064: 里香のカミングアウト
◇2039年6月@福島県岩木市~南相馬市 <矢吹天音>
南相馬市の門馬里香が母親の紀香にカミングアウトする際、一緒に同席する事を矢吹天音が約束してから、既に半月以上が過ぎていた。そんな時、ようやく天音に遠出が可能なチャンスが訪れた。両親の昔の知り合いに不幸があり、お通夜で夕方から不在になるというのだ。
母の涼子に、「たぶん、今夜は遅くなるから、夜更かししないで早めに寝るのよ」と言われた時、天音は心の中で歓声を挙げてしまった。里香の方は、母親の紀香が夜勤でない事を既に確認している。
問題は、夜遅く帰って来た天音の両親が気まぐれで娘の部屋を除いた時だけど、そこまでは気にしていられない。一応、ドアノブに例の「就眠中」の木札を下げておくので、その恩恵に期待するしかない。
その日は梅雨時なのに朝から天気が良くて、夕方になっても雨が降りそうになかった。
その夕方、天音は両親を見送ると、すぐに余所行きのワンピに着替え、小さめのリュックを背負って外へ出た。そして人目に付かない所を選んで変異すると、サッと空へと舞い上がった。
六月なので、まだまだ外は明るい。こんな風に明るいうちに「ムシ」になるのは、久しぶりだと天音は思った。
こんな早い時間に天音が里香の自宅マンションへ向かっているのは、「できれば晩ご飯、一緒に食べましょう」と誘われていたからだ。
ちなみに里香とは、彼女の自宅マンションの傍の公園で待ち合わせる事になっている。そこの近くにあるケーキ屋のチーズケーキを手土産に買って、歩いて訪問する事にしたのだ。唯一の気掛かりは、お泊りの荷物として下着と歯ブラシ程度しか持っていない事だけど、里香の母親の紀香は「細かい事は気にしない性格」なので大丈夫との事。
〈たぶん病院だと違うと思うんだけど、うちのお母さん、家だとずぼらになるの〉
要は、それだけ看護師の仕事が大変という事なんだろう。
天音は、阿武隈高原に沈む夕陽を眺めながら、のんびりと海沿いを北上して行った。昼間の変異は疲れると思っていたけど、今日はあまり疲れないみたい。夜が近いせいだろうか?
そんな感じで天音は北上を続け、休憩なしに一時間もしないで南相馬市に入る。すると、里香が心話でコンタクトしてくれて、その後は彼女のナビで問題無く目的の公園に着くことができた。
★★★
「いらっしゃい……。あら、すっごく可愛い子じゃないの。えーと、ガイジンさんじゃないわよね」
「いえ、違います。あの、私、矢吹天音と申します。里香さんとは別の中学なんですけど、たまたま会って、髪の毛が同じって事で仲良くなりました。今日は、お世話になります……あ、これ、つまらない物ですが……」
里香の母親の紀香は、天音が差し出した近くのケーキ屋で買った手土産を笑顔で受け取ってくれた。
尚、里香との出会いの設定は、事前に打ち合わせしていたものだ。
「てことは、天音さんの髪も地毛なのね?」
「はい。うちの母は、もう少し茶色いんですけど、やっぱり黒髪じゃ無くて……」
天音は、そう言いながら紀香の頭に目をやる。その視線に気付いたのか、「実は、私も地毛なのよ」と言った。
「私の髪は理かや天音ちゃんと比べると全然、暗い色なんだけど、そんでも中学の時は先生に良く怒られたわ」
その紀香の髪は、天音の母の涼子よりも濃い茶色だ。
「そうですか。実は私、生徒指導の教師に暴力を振るわれたこともあって……」
「まあ、それは大変だったわね……あ、こんな所で立ち話もなんだから、入って入って……」
そんな訳で、天音は食卓テーブルに座らされ、すぐに夕食になった。メニューは家庭料理の定番とも言えるハンバーグだったけど、結構、美味しかった。
そうして、食後のデザートとして、天音が持参したチーズケーキを食べ終えた時だった。里香が席を立ったかと思うと、すぐに自分のノートパソコンを持って戻って来た。そして唐突に、「お母さん、私、話したい事があるの」と言ったのだ。
「えーと、それは、お客さんがいる前で話すような事なの?」
「うん。実はね、その話の関係で天音さんにも来てもらっているの」
紀香は、そこでチラっと天音の顔を見て、「そうなのね」と呟いた。
その時の紀香の顔からは、さっきまでのにこやかな表情が消えて、全くの無表情になっていた。
天音は、里香に目で合図を送る。里香は、ノートパソコンを素早く操作すると、画面に「ブルー」の「ムシ」の画像を出す。そして、それを紀香に見せながら、しっかりした口調で言った。
「お母さん、これ、実は私なの」
★★★
里奈の告白を受けた母親の紀香は、最初、自分の娘の言葉の真意が分からなかったようで、困惑顔だった。
「あ、あの、里香。その画像は綺麗だと思うんだけど、それを里香が作ったとか、そういう事?」
「ううん。これを撮ったのは、知らない人だから。てか、これ写真だから」
「あの、まだ、里香が何を言いたいのか分からないんだけど……」
仕方がないので、天音が説明することにした。
「あの、すいません。紀香さんは、『ムシ』という言葉をご存じでしょうか? えーと、『ムシ』と言っても、昆虫やクモとかの虫のことじゃなくてですね……」
そこで里香が、「福島ムシ情報サイト」のトップページをノートパソコンの画面に表示して母親に見せた。
紀香は、そこにある説明文に目を通して行くうちに、どんどんと怪訝な表情になって行く。
そのトップページにあるのは、未だに「ムラサキ」の画像。天音は、「実は、これは私なんです」と言って様子を窺ったのだが……。
「あの、ごめんなさい。でも、何かの冗談だったら、止めてもらえないかしら」
それを聞いた天音は、『これ以上は、無理だ』と思った。そして、「紀香さんの気分を害したのであれば謝ります。すいませんでした」と言って頭を下げた所、目の前で「きゃあああ……」という叫び声がした。
〈ちょっ、ちょっと、里香ちゃん。いきなりの変異は……〉
〈だって、これが一番、手っ取り早いじゃないですか〉
〈だからって、これじゃ逆効果になっちゃうんじゃ……えっ?〉
天音は、改めて紀香に目を向けて呆然とした。意外にも彼女は、キラキラとした目で娘の里香を見ていたからだ。
こんな狭い所で変異したら普通は眩しくて目を開けていられなくなる筈なのに、里香は意識して光を押さえているのか、はっきりと鮮やかな青の翅が見える。その翅は天音の物よりも小さいのだが、それでも端の方は天井と床に入り込んでいて見えない。いや、むしろ、その事が翅の大きさを如実に分からせてくれたようだ。
纏う光が少ない分、里香の顔は隠し通せていない。彼女の顔も服もぼんやりと見えていて、その上に細かい光の粒子が覆っている事から、却って彼女の存在を神々しく輝かせていた。
問題は、今の状態でも里香には声を発せないという事。つまり、通訳が必要なのだ。
「すいません。こうした状態を私達は『変異』と呼んでいるのですが、この場合、私との会話は出来ても、『ムシ』以外の人との会話はできないんです」
紀香は軽く頷いてから、「まず、あなた達の一般的な事を教えてもらえるかしら?」と訊いてきた。それで天音は、「ムシ」についての概要を説明した。
「ムシ」の子は、こうして身体に光を纏った状態になると、自由に空を飛んだり、壁とかをすり抜けたり出来るようになる事、「ムシ」同士であれば、心の中で思うだけで言葉を交わせる事、視覚や聴覚が人並み以上に優れている事、現在、「ムシ」の子は五人いて、全員が同じ位の年齢の女の子である事、全員が、白い肌に金髪か淡い茶色の髪をした華奢な体型である事、天音が「ムシ」になったのは去年の五月で、五人の中で最初だった事……。
「里香は、いつ、その『ムシ』ってのになったの?」
「先月の終わりです」
「そうなの。まだ最近なのね。てことは、こないだうちに来た凜華ちゃんも、あなた達と同類なの?」
「はい。玉根凜華は、郡山の子です……。あ、それと私は、岩木から来ました」
「まあ、二人とも、そんな遠くから来てたのね」
「いや、空を飛んで来れば、ほんお一時間程度ですから」
「なるほど……」
そこで、変異を解いた里香が会話に加わってきた。
「あの、お母さん。今まで黙っててごめんなさい」
「良いのよ。どうせ、私に嫌われるだとか思ったんでしょう?」
「だってえ……」
「まあ、里香じゃなかったら、『化け物』とか思ったでしょうね。でも、どんな姿だって、里香は理かでしょう?」
「お母さん……」
「それより、最初にそんな姿になっちゃった時は、怖かったんじゃないの?」
「うん、すっごく怖かった。だけど、凜華と真凛が飛んで来てくれたから、大丈夫だったの」
「えっ? どういう事?」
そこで天音は、新しい「ムシ」の仲間が生まれる時は、多少離れていても分かるという話をした。
「つまり、凜華ちゃんだけじゃなくて、真凛って子も来てくれたのね?」
「安斎真凛は、二本松の子なの。あ、それとね。二週間前に、五人目の『ムシ』の子が生まれたんだよ。福島市の子で、紺野鈴音っていう小学六年生の子なんだけど……」
「ムシ」の話は、なかなか尽きそうになかった。
天音逹三人は、紀香と色々な話をした。話の途中で天音も変異して、薄紫の翅を披露したのだが、やはり紀香は「とても綺麗!」と言ってくれた。
それから天音は、五人目の「ムシ」の紺野鈴音が最初に「ムシ」になった所を、彼女の叔母の菅野彩佳が目撃していた事、その彩佳が、今後、「ムシ」達に降り掛かるであろう様々なトラブルについて、色々と心配されていた事を話した。
「分かったわ。これからは、私も里香だけじゃなくて、あなた達全員の味方になってあげる。まあ、仕事の方が忙しくて、どこまでやれるか分からないけど、娘の里香にも関係する事だもの。できるだけ協力するつもりよ」
この時点で天音は、菅野彩佳の連絡先を安斎真凛から貰っており、直接メールのやり取りを始めてもいた。
天音は、早速、その菅野彩佳にコンタクトして、彼女のアドレスを紀香に教える許可を貰った。すると、その彩佳の方から、コミュニケーションアプリを介しての通話が入った。どうやら、通話を繋げた犯人は、同じ所にいた鈴音のようだ。
それでも、保護者の大人二人を結び付ける事ができたのは、非常に良かった。そこに天音、里香、鈴音の「ムシ」三人も加わって、五人で会話を交わし、その日の夜は楽しく過ぎて行ったのだった。
END064
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「六人目の「ムシ」」です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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