065:六人目の「ムシ」(1)
本日の二話目です。
◇2039年7月@福島県岩木市~茨城県高萩市 <矢吹天音>
それは、七月に入ってすぐの土曜の朝の事だった。矢吹天音は、変な胸騒ぎを感じたのだ。
朝とは言っても学校がお休みの日なので、既に午前八時を過ぎている。だけど、あまり食欲が無くて、朝食はスキップした。
天音の両親は、共に仕事で既にいない。母の涼子のカマボコ工場は土曜も操業しており、交替で勤務する必要がある。父の正史は、相変わらずの休日出勤。だから天音は、一人だった。
自室の窓から、分厚い雲に覆われた空を恨めしげに見上げていると、自然と溜め息が出てしまう。
七月と言っても、まだ梅雨が続いている。じめっとした重い空気が身体に纏わり付いていて不快だ。そうかと言って、エアコンを入れる程の気温ではない。さっきまでは除湿にしていたけど、寒くなり過ぎたので今は切ってある。
天気と湿度に加えて憂鬱なのは、最近、雷の発生を警戒して「ムシ」になるのを控える日が多い事だった。その為、天音は満足に夜空を飛び回る事が出来ない分、充分にストレス解消が出来ておらず、余計にイライラし易い状態だった。
ちなみに昔の岩木市は、夏でもエアコンが要らないくらいに涼しかったそうだ。それが、天音の両親が子供の頃から、摂氏三十度を超える日が増えて行ったのだという。それでも、東京と比べると過ごし易い気温だったのだが、最近は再び涼しくなる傾向にあるらしい。
同じアパートの住民で、昔は大学の講師だったという賢さんによると、岩木が涼しいのは海流の影響によるのだそうだ。つまり、地球全体の温暖化以上に、海流の流れで気温が変わってしまうのだという。
もちろん、それは賢さんの話なので、本当かどうかは知らない。
さて、朝の時点で天音が感じていた胸騒ぎだが、取り敢えずは、そんなに切羽詰まった感じではなかった。それで天音は、好きなラノベを読んで様子を見る事にしたのだが、その胸騒ぎは時間が経つても一考に収まらず、逆に少しずつ強まって行った。
天音の予感は良く当たる。彼女は、それが「ムシ」としての能力のひとつだと思っており、どうしても無視する気にはなれなかった。
それで天音は、玉根凜華にメールを入れてみた。すると、返ってきたメッセージは、『また誰かが「ムシ」になるんじゃないですか?』との事だ。言われてみれば、南相馬市の門馬里香が「ムシ」になった時、微かに感じた感覚と似ているかもしれない。
天音は、岩木から近い所に「ムシ」の仲間が欲しかった。
今の所、一番に近いのは郡山市の玉根凜華で、次が南相馬市の門馬里香だ。だけど、その両方が六十キロ以上も離れた所に住んでいて、とても近いとは言えない状態だ。
それでも天音の翅なら一時間もあれば飛んでいけるのだが、未だにカミングアウトを躊躇っている彼女にとっては、往復での二時間、両親の目を誤魔化すのが難しい。
だからこそ、この胸騒ぎが、この近くでの新しい「ムシ」の誕生であれば、掛け値なしに嬉しいのである。
それで天音は、急にワクワクし出したのだった。
★★★
朝食を抜いた事もあって、お昼はちゃんと取った。と言っても、冷蔵庫にあった残り物を、適当に温めて食べただけだ。
それから、自室に戻って何気なく窓の外に目をやると、宅配物を運ぶドローンが何台か空に浮かんでいる。
「ムシ」になって空を飛んでいる時、このドローンが実は一番やっかいだ。東京だとスカイタクシーとかも飛んでいるので、ドローンの飛行制限が厳密に適用されているけど、ここら辺ではそれこそカラスやカモメくらいしか飛んでない。だから、ドローンの飛行なんて、ほぼ無管理、無秩序で、飛ばし放題なのだ。
本来、ドローンは障害物を自分で避けてくれる筈なのだが、「ムシ」は実体が無いからなのか、それとも光が強過ぎるからか、うまくセンサーに反応してくれない。
もちろん、実体が無いのであれば、何にぶつかった所ですり抜けてしまうだけなのに、何故かドローンと接触すると妙に気持ち悪いって言うか、少なからぬ衝撃を受けてしまうのだ。ドローンを制御している電波なのか電源なのか良く分からないけど、たぶん、「ムシ」に悪い影響を与える何かがあるんだろうと天音は思っている。
つまり、雷ほどではないにせよ、「ムシ」にとってのドローンは、害虫のような物なのだ。
あ、またドローンが飛んでる!
なるほど、土曜の午後というのは、宅配物の配送が多いみたいだ。
こんな日は、あまり空を飛ばない方が良いのかもしれないけど、たぶん、今夜は飛ばない訳にはいかないだろうな……。
そんな事を、天音が思った矢先の事だった。彼女の心のセンサーに、何かピーンと引っかかる物を感じたのだ。
それは、今までになく強くて切実な感覚だった。その時、天音の頭に浮かんだのは、先程、凜華が言った『また誰かが「ムシ」になるんじゃないですか?』という言葉、そして、以前に安斎真凛が話してくれた、「呼ばれてる」という感覚の事だった。
「新しく『ムシ』の子が生まれる時はね、『誰かに呼ばれてる』って感じがするんです。それで、『早く行ってあげなきゃ!』ってなって、気が付くと変異して、その子の所に向かってるって感じっていうか……」
とすれば、この感覚がまさにそれなんだろう。
天音は精一杯に心を研ぎ澄まして、その何かを見極めようとした。
たぶん、南だ。南の方に、何かある。
私、行かなくちゃ!
一度は、そうやって焦ってはみたものの、どうやら、今すぐに行かなくても良いみたい。それが起きるのは、たぶん、夕陽が沈んで少し経ってからだ。
それでも天音は、その確かな感覚を感じ取った事で、新しく「ムシ」になる子の存在を実感して、益々有頂天になった。
そういや、お母さんって、夕食後にアパートの会合があるとかで、いなくなるんじゃなかったっけ? だったら、その間に私も、いなくなっちゃえ!
問題は、お父さんが何時に帰ってくるかだけど、「就眠中」の札をドアノブに掛けておけば、たぶん入っては来ない筈……。
天音は、もう一度、窓の外に目をやった。午前中、空の大部分を覆っていた分厚い雲は、いつの間にか何処かへ行ってしまい、今は大半を青い空が占めている。
そうしているうちに、天音は少し眠くなってきた。
まだ時間があるんだったら、ちょっと、お昼寝でもしようかな。
天音は下着の上にTシャツ一枚だけの格好になると、ベッドにごろんと横になって目を瞑る。近くの広場で遊ぶ子ども逹の元気な歓声を聞いているうちに、天音は眠りに落ちて行った。
END065
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「六人目の『ムシ』」の続きになります。
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★★★
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