070:関口との出会い(1)
2039年8月@福島県岩木市 <矢吹天音>
岩木市小名浜地区での花火大会の後、矢吹天音は、樫村沙良を高萩市のマンションまで送り届けてから帰宅した。沙良の両親と顔を合わせると遅くなる為、部屋に入ったのを見届けるなりトンボ返りしたのだが、それでも夜の九時を過ぎている。仕方ないので玄関から入るのは諦め、「ムシ」に変異したまま自室に入ったのだが、急いで着替えている所に母の涼子が乱入。案の定、「帰宅が遅い」と怒られてしまった。
「まあ、最後までいたら、こういう時間になるのはしょうがないだろうけど、普通は途中で帰って来るもんでしょう?」
本当はちゃんと終わる前の、しかも割と早い時間に帰ったのだが、それを言うと更にややこしい事になってしまうので、天音は黙っておく。
「……あんた、まだ中学生なのよ。それに、女の子なんだし……。そういうの、ちゃんと分かってんの?」
まだ中学生である事と女の子であるのは、全然、別の事だと思うのだが、それも天音は言わないでおく。本当は女の子の場合、もう少し成長して高校生ぐらいになった方が、男に襲われる確率は高くなるのだ。
だけど、今日だって不良っぽい男子達に絡まれたのだから、それも説得力が無いのは確かだ。
「……それより、帰って来たんだったら、ちゃんと『ただいま』ぐらい言いなさいよ。こっちは、心配して待ってたんだから」
そんなの言ったら、もっと怒られるに決ってる。
ああもう、うるっさいなあ。そんなの、「ムシ」になっちゃえば、全然、大丈夫なのに……。
天音は、母の長ったらしいお説教を聞き流しながら、カミングアウトの必要性を再認識していたのだった。
★★★
そして、翌日の日曜日、朝一でパソコンを立ち上げて、「福島ムシ情報サイト」のフロントページを開いた途端、天音は画面から目が離せなくなってしまった。そこには、「ムシ」達が花火の間を縫うように飛び回る所を撮影した動画が貼り付けられていたからだ。
以前は「ムシ」の誰かが何かをやらかしたとしても、こんな早いタイミングで情報がアップされたりしなかった筈だ。つまり、それだけ自分達が注目されているって事なんだろう。
ただし、その動画の大半で「ムシ」は光の粒にしか見えておらず、「何らかの自然現象」だとか、「カメラの不具合」だとかでギリギリ言い逃れが可能だと思われた。だけど、最後に倉庫街の方へ降りて行くシーンが撮られており、そこでは天音の薄紫の翅と沙良の真っ白な翅がしっかりと確認できる。実際、コメントにも『「ムラサキ」と「モクレン」が花火大会で大はしゃぎ!』と書き込まれていた。
ちなみに、沙良の事が同サイトで「モクレン」と呼ばれるようになったのは、彼女の真っ白な翅以外にも、彼女が飛び去った後にフローラルな香りを残して行く事が関係しているらしい。つまり、高萩市周辺で最初に彼女を目撃した閲覧者が、彼女の残り香を「モクレン」の白い花に結び付けたという訳だ。
天音は、『白い花だったら、他にだって色々とあるのに』と思わなくもなかったけど、沙良自身も「モクレン」という呼び名で納得しているようなので、特にコメントを加えるような事はしていない。
ちなみに天音は、六月になってから「福島ムシ情報サイト」にちょくちょくコメントを載せるようにしているのだ。当然、匿名での投稿だし、素性がバレるような表現はしないようにしている。
天音以外では、玉根凜華も同様の事をしている。だけど安斎真凛に関しては、「あんたは、絶対にやっちゃダメ」と凜華が言い聞かせているそうだ。
『天音さん、またまた、やらかしちゃいましたね』
「ごめん。ついはしゃぎ過ぎちゃったみたい」
『まあ、あんまり人の事は言えないから別に良いですけど……、それより、花火の近くを飛んだりして、危なくなかったんですか?』
「うん。雷とは違って、全然、平気だったよ」
『本当ですか? なんか、直撃されてたりしてるんですけど』
「失神して墜落とかしない限り、大丈夫だと思うよ。確かに、ちょっと怖くはあったんだけどね」
『スリル満点って事ですか。鈴音ちゃんとかが真似しそうで怖いんですけど』
「うーん、もしもの時を考えると、海上か湖上の花火大会に絞った方が良いかもね」
『墜落しちゃったら、助けられないですもんね』
天音は、パソコンの前で頭を抱えている時に掛かって来た電話で、凜華とそんなやり取りをした。
そもそも、自分には花火の音で驚いて墜落しちゃった経験があるのだが、とてもじゃないけど、それを凜華に言える感じではなかった。自分でも、今日はハイになっていたという自覚がある。
天音は、『これからの花火大会では、自重しよう』と心に固く誓ったのだった。
★★★
そして、更に翌日の月曜日になった。いつもなら昼前に高萩市の樫村沙良の所に行って、そこで一緒に昼食を作って食べる所だけど、土曜のやらかしの事もあるし、そろそろ彼女の宿題も終わってしまいそうな事から、夕方に顔を出す事にした。そうして昼前になって台所を漁ってみると、まともな食材が全然ない。仕方がないので天音は近くのコンビニに行く事にしたのだけど……。
「あ、あの、私に何か用でしょうか?」
入口の所で、高校生風の男が天音の前に立ち塞がった。その彼が不躾な視線を送ってきた為、気が付くと天音は声を掛けていた。
「あ、ごめん。何でもないんだ……。いや、そうじゃないな。ちょっと気になったのは事実なんだ。実は僕、一昨日の小名浜花火大会の時に君を見た気がするんだけど……、あの、もう一人の子と一緒に、倉庫街の辺りにいなかったかい?」
途中から早口になった彼の様子は不審者っぽくもあったけど、単に気弱なだけにも見える。その彼が花火大会の時の事に触れた時、今度は天音の方が焦り出した。
「あ、いや、間違いだったら、ごめん……」
「いましたよ」
「えっ?」
「だから、確かに倉庫街の辺りにいましたよ」
天音が彼の追求を肯定したのは、一種の賭けだった。相手には不遜な物言いに聞こえたかもだけど、そこは精一杯の演技だ。
「あ、あの、えーと……」
「あの、もし良かったら……、えーと、あっちで、ちょっと話しませんか?」
天音は、一か八か彼を空いている飲食コーナーへ誘ってみた。彼の口封じを考えたのと、彼が持っていそうな情報に興味を持ったからだ。
すると、彼は素直に応じてくれた。
その彼が、何か飲み物を買って来ようと思ってか、席を立ちかけたので、それに先んじて口を開いた。
「あの、不躾なお願いで申し訳ないんですけど、こないだ見た事は誰にも言わないで欲しいんです」
天音は、そう言って彼に軽く頭を下げておく。
「あ、あの、僕、誰にも言わないから。あ、あの、実は僕、君の事は前々から見てて……、あ、こんな言い方すると、まるでストーカーみたいなんだけど、違うんだ」
さすがに天音の顔が強張った。それを察したのか、慌てて彼が言葉を足した。
「実は、僕の部屋から君が住んでるアパートが見えてて……、あ、あの、君って、あっちの丘の上のアパートに住んでるんだよね?」
どうやら彼は、近所の人らしい。つまり、見張られていたようだ。彼は、暇なんだろうか?
「あ、ごめん。そうじゃないんだ……、てか、そうなのかも」
「どっちなんです?」
「あ、あの、最初から話すと……、最初は、僕の部屋から見えるアパートから銀色に光る何かが出てきて……」
彼が再び早口になって行く。最初は天音が主導権を持っていたのに、いつの間にか聞き役に回っていた。そうして分かったのは、驚くべき事ばかりだった。その最たるものは、彼が「福島ムシ情報サイト」の管理人だという事だ。
「あの、実は、そのサイト、私も見てまして、最近は時々書き込みもしてるんです」
「えっ、そうなの? それは、嬉しいかな」
「あ、でも、その事は絶対に内緒にして下さいね」
「もちろんだよ。僕は、君達に不利益になる事はしないって決めてるんだ」
「本当ですか?」
「うん、絶対に約束する……。えーと、君達は気付いてるかどうかわからないけど、これから君達が置かれる状況は、たぶん相当に厳しいと思うんだ……。あ、別に僕は君を怖がらせたいって訳じゃなくて……」
どうやら彼は、最初に思っていた以上に真面目で良い人のようだ。コミュ力は低めで陰キャではあるみたいだけど、元が内気な性格だった天音には、むしろ、その方が信頼できる。
天音は、『我ながら、チョロいかも』と思いながらも、ある程度は彼を信用して、できるだけの情報を打ち明ける事にした。
そして、気が付くと個人的な事まで彼に話してしまっていた。
「そうかい。まだ君は自分が『ムシ』である事を、ご両親に打ち明けていないんだね。でも、これからの事を考えると、大人を巻き込むのは重要な事だと思うよ。その上で、一度、そういう大人達を集めて、君達が相談できる組織を立ち上げる必要があると思う」
「あの、関口さんが立ち上げた『福島ムシ情報サイト』じゃ駄目なんですか?」
「駄目だろうね。あのサイトの目的は、あくまで情報収集なんだ。僕は、あのサイトの閲覧者を、それほど信頼してる訳じゃないよ。もちろん、中には信頼できる人がいるかもしれないけど、ほとんどが興味本位だと思った方が良い」
「そうですか……」
「まあ、僕は君の親御さんがどういう人かは知らないし、親だからって誰でも信頼できるって事でもないと思う。だけど、確率からすると、信頼できる場合が多いんだよね。だから、親へのカミングアウトは、前向きに考えた方が良い。その上で、親達の連絡組織っていうか、君達の保護者会みたいなのを立ち上げてみたらどうかな?」
「保護者会ですか……。あ、でも、どうやって集めれば……」
「例えばだけど、今だと海水浴とかで皆を岩木に読んでみるってのはどうかな? たぶん、君達が置かれた状況は特殊だから、親御さん達だって、相談し合える仲間が欲しい筈なんだ。だいたい、君達はまだ未成年な訳だし、よっぽど問題のある親じゃない限り、親は巻き込むべきだと思うよ」
その彼、関口仁志のアドバイスは、意外にも具体的で役に立つものだった。彼は高校二年生という事なので、年齢的には天音と三つしか違わない。だけど、この時の天音の目には、彼が随分と大人に見えた。
天音は、昼食の事も忘れて彼と様々な事を語り合った。そして気が付くと既に一時間近くが過ぎており、さすがに店の人に悪いと思ったので席を立つ事にした。
彼は近所の人なので、気が向けばいつだって会えるのだ。
最後に天音は関口と連絡沙希を交換し、先に帰ると言った彼にお礼を言って見送った。
そして天音は、おにぎり二つと適当な飲み物に気に入ったお菓子を買って、そのコンビニを後にしたのだった。
END070
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「関口との出会い」の後半です。凜華とのお喋りになります。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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