090:真凛についてのあれこれ
◇2039年11月@福島県福島市他 <安斎真凛>
11月に入ると、福島は一気に寒くなる。そして山々は、一面の鮮やかな紅葉で彩られ、何処の観光地にも大勢の人達が押し寄せる事となる。
そんな観光地のひとつ、吾妻山を、その日、中通りの「ムシ」達四名が訪れていた。と言っても、当然、「光のチョウ」になって上空を飛び回っている訳だ。
最近は、こうして昼間に「ムシ」になる事も増えてきた。特に今日のように晴れの場合、却って夜間よりも目立たなくなると気付いたからだ。それでも薄っすらとは見えている訳で、紅葉の山々を様々な色の「光のチョウ」が舞う姿は、何とも幻想的で美しい。その光景は、そこに居合わせた観光客逹を大いに驚かせ、そして感動させていたのだった。
★★★
さて、福島市中央部のマンションにある、紺野鈴音の部屋に転がり込んだ形の安斎真凛は、相変わらず、二本松市の母親がいるアパートと郡山市の玉根凜華の家とを、頻繁に行き来する生活をしていた。もちろん、「ムシ」に変異して空中を移動しているので、飛行に慣れた今では、どちらも二十分そこそこしか掛からない。その為、週に何度も行き来していても、それほど彼女には苦にならないのだった。
真凛が二本松市岳温泉のアパートを訪れるのは、母の希美の面倒を見る為である。希美はアラサーの女なのだが、ほとんど家事が出来ないし、やろうともしない。真凛がアパートを出れば、『少しは家事が出来るようになるかも』と期待したのだが、全くの空振りである。
真凛が「ムシ」に変異して翅だけ消した状態で希美の部屋に入ってみると、まるで泥棒に入られたかのように物があちこちに散乱していて、足の踏み場すらない。てか、実体の無い「ムシ」になっていないと、立っていられない程の凄まじさだ。
その大半はゴミの類で、腐臭を放っている生ゴミまである。それこそ、Gが付く虫がいても、おかしくない状態だ。良い歳した女のくせに、下着まで脱ぎ散らかしたままってのは、いったい何なのさ!
希美はキャバ嬢をしていて仕事が夜だから、夕方近くまで寝ている。余程の事が無いと起きない女なので、真凛は容赦なく窓を開け放った。そして、大きなビニール袋を手にすると、その中にゴミを次々と入れて行く。その次は、衣類の回収だ。クリーニングに出す物は仕分けして、他は洗濯機に放り込む。後は、化粧品とか細々とした物を片付けて、いよいよ掃除に取り掛かる。
その後、スーパーで食料品の調達を行い、チンするだけの状態にした料理を小分けして冷凍庫に放り込んでおく。いくら料理の出来ない希美でも無洗米でご飯くらいは炊けるので、おかずさえあれば何とかなるのだ。頭が痛いのは、サラダ用に買っておいた野菜の類が手付かずだったりする事だが、野菜ジュースだけは飲んでいるようなので、無塩の物を冷蔵庫に入れておく。
全ての作業が終わると、真凛は希美への連絡事項を紙に書いて、それをマグネットで冷蔵庫の側面に貼り付ける事にしている。内容は小言を箇条書きにしたようなものだが、日に日に量が増えて行って、今は側面全てを覆っているような状態だ。
『もう、私は家政婦じゃないんだからね。部屋の掃除くらい自分でしなさい。真凛』
家を出る時、いつも真凛はテーブルにそんな書き置きを残しておくのだが、実は希美がそれを楽しみにしているのを彼女は知らない。
真凛は、自分がアパートを出た状態の希美について、『どうせ自分勝手ができて、満足している筈』と思っている。本当は、夫の力哉に続いて娘までもが部屋を出て行った事で、割と落ち込んでいたりしているのだが、そんなの娘は知る由もない。時々顔を合わせたりすると、憎まれ口しか利かないのだから……。
真凛が実家に立ち寄るのは、生活能力の無い希美が心配だからなのだが、実は、もうひとつある。勝手に、近くの旅館の露天風呂に入る事だ。別に温泉は他にもあるけど、やっぱり慣れている所が一番なのだ。
アパートでの家事を終えた真凛は、相変わらず着ている物を全て脱ぎ捨てて、「ムシ」になって飛んでいく。そうして、そのまま露天風呂に浸かっては、「ああ、極楽極楽……」と、まるで年寄のような言葉を呟くのだった。
★★★
真凛が母親のアパートの次に訪れるのは、郡山市の玉根凜華の家である。いや、凜華に会うのも目的ではあるのだが、それ以上に会いたい相手は、凜華の家の隣に住む大谷知行だった。その彼と会うのは、たいてい近くの公園で、時間が合えば、凜華も含めて大谷家の食卓に呼ばれる事もある。その後、真凛だけが彼の部屋に留まって、長々とお喋りすることも最近は増えていた。
だけど、ようやく思春期に差し掛かったばかりの二人は、共に自分の中の感情を持て余し気味だったりする。相手に心を伝えようにも、恥ずかしさが先に立って、何も言い出せなくなってしまう。
それに真凛の本音は、毎日だって彼に会いたい。でも、毎日だと、飽きられるのが怖い。反対に、回数を大きく減らすのは論外だ。忘れられちゃったりしたら、私、死んじゃうかも……。
そんな真凛の真意を見抜いていた凜華は、真凛に言った。
「あのさあ、真凛。岳温泉のアパートに行く度に、ここにも来てくれるのは嬉しいんだけどさ。別に、毎回じゃなくたって良いんだよ。まあ、あんたが知行に会いたいってのもあるんだろうけど、もう少し会う回数を減らしたって大丈夫だよ。ああ見えて、知行は真凛に夢中だからさ」
真凛は凜華の言葉を真に受けた訳じゃなかったけど、何も無ければ知行に会うのを週一回程度に減らしてみた。その代わり、会いに行く時は、必ず事前に連絡を入れる。それ以外にも、一日に一度程度、知行に簡単なメールを送る事にした。それも、あんまり頻繁だと『ウザい』と思われちゃうかもだから、注意する。
それと、もうひとつ、真凛が心に決めた事があった。勉強である。知行が凜華に負けないくらいに成績が良い事を知った凜華は、『彼と吊り合う程度には、成績を上げよう』と決心したのだ。
意外と安斎真凛は、健気に頑張る少女なのである。
★★★
真凛が福島市の中学校に転校して、間もなくして受けた前期末試験は、底辺よりも少し上といった結果だった。
真凛が岳温泉のアパートにいる時に通っていた中学は、普通の田舎にある中学といった感じだった。それが、真凛の転校先の中学は、公立とはいえ、福島市の中心部にある名門校。周囲は、タワマンを始めとした高級マンションが多く、いわば富裕層の子弟が通う学校である。当然、教育の水準は高く、学習の進み具合だって違っている。真凛の成績が落ちたとしても当たり前だった。
ちなみに、県内の公立学校の大半は県内順位と偏差値しか本人に知らせておらず、校内での順位は出してすらいない。今春から教師に対しては、担当クラスの平均点とかで査定を行うようになってはいるが、直接、生徒には関係ない話である。
ところが、真凛が転校した中学は公立でも名門校だけあって、以前から校内での個人順位も本人に伝えていた。そして、まだ小学六年生の真凛の同居人は、真凛が「まあ、こんなもんだよね」とした順位に、全く納得しなかった。
「この私の身内になったからには、絶対に落ちこぼれなんかにはさせませんからね。真凛さん、覚悟して下さい!」
そんな風に堂々と宣言した紺野鈴音を、真凛は『生意気な奴』と思いつつも頼る事にした。
足が不自由だった鈴音は、ほとんど学校に通っていないのだが、自宅で中学の勉強のほぼ全てを既に先取りしている。つまり、鈴音は真凛の家庭教師が充分にできる能力を得ていたのである。
それに鈴音にとって年上の真凛に勉強を教える事は、彼女の自尊心を満たす行為でもあった。その上、真凛は意外と地頭が良く、教えれば教えるだけ知識を吸収してくれる。これまでまともに勉強のできる環境になかった事もあって、真凛は実に教え害のある生徒でもあった。
そうして迎えた後期の中間テスト。真凛は、容赦ない鈴音のしごきに辟易としながらも、かつてない程に必死で勉強した。特に、直前の一週間は、酷かった。
朝食と夕食の際も簡単な英会話が流されており、時折り鈴音からの質問が飛ぶ。その間も「ムシ」になっての夜間飛行は止めなかったのだが、二人の間では、さかんに理科や社会の問題と回答のやり取りがされている。ベッドにも枕元に小型スピーカーが置かれていて、眠りに着くまでの間、繰り返し英単語が聞こえてくる。
だけど、トイレの壁にもディスプレイがあって、便器に座ると自動で問題が表示され、正解できるまで水が流れないってのは、絶対にやり過ぎだ。
そんな訳で、ベストを尽くした真凛には勝算があったのだが、それでも鈴音は満足しない。その彼女には、禁断の奥の手があったのだ。
鈴音が通う小学校と真凛の中学とは隣接していて、常時二人は心話が通じる環境にあった。つまり、どうしても真凛が分からない問題に、鈴音がアドバイスする事が可能だった訳である。それには真凛も、「それって、カンニングじゃん」と思わないでもなかったのだが、やはり背に腹は代えられず、どうしてもピンチの時だけに頼る事にした。
その結果、いきなり真凛は、学年十番台という順位に躍り出た。それに最も驚いたのは真凛だったのだが、鈴音には不満だったようだ。
「真凛さん、あそこまでやってあげて、何で十番台なんですか? おかしいでしょう? そりゃあ何処の中学にだって私みたいな天才はいますから、一番になれとは言いませんよ。でも、せめてベストスリーぐらいには入りましょうよ」
かくして、鈴音の真凛に対するしごきの日々は、まだまだ続いて行くのだった。
END090
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「オフ会開催準備」です。
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