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066: 六人目の「ムシ」(2)

◇2039年7月@福島県岩木市~茨城県高萩市 <矢吹天音>


次に矢吹天音やぶきあまねが目を覚ました時、窓の外はすっかり茜色に染まっていた。その彼女は寝ぼけた目で時計を見て、すぐに飛び起きた。いつの間にか午後六時を回っている。

それでも、まだ多少ぼんやりしている天音の耳に、母の涼子の「どうしたの、天音? ご飯だから、さっさと来なさい!」という声が飛び込んでくる。どうやら、既に何度か呼ばれていて、そのせいで目を覚ましたようだ。

こんな母の声も、昔の天音だったら聞き取る事ができなかったし、母の方も離れた所から呼ぶような事はなかった。「ムシ」になる前の天音は、難聴だったからだ。それを思うと、やっぱり「ムシ」になって良かったと思う。


そんな事を頭の片隅で思い出しながら、天音が慌てて部屋を飛び出してリビングに出てみると、いきなり母の涼子の叱責が飛んだ。


「まあ、何なの、その格好はっ! お父さんが帰って来てなくて良かったわ。いくら家の中でも天音は女の子なんだから、もうちょっとちゃんとしなさいっ!」


そこで、ようやく天音は、自分がTシャツと下着しか身に着けていない事に気付いた。


「まあ、良いわ。あたしは、そろそろ行って来るから、食べたら食器を洗っておくのよ。お父さん、食べてくるみたいだから……。あの人、今日も遅くなるそうよ。だから、天音は先に寝てなさい」

「えーと、お母さんは?」

「分からないわ。早めに帰って来ようとは思うけど、お父さんと一緒くらいかしら……」


アパートの会合の後は、たいてい飲み会なのだ。中には帰る人もいるみたいだけど、母の涼子は付き合いの良い方だった。

その母が出て行った後で、天音は初めてテーブルに目をやった。


ちぇっ! 冷蔵庫の余り物で作った野菜炒めじゃない。それと、朝の味噌汁の残りに、トマトサラダ……。


天音は、冷たくなり掛けたご飯と野菜炒めを電子レンジに入れて、冷蔵庫から麦茶を取り出すと、グラスに注いだ一杯目を一気に飲み干した。そして、二杯目をテーブルの上に置いた所で、電子レンジのチンが終わったので、中の物を取り出してテーブルに並べると、座って軽く手を合わせて「頂きます」を言ってから、ゆっくりと食べ始める。

その時だった。「誰かが呼んでる」感覚が、今までよりもハッキリと伝わってきたのだ。


そろそろかな?


天音は、残りの食事を手早く済ませると、いつもの慣れた手付きで食器の後片付けを終わらせる。そして、軽くシャワーを浴びた後、自室に戻って余所行きのワンピに着替えると、サッと変異して既に暗くなり掛けた空へと飛び出して行った。



★★★



南の方というイメージだけを頼りに、天音は海岸線を南下して行った。だけど、勿来海岸を過ぎて茨城県に入っても、まだまだ先って感じで、一向に目的地が分からない。

風光明媚な五浦いづら海岸、六角堂の辺りを過ぎた頃には、すっかり夜のとばりが降りてしまい、周囲は暗闇に包まれる。それなのに、地上の様子が手に取るように分かるのが、天音には不思議だった。今までと同じと言えば、その通りなのだが、こうやって何かを探すというのは初めてなので、あまり意識していなかったのだ。

そのまま大津港を通り過ぎて磯原、中郷を超えて高萩たかはぎ市に入る。すると、突然、女の子の声が頭の中へ飛び込んできた。


〈怖いよ、怖いよ。私、どうなっちゃうの?〉


天音にも身に覚えのある感情。底なしの恐怖……。

ああ、急がなきゃ。その子の所に一刻も早く行って、そばにいて慰めてあげたい!


その子の家は、すぐに分かった。駅近くの十二階建てマンションだ。えーと、あそこは八階だろうか?


天音は急降下して、そのままの勢いで目的の部屋に飛び込んで行く。今の光景を地上から見たら、銀色の光がマンションのビルに当たったように見えたに違いない。斜めからの光だから、全然、雷とは違う。そもそも、何の音もしなかった筈……。

駅の近くだし、またまた騒ぎになっちゃうかもだけど、そんなの気にしていられない。今は非常時なんだ!


その部屋には、小学生の女の子一人だけがいた。そこは彼女の自室らしく、女の子っぽい部屋の装飾で満ちている。

その部屋の中で問題の子は、ベッドの上に蹲って泣いていた。彼女の身体からだは、既に天音には馴染み深くなった銀色の光を薄っすらと纏っている。

それを見た途端、天音は彼女に言葉を投げ掛けていた。


〈ごめんね、遅くなっちゃって……。でも、大丈夫だよ。たった一人で、怖かったよね? 本当にごめんなさい〉


できるだけ優しく心話で話し掛けたつもりだったけど、その直後、部屋の中に光が満ちているのに気付いた天音は、ようやく失敗に気付いて変異を解いた。

ところが、さっきまで蹲っていた少女は既に上半身を起こしており、天音の方を怯えた目で見ている。

その子に近寄ろうとしていた天音は、仕方なく立ち止まった。


〈あなたは、誰?〉


必死に悲鳴を堪えながら発した問い掛けに、天音は言葉を返せない。


〈な、何で、ここにいるの? どうやって入って来たの? さっきの光は、何? 何か怖い化け物に見えたんだけど……、ひょっとして……〉


立て続けに投げ付けられる言葉。当然、それらは心話だ。既に光を纏っている彼女に、「声」は出せない……。

目の前の彼女は、ガタガタと身体を震わせている。本当は叫びたいんだろうけど、声が出せないから出来ないでいるみたい。


〈ごめんね、余計に怖がらせちゃったよね。でも、信じて!〉


彼女の顔からは、表情が消えている。それだけ変異が進んでいるという事だろう。だけど……。

天音は、やっと身体の硬直が解けたみたいに前へ出て、ベッドの前でしゃがみ込んだ。そして、その子と視線を合わせて語り掛ける。


〈私は、矢吹天音。岩木市から来たの。あなたの仲間よ〉

〈えっ、仲間?〉

〈そうよ。「ムシ」の仲間〉

〈「ムシ」? 「ムシ」って何?〉


心話でのやり取りをしているうちに、その子の身体を纏う光が急激に強まって行く。『マズい』と思った天音は、〈その質問の答えは、後にしましょう〉との言葉を残し、再び光を纏った。

その子は、その時点で既に光の翅を出現させており、身体がベッドから離れていた。徐々に浮かんで行く彼女に合わせる形で、天音も薄紫の翅を出現させて、ゆっくりと翅を羽ばたかせる。


そうして気が付くと、二人の「ムシ」は、JR高萩駅の上空に浮かんでいた。



★★★



その子の翅は、真っ白だった。それほど大きくはないけど、何も模様がない、白一色の翅。突起とかも無くて、逆に少し丸みを帯びている。

きっと彼女は、心が純粋な子なんだろう。


〈……うわあ、すっごく綺麗!〉


そんな事を思っていた天音の頭に届いたのは、その子の歓声だった。どうやら夜景じゃなくて、天音の方を見て言っているようだ。


〈ううん、あなたの方が綺麗だよ。真っ白で、とっても綺麗〉

〈えっ?〉

〈ほら、見てごらんよ……。と言っても、自分で自分を見るのって、割と難しいよね。だけど、分かるでしょう?〉

〈あ、はい。何となく分かります。私の翅も綺麗かも……〉


首を精一杯に捻らなくても、「ムシ」になった時は視野角が広がるっていうか、「何となく」周囲が分かったりする。きっと彼女もそうなんだろう。


〈ふふっ、どうかな? 気に入った?〉

〈あ、はい〉

〈じゃあ、行こうか?〉


ところが、その子は、ちょっと変な事を言い出した。


〈行こうって、何処どこに? てか、私って天国に行けるんでしょうか?〉

〈えっ、天国?〉

〈あ、あの、私って、死んじゃったんですよね?〉


混乱する天音を余所に、彼女の思い込みは止まらない。


〈でも、不思議なんです。全然、苦しくなかったし、痛くもなかった……。あの、女神さま。私って、何で死んじゃったんでしょう?〉


そこで、ようやく天音は合点がいった。


〈呆れた。私は、女神なんかじゃないよ〉

〈えっ? だったら、死神とか?〉

〈もう、そんな訳ないでしょうが〉

〈ですよねえ……あ、ごめんなさい〉

〈良いよ、別に。それより、あなたは死んでなんかないから〉

〈えっ、そうなんですか?〉

〈そんなの、決まってるじゃない。あなたは、ちゃんと生きてる。ほら、下の方を見てみなよ。綺麗な夜景でしょう?〉

〈えっ、夜景? うわっ、す、凄い!〉


ようやく彼女は、眼下の夜景に気付いたようだ。


〈ちゃんと生きているから、この素敵な夜景を見て感動できるの。それって、生きてるって証拠なんじゃない?〉

〈そうなんでしょうか?〉

〈あ、そっか。幽霊にでもなったって、思っちゃったんだね?〉

〈違うんですか?〉

〈当ったり前じゃない!〉

〈そっかあ……。ふぅ、良かったあ。私、まだ生きてるんだあ〉


天音が少し強く言った事で、やっと彼女も分かってくれたようだ。ところが……。


〈あ、そうだ。ありがとうございます、女神さま〉

〈ちょっ、ちょっと、女神さまって何よ。私だって、生きてるんだからね。てか、私、神様とかじゃないから。普通の女子中学生だから。岩木市立夢浜中学二年生。名前は、さっきも言ったんだけど、矢吹天音よ。あなたは?〉

〈あ、すいません。か、樫村沙良かしむらさらって言います。しょ、小学六年生、です〉

〈ほらほら、そんなに緊張しないで良いからね、沙良ちゃん。私達、仲間なんだから〉

〈仲間、なんですか?〉

〈そうよ。私以外にも、福島県に四人の仲間達がいるの。後で紹介してあげるね〉

〈あ、はい〉

〈それじゃあ、これから少しだけ夜間飛行と洒落込みましょうか?〉



★★★



そうして、天音は沙良を促して、今度は一緒に力強く光の翅を羽ばたかせた。そして、天音は、初飛行の沙良を伴い、ゆっくりと高萩周辺を飛び回った。

最初のうちは恐る恐るといった調子で天音に付いて来ていた沙良も、次第に飛ぶのに慣れてきて、三十分もしないうちに飛びながら歓声を挙げるようになった。


天音は、二人で飛びながら沙良に、「ムシ」についての基本的な事を教えて行った。そのひとつが心話で、声を出さなくても話せる事に彼女は、とても驚いていた。

どうやら、沙良も天音と同じく難聴だったようで、〈きっと、これからは耳が良く聴こえるようになるよ〉と言うと、凄く喜んでくれた。


更に天音は、イジメっ子の撃退方法とかも教えておいた。


〈日中は、むやみやたらに変異しちゃダメだけど、どうしても困ったら、「ムシ」になって逃げちゃいなさい。だけど、一瞬だけ強く光を纏っただけで、たいていは眩しくて目が見えなくなっちゃうから、その間に逃げるってのでも良いよ。その場合、「ムシ」になった姿は見られないと思うから、お勧めよ〉


それから天音は、忘れずに注意事項も加えておいた。

むやみに人前で変異しない事、特に昼間は、どうしてもって時以外は、変異を避ける事、長く飛び続けたりして疲れると変異が解けちゃう事があるから、早めに休憩する事、それと、雷は危険だから、天候に注意して、ヤバいと思ったら飛ぶのを控える事……。


樫村沙良の両親は共働きで、しかも、両方共に帰宅が夜遅いらしい。それでも、もし早く帰って来て娘が部屋にいなかったらマズいので、天音は小一時間で彼女を自室に連れ帰った。

そして、変異を解いて改めて素顔で向き合った後、お互いの連絡先を交換する。やっぱり沙良も、髪の毛は淡い茶色だった。それと華奢な体型や肌が色白であるのも、彼女が「ムシ」である事を示していた。


本当は色々と話したかったけど、ご両親が帰って来るとマズいと思った天音は、またすぐに会う事を約束して、意気揚々と沙良の部屋を後にしたのだった。




END066


ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。


次話も沙良の話が続きます。

できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。


また、ブックマークや評価等をして頂けましたら大変励みになりますので、ぜひとも宜しくお願いします。


★★★


本作品と並行して、以下も連載中ですので、できましたら覗いてみて下さい。

(ジャンル:パニック)


ハッピーアイランドへようこそ

https://ncode.syosetu.com/n0842lg/


また、ご興味ありましたら、以下の作品も宜しくお願いします。


【本編完結】ロング・サマー・ホリディ ~戦争が身近になった世界で過ごした夏の四週間~

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