009:予兆(2)
◇2038年5月@福島県岩木市 <矢吹天音>
矢吹天音は、小さい頃から何かとイジメられてきた。
幼女の頃の天敵は、同じ歳の従兄の矢吹丈流。天音の父の兄の長男である丈流は、天音が歩けるようになった直後から、天音の事を自分のオモチャのように扱ってきた。
同じ歳と言っても、奴は五月生まれ。三月三日の桃の節句に生まれた天音とは、十ヶ月も早い。その上、天音は生まれつき小柄で痩せっぽち。見るからに体格の良い丈流に敵う筈がなかった。
もちろん、天音をイジメるのは、丈流だけじゃない。
両親が共働きの天音は、二歳の時から保育園に入れられたのだが、そこはスタッフが足りてないからか放任主義で、大きなケガでもしない限り、幼児同士のケンカは放置されていた。その為、毎日のように天音は金色の髪の毛を引っ張られ、押し倒されては泣かされる目に遭わされ続けたのだった。
その頃に付けられた天音のあだ名は、「ガイジン」。まあ、当然のネーミングだろう。特に男の子には、必ずと言って良い程に良くイジメられた。大人から見れば、「好きだからイジメるんだよ」となるのだが、イジメられる本人にとっては、堪ったもんじゃない。
当然、幼い天音は、「保育園なんか、行きたくない!」と駄々をこねた訳だが、仕事がある母の涼子は、無理やりに迎えのバスに押し込んでしまう。そんな事が何度も続けば、幼女だって悟りを開かざるを得ない。
よって天音は、幼女にして人生を諦めた。それからの彼女は、ひたすら耐え続ける日々を送り続けてきたのだった。
★★★
天音は、小さい頃から人の機微に聡い子だった。相手の心の内だとか思っている事が、何となく分かってしまうのだ。
残念なのは、その大半がネガティブな感情ばかりで、唯一の例外は両親の愛情くらいだという事。だけど、その両親だって常に仕事の疲れや不満を抱えている訳で、彼女が人の心に懐疑的なのは必然かもしれない。
天音は、人が嫌いだ。
小学校に上がったばかりの頃、天音は皆に話し掛けられた。その理由は、当然、綺麗な金色の髪の毛だった。絶妙にウエーブの掛かったその長い髪は、決して染めているわけでもパーマを掛けているわけでもない。生まれ付きなのだ。それに瞳の色も薄い茶色だし、肌は透き通るように白い。
話し掛けて来るのは、男子も女子も本当は友達になりたいからなのだが、アプローチの仕方は違っている。ストレートに言えない男子は、ちょっかいを出す。いきなり髪の毛を引っ張ったり、足を引っ掛けたり。しまいにスカートを捲っては、他の女子達に怒声を浴びせられている。
そんな時の天音はと言うと、あたふたするばかりで、ちゃんとした応対が出来ないでいた。
もちろん、皆からチヤホヤされたって、全然、嬉しくなんかない。心の中は反対に、恐怖と怯えで一杯だ。
どうせ、そのうち嫌われてしまう。次は手のひら返しで、イジメてくるに決ってる。意地悪されて泣かされて、家に帰ると、今度はお母さんに叱られて……。いつもいつもいつも、そんな事の繰り返し……。
それを天音は幼稚園の時から、ずーっと今まで繰り返してきた。何度も何度も人に嫌われて、天音は人が嫌いになった。
誰も私に優しくはしてくれない。誰もが私に敵意を向けてくる。いつだって私は、イジメのターゲットだ。
だけど私は弱いから、それを黙って耐えているしかない……。
天音は、そんな自分を『まるで、呪いのようだ』と思っていた。
★★★
天音がイジメを受けてきた一番の理由が、見た目にあるのは間違いない。だけど、本当は二番目の理由の方が、もっと重要だったりする。つまり、身体的なハンディキャップの事だ。
天音は、耳が良く聞こえない。特に右耳は全くの役立たずで、左も普通の人の聴力よりは相当に劣る。
きっと、昔だったら普通の教室では学べないレベルだったろうけど、今は昔と違って、タブレット端末とヘッドセットを使ってのEラーニングによる自主学習が基本だ。体育や音楽といった実技系の科目だとか、理科の実験とかは先生が直接に指導をするけど、それ以外での先生の役割は、分からない所をサポートする事ぐらい。それなら何とかなるだろうと親も学校も考えて、普通の教室に放り込まれたみたいだけど、本人にしてみれば有難迷惑以外の何物でもない。。
「天音ちゃんは、耳が聞こえないから」は、誤解され易い言葉だ。普通にヘッドセットをして勉強してるので、「ちゃんと聞こえてるじゃん」と言われてしまう。その後、どう説明したって、最後は「嘘つき!」と詰られてお終いなのだ。
聞こえる周波数帯だとかの難しい事は、子供には分からないし、大人だって聞く耳を持たない人がほとんどだ。結局、「聞こえる」か「聞こえない」かの二つしかなくて、この分類だと天音は「聞こえる」にされてしまう。
そもそも、いくら彼女が難聴だと知っていたって、実際、話し掛けて無視されたとなれば、腹を立てない人なんていない。それが、生意気そうな金髪の女子だったら、尚更だ。
本来、そういった事柄は担任の先生が他の児童達に説明すべきなのだが、あいにく天音の担任になった教師は、誰もそんな面倒な事はしてくれなかった。それどころか、髪色のせいで逆に責められる事の方が多かったのだ。
「ちゃんと人の話を聞きなさい!」「ちゃんと言っただろう!」「何度、同じ事を言わせたら分かるんだ!」「呼ばれたら、返事をするのが当たり前でしょう!」「何で、先生の事を無視するのよっ!」
他のクラスメイト達と同じで先生も色々と言ってくるけど、天音には良く分からない。だから、『何か言ってるな』と思ったら、取り敢えず「ごめんなさい」と謝る。
その後に、「私、耳が良く聞こえないので」と言うと、気まずい顔をされる時もあるけど、たいていは、逆にもっと怒られる。それで、「耳が良く聞こえないので」は言わなくなった。
所詮、今の先生は、子供達の個別の事情なんて分かってはくれない。自分の事は、自分で何とかするしかないんだ!
天音は見るからに陰キャではあるけれど、本当は芯の強い少女でもある。それは、幼少時からの過酷な環境により培われたものなのだ。
★★★
小学校の時も今の中学も、天音の自宅アパートから学校迄は結構な距離がある。その途中で、イジメっ子達が待ち伏せしている事も珍しくない。そんな時は、例の予感でもって回り道して回避するんだけど、翌日、そいつらは教室で待ち構えていて、やっぱりイジメられてしまう。だから、結果は同じって訳だ。
今の所、まだ金銭的な要求まではされていない。でも、そのうち「コンビニでジュースを買って来い」とか言い出すに決ってる。最近の天音の家は、以前ほど貧乏じゃない……っていうか、今は多少余裕がある方ではあるんだけど、お小遣いとかは増やしてもらえそうにない。なので、もしもイジメっ子から、「だったら、万引きでもすりゃ良いだろ」とか言われたら、どうしよう? 親に迷惑が掛かっちゃう。
そんな事を考えているうちに、今日の天音は、何事も無く中学校に到着する事ができた。
だけど、教室に入った彼女を待っていたのは、クラスの女子達の嘲笑だったのだ。
「あんた、キモいんだよ」
「そうそう。その気持ち悪い髪、何とかしろよ」
「こら、黙ってたら分かんないだろうがっ!」
いきなり、お尻を蹴られた天音は、前によろめいて倒れそうになる。それで、つい近くにいた男子の肩に触れたのがいけなかった。
「何すんだよ、てめえ」
「あ、いや、でも……」
「こら、ガイジン。あんた、アタシのせいにするんじゃないだろうね。てか、あんたのキモい尻なんか蹴って、アタシの足が腐ったらどうしてくれるんだよ」
「あはは。それだと、俺様の肩はどうなっちまうんだろうなあ。てか、菌が脳みそに回って、今日は勉強できそうにねえわ」
「あのなあ、お前の脳みそが腐ってるのって、元からじゃねえかよ」
「いやいや、そこのガイジンよりはマシだっちゅーの」
彼らはそう言うが、あいにくと天音の成績は、全然、悪くなんてない。まだ中学に入って二ヶ月とはいえ、Eラーニングによる学習の進行度合いは、既に県内の公立中学でもトップクラスだ。
だけど、彼らはそれを知らないし、たぶん、知りたいとも思わないだろう。昔はテスト結果が廊下に貼り出されていたなんて聞くけど、今は自分の順位しか分からないようになっている。全部、プライバシーへの配慮なのだそうだ。
その順位も県内の公立中学全体で何位って出るから、教室内はもちろん、学校内での順位すら分らない。つまり公立中学においては、もはや成績は教室内ヒエラルキーに何の影響も与えないという訳だ。
その結果、イジメっ子が増長する事になった。教師が生徒を野放しにした上に、成績なんて関係ないとなれば、もはや「腕力が全て」となってしまうのは必然なのである。
★★★
教室のイジメっ子逹は、もっと天音に絡みたがっていたけど、すぐに担任の渡辺先生がやって来てしまい、全員が着席。その気だるげな先生から幾つかの連絡事項を聞き流した後、天音は自分のタブレット端末を取り出して、普段通りに学習を始めた。
今日も天音は、休み時間の度にイジメに遭い、体育の時間でバスケをやった時は、ストレートな暴力行為を受けたりもしたけど、もちろん、教師は見て見ぬふり。それでも大きなケガを負う事はなく、何とか放課後を迎える事ができた。
天音をイジメる生徒達は、最近、先生がいても止めようとはしない。それどころか、堂々と先生の前でイジメて許容範囲を見極めようとしている様子。
母の涼子によれば、今は勉強以外でも、昔と比べると先生の役割が変わっているそうだ。昔の先生は、イジメとかにも介入してくれたらしいけど、今は、そんな先生なんていやしない。特に公立学校の場合、先生と言えば安月給の代表格で、最低限の事しかしたがらない人達なのだから。
尚、昔は先生が教室の前に立って、生徒全員に勉強を教えてくれたっていうのも、天音は聞いた事がある。
今も学校には行くけど、勉強は自分でやるのが当たり前。学校から支給されたタブレット端末を生徒全員が持っていて、それを使って自分のペースで学ぶのだ。カリキュラムはAI(人工知能)が各生徒に最適なものを用意してくれるし、分からなければ繰り返し教えてくれる。
昔は全員が同じ内容の勉強をしたっていうけど、だったら勉強が出来ない子とかはどうしてたんだろう? それに、人によって得意不得意がある訳だし、理解度だって違う。天音には、昔のやり方が不思議で仕方がない。
★★★
放課後になっても、今朝からある身体の違和感は消えてはいなかった。それどころか、徐々に強まっている感じすらある。絶対におかしい。何か、身体の芯がゾクゾクそわそわする。今までに感じた事のない、全く未知の感覚だ。
今朝は快晴だった天気は、昼頃から雲が増え始め、今は空全体が分厚い雲に覆われている。雨が降りそうで降らないハッキリしない天気と相まって、時折り吹く生暖かい風が天音の不安を駆り立てる。
ひょっとして私、病気なのかな? でも、熱とか無いしなあ……。てことは、何か重い病気って事なのかも。
嫌だなあ。本当に病気だったら、どうしよう?
天音だって、痛いのや苦しいのは嫌なのだ。
そんな不安で圧し潰されそうな心を抱えながら、天音は自宅アパートへ向かって、トボトボと歩みを進めて行くのだった。
END009
ここまで読んでくださって、どうおありがとうございました。
本日、二話目になります。
次話は、いよいよ「発現」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。
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(ジャンル:パニック)
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