077: 「ムシ」達の海水浴(3)
◇2039年8月@福島県岩木市 <矢吹天音>
岩木市夢浜海岸の海水浴場に、主に仲間の少女達と一緒に来ていた矢吹天音は、直に会ったのは初めての紺野鈴音と二人で、砂浜に立てられたビーチパラソルの下で寛いでいた。
この鈴音は、まだ六月に「ムシ」になったばかりの小学六年生。同じ県内でも、ここ岩木市とは直線距離で九十キロ近くも離れた福島市で、大手不動産会社を経営している両親の一人っ子、つまり社長令嬢だ。その彼女は、「ムシ」になるまで両足が不自由で、生まれてからずっと車椅子生活だったという。それが今では明るいを通り越して、少々やんちゃな少女へと変貌を遂げている。
そうした事を思うと、この「ムシ」への変異という現象は本当に不思議だ。天音自身も経験した事だが、身体の細胞の全てが、新しく作り変えられてしまったんじゃないかって感じだ。そして、それをきっかけに自信を得た少女は、今まで不遇だった人生もまた新しく作り変えてしまう。「ムシ」への変異は、そんな「力」を秘めているって気がする……。
そんなことを思っていた天音の所に、鈴音の従妹の菅野紗彩がやって来て、更に玉根凜華、門馬里香、樫村沙良の三人娘も集まって来た。
隣りのビーチパラソルには、安斎真凛と唯一の男子の大谷知行のカップルもいるから、これでメンバー八人全員が揃った事になる。
「もう、紗彩ちゃんがいなくなった途端、変なお兄さん二人に絡まれちゃったよ」
「えっ、里香ちゃん達、ナンパされちゃったの?」
「うーん、たぶん違うと思います。里香さんが投げたビーチボールが背中に当たったから、怒っただけじゃないかと……」
「いやいや、あれは絶対、ロリコン男だったと思いますよ。連中、うちらの事を、ずーっとチラチラ見てましたから」
「えっ、凜華、それ本当?」
「本当だよ。だって、あいつら、ずーっと近くにいたじゃない」
「そうだっけ?」
「もう、里香ったら、無防備すぎ」
「で、三人は、どうやって撃退したの?」
天音が「撃退」と言ったのは、「凜華達だったら、何かやらかした筈」という確信があったからだ。
「はい。連中の一人が里香の腕を掴んだから、突き飛ばしてやりました」
「そんだけじゃないです。その後、凜華さんの髪の毛がシュルシュルって伸びて、男の人の首に巻き付いたんです。そしたら、もう一人の男の人が、『化け物だあ!』って騒ぎ出しちゃって……」
「それで捕まえてた男を解放してやったら、一目散に逃げてってくれたから助かりましたけど……。でも、うちらを化け物だなんて、酷いと思いません?」
「いやいや、化け物って言われたのは、凜華だけだから」
「里香ったら、ひっどーい!」
「はいはい。それより、沙良ちゃんも怖かったよね?」
「うん。さっきの凜華さん、すっごく怖かったです」
天音が『そっちかよ』と思っていると、凜華が「もう、沙良ちゃんまで……」とプンスカ怒り出してしまった。
「人前で能力を使ったんだから、そうなって当然なんじゃないの?」
「だって、ムカッとして、気が付いたら自然にそうなってたんです」
「ふふっ、凜華さんも結構、短気なんですね……って、ごめんなさーい」
「こら、凜華。鈴音ちゃんをイジメちゃ駄目でしょう。一応、小学生なんだから」
「もう、里香さんったら、『一応』って何ですかあ? 私はれっきとした小学六年生ですっ!」
そこに、真凛に手を引かれた紗彩がやって来た。
「あれ、紗彩ちゃん。浮き袋とか持って、どうすんの?」
「麦茶、飲んだから、また海に行くのー。今度は、真凛お姉ちゃんが連れてってくれるんだよ」
「真凛かあ。心配だなあ」
「波が高いから、気を付けてないと、すぐに流されちゃうもんね」
「水際で遊ぶだけなら、大丈夫じゃないのー?」
「いやいや、真凛さんは心配です。ドジっ子だし」
「真凛の事、ドジっ子って言うのは、鈴音ちゃんだけだよね。まあ、事実なんだけど」
「事実なんかい!」
「だって、そうじゃない」
「まあ、そうだけど」
「皆、ひっどーい!」
その時、隣りのビーチパラソルから知行がやって来て、「凜華、スマホ鳴ってたぞ」と声を掛けた。彼から受け取ったスマホを見た凜華が天音に、「関口さんからです」と言う。天音は、予め凜華のメールアドレスを本人の了解を得て、関口に教えてあったのだ。
しばらくの間、凜華はメールへの返信を打っていたようで、それが終わると天音に言った。
「キャンプ場への行き方を聞かれたから、真希さん達に合流してもらう事にしました」
「それは良いけど、何で関口さんが凜華ちゃんに問い合わせをするわけ?」
「ふふっ、天音さん、焼いてるんですか?」
「違うわよ」
「別に良いですけど、たぶん、天音さんにもメールが行ってると思いますよ。天音さん、ちっともメール見ないから」
「あ、それ、言えてるかも。私が送ったメッセージも、ちっとも既読になんないし……。そういや、今朝、私が天音さんの部屋に行った時も、スマホが鳴ってましたよね?」
「もう、里香ちゃんまで……。だって、イチイチ気にしてたら、他の事できなくなっちゃうでしょう?」
「ふふっ、天音さんって、意外とマイペースですよね」
「あのさ、こん中で一番マイペースなのって、鈴音じゃん」
「私、真凛さんに、それ言われたくないです」
「確かに、真凛もマイペースだよね」
「もう、凜華まで」
女の子がいっぱいだと、やっぱり騒々しくなってしまう。
そうこうするうちに片手に浮き輪を持った紗彩が、もう片方の手で真凛の手を引いて砂浜の方へ向かって行った。
天音は、どうでも良いやり取りは無視して、ふと思った事を訊いた。
「そういや、凜華ちゃん。真希さんって、今、何処にいるの?」
「岩木駅の近くのハンバーガ-屋さんです。中通り組の保護者全員と、それに天音さんのご両親も一緒みたいですよ。もう少ししたら、沙良ちゃんのご両親と里香のお母さんも合流するらしいです……。あれ、どうされました?」
「いや、ハンバーガー屋さんってのが、ちょっと意外っていうか……」
「長くいられるからじゃないですか? あ、それと、岩木駅の近くに移動したのは、里香のお母さんが電車で来るからだと思います」
「なるほど」
★★★
そんな風に、天音達が女の子同士でキャイキャイと騒がしくしていた時だった。ちょっとチャラい系の高校生くらいの男子が大勢、ぞろぞろとやって来た。数えてみると、八人いる。
咄嗟に天音が紗彩を探すと、水際で真凛と一緒に遊んでいる。天音は近くにいた大谷知行に向かって、「悪いんだけど、紗彩ちゃんをお願いします」と小声で頼み込んだ。更に、「助っ人とかは呼ばなくて良いですから、あっちで遊んでて下さい」とも付け加えておく。
彼は、「えっ、でも……」と何か言いたげだったけど、天音が厳しい目を向けると真凛の方に走って行ってくれた。
「お、おい、兄ちゃん」
「逃げたな」
「まあ、良いか。女の子だけの方が楽だし」
ニヤニヤと嫌らしい顔で近寄って来る男達を前に、今度は凜華に心話で、〈こいつらの中に、さっきの男達はいる?〉と訊いた。凜華は、「さっきの男達」が何を指してるか分かったみたいで、すぐに頷いてくれる。
「てことは、凜華ちゃんに痛め付けられた奴らが、仲間を連れてきたって感じかな?」
「おいおい、お前。その言い方はねーだろ」
「そ、そうだぞ。俺ら、痛め付けられてねーし」
「何を言ってんの? さっきは、『化け物だあ!』って叫びながら逃げてったじゃない。だいたい、女の子に向かって、化け物は無いでしょうが。ほんと、失礼しちゃうわ」
「り、凜華さん。何も、この人達を煽らなくても」
「大丈夫。いざとなったら、いつもの奴で行くから」
「また、『いつもの奴』ですかあ?」
「こら、こないだは、鈴音ちゃんのせいだったでしょうが」
「だってえ……」
「天音さんも、それで良いですね?」
「うーん、私としては、出来るだけ騒ぎにならないようにしたいんだけど……」
「それは、ムリだと思います。まあ、一番に騒がしい真凛さんを除外したのは、良い判断だったと思いますけど」
「もう、鈴音ちゃんがそれ言う?」
「てか、鈴音ちゃんが煽りまくる未来しか見えないんだけど」
「大丈夫ですよ、天音さん。私は冷静です。えーと、まずはピカってやって、それから……」
「おいおい、何ごちゃごちゃ言ってるんだあ。てか、おめえら、状況が分かってるんかあ、おら……」
手前の男が怒鳴った後で、いきなりビーチサンダルを履いた足でクーラーボックスを蹴った。すぐに男が顔を顰めた所からすると、蹴った足が痛かったみたい。思わずクスっと笑ってしまった天音は、取り敢えず立ち上がる。
ここにいるのは、天音、凜華、里香、鈴音、沙良という五人の「ムシ」達……。
〈ここからは、心話を使うね。私、なんか面倒になっちゃったから、やっぱり、さっさと片付けちゃいましょう。私が合図したら、全員が「ムシ」になる事〉
〈えっ、天音さん、こんな所で「ムシ」になっちゃうんですか?〉
〈てか、一番に過激なのは、天音さんなんじゃ……〉
〈凜華ちゃん、ブツブツ言わない。てか、さっき髪の毛で攻撃したの誰だったっけ?〉
〈あ、いや、その……〉
〈あ、荷物が心配だから、沙良ちゃんは変異した後、ここにいて。他の四人は、こいつらを攪乱するよ〉
〈攪乱って、要は、脅してやれば良いんですよね?〉
〈鈴音ちゃん、物騒だよ〉
「お前ら、ビビッて声も出ねえのかあ!」
「うーん、さすがに殴るのは可哀そうだから、ハダカにひん剥いてやりましょうか?」
「こんなガキ共のハダカ見たってしょうがねえだろ」
「いやいや、タクミの兄貴、ロリコンですから」
「こら、聴こえとるぞ」
そうこうするうちに、八人の男達が一斉に襲い掛かってきた。その刹那、五人の少女達の身体が同時に輝き出す。男達は、実体が無くなった少女達の身体を素通りしてしまい、相次いで砂の上に倒れ込んだ。
「ど、どうしたんだ?」
「分かんねえ」
その男達が立ち上がった時、そこにいたのは、午後の強い陽光の中に薄っすらと見える五匹の巨大なチョウ。もはや、男達を襲撃するまでもなかった。男達は、全員が一目散に逃げて行ったからだ。
そんな男達を、沙良を除く四匹のチョウが追い掛ける。だけど、すぐに虚しくなって戻って来た。
ちなみに、最後までしつこく追い掛けたのは鈴音だったけど、砂浜に混乱をもたらしただけで、大した成果なし。周囲の海水浴客達の目に映ったのは、必死の形相で逃げて行く男子高校生達の姿だけだったとか。どうやら鈴音は、無意識の内に「ステルス」の能力を使っていたらしい。
もっとも、他の「ムシ」達とて、夏の強い陽射しの中では特別に意識しない限り、変異した身体を「光のチョウ」の形状として認識するのは難しいようだ。天音逹にとっては、その事が分かっただけでも、この時の騒動は僥倖と言えたのだった。
END077
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「『茶髪の子の保護者会』発足」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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(ジャンル:パニック)
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