056: 五人目の「ムシ」(2)
◇2039年6月@福島県二本松市 <安斎真凛>
再びアパートの自室に着いた安斎真凛は、その場で素早く服を脱いで行った。
真凛が考えたのは、先ほど知り合った三人が入ろうとしているお風呂に先回りして向かい、そこに浸かった状態で彼女達を待っていようという事だ。
その三人とは、これから新しい「ムシ」になるに違いない少女、紺野鈴音、彼女の叔母の菅野彩佳、彩佳の娘で鈴音の従妹の紗彩である。
当然、目的は鈴音が「ムシ」になるのを励まし、見届ける事。
問題は、何でハダカになる必要があるのかだけど、もちろん、脱衣の手間を省く為だ。
この「ハダカで『ムシ』に変異して、お風呂に入っちゃおう作戦」は、「変異している時は身体に纏う光が眩しくて、服を着ていようがいまいが関係ない」という現象に起因していて、夜であれば、既に何度も実施済み。だから、大丈夫だろうと思ってたのに、実際は思った以上に恥ずかしい。それをグッと我慢しながら、さっきの温泉旅館の別邸に到着。早速、お目当ての部屋の専用露天風呂に舞い降りると、変異を解いて湯に浸かる。そして、問題の三人が入って来るのをじっと待った。
それほど待たずして、三人は現れた。足の不自由な鈴音は、彼女の叔母の菅野彩佳が横抱きにして運んでいる。さっきは華奢かと思ったけど、意外と力持ちだ。メリハリのあるボディーに加えて、胸もそこそこある。
最初に真凛がいる事に気付いたのは、紗彩だった。彼女は、ちょこちょこと彩佳の後ろから飛び出て来て、「あ、さっきのお姉ちゃんだあ!」と言いながら露天風呂にダイブする。すかさず彩佳が、「紗彩、危ないでしょうがっ!」と叫ぶが、間に合わなかった。
満面の笑顔の紗彩とは違って、彩佳と鈴音の顔には、『何で、専用の露天風呂に先客がいるんだろう?』という疑問がありありと浮かんでいた。それでも、おっとりとした口調で、「あら、本当に来てたのね」と声を掛けてくれる。
専用の露天風呂という事もあってか、三人とも全く身体を隠してはいない。真凛としては、急に茶色の繁みが目と鼻の先に現れた事に、少しドギマキした。それなのに、『希美の方が、少しだけ淡い色かも』なんて思ってしまったのは、内緒だ。
真凛は、どうやって声を掛けようかを考えながら、改めて鈴音の身体に目をやる。ほんの僅かではあるけど、白い肌が光を纏い始めている気がする。やはり、そろそろなんだろう……。
真凛は風呂から立ち上がって、ペコリと頭を下げた。
「あの、勝手にお風呂に入らせて頂いて、ごめんなさい」
「いや、それは良いんだけど、あなた、いったい何処から来たの?」
当然の疑問だった。
どう答えようか迷っていると、彩佳が鈴音を風呂に入れようとしたので、真凛は慌て手を差し伸べる。
「あら、ありがとう。でも、大丈夫よ。この子、軽いから」
確かに鈴音は小柄で、まだ完全に幼児体型だった。この子が将来、彩佳のようになれるのかが、少し心配……。
〈もう、失礼ねっ。私だって、そのうち叔母さんみたいになってやるんだから〉
明らかに、それは鈴音からの心話だった。だけど、その事に彼女は気付いていなさそう……。
真凛は、鈴音の隣に座って、心話での話を続けてみた。
〈うーん。それは、どうかなあ……。そうなるには、好き嫌いなく何でも食べなきゃだね〉
真凛は、直感的に鈴音が偏食じゃないかと思って言ってみたのだが……。
〈うーん。ピーマン嫌い。セロリはもっと嫌い。あ、でも、さっきニンジンは頑張って食べたよ〉
どうやら、当たっていたようだ。すかさず真凛は、〈そっかあ。頑張ったね-〉と褒めておく。その途端、しかめっ面だった鈴音の顔がパッと綻んだ。その笑顔は彩佳に似ていて、とても優しげだった。
紗彩に続いて鈴音までもが真凛に懐いたのを見てか、彩佳も幾分は警戒を解いてくれたようで、さっきよりも穏やかな口調で話し掛けてきた。
「この子、今まで身体が弱くて、あんまり学校に行ってないの。この四月からなのよ、普通に授業に出られるようになったのは……」
なるほど。だからなんだね。
今までに真凛が鈴音に抱いた印象は、素直だけど、ちょっと我儘。だけど、他の「ムシ」達と違って、卑屈な所が全くない。
きっと、ほとんど学校に行ってなくて、イジメに遭った経験が無いからなんだろう。
だけど真凛は、それはそれで可哀そうだと思う。健康であってこそのイジメだなんてのは、ちょっと変だけど……。
〈あの、お姉さんは、イジメられてたの?〉
〈うん。だってえ、髪の毛がこんな色でしょう?〉
〈あ、そういや、紗彩も時々イジメに遭ってるみたい。でも、あの子は元気だから、逆に負かしてるみたいだけど〉
〈そっかあ……。実はアタシも、男子とやり合って勝ってた頃もあったんだよねえ。でも、一番に嫌われちゃったのが、先生でさあ。それに、相手が子供でも集団で来られるとキツいっていうか-、結局、逃げるしかなくてさあ。こないだまでは、ほんと、大変だったなあ〉
〈今は、違うの?〉
〈うん。今のアタシは、無敵なんだー〉
〈えっ、何で? そうは見えないんだけど〉
〈すぐに、分かるよー〉
そんな風に心話で鈴音と会話していると、真凛逹の正面の大きな岩を背にして座る紗彩が話し掛けてきた。どうやら彼女は、真凛が鈴音と秘密のやり取りをしているのに気付いたようだ。
「あのね、最近、クラスの男子が、サーヤに良くちょっかい出してくるのー」
「そんな時、紗彩ちゃんはいつもどうすんの-?」
「引っ叩く」
「えっ?」
「もう、紗彩は乱暴なんだからっ!」
どうやら、紗彩は黙ってイジメを受けるような子じゃないみたいだ。
だけど、鈴音が声を出して発した言葉に、紗彩はプーッと頬を膨らませて、「そんなことないもん」と拗ねてしまう。
その鈴音が発した声は、少し掠れていた。真凛には、まだ鈴音が声を出せた事に驚いたけど、きっと、これが最後だと思った。
「だってえ、悪いのは男子なんだよーっ!」
「そうだよねえ」
真凛は、紗彩を庇ってあげる事にした。
「アタシも、そういう事する男子は、引っぱたかれて当然だと思うよー」
〈そうかしら。そこは、ちゃんと話し合うとか出来ないのかなあ……〉
今度は、鈴音の方が不満顔だった。だけど、その言葉は真凛に心話で届いたから、紗彩には伝わっていない様子。
それでも紗彩は、「もう、鈴音お姉ちゃんったら、暴力はダメとか思ってるでしょう?」と、従姉の言葉を察してしまう。
「あたしには、ムリだもん。男子なんて、だーい嫌いっ!」
ところが、その時だった。それまで子供達のやり取りを黙って聞いていた彩佳が、突然、声を上げたのだ。
「あの、鈴音ちゃんの所だけ、なんか、明るく感じるんだけど……」
「うわあ、本当だあ。なんか、ふっしぎー」
彩佳の言葉に、娘の紗彩が追い打ちを掛ける。
当然、真凛も気付いてはいても、敢えて黙っていたのだ。それは、できるだけ本人に意識させない作戦だったんだけど、それが鈴音には不満だったようだ。
〈えっ、お姉さん、気付いてたんですか?〉
〈まあね。だってえ、ここにアタシが来たのって、それが目的なんだもん〉
〈えっ?〉
やっぱり、あまり鈴音は分かっていないようだ。
そう思った真凛は、説明を始める事にした。
〈まずは心話からなんだけど-、さっきからアタシに話し掛けてる時、鈴音ちゃんは声を出してないって気付いてる-?〉
〈えっ、それって……あ?〉
〈ふふっ、気付いたみたいだねー?〉
〈あ、あの、これって……〉
〈アタシは、「心話」って呼んでるんだけど、心の中で考えただけで話ができるんだよー〉
〈まさか……〉
「そう、その『まさか』だよ-、鈴音ちゃん」
真凛は、ここから「声」を出して話す事にした。ここからの事は、彩佳と紗彩にも聞いておいて欲しいと思ったからだ。
「鈴音ちゃん、ここからは声を出して話すね-。だから、鈴音ちゃんも、そうして欲しいんだけど……、もう半分『変異』しちゃってるみたいだから、難しいかな-?」
そこまで言うと、ようやく彩佳も真凛の意図に気付いた様子。それを、どう話すかで悩んでいると、先に彩佳が具体的な事を訊いてきた。
「あ、あの、さっきから薄々感じてた事なんだけど、あなたと鈴音ちゃんの間で、前から何か話してたって事よね? どうやってかは分からないんだけど……」
「はい。その通りです。ですが、それを説明する前に……」
真凛は心話について話す前に、もっと根本的な所から確認して行く事にした。
「ねえ、鈴音ちゃんは、『ムシ』って言葉、知ってる?」
真凛の問い掛けに対して、鈴音は顔に緊張した表情を浮かべて答えた。もちろん、心話でだ。
〈虫、ですか?〉
「そこらにいる虫じゃなくてさあ、チョウの姿で空を飛び回る……」
「あ、あたし知ってる。それって、例の都市伝説でしょう?」
答えだのは、紗彩だった。すぐに彩佳さんが「こらっ、紗彩」と窘める。でも、真凛は笑顔で、「ピンポ-ン、それだよ-」と言って、軽く拍手してみせた。
「驚かないで聞いてね。鈴音ちゃんは、もうすぐ、その『ムシ』になるんだよー」
「えっ、まさか……」〈嘘でしょう……〉「えっ、お姉ちゃん、すっごーい!」
彩佳と鈴音は、同時に絶句した。だけど、紗彩の無邪気な感嘆の声が、それらを打ち消してしまう。
その声に勇気づけられた真凛は、もう一度、はっきりと言った。
「間違いありません。鈴音ちゃんは『ムシ』です。アタシとおんなじ『ムシ』なんです!」
END056
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話も、「五人目の『ムシ』」の続きです。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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