008:予兆(1)
ここから新章になります。
◇2038年5月@福島県岩木市 <矢吹天音>
話は一年以上、昔に遡る。
場所は、福島県岩木市。太平洋に面していて、東北とは思えない温暖な気候の地方都市である。
それは、五月の終わりの良く晴れた日の事だった。
この年の四月に公立の中学校に入学したばかりの矢吹天音は、その日、朝から奇妙な感覚に襲われていた。それは、『これから、私の身に何かが起こる』という予感めいたものを伴っており、しかも、あまり時間的な猶予は無さそうだった。
昔から天音は、勘が働く子だった。いわゆる直感というか第六感というか、「何となく思った事が、その通りになる」という現象が度々起こってしまうのだ。
例えば、出がける時の『今日は雨が降るから、傘を持って行くべき』に始まり、『こっちに行ったらイジメっ子がいる』といった危機回避に関するもの、『今日は担任の渡辺先生が風邪でお休みだから、別の先生が来るみたい』といった些細な予知、『今度の台風は、珍しく直撃するかも』といった予測めいた事柄まで様々だ。
とはいえ、それは『宝くじで一等が当たる』といった、くじ運なんかとかとは違う。天音の場合は「直感が働く」であって、「運が良い」じゃないので当たり前なのだが、母の涼子は分かっておらず、商店街の福引を託されて、「せっかく天音に任せてあげたのに、何でティッシュペーパーばっかりなの?」と理不尽な八つ当たりをされたりした。
父親の正史にも、「この株が上がるようにしてくれ」とか言われた事があるが、そんな事ができたのなら、それは神様だ。「だったら、どれが上がるんだ?」と言われて、ずらっと並んだ会社の名前をじっと見たけど、何も思い付かない。結局、父には、「ちぇっ、使えない奴」と失礼な事を言われて、天音は機嫌を損ねてしまったのだった。
更に天音は、昔から予知夢みたいなのを稀に見る事がある。一番最初は祖父が亡くなった時で、最近では東京への家族旅行の時だ。
その旅行の前に天音は、「急な悪天候で、予定通りに帰って来れなくなる」という夢を見たのだが、それでも、彼女は東京に行きたかったから黙っていた。そしたら、それが正夢になって、JR常磐線も高速バスも運行停止になってしまった。そうかと言って、どこもホテルは空いてないし、両親は翌朝から仕事だとかで、そのまま駅に泊まるハメになったのだ。
その両親は、次の日の朝になっても機嫌が悪かった。それに天音も急いで学校に行ったのに、先生には遅刻だと怒られてしまい、散々な目に遭った。天音は、『こんなんだったら、夢の事を話しておくんだった』と深く後悔したのだった。
ともあれ、天音の直感は良く当たるし、夢で見た事が本当になる事だって、一度や二度ではない。
そこで天音は、ようやく昨夜の夢を思い出した。何で今まで思い出さなかったかというと、それがあまりに常識外れだったからだ。何たって、夢の中で天音は「チョウ」になって夜空を飛び回っていたのだから……。
いくら天音が変わった子だって分かる。そんなのは、有り得ない。普通、人は空を飛べない生き物なのだ。
だけど、そんな風に思った所で、天音の身体の奥底に渦巻いている何かは、しきりに異常を訴えてくる。この感覚は、紛れもなく初めてのものだ。しかも、何の予兆なのか皆目検討が付かないから、余計にイライラしてしまう。
天音は、この事を母親の涼子に話してみた。
「確かに、あんたの予感は当たる事が多いんだけど、それと学区に行くかどうかは別なんじゃないの? 病気だって言うなら別だけど、そうじゃないなら、ちゃんと学校に行きなさい」
天音の訴えは、にべもなく母の涼子に退けられてしまった。本当は身体だって少し変なんだけど、まだ生理は終わったばかりだし、何か違和感を感じるだとか単にイライラするというだけじゃ、母親の説得材料にはなりそうにない。
仕方なく天音は用意したリュックサックを背負うと、玄関のドアへと向かうのだった。
★★★
矢吹家は、祖父の代までは漁師の網本だった。海岸沿いに大きな屋敷があったそうだが、四半世紀と少し前に起こった大地震による津波で流されてしまい、数年の仮設住宅住まいを経て、今の高台のアパートに引っ越した経緯がある。
その時の津波では、家だけでなく祖母もまた流されて、行方不明になった。当時、高校を卒業したばかりだった長男の勝正は遊びに行っており、高校一年生だった次男の正史は学校、祖父はたまたま銀行に行っていて無事だった。
とはいえ、勝正も正史も震災で漁師の夢を断たれたのは痛手だった。特に勝正は高校を卒業した直後であり、家を手伝う前提で就職先を探しておらず、しばらくの間、碌な職に就かずに荒れた生活を続ける事になった。
一方、次男の正史は、高校を卒業して近くのカマボコ工場に就職。そこで母の涼子と出会ったのだが、その時点では勝正が定職に就いておらず、兄を差し置いての結婚には、祖父が難色を示した事で先延ばしにされてしまう。
それでも長男の勝正は、昔の漁師の伝で何とか三十前に定職に就き、結婚相手も見つかって、祖父が建てた家に引っ越してくれた。それを幸いにと、従来のアパートに涼子が転がり込み、正史との同棲を開始。正史が二十九歳、涼子が二十五歳の時である。
当初は生活が厳しく、しばらくは子供を作るのを控えていた二人だが、やがて涼子の妊娠が発覚。ようやく籍を入れ、正式な夫婦となった。そして、同棲を開始して約二年後、無事に天音が生まれる。
その後、天音の祖父は、彼女が小学校に上がる少し前に他界。現在、祖父が建てた家には、勝正の一家だけが暮らしている。
次男の正史が未だに借家のアパート住まいなのと比べると理不尽な話だが、勝正の言い分は、「長男なんだから当然だ」との事。今の法律はどうであれ、それが昔からの漁師町のしきたりだと言われると、納得せざるを得ないのだという。
尚、母の涼子も漁師街の出ではあるものの、正史とは比べるべくもなく貧しい家だったそうだ。その上、家族の大半が津波で流されて行方不明。小学校の卒業直前だった涼子と、丘の上の保育園に預けられていた妹の葉子だけが助かった。
その後、姉妹で養護施設に引き取られた涼子は、高校卒業後に父と同じカマボコ工場に就職し、そこで今も働いている。
そんな両親に共通しているのは、昔の漁師の気質をしっかりと残していて、曲がったことや筋の通らないことが大っ嫌いという事。例えば、今朝の予感だとか身体の違和感だとか、いくら天音が変わった子だとは認めていても、そんな事で学校を休むだなんて有り得ない話なのだ。
★★★
「……天音、天音ったら、もう。さっきからずっと呼んでるってのに……。まあ、耳が悪いんだからしょうがないけどね、まったく世話が焼ける子だよ。ほら、弁当、ちゃんと持って行きな」
天音の中学は、あまり規模が大きくなくて給食がない。だから、いつも弁当だ。もっとも、最近では給食費が払えない親が多いとかで、給食がない学校が増えてるそうだけど……。
「じゃあ、お母さん。行って来るね」
「行ってらっしゃい……。あ、そういや、あたしは今夜も残業で遅くなるから、夜は適当に作って、食べといて頂戴」
「えっ、何?」
「もう、だから夕食は……、もう面倒だから、後でメールしとく。さっさと行きな」
母の涼子が呼び留めたくせに、今度は「さっさと行け」というジェスチャーをする。何か言いたかったみたいだけど、天音には聞こえない。彼女は、生まれ付き耳が良く聞こえないのだ。
仕方がないので、天音はアパートの階段を下りて外に出ると、中学校へ向かって歩き出した。
天音は、学校が嫌いだ。髪の毛が淡い茶色というか、ほとんど金髪に見える為、イジメのターゲットになり易いのだ。その上、教師の受けだって良くはない。「子供のくせに、髪なんか染めて!」という誤解を受け易いせいだが、地毛だと分かっていても、素行が悪い子に見えてしまうからでもある。もっとも、これは母の涼子の説だから、本当の所は分からない。
天音自身は、耳が悪いのも原因だと思っている。彼女の右耳はほとんど聞こえなくて、左も普通の人よりはずっと聞こえにくい。それで先生が言った事が分からずに、何かと「先生を無視するな」とか「お前は生意気だ」とか言われるからだ。
本当は、金髪と難聴のコンボが今の最悪の事態を招いているのだが、天音はもちろん、教師もイジメっ子達もその答えには至っていない。だから、学校での天音の評価は、教師も生徒も「なんかムカつく女!」なのである。
ちなみに、母の涼子もまた天音ほどじゃないにせよ、割と淡い茶色の髪をしている。もっとも、それは生まれつきではなくて、中学に入ってからジワジワと色素がn抜けて行ったのだという。
「あたしもね、中学の生徒指導の先生から睨まれて、何度も指導室で説教されたりしたの。漁師の場合、長時間、日光に晒されると茶髪になる人がいるんだけど、その先生は他所から来た人で、あたしの話なんか聞いちゃくれない。結局、坊主にしろって言われて、その先生が通ってる床屋に連れて行かれて坊主にされてから、その店の人が、『先生、この子の髪の毛、元から茶色ですよ』って言うの。それからは、面白かったわ。その先生、うちの父親の前で土下座なんかしたのよ。まあでも、そん時の髪型って、今でいうベリーショートって感じで、あたしは気に入ってたんだけどね」
そう言って涼子はケラケラ笑うのだけど、当然、天音は坊主になんかなりたくない。
「まあ、あんたも同じ事をやれとは言わないけど、多少の先生のお説教とかは、運命だと思って諦めるんだね。太ってるのはダイエットすりゃ良いけど、ほんと、髪の色は面倒だよねえ」
母の涼子は、基本的に他人と争わない人だ。父の正史とは違って生まれ付き貧乏人だった涼子には、たぶん、それが処世術だったんだろう。
だから、今も伯父夫婦から理不尽な事を言われ続けていても、毎回、適当に受け流すだけで決して言い返したりはしない。そして、それは父の正史にしても同じであって、そのとばっちりを受けるのは、たいていが娘の天音なのである。
それでも、両親を恨む気になれないのは、天音には親に愛されている実感があるからなのだった。
END008
ここまで読んでくださって、どうおありがとうございました。
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(ジャンル:パニック)
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