049: 真凛の日常(1)
本日の二話目です。
◇2039年5月@福島県二本松市 <安斎真凛>
玉根凜華が家族旅行で岳温泉に来た際、一緒に来た大谷知行のことを、安斎真凛は忘れられないでいた。そして、「ムシ」になって郡山に遠征する度に、真凛は凜華に頼んで知行を呼び出してもらい、無人のコンビニでの短い逢瀬を繰り返した。
とはいえ、二人は、まだまだ中学一年生。そんなに簡単には、恋愛関係に発展したりはしない。真凛の場合、自分の知行に対する感情が何なのかさえ分からずにいたし、知行とて、それと大差ない状態だったのだ。
いつも二人は、たわいもない会話を繰り返すだけだった。時には知行が真凛の「ムシ」になった姿を見たがって、真凛はハニカミながらも彼に水色の翅を披露した。それは彼女にとって恥ずかしい事だったけど、知行の為なら我慢できた。
知行は、真凛が「ムシ」になった時のミントの香りが好きだった。それに、彼女といると安らいだ気分になれる。それが彼女の「ムシ」としての能力なのか、彼と彼女の関係から来るものなのかは、微妙な所だ。
別れの時、真凛が「ムシ」になって飛んで行くのを、いつも知行は見送ってくれた。割とサバサバした性格の真凛は、振り返る事なく夜の空へと消えて行く。
彼女が去って行った後は、銀色の光の粉が舞う。彼女が残すミントの香りは、知行を少し切ない気分にさせるのだった。
★★★
そんな甘酸っぱい思いを引きずったままに時は過ぎ、五月の新緑の季節を迎えていた。気温がどんどん上昇し、冬服のブレザーが朝でも暑く感じる時もある。
そんなとある日の朝、真凛は、父親の芳賀力哉と初めて正面から対峙した。
真凛が朝起きると、ちょうど力哉が帰って来た。お酒の臭いに混じって、今朝は明らかに女物の香水の匂いがする。
嫌だなあ。朝から気持ち悪くなっちゃいそう。
真凛が、『いっそ、気付かなかったフリをしよっかな』と思った途端、「おい、真凛っ!」と呼ばれた。
「あっ、お父さん、お帰りー」
自分でも白々しいと思いつつ、適当に挨拶してやる。すると、「母さん、何処に居るか知ってるか?」と訊いてきた。
「もう寝てるんじゃ……」と真凛が言い終わらないうちに、力哉はドタドタと寝室に向かう。『アチャー、これはひと波乱あるかも』と思って廊下の先に目をやると、ドアがバンと開いて、パジャマ姿の母の希美が血相を変えて飛び出して来た。その後を力哉が鬼の形相でズンズンとこっちに向かって来る。
「希美。お前、今度こそ殺してやる!」
台所の隅にしゃがみ込んでブルブル震える希美の背中を、力哉が思いっきり蹴った。そして、希美の髪の毛を鷲掴みにしたかと思うと、今度は腹にゲンコツが食い込む。希美は、お腹を抱え込む形で床に蹲ってしまった。
マズい。アタシ、殺人者の娘にはなりたくない!
そう思った真凛は、決死の覚悟で父親の背中にしがみ付いて叫んだ。
「お父さん、止めてよ。お母さん、死んじゃうよお」
それでも、力哉の暴走は止められない。今度は、流し台に無造作に置かれていた包丁を掴むと、希美に向かって、おもむろに斬り付けようとする。
本気で『何とかしなきゃ!』と思った真凛は、咄嗟の判断で力哉の前に立ちはだかる。それに気付いた希美が、真凛を突き飛ばそうとするも間に合わない。力哉が思いっ切り突き出した包丁は、そのまま真凛の左胸を突き刺した……筈だったのに、包丁を握った力哉の手は、真凛の身体の中をすり抜けていた。
真凛自身、全く気付いてはいなかったのだが、いつの間にか彼女の身体は銀色の光に変わっていたのだ。
力哉は、一瞬、何が起こったのか分からずに呆然としていた。
ハッと我に返った真凛は、素早く変異を解いて、父親の手から静かに庖丁を奪い取る。そして、真凛は大声で叫んだ。
「お父さんなんかいらない。出てってよ!」
真凛は、力哉が抵抗すると思って身構えたのだが、彼は真凛の顔を見るなり震え出した。そして、サッと身体を反転させて玄関に向かったかと思うと、慌てて靴を履いて外へ出て行ってしまった。何故か大声で、「化け物だあ!」と叫びながら……。
★★★
その日から力哉は、一度も家に戻ってはいない。
希美は一日中お腹を抱えて苦しんでいたが、結局、病院には行かず、夕方になると、いつも通りお店に出たみたいだった。
その次の日にはもう何ともない様子だったから、あれでも力哉は手加減したのかもしれない。
それ以来、あの日の事を希美は口にしていない。まるで何も無かったかのように振る舞っている。
ついでに力哉の事も、初めからそんな男はいなかったかのように装っているけど、それは今回が初めてのことじゃないから、真凛は気にしていない。
「あんな男いなくたって、あたしがあんたのこと、ちゃんと育ててあげるから大丈夫だよ」
そんなことを思い付いたように言ったりするのも前からだから、これも充分に平常運転だ。
「大丈夫。アタシ、中学を出たら働くから」
「働くって言ったって、高校ぐらい出とかないと、まともな働き口なんて無いんだからね」
「別に良いよ。アタシもお母さんと同じキャバ嬢になるから」
「あのね、真凛。キャバ嬢って、頭良くなきゃダメなんだよ。頭悪いと長続きしないし、バカにされるだけだから」
「お母さんみたいにってこと?」
「何を言ってんだい。こんでもあたしは、十年以上キャバ嬢やってんの。こんだけ続けていられるってのは、凄い事なんだよ」
確かに、希美の外見は綺麗だ。年齢は二十八だけど、まだ街を歩くと普通に男から声を掛けられるし、余裕で男を引っ掛けられる。
でも、男は数じゃない。質が大事なんだ。
「あんな男しか捕まえられなかったくせに……」
真凛がムキになってそう呟くと、希美のほっぺたがぷくっと膨れた。マズい、機嫌を損ねたみたいだ。
「こら、真凛。あんただって、あたしの血を引いてんだから、男には気を付けなよ。男運が無いとこだって、遺伝するかもしんないじゃない」
突然、希美に真顔になられた。知行の顔が、チラッと真凛の頭を掠める。
いや、駄目だ。知行さんにアタシなんかが、釣り合いっこないもの。
ここで、「良い男なら、もういるよ」って言えない自分が、真凛は悲しかった。
「お母さんの血がアタシにも流れてるって言うなら、アタシにだってキャバ嬢になれるって事じゃん」
真凛は、もう少し食い下がってみた。
「ムリムリ。真凛は、あたしよりバカだから。だいたいあんた、十八になんなきゃ風俗じゃ働けないんだよ」
風俗で働くこと自体は否定しない辺り、希美らしいと言える。
「だったら、それまで援交で稼ぐもん」
「その身体でねえ」
「あと三年あるから大丈夫だもん」
希美はバカにするけど、真凛の方は、割と本気である。
もちろん真凛は、いつも通り学校にも行っていた。そして、いつも通りにイジメに遭い、夜は「ムシ」になって郡山に飛んで行き、凜華に慰めてもらう。その次の日には知行にも会って、たわいもない話をしては、元気を貰った。
真凛が中学に上がってもイジメに遭うのは、田舎すぎて中学なのにひとクラスしかないからだ。クラスメイトが小学校時代と全く変わらないのだから、中学デビューでリセットなんて有り得ない。
それでも、あの意地悪な担任教師がいなくなった分、真凛の学校生活は多少は好転したと言える。それに、どんなイジメっ子だって、もはや真凛の敵じゃない。
だから今の所、真凛は週に四日以上、中学に通っていた。ていうか、四月に学校を休んだのは、たったの二日。どちらも図書館司書の笠間詠美に会う為だ。その詠美には、「できるだけ学校に通いなさい」と言われていて、五月は休まずに通うつもりでいる。
尚、実は新しい担任教師の熊谷郁恵という女もまた、いずれは真凛の敵となって行くのだが、この時の彼女はそれを知らない。まあ、一クラスしかない中学なのだから、小学校から情報が行っていない筈がないのだ。そして、その情報とは元担任教師の桑原が書いた物で、それが酷い内容であるのもまた自然な成り行きだった。
ともあれ、まだ表面上は何事もなく過ぎて行って、やがて五月も終わりが近付いた頃、再び真凛に新しい出会いが訪れるのだった。
END049
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。
次話は、四人目のヒロイン登場です。
できましたら、この後も、引き続き読んで頂けましたら幸いです。宜しくお願いします。
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