050: 四人目の仲間(1)
◇2039年5月@福島県二本松市~南相馬市 <安斎真凛>
五月最後の金曜日の朝、安斎真凛は、何となく予感めいたものを感じていた。真凛には、矢吹天音のように明確な予知能力がある訳ではない。それなのに胸がザワザワするとなると、思い当たるとしたら、また何処かで「ムシ」が生まれるのかもしれないという事。
そして、午後になった時、それは確信に変わっていた。
――誰かに呼ばれてる!
間違いない。この感じは以前、玉根凜華が「ムシ」になった時と同じだ。
真凛は、目を閉じて耳を澄ました。方角は、東だろうか? でも、郡山よりも遠そう……。
新しく「ムシ」になる子の場所を探ろうとして集中していると、母の希美の声で中断されてしまった。
「真凛、行ってくるからね。くれぐれも戸締まりは、ちゃんとして寝るんだよ。最近、物騒なんだから」
ああもう。あと少しで分かる所だったのに……。
真凛は心の中で悪態を吐きながら、ぶっきらぼうに返事をする。
「大丈夫だよー。こんなボロいアパートに、泥棒なんて入らないって」
「泥棒は大丈夫だと思うけど、変質者が怖いのよ」
「えっ、アタシなんかが襲われるって言ってんの?」
「あのねえ、あんたみたいなのでも、充分に需要があるもんなの。男も人それぞれだからねえ」
「なるほど。ロリコンって奴かあ」
最近の希美は、以前よりも心配症だ。それは、真凛の父親の芳賀力哉が出て行ってしまったからだろうか? あれから、彼は戻って来ていないのだ。
希美は、その後も幾つか小言を並べ立ててから、騒々しく部屋を出て行った。
★★★
真凛は気を取り直して、もう一度じっと耳を澄ました。
やっぱり遠い……。だけど聞こえる。うん、東だ。えーと、東ってことは、海の近くなんだろうか?
真凛は、希美のお古のスマホで凜華に連絡を入れた。凜華も異常事態だと分かってくれたようで、今から三十分後、二本松城の天守閣の上で待ち合わせることにする。
真凛は、すぐに食べられる物だけを軽くお腹に詰め込むと、急いで変異して待ち合わせ場所へと向かった。
この季節は、午後六時を過ぎても、まだまだ明るい。二本松城のある霞ヶ城公園には、結構な人手があった。
『これは、ちょっとマズいかも』と思った真凛は、天守閣の天辺に腰を下ろすと、すぐに翅を消して纏う光を最弱にする。
五分も待たない内に凜華がやって来て、二人揃って東へと向かった。
〈ねえ、凜華。休まなくても大丈夫?〉
〈たぶん、大丈夫〉
〈だって、郡山から来た分だってある訳だし〉
〈その分を入れて、ちょうど、こないだ岩木まで行ったのと同じくらいだと思うんだ〉
〈そっか〉
三月に凜華が岩木に行った時は、一緒に行くのはダメって言われちゃったけど、それより今日は飛行距離が短いらしい。真凛は地理とか苦手だけど、凜華はネットで調べなくても分かるって言うから、マジで凄い。
〈そんでも、親の帰宅時間までに戻るのって、難しくない?〉
〈大丈夫。部屋のドアノブに、「就寝中」の木札を掛けてきたから〉
〈ああ、いつもの奴だね〉
凜華が言った木札とは彼女の自作で、「就寝中です。起こさないで!」と書いてあるらしい。娘の手書きとなれば、親も開けづらいという訳で、意外とあざとい女だと思う。
〈真凛ったら、聞こえてるよ〉
しまった。心の声が漏れちゃってたらしい。
そんな会話を心話で交わしながらも、二人の「ムシ」は、阿武隈高原の丘陵地帯を一直線に東へと向かっていた。
飛び初めた頃は普通に明るかった空が、次第に茜色に染まって行く。たぶん、あと三十分もすれば、すっかり陽が沈んでしまい、徐々に暗くなって行くに違いない。
この時間の山々は西からの陽射しで照らされて、思わず息を飲む程に綺麗だ。こんな時は、「ムシ」になって本当に良かったと思う。
〈えーと、この辺りは飯館村の南の辺りかな。その先は、いよいよ南相馬市で、たぶん、新しい「ムシ」の子がいるのは、その南相馬だと思う〉
〈ふーん、さっすが凜華だね〉
〈まあね。うちの父親が、昔の原発事故の話を良くするんだ。あの事故が起こる前は、この辺りの丘陵地帯にもあちこちに集落があって、大勢の人がのんびりと暮らしてたんだって〉
二人が今飛んでいるのは、その原発事故の際に放出された放射能物質が、最も多く飛散したルートを逆行しているらしい。
〈あの事故のせいだけじゃないけど、うちの県の人口って減る一方じゃない。まあ、今は日本中が似たようなもんなんだけど、特にこういう過疎地域は、どんどんと集落が無くなってるんだよね〉
〈福島市とか郡山市に集まって行ってるんでしょう? あ、そういや、うちのお母さんの実家も、昔は山の中にあったって話を聞いた事あるよ。お母さんが生まれる前に、二本松に移住したらしいけど。確か、かうらお……〉
〈葛尾村かな? もう少し南の方だね〉
〈あ、そんな感じだったかも。なんか、年寄りばっかの村だったらしいんだけど、今頃どうなってんのかなあ?〉
母の希美の実家は二本松市の市街地にあるけど、真凛は片手で数えるくらいしか行った事がない。それは、真凛の物心がつく前にあったゴタゴタを、未だに双方が引き摺っているせいだという。真凛にしてみたら、もうどうだって良いんだけど……。
〈あれ、真凛、どうしたの?〉
〈あ、ごめん。ちょっと別のこと考えてた……。それで、この辺りは誰も住んでないって話だったっけ?〉
〈まだ少しは住んでると思うんだけど、集落の維持が難しくなった所ばっかりみたい。確か、限界集落って言う筈だよ〉
〈ふーん。誰もいなくなった後は、廃墟になるのかな?〉
〈きっと、イノシシや鹿だらけなんだろうね〉
〈てことは、動物王国なんだ〉
まだ中学一年なのに博識な凜華は、道すがら真凛に様々な事を教えてくれる。普段は勉強が大嫌いな真凛も、凜華の言う事は良く聞いた。
そうこうするうちに、二人は南相馬市に入った。と言っても、最初の内は同じ景色が続くばかり。ところが、やがて唐突に開けた土地に出たかと思うと、そこには田植えを終えたばかりの水田が広がっていた。そして、その向こうにあったのは……。
〈うわあ、海だあ!〉
そこには、西日で茜色に染まる大海原が広がっていたのだ。
〈そんな歓声を上げるって事は、真凛って海を見た事ないの?〉
〈ううん。小さい頃、親父と希美と三人で行った事あるよ。親父の奴、あんでも昔はサーファーだったみたいだから、海には愛着があるみたい〉
〈そういや、前に聞いたかも。まあ、娘に真凛とか付けちゃうくらいだもんね……。でも、その後は、ずっと海を見てないってこと?〉
〈うん。最近の親父と希美は、いっつもケンカばっかだからさ。実は今も冷戦中っていうか、ここんとこ親父の奴、アパートに戻って来ないんだ〉
〈そうなんだ……あ、ごめん、嫌なこと訊いちゃったね〉
〈大丈夫。あの二人のケンカには慣れっこだから……。でも、今回は親父も本気だって気がするんだ〉
〈えっ、離婚とか?〉
〈あ、それは無いかな。だって、親父と希美は正式に結婚してないから〉
〈あ、そっか……。どうやら、そろそろみたいだね〉
凜華が言う通り、ここまで来ると気配だけじゃなくて、その子の声も聞き取れるようになった。
〈怖いよ。怖いよ……〉
どうやら、ベッドの上で蹲って震えてるみたい。もちろん、目に見える訳じゃないけど、何となく分かるんだ。
咄嗟に真凛は、凜華の時の事を思い出した。
〈真凛、私の時と同じだって思ったでしょう?〉
〈そうだけど、それより今は、あっちの子に言葉を投げてあげようよ〉
〈あ、そうだね〉
それから、その子に二人して呼び掛けた。
〈大丈夫だよ。全然、怖くなんてないから〉
〈すぐ、そっちに行ってあげるから、それまで頑張って!〉
真凛と凜華が優しく話し掛けるけど、その声すら彼女には、怖いと感じてしまうみたい。その子は益々パニックになって、〈もう嫌だあ!〉と泣き叫んでいる様子。どうやら、家には彼女以外、誰もいないらしい。
その子の家は、やや古ぼけた十階建てくらいのマンションだった。凜華が言うには、たぶん、大震災直後に建てられたんだろうとの事。
ここまで二本松から五十分弱。凜華だけなら、もっと早く着いただろうけど、真凛に合わせたから時間が掛かってしまった。
〈さあ、行こっか?〉
〈うん〉
真凛と凜華は、その子の部屋があると思われるマンションの中層の一室へと、一直線に飛び込んで行った。
END050
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、「四人目の仲間」の続きです。
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