの時――」
「ちょっと日吉! 早速カナコにチョッカイ出さないでよね!」
席替えをしてそばに来た幸江が、会話に入ってくる。
彼女が会話を遮ってくれたおかげで、「どうしてあの時、私を選ばなかったのよ」などという、とんでもない言葉を吐かずに済んだ。
「幸江……」
ありがとうの意を込めて幸江を見つめると、目配せをした彼女は、キッと日吉を睨み付ける。
「カナコには彼氏がいるんだから、やめておきなさい、日吉」
「へぇ~、そうなんだ?」
幸江の言葉に、日吉が目を丸くした。
「そうよ、あんたよりずーっと若くてめっちゃイケメンなんだから、勝ち目なんてないの」
「年下か。……いくつ?」
日吉は、幸江からこちらに視線を移した。
「二十五歳だけど?」
それが何か? とカナコは日吉に向かってつっけんどんに答えた。そんなカナコにはお構いなしに、日吉がフフンと鼻で笑う。
「そんなに下じゃ、まだまだ結婚する気なんかないだろ。俺にしとけば、今すぐにでも結婚できるけどな」
その顔にワインをぶっかけてやろうか、と心の中で思うカナコだったが、今日は祝いの席だ。どうにか我慢して笑顔を作った。
「……バカにしないでくれる? 私は今、とーっても幸せなんだから、そういうこと言うのやめてよね」
「俺、一年以上、誰とも付き合ってないし、女遊びすらしてないよ」
「だから?」
「渋谷と結婚できるなら、そうしておいたほうが信頼が得られるだろうと思って。とにかく今日は、独身の渋谷と再会できて良かったよ」
ニッコリ笑った日吉が椅子から立ち上がる。カナコも負けじと笑顔を作り続け、返事をした。
「お酒飲みながら言われても、ひとつも信じられないから、いい加減にしてくれない? 今日は美佐紀たちのお祝いの席なの。わかってるわよね?」
「わかってるよ。これ以上はやめておく。……でもさ」
かがんだ日吉が、カナコの耳元でささやいた。
「俺はいつでも待ってるから。な?」
そんな言葉を残して、日吉は別の席へと移っていった。
「カナコ、大丈夫? あいつなんて言ってたの?」
カナコの隣へ移動した幸江が心配そうに尋ねる。
「……くっだらないことよ。相変わらずね、日吉は」
「なんかさ、思い出したんだけど……、あいつ昔、カナコに言い寄ってたよね?」
周りを気にしつつ、カナコに顔を寄せた幸江が小声で言った。
「うん、まぁ。本当に昔の話だけどね。入社して二年目とか、そのくらいの時」
「今のカナコなら大丈夫だろうけど、気をつけてね。あいつが変なこと言わないように、私が釘を刺しておくけどさ」
「ありがとう、幸江。うん、大丈夫よ。私には素敵な彼がいるから」
「だよね。日吉よりずっと素敵だし、何よりカナコが幸せそうな顔にさせているっていうのが、素晴らしい彼という正解以外の何物でもないわよ」
笑ってうなずく幸江と、手元にあったワインで静かに乾杯する。




