12夏だ、山だ、波乱のバーベキューだ(6)
「わかりました。師匠にはいつもお世話になっていますし、これくらいお安い御用です」
「ありがとうございます」
カナコが笑いかけると、大倉も前を向いたまま、ホッとしたような笑みを見せた。
「では……周りから不自然に見えないように、呼び方から変えましょうか、カナコさん」
「っ!?」
いきなり下の名前を呼ばれたカナコの心臓が、口から飛び出しそうになった。
「いや、呼び捨てのほうがそれっぽいですかね。……カナコ」
「……」
もう口から心臓どころではなく、呼吸が止まりそうだ。
元カレと父親以外の男性に下の名前を呼び捨てにされたのはいつぶりだろう。インパクトが強烈すぎる。
(いやいやいや……、動揺しすぎよ。たった今、大倉さんに恩返しをすると決めて、彼の提案を受けたばかりだっていうのに)
カナコは膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめて、口を開けた。
「……は、は……い」
蚊の鳴くような声で、どうにか返事をする。
「じゃあ俺の名前もお願いします。覚えてますか?」
「あっ、はい、もちろん覚えてま、す……」
返事をしている最中に声が小さくなってしまった。
凪沙くん、が妥当だろう。しかしカナコを呼ぶように、呼び捨てを要求されてしまったら……。
「呼び捨てでお願いしますね」
「はい……。ではいきます」
「ええ、どうぞ」
心の中をすっかり覗かれているように感じて、カナコは焦りつつも冷静になるよう努めた。そして……。
「凪沙」
「あ……、ありがとうございます……」
カナコの呼びかけに、明らかに動揺した大倉の声が耳に届く。
チラリとその横顔を見ると、顔どころか耳まで赤くなっていた。
(自分で要求しておいて、その反応は何……!? 余計にこっちが恥ずかしくなるってば……!)
「あと、もうひとつお願いがあるんですが、みんなの前で敬語もやめたほうがいいかと思うんです。それもいいでしょうか?」
「確かに、付き合っているのに敬語で話すのは不自然ですよね。わかりました」
「ちょうど大きいサービスエリアに到着するので、そこから敬語なしと、引き続き名前の呼び捨てをお願いします」
「了解です」
事務的に返事をしたものの、動揺は続いている。
大倉が言った通り、間もなくサービスエリアに到着した。
ここは規模が大きく、名物のフードやお土産が豊富にあり、ここを目当てに訪れる人も多い。
車を降りたとたん、強い日差しに見舞われた。夏空には大きな入道雲が見える。暦の上では初秋だが、涼しくなるのはまだまだ先のようだ。
カナコの隣に来た大倉が、こちらを見下ろして言った。
「手をつないでいいですか?」
「ええ、もちろん」
今度は即答できた。
もちろん内心ではドキドキではあるものの、これもバーベキューで自然に振る舞うための練習なのだからと、自分に言い聞かせる。
「あーっ、間違えた!」
突然、大倉が声を上げる。
「な、なんですか?」
「敬語はダメだって自分で言っておいて早速間違えました! 今から気を付けます、いや、気を付ける!」
何事かと思って驚いたが、彼の真剣な顔を見たカナコは、思わず頬を緩めた。今までの戸惑いと緊張が、彼の言葉でほぐれた気がする。
「私も忘れてたから気を付けるね」
言いながら大倉を見上げると、彼は「うん」とうなずいて、カナコの手を取った。
彼の手の温かさがダイレクトに伝わり、胸がきゅっと痛む。
彼に触れたことは今まであっただろうか。何度も一緒に過ごしていたのに、思い出せない。
「あの……、みなさんに飲み物とか買っていかなくて大丈夫?」
「一応、大きいペットボトルを何本か持ってきたけど、たぶん向こうで用意されてるから無駄になると思う。それより、手土産持ってこさせちゃって……ごめんなさい」
カナコの顔を覗き込むようにして彼が謝った。




