082:新学期の憂鬱(2)
◇2039年9月@福島県二本松市~福島市 <安斎真凛>
中学校でムカつく事があった日の夕方、安斎真凛が父の芳賀力也の所から自宅アパートに戻ってみると、既に母の希美は出勤していて、食卓テーブルの上に短いメモが置かれていた。
「何があったか知らないけど、元気出しなさい。食器、洗っといてね。宜しく」
真凛が父の力哉の所に行く前、一応、希美の為の食事を用意してやったのだ。そして、寝ぼけて起きてきた彼女に、「ちょっと出て来る」とだけ言って外出したのだが、それだけで普段と違うのを感じ取ったようだ。さすが母親だ。やっぱり侮れない。
真凛は、希美の言い付け通りに洗い物を終えてから自室に入る。すると、スマホにショートメールが入ったのに気が付いた。相手は、紺野鈴音だった。
『今日は、体調はどうですか? 福島に来られます?』
昨日、珍しく体調を崩して夜のお散歩をスキップしたから、その為の確認だろう。
最近の真凛は、毎晩のように玉根凜華、紺野鈴音の二人と一緒に夜空を飛び回っているのだが、集まる場所を一日おきに郡山市と福島市で変えている。そして最後は岳温泉の露天風呂に入ってから解散となるのだ。そして、今夜は福島市の順番なのだが……。
まあ、体調の方は大丈夫そうだ。だけど、気分の方は父の力哉励ましだけでは回復しておらず、真凛は短く、『大丈夫。福島に行く』とだけ返した。すると、すぐに着信があった。
『真凛さん、何かありました?』
「風邪、治ったみたい」
『本当に治ったんですか?』
「治った」
『まあ、「ムシ」になると回復が早くなりますもんね。私も「風邪かな」って思ったけど、すぐ直りましたもん……って、私の事じゃなくて、真凛さんの方ですよ』
「だから、もう大丈夫」
『全然、大丈夫じゃないじゃないですかあ! どうしちゃったんです? 元気ないですよ』
「別に、普通だと思うけど。てか、病み上がりだからじゃない?」
『いやいや、病み上がりだったら、逆にハイテンションになる筈ですよね?』
「そっかな?」
『そうなんですってばあ。だいたい、いつもの真凛さんなら、あんな短いメッセージなんて有り得ませんって。いつも、くっだらない冗談とか、くっ付いてるじゃないですかあ』
「そうだっけ?」
『そうだっけじゃないです……。それより、真凛さんって、今は一人ですよね? 私、そっちに行きましょうか?』
「もう、鈴音、うるさい」
『……ふふっ、私は、元々うるさい女なんです……。てか、そろそろ何があったか、話してくれたって良いじゃないですかあ。ほらほら、早くゲロっちゃいなさいってばあ』
真凛は通話先の相手にも分かる、これ見よがしな溜め息を吐く。そして、ちょっとだけ考えてから、ポツポツと中学での出来事を話し出した。
そして、真凛が全部を話し終えた時……。
『その先生達、ひっどいです。鈴音ちゃん、激おこプンプンです』
「その言葉、もう古い」
『そんなの、良いじゃないですかあ……あ、叔母さーん……』
その直後に鈴音は、『後で架け直しまーす』と言って、通話を切ってしまった。
ところが、待っても待っても、鈴音からの電話は来ない。そうして、三十分が過ぎた時だった。凜華の気配がしたと思ったら、まもなくして部屋に飛び込んで来たのだ。
〈凜華ったら、どうしたの?〉
〈どうしたもこうもないでしょうが。鈴音ちゃんが真凛の異常事態だって言うから、飛んで来たんだけど……、うーん、確かに普通じゃなさそうね〉
〈あの、凜華、今のアタシって、そんなに変?〉
〈うん、変だと思う〉
凜華に断言された事に真凛が首を傾げていると、ようやくスマホが鳴った。
『真凛ちゃん?』
優しい女の人の子だった。その時点で真凛のスマホに凜華の細い指が伸びて来て、スピーカーホンにされてしまった。
「彩佳さん。凜華です。ついさっき着きました」
『そっか。凜華ちゃんも一緒に聞いてて頂戴……』
それから、静かに怒っていた菅野彩佳によって、この後の事が語られたのだった。
★★★
その日、凜華は真凛と一緒にいてくれた。真凛のベッドはシングルなので狭かったけど、それでも安心して眠れたのは間違いない。だけど凜華も学校があるので、朝早く郡山に帰って行った。
真凛は、凜華を見送った後、一人になったベッドで二度寝した。次に目を覚ました時は八時を過ぎていて、何故か食卓テーブルには一人分の朝ご飯が用意してあった。希美の仕業のようだ。
その朝食を食べ終わて、制服に着替えて外出の準備を終えた時、スマホに着信があった。相手は、菅野彩佳。予定通り、こっちに向かっているという。
それから十分でやって来た彩佳の車に乗って、真凛は中学に登校した。たぶん、これが最後の登校になるだろうと思いながら……。、
中学校に着くと、ダークグレーのスーツ姿のカッコ良い男性が、入口の所で迎えてくれた。その彼は市川さんと言って、鈴音の両親の会社と契約している顧問弁護士の一人との事だ。
来客用のスリッパに履き替えて校舎に入った真凛達三人は、折り畳み机とパイプ椅子が置かれただけの殺風景な空き教室にて、十五分程待たされた。
やって来たのは、教頭先生一人だった。その教頭の第一声は、「また、君か」だった。それでも、彩佳と市川が同席しているのを見ると、幾分、態度が変わる。そして、古川が弁護士の名刺を差し出すと、今度は訝し気な表情になった。
「あの、菅野さんは、安斎さんとどのような関係でしょうか?」
「知人です」
「あの、他人であればお引き取り頂きたいんですが」
「いや、私どもは、安斎希美さんの代理として来ております」
「そうですか。それで要件は何ですかな?」
教頭の慇懃無礼な態度に臆する事なく、市川弁護士はストレートに言った。
「昨日の安斎真凛さんへの暴力事件と、その後に行われた先生方による不当な暴言についてです」
「な、何だとお?」
いきなり激高してくれた事で、その後、市川の巧みな話術による誘導によって、教頭は真凛の方に都合の良い暴言をポンポンと吐き出してくれた。昨日の「親がバカなら子供はバカ」と似たような発言が相次いだ事で、彼の教育者に似つかわしくない差別意識が明るみになった感じだ。
それと合わせて、男子達による暴力事件の話も出た。突然のフラッシュによる目眩ましの話も出たが、男子八人で女子を空き教室に連れ込んだ証言が得られた時点で、他の事は関係ない。
そこからは、逆に彩佳の方が教頭を糾弾した。
「真凛ちゃんの髪の毛を見て、クズっておっしゃられたそうですね。真凛ちゃんの髪、生まれつきなんですけど……」
「はあ?」
「私の髪は、真凛ちゃにょりは濃いですけど、茶色いでしょう? これも地毛です」
「あんたは、何が言いたい?」
「外見だけで人を判断するなって事です」
「な、何を生意気な……」
「真凛ちゃんはね、育ちの影響で口の悪い所はありますけど、凄く純粋で素直な子なんです。あんたのような欲に塗れたオヤジとは違うんです。汚い大人の色眼鏡なんかで見ないでくださいます?」
この教頭は、激高し易いタイプなんだろう。そうやってハッキリとした物言いをする彩佳に対し、教頭は次々と罵詈雑言を吐いたのだが、彼女が自らの素性を明かした途端、態度が百八十度急変し、土下座せんばかりの低姿勢になった。鈴音の両親が率いる紺野一族は、県内では名の知られた有力者だからだ。
更に、市川弁護士が、これまでの会話を全て録音していた事を打ち明けると、教頭の顔はますます蒼白になったのだった。
★★★
結論から言うと真凛は、転校する事になった。転校先は、福島市の中学。公立だけど比較的評判が良くて、裕福な家庭の子弟も通っている所だ。
住まいは、紺野鈴音のマンションに同居。鈴音の両親は、仕事が忙しくてマンションに帰らない事の方が多いので、これは鈴音の為でもある。
彩佳は、あの日の朝の時点で真凛の母親の希美と話しており、彼女を紺野一族で預かる旨の了承を得ていた。
そして、あの後、彩佳は教頭に「真凛が問題ない生徒である」旨の一筆を書かせていて、そこには、「彼女の茶髪が地毛である事」も書き添えてあったという。宛先は、真凛の転校先の中学校の校長。今度こそ、まともな担任教師に出会って、楽しい学校生活を送って欲しいとの願いからだ。
それでも、彩佳の怒りはなかなか収まらなかったようで、市川弁護士によれば、福島市の自宅に帰る道すがら散々に悪態を吐いていたそうだ。
「だいたい、八人の男子生徒が女子を空き教室に連れ込んでおいて、その女子が抵抗したから、その女子が悪いって、いったい、どうしたらそうなんのよ。母親がキャバ嬢だからって、そんなの全く関係ないじゃない。それに、親がバカだから子供がバカだなんて理屈、無茶苦茶にも程があるわ。親が警察だから子供は犯人じゃないって言ってるようなもんじゃない。それこそ、バッカじゃないの!」
★★★
菅野彩佳が教頭をやり込めた日の翌日、真凛は久しぶりに図書館を訪れた。当面、岳温泉を離れて、福島市の中学校へ転校するに辺り、色々とお世話になった笠間詠美に挨拶する為である。
今回、転校するに至って経緯を、かいつまんで真凛が話すと、笠間は一通り憤ってくれた上で、「まあでも、結果的には良かったのかもね」と呟くように言った。
「真凛ちゃんは身に染みて分かってると思うけど、その教頭先生みたいな偏見を持ってる人って、残念ながら多いのよね。特に、ここは閉鎖的な所だから、余計に考え方が変な形に凝り固まっちゃうのかもね……。まあ、真凛ちゃんにとっては、いったん全部をリセットして、やり直すってのもアリだと思うわ。頑張りなさい」
真凛は、今までの自分にとって唯一の恩師と言える人の言葉に、「今度こそ、ちゃんと勉強して、凜華みたいになるんだ!」と心に誓ったのだった。
★★★
真凛は、次の週末には福島市の紺野鈴音がいるマンションに引っ越した。と言っても、荷物は数個の段ボール箱に収まる分しかなくて、全て宅配便で送ってある。そして、本人は「ムシ」になってひとっ飛びである。
その際、真凛は母の希美に「じゃあ、行ってくるね」と声を掛けたのだが、希美の方は「行ってらっしゃい」と言っただけだった。
真凛は、希美の生活力を疑っており、自分がいなくなった後の状態を正しく認識していたので、少なくとも週に二回は帰って来るつもりでいた。だからこその「行ってくるね」なのだが、希美のは、どう見たって痩せ我慢なのは見え見えだった。
「あのさ、お母さん。アタシ、たぶん週に二、三回は帰って来ると思うよ……。でも、だからって、後片付けとか掃除とか料理とかだって、本当はちゃんとやって欲しいんだけど……、まあでも、無理なら良いや」
「ううん。あたし、ちゃんとやる……。ちゃんとやるつもりだから……」
「そっか。頑張って」
「うん。頑張る……。でも、何で、そんなに帰ってくんの?」
「だって、心配だから……あ、そうじゃなくって、こっちで温泉とか入りたいし……」
「えっ、温泉? あんたって、そんなに温泉、好きだったっけ? てか、連れてった事なんてあったっけ……」
考え込んでしまった希美を前に、仕方がないので真凛は、密かにタダで温泉に入っていたのを打ち明けたのだが……、相変わらず反応が鈍い。どうやら、希美はマジで落ち込んでいるみたいだ。
だけど、こんな時に「早く子離れしろ」だの「ちっとはマシな男を捕まえろ」だの言えば、間違いなく逆上するので、結局、そのまま放置して家を出た。
尚、福島市のマンションに移ってからの真凛はと言うと、とても騒々しい毎日を送っているようである。
この件で一番に喜んだのは紺野鈴音だと思いきや、相変わらず彼女は真凛に毒舌を吐きまくっているらしい。その為、顔を合わす度に、激しい口喧嘩になるとの事。
だけど、「それって、鈴音ちゃんなりの愛情表現なんだよね」というのが、凜華の弁。結局、「ケンカする程に仲が良い」という事なんだろう。
END082
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「『ムシ』達のお喋り」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
また、ブックマークや評価等をして頂けましたら大変励みになりますので、ぜひとも宜しくお願いします。
★★★
本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。
(ジャンル:パニック)
ハッピーアイランドへようこそ
https://ncode.syosetu.com/n0842lg/
また、ご興味ありましたら、以下の作品も宜しくお願いします。
【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~
https://ncode.syosetu.com/n6201ht/




