072:沙良のカミングアウト
◇2039年8月@福島県高萩市 <矢吹天音>
玉根凜華との通話を終えた後、矢吹天音はかなり遅めの昼食を終え、軽くシャワーを浴びてから余所行きの服に着替えて、すぐに自宅アパートから外へ出た。もちろん目的は、妹分の樫村沙良に会いに行く為である。
今までは自室で変異して、直接に外へと「光のチョウ」の姿で舞い上がっていたのだが、その姿を関口仁志に見られていた事の反省から、今後、そういうのは控える事にした。とはいえ、アパートに両親がいる時は、部屋から飛び出して行くしかない。そういう時の事を考えると、やはり両親へのカミングアウトは待った無しのようだ。
できるだけ人気のない神社の裏手で天音は変異して舞い上がり、まずは海の方へと向かう。真下に平日でも賑わう海水浴場を眺めながら、沖合い一キロぐらいの海上で方角を南へと変更。そこから一気に四十キロ程の距離を南下して、西へと進路を変えて再上陸。眼下に高萩の市街地を見ながら、駅近くの十二階建てマンションの八階へと飛び込んで行く。
〈うわっ。もう、天音さんったら、びっくりしちゃうじゃないですかあ〉
〈ごめん。ちょっと早く来過ぎちゃったかな?〉
〈そういう事じゃないですってばあ〉
〈それより、今日は、ちょっとしたニュースがあるんだよ。聞きたい?〉
〈聞きたいも何も、喋る気満々じゃないですかあ……〉
最初は大人しかった沙良も、最近は天音にズケズケと物を言うタイプに変貌している。さっきの凜華もそうだが、「ムシ」の子は押し並べて抑圧されてきた過去がある分、慣れるに連れて自己主張が激しくなる傾向にあるようだ。
その沙良にも天音は、関口と話した内容を伝えた。天音以外の「ムシ」とは直接に会った事がない彼女は、全ての「ムシ」達の家族が集まっての海水浴のアイディアに、目を輝かせて食い付いてきた。可愛い握りこぶしを上に突き上げて、「それ、絶対に実現しましょう!」と叫ぶ沙良に苦笑しつつ、改めて天音は両親へカミングアウトする手順を頭の中で思い描いていたのだった。
★★★
ところが、そのきっかけは、意外な所から天音にもたらされる事になった。
まずは、その日に沙良の両親が、思いがけず早い時間に職場から帰って来た事だった。沙良によると、二人揃って外が明るい時間に帰って来るのは、彼女の記憶に無いくらいに珍しいとの事だ。
「あら、天音ちゃん達は、スパゲッティを茹でてるの?」
「はい。あ、でも、すぐに追加の分を茹でますから」
「いや、大丈夫。私も手伝うわ」
沙良の母親の樫村沙奈は、そう言ってスーツ姿の上からエプロンを着けると、冷蔵庫の中から野菜を何点か取り出して、ソースを作り始めた。
「ママ、ソースはレトルトのを使うから大丈夫だよ」
「せっかくだから、野菜とお肉を足しましょうよ。そこにチーズを削って掛けたら、だいぶ豪華になるわよ。それから、どうせパパはビールを飲みたがると思うから、おつまみも作らなきゃね」
台所に沙奈が加わった事で、沙良と二人でのんびりだった空気が急に慌ただしくなった。どうやら大人二人は、相当に腹ペコだったみたい。
「あ、私、枝豆を茹でましょうか?」
「そうね。そうしてもらえる? 沙良は、パパの所にビールとグラスを持ってって上げて頂戴」
そうして二十分後、天音は樫村家の三人と一緒の食卓テーブルに着いていた。既に沙良の父親の英司は、二つ目のビールを大方開けてしまっている。大きめのお皿の中央に形良く盛られたボロネーゼのスパゲッティは、驚く程に美味しかった。チーズに加えてハーブの粉が掛かっている事で、見た目も綺麗だ。
食事中の話題は、途中から一昨日の花火大会の事になった。と言っても話せるのは、屋台で買ったタコ焼きとバナナチョコの事くらいしか思い付かない。
それでも何とか食事の時間を切り抜けて、場所をリビングへ移し、食後のコーヒーや紅茶を楽しんでいる時だった。
「それで、沙良ちゃん。何か隠してる事があるんじゃない?」
唐突に沙奈が放った言葉に、天音は思わず咳き込みそうになった。
「えっ、ママ、それってどういう事?」
「だから、沙良ちゃんは私達に、何か隠してる事があるんでしょう?」
「……」
沙良は答えない。というか、答えに窮しているって感じだ。
見かねた天音が、何か助け船は無いかと思案している時だった。沙奈が今度は天音の方を見て、「隠し事があるのは、天音ちゃんも同じなんでしょう?」と言う。
天音は、『これ以上、隠しておけない』と思ったけど、今度は、それをどう切り出したら良いのかが思い付かない。
「えーと、あの……」
「私、見ちゃったのよね」
「えっ?」
沙奈が見たのは、真っ白な翅を持つ「光のチョウ」が、沙良の部屋辺りに飛び込む場面だったようだ。時間的に、それは彼女の帰宅時間だったんだろう。
「それが沙良ちゃんの部屋だって、良く分かりましたね?」
「当然よ。だって、その時だけじゃなかったんだもの」
つまり、何度も同様の事があったという事だ。
「それだけじゃないわよ」
そう言って沙奈が取り出したのは、たぶん、仕事で使っているタブレット端末だった。彼女は、それを手早く操作して、天音と沙良の前に差し出してくる。その画面に写っていたのは、「福島ムシ情報サイト」のフロントページ。つまり、一昨日の小名浜での花火大会で、天音と沙良が「ムシ」として倉庫街の方に舞い降りて行く時の映像だった。
そこで、しばらく黙っていた沙良が恐る恐る口を開いた。
「あの、ママは私の事、『化け物』って言わない?」
「言う訳ないじゃない。沙良は沙良でしょう?」
「うん」
そこで沙良は、一拍置いてからおずおずと話し出した。
「実はね、私、『ムシ』なの」
「そう」
沙奈の返事は、そっけない。
「えーと、沙良が言う『ムシ』ってのは、このサイトに書かれている言葉の意味なのよね?」
「うん」
「私は『ムシ』って言うよりも、『光のチョウ』の方が良いと思うんだけどね」
それは、同サイト上で昔に議論のあった事柄だ。てことは、沙奈はサイトの内容を過去に遡って読み込んでいるという事なんだろう。
そんな事を天音が思っていると、ふいに沙良が立ち上がって、部屋の明かりの光量を落とした。そして、おもむろに身体に光を纏ったかと思うと、ほんの数秒間、真っ白な光の翅を出現させたのだ。それから、彼女はサッと変異を解いて、再び部屋の明かりを元に戻す。
その間、天音は沙奈の表情を観察していたのだが、感嘆の念は読み取れても、恐怖の類は感じられなかった。
それを天音が心話で沙良に伝えたのだが、〈そうですか〉といった母親と同じようにそっけない反応しかない。沙良は沙良で母親の表情をじっと観察していて、天音と同じ結論を得たようだった。
ところが、父親の英司の方はと言うと、明らかにキラキラとした目を沙良の方に向けていた。
「沙良、すっごく綺麗だったよ」
そう言って沙良の頭を撫でまくる父親の姿を見た天音は、これで本当に沙良のカミングアウトが無事に終わったのだと納得した。
そして、次はいよいよ自分の番だと思い、再度、この後の両親へのカミングアウトへ向けて、決意を新たにしたのだった。
END072
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「天音のカミングアウト」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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