088:七人目の「ムシ」
◇2039年10月@福島県岩木市 <矢吹天音>
矢吹天音の中学校で、下山田天志のグループとのイザコザがあった日から、二日ほど遡る。
その日の深夜に天音は、郡山市の玉根凜華から、七人目の「ムシ」が誕生したとの報告を受けた。場所は、郡山市のすぐ南に位置する須賀川市で、今度も小学六年生の女の子だ。どうやら、初めて「ムシ」になるのは、十二歳になって二、三ヶ月過ぎた頃のようだ。
その子の名前は、穂積郁代。やはり髪は淡い茶色で、ショートヘアとの事だった。
『なんか、不思議な感じの子なんですよ。そこにいるのにいないような……、えーと、存在感が薄いっていうのかなあ、無口な子なんだけど、その子と一緒にいても気にならないっていうか、逆に妙な安心感みたいなのがあって……、敢えて話し掛けたりしなくても大丈夫って感覚なんだけど、分かります?』
凜華の説明は、要領を得ないものだった。割とハッキリと思った事を言う彼女にしては、珍しい事だ。
『翅にしても、同じような感じなんです。良く見ると、薄茶色っていうか黄金色って所の色合いで綺麗ではあるんだけど、意識しないと認識できないっていうか、やっぱり、どこか存在感が無いんですよね。それでいて、優しい感じがするっていうか、妙に落ち着く感じなんです』
「ふーん、良く分からないけど、初めてのタイプってのは確かね」
天音は、少し考え込んでから言った。
「それって、自由に光量が変えられるって事なのかな?」
『うーん、そうなのかなあ? とにかく、いるかどうか分からないような所があって、特に飛んでる時なんかは、注意してないと、すぐに見失っちゃって、そうなると見付けるのが大変っていうか……。ほら、鈴音ちゃんが、時々消えたりするじゃないですか? あれとも少し違うんですけど、同じくらいにやっかいな子なんですよ』
「やっぱり、本人と直接に会ってみないと分からないわね」
『そうかもしれません。言葉で説明するのって、やっぱ、限界がありますもん……。あ、それと、彼女が変異を解いた後は、金色の光の粉がバラ撒かれて、ジャスミン茶の香りがするんです。それで、その匂いを嗅いでると、やっぱ、安心するっていうか、穏やかな気持ちになれるんですよ』
「ふーん、銀色じゃなくて金色なんだ。それと、匂いにも癒しの効果があるって事かな? きっと、その子って、本当に純粋で良い子なんだろうね」
『はい、たぶん、そうなんだと思います。あんまり話してはくれなかったんで、まだハッキリとは断言できないんだけど……、そんでも確信があるっていうか、そういう気持ちにさせてくれる不思議な子でした』
凜華は、一通り郁代の家族の事も聞き出していた。
彼女の両親は、共に市役所勤務。四歳下の妹がいるそうで、その子もやはり淡い茶髪らしい。
「その子って、紗彩ちゃんと同じ歳なんじゃない?」
『あ、そうですね。てことは、友達になれるかもしれない。ふふっ、早めに会わせてあげたいですね。それに、郁代ちゃんと妹ちゃんにも早く会いたいわ』
この日は既に深夜という事もあって、それほど長くは話せなかった。凜華は、その郁代ちゃんに明日も会いに行くという事なので、また話を聞かせて欲しい旨を伝えて通話を終えた。
以前の天音は親に隠れての夜間外出だった為に、長距離の飛行は何かと制約があって消極的だった。だけど、両親へのカミングアウトを終えた現在、かなり自由に行動ができる。
天音は、『今度の週末にでも、郡山と須賀川に行ってみよう』と心の中で決めたのだった。
★★★
翌日、母の涼子と二人での夕食の時に、天音は七人目の「ムシ」が現れた事を話してみた。ところが、意外な事に涼子は、既に大谷真希から聞いて知っているという。
その彼女は、玉根凜華の隣の家に住む看護師で、彼女の息子の知行と凜華とが同じ歳の幼馴染。その関係から、凜華は真希にも自分が「ムシ」である事を打ち明けており、保護者会のメンバーにもなってもらっている。
「真希さん、次の非番の時に、その穂積郁代って子のご両親に会いに行くそうよ。休みが合えば、私も付き合うつもりだけど、その辺は、まだ分からないわね」
「ふーん。私は、今週末にでも行ってみようと思うんだけど、良いかな? もちろん、その郁代ちゃんに会いに行くんだけど」
「別に良いけど、どうせ「ムシ」になって行くんでしょう? 気を付けなさいよ。郡山にしても須賀川にしても、それなりの距離があるんだから」
「大丈夫。郡山まで片道だったら、一時間も掛かんないから。それに疲れたら、凜華ちゃんの所に泊めてもらうつもり」
こんなやり取りを母の涼子とできるようになったのは、本当に有難い。天音は、「やっぱりカミングアウトして良かった」と心から思った。
だけど、良い事ばかりではなかったようで……。
「それよりも天音、今日、何かあったの?」
「えっ?」
カミングアウトした時以来、涼子の天音を見る目が今まで以上に鋭くなったのだ。まるで、娘の些細な変化も絶対に見逃さないって感じなのである。
「ひょっとして、まだ男の子から告白されちゃったとか?」
「あ、その……」
「やっぱり、そうなのね」
「うん。まあ、速攻で断ったんだけど、そいつが、ちょっとばかしヤバい奴でさ。丈流くんと似てるっていうか……」
結局、天音は涼子に下山田の事を洗いざらい打ち明けるハメになったのだった。
★★★
更に翌日、つまり、天音が下山田と彼の仲間から絡まれて、身体に光を強めに纏う事で撃退した日の深夜、天音は玉根凜華、安斎真凛、紺野鈴音の三人と、スマホのコミュニケーションアプリで話していた。
「……てことは、その子、もうカミングアウトしちゃったって事?」
『はい。どうやら、私が郁代ちゃんを外に連れ出して帰って来た所を、ご両親に見られてたようなんです。で、今日の朝、お母さんに追求されて、アッサリと打ち明けちゃったそうで……』
「でも、それですぐに信じてくれたってのが、不思議なんだけど」
『信じてくれなかったみたいです。でも、学校に遅れちゃうってんで、帰ってから話す事になったそうなんです。それで、学校からメールをくれて、私も放課後に飛んでったって訳です』
『私と真凛さんは、元々、夜に行く事になってたんだけど、凜華さんからメールもらったんで、ご飯を食べずに飛んで行きました。で、五時くらいには着いて、せっかくだからって近くのスーパーで食材とか買って、真凛さんがお料理して……って、カレーだったんですけど……あ、でも、凄く美味しかったです』
『いや、あの、あんまり時間が無かったもんだからさ』
「はいはい。それで?」
『それで、郁代ちゃんのお母さんは、夜の七時くらいに帰って来て、それから私達の自己紹介が始まって、そん時に「ムシ」だって事も話したんですけど、なかなか信じてくれなくて……、でも、真凛さんが作ったカレーの事を桔花ちゃんが、「すっごく、美味しかったあ」って話を郁代ちゃんのお母さんにしたら、ようやく会話が弾むようになったんです』
「えーと、桔花ちゃんっていうのは、郁代ちゃんの妹ちゃんなんだよね?」
『はい。クリクリおめめの、すっごく可愛い子なんです……。あ、もちろん、髪の毛は淡い茶髪でした』
「そっか。てことは、その子も『ムシ』になるって事かな?」
『はい、そうだと思います……って、真凛さんの見立てですけど……。あ、それから、順番に「ムシ」になって、翅を見てもらったんですけど……、えーと、郁代ちゃんのお母さんは怖がっちゃって、だけど、桔花ちゃんが「綺麗」って言ってくれて、風向きが変わったっていうか……、あ、それより、最後に郁代ちゃんが「ムシ」になったんだけど、その後、金色の光の粒とジャスミンの匂いが効いたのか、お母さんが「肩凝りが治った」って言い出して、それで完全に和やかな雰囲気に変わっちゃいました』
「そっか。やっぱり、郁代ちゃんの癒しの力は、もう疑いようがないね」
『そうみたいです。ほんとは、ここに郁代ちゃんにも出てもらおうって思ったんだけど、疲れちゃったみたいだから、早く寝させてあげる事にしました……』
『それで、天音さん。その後で実は、お父さんも帰って来て、それから、また一悶着ありまして……』
『そのオジサン、凄い頑固おやじでさ。説得するのが大変だったんだよね。なんか、「君達、こんな夜遅くに人ん家にいて、親御さんとか大丈夫なのかっ!」とか怒鳴り出しちゃって、そんで、それから「ムシ」になった時は、アタシの親父みたいに「化け物だあ!」って騒ぎ出しちゃうし……、ほんと、一軒家で良かったよ』
「それでも、最後は納得してもらえたんだよね?」
『はい、バッチリです。郁代ちゃんが変異したら、お父さんの肩凝りと疲れが取れたみたいで……、怒りっぽかったのは、疲れてたからだったと思います』
「たぶん、それ以外にも色々とストレスがあったんだと思うけど……、そういうのも、郁代ちゃんの癒しで治るのかな?」
『うーん、どうでしょう?』
『ふふっ、鈴音ちゃんの毒舌だとか我儘も治ったりして』
『それは、難しいんじゃない?』
「はいはい。だいたい分かったわ。どうもありがとう」
今夜の三人の報告で天音は、ますます穂積郁代への興味が増したのだった。
★★★
そして土曜日、天音は昼前に郡山の玉根凜華の家に着くように家を出た。その日が非番だった大谷真希から、昼食に呼ばれていたからだ。その昼食は、その後で穂積家を訪問する為の事前打ち合わせを兼ねていて、当然、凜華も出席していた。
ところが、食事を終えて後片付けをしていた時、急に違和感を感じたと思ったら、部屋の隅に知らない少女が立っていたのだ。と言っても、その子の髪の毛は淡い茶色。一目で彼女が穂積郁代だと分かったのだけれど……。
「あ、あの、全然、気付かなかったんだけど……」
「ごめんなさい。ご迷惑かと思って、光量ミニマムでお邪魔させて頂いたので……、それに凜華さんから、『いつでも来て良い』って言われてたから……」
「てことは、凜華ちゃんのせいね?」
「あ、はい。郁代ちゃんの凄さを知ってもらいたくて……、ごめんなさい」
普段の天音だったら不機嫌になっていた所だけど、郁代の無邪気な笑顔を見ていると、そんな気も失せてしまう。確かに、変わった子だと思った。彼女がいただけで、何となく気分が安らぐのだ。
それから、郁代と少しだけ会話を交わし、真希、天音、凜華、郁代の四人で須賀川市の穂積家に向かった。もちろん車での移動で、真希の息子の大谷知行はお留守番。今日は、女性だけで行く事にしていたからだ。
天音達は、穂積夫妻に温かく迎えられた。既に郁代がカミングアウトを済ませていたのだから、ある意味、当然だ。それに、真希の柔らかい語り口も影響していたのだろう。夫妻は、快く保護者会への参加を表明してくれた。
また、天音からは、自分達「ムシ」が置かれている状況を丁寧に説明し、概ね納得してもらえた。
そして、天音は夕方まで郁代の妹の桔花ちゃんと遊び、夕食を御馳走になってから、岩木に向けて夜空へと舞い上がり、巨大な紫の翅を羽ばたかせたのだった。
END088
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「福島ムシ情報サイトのやっかい事」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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(ジャンル:パニック)
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